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赤岳
赤岳

基本情報
1 山名 赤岳(あかだけ
標高 2899m (一等三角点)
山域 八ヶ岳連峰
都道府県 長野・山梨
位置 N35.58.14/ E138.22.11 
地図 昭文社 山と高原地図33「八ヶ岳 蓼科・美ヶ原・霧ヶ峰」
2万5千分の1地図「八ヶ岳西部」
20万分の1地勢図「甲府」
7 山岳区分 日本百名山・甲信越百名山・山梨百名山・一等三角点百名山・信州百名山
登山記録
山歩No 6200-18025
登山日 2018年8月25 日(土)~8月26日(日)
歩程 第一日 4時間25分
第二日  4時間00分
天候 曇りのち
形態 小屋泊1泊縦走
アプローチ 中央線茅野駅からバス美濃戸口
パーティー 3人

 どうしても仕事の都合で8月がピークになるのでなかなか夏山に行けない生活が続いている。 それでも1度くらいは高い山に入りたいという思いもあり、今年の山岳部の夏合宿に合流することにした。 幸い、関西にいるH.Hさんが企画してくれたのは八ヶ岳なので、東京からは行くのが楽である。 2013年に続いての八ヶ岳登山となるが今回狙うのは赤岳だけである。 木曜日のうちに台風18号が通過していって、幸い、土日は影響が残るかもしれないが、山には登れそうである。 

特急あずさ35号

 08/24(金)仕事を18時には終わって一度自宅に帰り荷物を取って、横浜線で八王子まで行って特急に乗るつもりであったが出遅れてぎりぎりになってしまう。 家族に最寄り駅まで来てもらい車の中で早着替えをして横浜線に乗る。 八王子駅到着21:20、 一回駅の外に出て、コンビニで弁当とビールを買って33分のあずさ35号の乗る。 チェックインをして2Fの製氷機で氷をとって、風呂をあびて早速飲む。 Wifiはあるがドライヤーも髭剃りもないホテルだった。 値段が安いので仕方がないか。24時半就寝。

美濃戸口やまのこ村

 08/25(土)朝6:10起床。 おにぎりを食べる。 6:50に今回のリーダーのH.Hさんから電話がかかってくる。まだ諏訪湖SAにいるそうだ。 7:14にビジネスホテルの前に現れた。車に乗せてもらい、途中コンビニでウイスキーとペットボトルのお茶を買って 目指すは美濃戸口。 前回タクシー乗車だったときは八ヶ岳山荘の前で降りたが、今回は、やまのこ村の駐車場を予約してくれているので、そこまで林道を入ることができる。 やまのこ村では、結構山荘の近くのよい場所に駐車させてくれた。駐車料金は1日1000円なので2000円を支払う。 

北沢の登り

 荷物をかついで9:00に歩き出し。 前回、2013年に赤岳鉱泉から硫黄岳に行ったときがはには赤岳山荘の前ですももを食べたが、今回は売っていなかった。 でも美濃戸山荘の店の軒先にあったキュウリがおいしそうに見えたので帰りに食べようと心に決める。北沢と南沢の分岐を過ぎて堰堤広場まで行く。 ストックのひもをどこかで落としてしまったみたいだ。 道は沢沿いに少しずつ標高を上げていく。1760mの地点から赤岳鉱泉まで約500mの標高差である。 やがて明るい色のテントが見えてきた。 赤岳鉱泉のテント場である。 11:45到着である。 
 

赤岳鉱泉で休憩

 赤岳鉱泉では小屋の中に入り、昼食を頼むことにする。 ケーキがあるのだがもう1時間くらい寝かせないといけないという。 そこで1時間の昼食休憩をとることにする。 普通味のビーフカレーと少し辛いインドカレーとを一皿ずつ頼んでビールを頼む。 衛星放送のエンジェルスの試合を見ながらくつろいでしまう。13時20分に出発。小屋を出てすぐにヘリポートがあった。 赤岳鉱泉の収容力は150人。 通年営業。これだけの規模だから食料の搬入もすごい労力がいるのであろう。 ここから行者小屋までは中山峠を越えることになる。


行者小屋

 14:05中山乗越という峠で少し休憩する。 中山展望台まで踏みあとはあるがあまり歩かれているようでもない。あとはゆるやかな下り道。 自家発電の音が聞こえたら霧の中に行者小屋が現れた。Y.Hさんが眠いというので少し休憩。 昼寝をする。この小屋は思い入れのある小屋だ。 21歳のときにここに来た。 阿弥陀岳に登るつもりで結局悪天で登頂は断念したが、この小屋の前で写真を撮ったのを覚えている。 一緒にいた山仲間のM.Sさんは、2015年2月に病のために天に召された。小屋の入り口は当時と全く変わっていない。 この入り口でM.Sさんたちと写真を撮ったことを昨日のことのように覚えている。 ここから目指す赤岳展望荘まで2時間の登りである。 

地蔵尾根

 地蔵尾根は、結構な急騰で、依然、青年小屋のご主人である竹内さんがタレントの狩野英孝のガイドとして登山をしているテレビを見たが、鎖場で身動きが取れなくなっている姿があった。確かに、鉄梯子で登る場面が3ヶ所くらいあった。 鎖場をまいていくと稜線の方から人の声が聞こえた。 もうすぐ地蔵の頭である。 地蔵の頭はふきっさらしの場所で結構強い風が吹いていた。 時刻は16時を過ぎており、もう人はいなかった。 


赤岳展望荘到着

 そこから歩いて5分で赤岳展望荘。 この小屋は昔、赤岳石室と呼ばれていた山小屋である。 確かに、2つの建物が地下の通路でつながっており、個室も地下にあった。 夏山のシーズンではあるが満室ということはなく、われわれ3人は5人分のスペースをあてがわれた。 布団ではなく、寝袋に入って寝る仕組みは富士山の山小屋と同じである。 16:50まで五右衛門風呂に入れるという情報だったので、さっと入る。 ただ先に入っていた3人組が出て行ってからは貸し切りだった。 窯の中で思い切り足を延ばしてくつろぐ。 上がってから少し談話室でウイスキーを飲む。 

赤岳展望荘夕食

 18時に飯ですよと呼ばれたので、(クルーとしては3番目であろうか?食堂に行く。 ここの名物はバイキングスタイルのごはんである。 寒天や山菜・豚の角煮・鶏肉のうまになどがあり豪華な夕食となった。 生ビールを2杯買って乾杯する。 最後の組だったようでくつろいだ夕食となった。 18:45に部屋に戻るが、H.H氏そのまま寝てしまった。 スマホの充電をしてあげた。 20:30まで談話室で飲む。 むかいの青年2人にお菓子をあげた。となりでは山ガールがワインを飲んでいた。 20:35に引き上げて歯を磨いて就寝。 21時消灯。 22:30に近くの人がトイレに行く音で目が覚めたがそのあともゆっくり寝た。
 

小屋出発・赤岳への登り

 08/26(日)朝、3:30起床。 H.Hさんの携帯の目覚ましで起床となったが、実は自分は3:00からもう目が覚めていた。 やはり山小屋は熟睡できないようだ。荷物の用意をして歯磨きをしていたら小屋の係の人も起きてきたので、朝食の弁当を受け取る。まだ眠っている周りの人に気を使いながらパッキングをして小屋の外に出る。 昨夜は相当の風が吹いていたが、まだ稜線は強い風が吹いている。 4:15東のほうが少し白んできているが、それでもまだ真っ暗といったほうがよい。西のほうには茅野市の夜景が見えているので、雲は下がっているとみてよいだろう。地蔵尾根をヘッドランプをつけて上がってきている単独行の人が遠くに見える。 小屋の前で写真を撮りつつ4:30出発。風が強く、リュックにくくりつけている弁当を入れたビニール袋が風ではためくのが気になる。


赤岳頂上山荘モルゲンロート

 4:50次第に東の空が明るくなってきた。 山頂まで、数パーティーが急な稜線を登っているのが見える。 そろそろヘッドランプもいらないだろうか、赤岳に登る北陵は岩がむき出しとなっており、鎖に捕まりながら登る場所が多い。 残雪期に滑落も多いと聞くが確かに、冬は難コースであろう。5:04山頂にある小屋が見えてきた。 ご来光を見るために外に出ている人たちの姿が見える。  5:15、雲の切れ間からご来光が顔をのぞかせた。みるみる内に周りが朝日を浴びて赤く染まる。赤岳頂上山荘もきれいなモルゲンロートの中である。 



赤岳南峰登頂

 少し休憩したあとに、2899mの最高点の赤岳山頂(南峰)へと行く。 南峰の山頂はたくさんの登山者で混雑しており、写真を撮るのも行列の最後尾に並んで順番ということになった。 この山頂からは、南アルプスがきれいに見えた。 朝、小屋を出るときは、結構ガスがあるように思ったが、強い風に流されたのと台風が通過して高気圧が次第に張り出してきたのであろう。 視界はよくなっていった。 7:00赤岳の山頂到着。 ホームページ用の個人写真と3人での全体写真を別の人にシャッターを押してもらって撮影する。 7:05、下山開始。 ルートは最初、文三郎尾根へ降りるコースとキレット小屋に向かうコースと同じルートである。 途中、厳しい梯子があり、登山者と交錯するところで登山者5人を待たせてしまった。 ちょうど、行者小屋を早朝出た人と、下山する人があたる時間なのだろう。

文三郎尾根・正面に阿弥陀岳

  7:30正面に阿弥陀岳の姿がくっきり見える。 しばらくまだ気を抜けない険しい道である。 7:40、キレット小屋・権現岳へのルートを左に見て文三郎尾根への下り道へと入る。 急斜面をお尻をつきながら降りる道が続く。 8:00に阿弥陀岳へのルートとの分岐で休憩。 眼下に行者小屋が見える。 たくさんの登山者がこの文三郎尾根を上がってくるのが見える。 朝、赤岳展望荘を出発するときに稜線を覆っていた雲はもうすっかりなくなって横岳の大同心がくっきりと眺められる。5年前霧の中で登った硫黄岳が見えた。 行者小屋のはるか先には天狗岳の姿も見える。北八ヶ岳の峰々も視界に入るようになった。 下山路から正面はるか雲のかなたに北アルプスが見えた。 槍ヶ岳の屹立した穂先が目印になり山座同定を楽しむ。 

行者小屋から眺める稜線

 行者小屋まで迫ったところにある木道にはMammutのマークが刻印してあった。  9:21文三郎尾根と阿弥陀岳の分岐に到着。 阿弥陀岳の姿も鮮明に見える。 途中で、登山道が見えたが何人かのパーティーが、阿弥陀岳への直登ルートをだどっていた。  10:10行者小屋到着。行者小屋の2Fテラスのベンチで赤岳を見つめた。 昨日往路では天気が悪くて見ることができなかったが、赤岳展望荘がきれいに見えた。 M.Sさんはもっと高い天にいるのだと思うと今、元気で山に登ることができている自分の幸運と支えてくれている家族が本当にありがたいと思った。行者小屋のラーメンは気になったが、昼食にはまだ少し早いので先を急ぐことにした。 そのかわり、H.H氏は新鮮な水をありとあらゆる空のペットボトルに詰めて土産とした。 10:30出発。

下山・美濃戸山荘

  南沢の下りは、最初、沢の中を踏みあとに沿って右岸を進む。 やがて渡渉して左岸をくだっていく。 日曜日で天気もよく、あがってくる登山者も結構いる。ゆっくりとした沢沿いの道をくだり、最後は高山植物の保護区の横の木道をつっきると南沢と北沢の分岐の看板が現れた。 13:00分岐の前で写真を撮る。 このすぐ先が美濃戸山荘である。店先にあるキュウリがおいしそうだったので買って、お昼ごはんとする。 H.Hさんはざるそば、自分は暖かい天ぷらそばである。 信州の手打ちそばでとてもおいしかった。やまのこ村までは歩いて10分、車に乗って茅野駅まで送ってもらい、大阪にかえるH.Hさん、Y.Hさんとそこで分かれた。 15:50発の特急あずさ24号は7分ほど遅れて駅に入ったが、なんとこの列車、大月駅前の人身事故の影響で、甲府駅を出るのが1時間10分おそくなってしまった。 それでもなんとか家には20時すぎに帰り着くことができた。


 8月下旬の天気のよいタイミングで山に登ることができた。 このあと、9月4日には関西地方を今までにない大型で強い台風21号が遅い、死者やけが人が出る。関西空港は滑走路がつかえない状態になってしまった。 そして2日後の9月6日未明には北海道胆振地区で大地震が起きて、こちらも道央を中心に甚大な被害をもたらした。大阪も北海道もどちらも、この日本山歩日記で訪問させてもらった舞台である。 被災地の皆さまには心からお見舞い申し上げます。  
(2018年9月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています