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基本情報
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山名 |
杁差岳(えぶりさしだけ) |
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標高 |
1636m (三等三角点) |
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山域 |
飯豊山地 |
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都道府県 |
新潟 |
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位置 |
N37.56.33/ E139.36.32 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図10「飯豊山・杁差岳・二王子岳」
2万5千分の1地図「えぶり差岳」
20万分の1地勢図「新潟」 |
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山岳区分 |
日本二百名山 |
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登山記録
山歩No |
2210-18029
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登山日 |
2018年9月23 日(日)
~9月24日(月) |
歩程 |
第一日 7時間50分
第二日 6時間30分 |
天候 |
晴 |
形態 |
小屋泊1泊縦走 |
アプローチ |
日本海東北道中条ICから国道7号県道53号 |
パーティー |
1人 |
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えぶりさしだけ。 この難読漢字の山は飯豊連峰の北端にある。 山腹に現れる「杁差しの爺や」と呼ばれた残雪形が、荒川沿いの村々で農事暦として親しまれてきた。しかし飯豊山信仰とは無縁で、戦後まで登山道もなく、1964年の新潟国体登山で、大石川の東俣コースが開かれたり、山上に避難小屋が建設されて以来、登山者が激増した。 この山に登りたいと思ったのは、ひとつはいやでも山頂で一泊しなければならないからである。 他人様が登った登山の記録を見ると日帰りのケースが結構あるが、今回、私がチャレンジした足の松尾根コースは夏場の時期は、胎内ヒュッテから乗り合いタクシーがあるものの、それ以外の時期では、胎内ヒュッテから足の松尾根登山口まで片道1時間の林道歩きが必要になるので、往復のコースタイムが14時間を越えてしまう。 さすがにそれでは日帰りは無理である。ということで山中1泊を前提とすると、今度は往復のアプローチを考えるといわゆる三連休を活用するしかないことになる。 そこで、9月の春分の日の月曜日が祝日なので、土曜日に移動、日曜日から登って月曜日に降りてくる行程を組むことにした。
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関越自動車道練馬ICへ
9月22日(土)この日は、自宅で用事があったので、横浜を出発したのは13:30であった。 前日21日の金曜日から雨が降り、土曜日は登山には向かない天気である予報だったがmそれでも午後関東地方では晴れ間がでていた。 問題は道の混雑で練馬ICから関越自動車道に乗るまでに1時間半もかかってしまった。 15時をすぎてやっと高速道路に乗ったが、幸い高速道路の下りはさほど渋滞していない。 午前中は結構渋滞していたのであろう。途中、上里PAで小腹がすいたので 「こむぎっち焼き」というものを食べる。 要はタイ焼きなのだが、鯛ではなく町のマスコットキャラクターの「こむぎっち」の形をしているものである。 日没の中、関越トンネルを越えて新潟県に入る。 群馬・新潟県境は実は今年は7月に白砂山に登っているので近くまで来ているのだが、谷川岳を越えて進むと山深いところへ行くという緊張感が何となく、感じられる。
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道の駅胎内
関東地方は晴れていたが、新潟県内は夕方まだ雨だった。 新潟中央JCTから日本海東北自動車道に入る。 以前、鳥海山に行くときに酒田からはこの道を走ったが実質的に新潟から中条までの走行は初めてである。 車を走っているときに重大なことに気が付いた。 今回、小屋泊まりだというのに寝袋を持っていない。 22:00に中条のイオンで食材を買ったが、ついでにタオルケットでも売っていないかと探してみたがなかった。 23時に目的地である道の駅胎内に到着。 今夜の車中泊はここで行う。キャンピングカーをはじめ何台か車中泊仲間がいるようであった。 気温は24度くらいなので車の中で暑くて寝られないということはなかった。 明け方は寝袋がないので少し寒く感じたくらいである。
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奥胎内ヒュッテ
9月23日(日)5:30起床。 あまり十分眠れたという感じではないが、いつのように一人宴会をして12時頃には寝たので、歩くのに支障があるということはなさそうである。 幸いからりと晴れあがっている。絶好の登山日和になりそうである。 きのうイオンで買ってあったざるそばを朝食に食べて、そこから登山口の駐車場のある「奥胎内ヒュッテ」を目指す。 水力発電所を越えて、1.5車線の車道を進むと奥胎内ヒュッテ前の駐車場に7:30に着いた。 60台くらいは駐車できそうである。 登山者と思われる宿舎から離れた位置の駐車場にもすでに20台以上停まっている。奥胎内ヒュッテの最初のイメージは毛勝山に行く基地の片貝山荘のような想像をしていたが(実際にはまだ行っていないのだが。。 笑)、どうしてどうして立派なホテルのようなイメージである。 自然散策路も整備されているようで登山基地という位置づけだけでもないようである。
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足の松尾根取り付き
奥胎内ヒュッテを7:46に出発。 工事をしている大きな橋を右手に見て、さらに川ぞいに進み8:40に足の松尾根の登山口に到着した。 先行する3名の人たちにカメラのシャッターを押してもらう。 さらにあとから1名の男性と2名の女性がやってきた。 彼らは日帰りだという。 大したものである。 登山届を提出して8:45出発。 足の松尾根の登山コースは最初は林の中を進む。 途中、水というマークがあり、沢沿いの水場に行けるようだ。 今回、山頂の避難小屋で水が汲めるのかどうか結局定かではなかったがために、飲み水を4L抱えて上がることにした。 これ以外に500CCのペットボトルのお茶とあとは缶酎ハイ・ビールが1200CCと焼酎900CCと飲み物はふんだんにある。
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姫子の峰から大石山を見る
道はやがて、ジグザグの急登となる。 木の根を足場にして登ること約1時間、ようやく見晴らしのよい場所に出た。 姫子の峰という標高780mの地点である。 目指す大石山と思われる円錐形のピークが正面に顔を出した。 11:42に滝見場に到着。後になり先になりしている3人組の方と話しをする。 2人が東京で1人が新潟の人で車で来たらしい。 今夜の泊まりを無人の杁差小屋にするか有人の頼母木小屋にするかまだ決めかねているようである。 水場に関する情報交換を少しして出発。 3人の方はここで昼食にするとのことである。 滝見場のすぐ上が英三の峰(標高940m)である。 そこを通過すると登山道にシマヘビが現れた。 標高1000mを超えるとカヤトが紅葉し始めているのがわかった。 もう山に秋が訪れているということだろう。
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尾根から山頂方向展望
12:24に標高1080mのヒドノ峰で昼食をとることにする。 決して展望のあるピークではないがこの先まだ長そうである。 今日の昼食はヤマザキのランチパックと前日中条イオンで買ったサラダである。先ほどの3人の方が追い抜いて行った。 12:56に水場の分岐に到着。 他の人がヤマレコで書いていたが往復約20分だそうである。 持って上がる水は十分あるので寄らないことにする。 ガイドブックでは足の松尾根取り付きからコースタイム3時間10分。 歩き出してから3時間なので結構くたびれるがペースとしては悪くないところだろうか? 14:00ちょうどに標高1300mの地点まで来た。 大石山の標高が1567mなのでまだ1時間以上くらいかかることになる。天気が良いのはありがたいが気温が高くなり歩いていて暑くなってきた。日陰を探して14:04に休憩をする。 先ほどの3人組の人たちもワインを2本持っているといっていたので結構荷物が重いのだろう。休み休み来ている。 ガイドブックでは水場分岐から大石山までが1時間半となっていたがどうしてどうしてここが大変だった。 正面には目指す杁差の山頂が見えているのだが(後でわかったがこれは杁差岳の前衛峰の鉾立峰だった)
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西の峰
14:49に見晴らしが晴れて西の峰に到着。 下山されてきた方からどこまで行かれますかと聞かれたので杁差小屋まで行くつもりですと答えると、鉾立峰の登りがきついですよ、と脅されてしまった。 久しぶりの小屋荷物を持った山行だということもあるだろうが、次第に左足の太ももが筋肉痛が出始めていた。 最初こむらがえりかと思ったがそうでもなさそうである。 鎮痛剤を塗ったが万一痛みが続くようなら今日の宿泊先は有人で水場も確保されている頼母木小屋に変更しようと半ば考える。 頼母木小屋なら大石山から35分なので、杁差小屋へ行くまでの約1/3の時間である。
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大石山到着
14:57になんとか大石山1567mに到着。 頂上は目指す杁差岳へ行く北行きと主稜線で門内岳・大日岳へ続くコースとの分岐となっている。 結構近いところに頼母木小屋が見えた。 楽勝ででいけそうである。 大石山頂上には誰もいない。後ろにいる3人組も稜線上を登っている姿は見えなかった。20分ほど休んで行動食をとってちょっと落ち着いたのでもともと狙った杁差小屋を目指すことする。 大石山からはたおやかな稜線を下り標高差で200m弱下る。 そこから、鉾立峰までは少し急な登り。途中で後ろから単独の方がすごいスピードで近づいているのが見えた。 荷物は背負っていない。 鎌をもって、笹の刈り払いをしているので、小屋の方だろうかと思った。 (あとで、杁差小屋で再会するが、頼母木小屋の女主人のご亭主のIさんだった。)
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杁差小屋への登り
16:19鉾立峰到着。 ここからは目指す杁差岳が目と鼻の先のように見えた。 杁差岳の登りは標高は高いが鉾立峰ほど急ではないように見えて少し安心する。次第に雲がでて、門内岳のほうはすでにガスに覆われてしまっている。16:31に鉾立峰と杁差岳の最低鞍部に到着。 正面に今日のゴールの杁差岳とその下に杁差小屋が見える。 最後の力を振り絞り斜面を登る。 稜線にある藤島玄氏のレリーフを過ぎるとそこが杁差岳山頂にいたる丘陵になっていた。小さな峰を超えると杁差小屋があり、外で宿泊客の人が手を振っているのが見えた。 あいさつをして、そのまま小屋に上がる前に5分先の山頂へ行ってみることにした。 闇迫る杁差岳
の山頂に17:20到着。
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夕闇の杁差岳山頂
山頂に17:20に到着。 歩き出しから約9時間半。コースタイムどおりといえばそうとも言えるが、当初は15時半くらいについてゆっくり飲もうと思っていた計画からはべた遅れである。 それでも太ももの痛みがなく登頂できたことを祝う。 小屋に入って1Fの土間に寝床を確保する。今日は宿泊客8人だということでまあ余裕である。 2階建てになっていて上には3人の方がいたので、一緒に外で夕食の支度をしながら焼酎を飲んで話をする。日没後に見た新発田の夜景がとてもきれいだった。小屋の1Fでは6人で歌を歌ったり、地元で登山道の整備をしてくれているTさんのいろいろな話を聞いたりして盛り上がる。 寝袋はTさんがいくつか持っていたので貸してくれた。 |
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杁差小屋をあとにする
9月24日(月)朝5:00起床。 隣の単独の男性は4時くらいには起きていたようだったので自分が起きたときはもう姿はなかった。 その他の単独の人たちも徐々に出発していった。 自分は朝食のうどんを作って食べてジャスミン茶を飲んでほっとひとここち。 寝袋を貸してくれたTさんにお礼を言って余った焼酎と缶詰は小屋に置いていく。 6:49に再び山頂に登り返したが驚くべきことにそのときに30代くらいの女性の単独行の方とすれ違う。どうも、頼母木小屋から早朝出てピストンをしているようである。下山中に追いついた新発田の小屋で一緒に宴会をした方の話では、この女性は有名な人らしい。帰りに3人組の人たちとも話しをしたが、前日、川入から入って飯豊本山や門内を超えて頼母木まで来たらしい。おそるべき脚力である。
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鉾立峰
杁差岳の山頂からは日本海や佐渡島もきれいに見えた。 北には朝日が東には吾妻連峰が見える360度の展望だった。 今夜から天気はまた下り坂だということだが秋雨前線の合間を縫ってうまく登山をすることができたと我ながら思う。 鉾立峰では2人の方とすれ違う。 昨日、頼母木に泊まった人たちであろう。 この時間にすれ違うならまだわかるが。。鉾立峰をすぎたところで、昨日、抜かしていった3人組のうちのおひとりのKさんとすれ違って話をする。 昨日は大石山のところで鎌をもったIさんに、頼母木小屋には冷たい飲み物もおいているよと言われてそっちに泊まる決心をしたらしい。あとの2人は杁差岳をピストンするKさんに付き合う気もないので遅れて出発。 ゆっくり歩いて大石山から下山するらしい。
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神経をすり減らす岩場
8:30に大石山に到着。 休憩して水を飲んでいると3人組のお二人が現れた。昨日の小屋での様子などを聞く。 彼らと後になり先になりして下山。 西の峰からは、来るときに渡った橋が見えた。 あれを目印に尾根上をどんどん下るんだなと思うとゴールが見えていてわかりやすかった。 途中すれ違った登山者の方が、マムシを見たというので細心の注意を払いながら藪道は進む。 10:25、滝見場からはまた滝がきれいに見えた。 ここから先は岩場があるから注意しましょうと2人の方と話しをしてストックをリュックにしまう。 ところが、肝心の岩場に差し掛かる前のところで木の根に足を取られて大きく転倒してしまった。 左足のすねを強打。 幸い骨折はしていなかったがかなり打撲のダメージ(精神的も含めて)で下りのペースが落ちる。
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下山・足の松沢
11:42姫子の峰で休憩。 傷の手当てをする。 新発田の方が追いついて、あと40分で下山できるよというので少し安心する。 実際には12:58に足の松尾根取り付きに降りたので40分では下れなかったと思うが、まあそれでもなんとか13時前だったのでよかった。 ここから、林道歩きがほぼ1時間。 歩いている途中でやぶ蚊が近づいてくるのには困った。 後半は途中で一緒になった相模原の方と北海道の山の話をしたりしてあっという間に奥胎内ヒュッテに着いたように感じた。お決まりのサイダーを買って、14:20出発。 帰りの道は三連休の最終日ということもあり関越自動車道の混雑を覚悟する。途中のファーストフード店でのランチのロスタイムも含めて7時間のドライブを楽しんで帰った。
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杁差岳というこの飯豊の北部の山に登ってまったく知らない世界に気づいた。 それは普段、北アルプスや八ヶ岳では人が登山をすることがいわゆるレジャーになっていて山小屋はあくまでビジネスとして分化しているが、飯豊では地元の人たちが地元の山を愛し、そして登山者の安全のために道や小屋を整備するのに情熱を注いでいるということだ。 小屋で宿泊したとき隣にいたのは、同じく神奈川県からやってきた78歳の単独行の男性で、日本二百名山のこれが199座目だという。 全国を飛行機や新幹線を使って旅している。自分もどちらかというとそれに近いピークハンターである。 一方で、寝袋を貸してくれたTさんは、毎週、杁差小屋に泊まりに来るという。芝刈り機のメンテも含めて登山道の点検、そして登山者と飲むために小屋に来るという。新潟に移住しないかと冗談交じりで誘われた。 そんな山の登り方もあるようだ。 本当に奥が深い。
(2018年9月 記) |
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