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高千穂峰
高千穂峰

基本情報
1 山名 高千穂峰 (たかちほみね)
標高 1573m
山域 霧島火山帯
都道府県 宮崎・鹿児島
位置 N31.53.11/ E130.55.08
地図 2万5千分の1地図「高千穂峰」
20万分の1地勢図「鹿児島」
7 山岳区分 日本二百名山・九州百名山
登山記録
山歩No 2990-23064
登山日 2023年10月8日(日)
歩程 3時間50分(高千穂河原ー高千穂山ー高千穂河原)
天候
形態 日帰り
アプローチ 鹿児島空港から県道60号経由、約47分 高千穂河原
パーティー 1人
動画URL https://youtu.be/h4mLo2j_-0s

 1987年のゴールデンウィークに初めて霧島山に登った。 その時に韓国岳の山頂からはるか遠くに高千穂峰が見えた。 高千穂峰はコニーデ型の火山でその姿は勇壮に見えた。 新燃岳の噴煙の向こうに続く稜線はいつかあそこの山に登ってみたいと思わしめるに十分だった。 あれから36年がたち、日本二百名山登山の計画を具体化する中で改めてこの山の登山が対象になってきた。 新燃岳付近が立ち入り規制されているので縦走はできないが、それでもこの山単独登山でも大いに魅力がありそうである。


羽田空港

 2023年10月7日(土)スポーツの日の三連休を利用して日本三百名山の中で鹿児島県で残っている二つの山に登ることにした。比較的安い飛行機を選ぼうとすると土曜日の夕方の出発にせざるを得ない。土曜日は最終の羽田発の飛行機で鹿児島空港に行き、できれば空港近くに宿泊して翌日レンタカーを借りて行動したいと思っていたところが困ったことにちょうどこのタイミングは秋の国体が鹿児島で開催されるタイミングと重なっており空港から程近いところのホテルがほとんど空いていなかったそこで最初のバスで国分市内まで移動しビジネスホテルに泊まって翌日はしないから再び空港に戻ってレンタカーを借りることにしたさらに悩ましいのは数日前から天気予報でわ10月8日の日曜日は降水確率100%と言っている高千穂峰の登山は厳しいものになりそうである

鹿児島空港

 10月7日15時に家を出発京浜急行で羽田空港まで行く羽田空港で夕食に吉野家の牛丼を食べてそして8時の飛行機の時間に間に合うように携帯向かったゲートへ向かった空港の混雑により飛行機は出版時間が15分ほど遅れた鹿児島空港へ到着する時刻が出演すると空港から国分市内に向かうバスに乗れない可能性がある。やきもきしたら結局鹿児島空港には25分の遅れで到着した20時をすぎており21時を過ぎており当たり前であるか空港ホテルバスはもう無かった国体の解散シーズンだということもあり東京からはたくさんのお客が鹿児島空港で降りた。


タクシー分乗

 同じようにバスに乗ろうと思っていたお客はほとんど皆タクシー乗り場に並ぶ羽目になり、タクシーの乗車場が30人ほどの行列ができていた。 しかしながら雨が降っていることもありタクシーは全く来ない。 空港の契約社員だろうか、タクシーの誘導をしている高齢の方は「現在、込み合っております。 もうしばらくお待ちください」と気の毒なぐらい平謝りしていた。 結局、地方の働き手の不足はこのような形でしわ寄せが来ているのだ。 40分待って、国分市内方面に行くという人4人でグループを組んでタクシーに乗車する。 


国分市内宿泊 

 結局自分が一番最後の遠い場所まで乗っていたのでタクシー代は5000円以上かかったが先に降りた人たちには1000円ずつ負担をしてもらったので少し自分の負担が多くなった。 まあ、最悪一人でタクシーに乗ることも覚悟していたので、乗り合いにしてもらってよかったと思う。 関東から親族の国体出場の応援に来た人や、関西から教え子の応援に来ている人の話をタクシーに乗っている30分に聞くことができたことは貴重であった。 国体を通じた鹿児島町おこしのために良い思い出となった。 結局当初の予定よりだいぶ遅れてしまい、サンホテル国分に到着したのは22時半を回っていた。そこから外に出て徒歩5分ほどのコンビニ行って寝酒を買ってホテルに戻り就寝したのは12時近かった。


空港ホテル前バス停

 10月8日(日)朝6時半起床。 6時半から朝食を食べられるので階下のレストランに下りて、食べ終わってから部屋に戻り片づけをする。 すぐに片付けて7時30分に出発する。 空港までの路線バスの停留所は国分駅の近くであるが、少し分かりにくかったので、駅前で国体の案内をしている係の人たちに聞いて、バス停までたどり着く。   空港までのバスは途中からお客さんが乗ってきてそこそこ混んでいた。 東欧系の海外旅行者2人も大きな荷物を抱えて乗り込んできていた。 7時55分、空港ホテル前のバス停で降りる。 ここから歩いて、ニコニコレンタカーのカウンターへ行く。 今回借り出す車は三菱の軽自動車であった。 クルマを無事に借り出して、いざ出発である。 ナビが付いてない車なので自分のスマートホンが大切である。 
 

高千穂河原

 行き先を高千穂河原に設定し、Googleナビの指示に従って進む。 国道504号を隼人まで行き、霧島神社を越えて進んでいくと県道475号線に入る。 霧島神宮を横手に見ながら、県道60号線に入り、高千穂河原へと標高を上げていく。 高千穂河原のビジターセンター前の駐車場には9時50分に到着した。 雨が激しく降り注いでいる。 

霧島神宮古宮址

  駐車場に止めている車は2-3台である。 本当であれば連休なので、たくさんの観光客が来るはずのところであるが、やはり天気が悪いので少なくとも登山する人は全然いないようである。 10時5分動画のオープニングを取った後出発開始。最初に霧島神宮の古宮址を鳥送って入って行くさいしじょうの階段を上がりそこからスタートである。登山豪三はその横につけられており最初は歩きやすい石畳であったが途中からは火山れきの中の赤土の道に変わっていった。幸いしばらくは樹林の中を歩くのでさほど風はない。


強風の御鉢

 10時37分森林限界を超える。ここからは御鉢に沿って火山の火口を登っていくことになる。 少し視界が悪いと迷いやすいこともあり、黄色ペンキのみちしるべに従って登って行く。やがて右手がロープで遮断された崖の横に着く。 ここから南側が御鉢の火口のようである。 この辺りからルートは次第に北西に御鉢の淵をまわって行くのであるが、 北西に進んでいくにつれて標高も上がり風が強くなってくる。 特に御鉢の最高点あたりを通過するときは、おそらく風速は20mを超えているだろう風が吹いていた。 朝確認した天気予報では麓の風速が6m、山頂の風速が15mであったので、やはり風の強いところは台風並みだと言えるだろう。 風速20mだと気をつけないと身に着けている帽子などが飛ばされてしまうし、下手をすると歩行中に体がふらついてしまうくらいの風の強さである。

高千穂峰山頂

御鉢の最高の最も風の強いところを通過すると、正面に霧島神宮の奥宮が見えた。ここからは高千穂峰の山頂に向かって急な登りとなってる。 ただこの登りの斜面が山頂から見て南西側になるということもあり、幸い風はさほど強くない。 足元に気をつけながら慎重に登っていく。  山頂まであと150mと標識が現れた。 ガスで前はあまり見えないがゆっくりとのぼって、木11時40分、高千穂峰山頂に到着する。 山頂標識の北側には高千穂峰の象徴ともいうべき青銅の剣=天逆鉾が突き刺さっていた。 坂本龍馬が引き抜いたという伝説があるがその真偽は明らかではない。 
 

山頂避難小屋

風が強いのでそこから30メーターほど下にある日名古屋の中に逃げ込む。 避難小屋で扉を閉めるとやっと落ち着いたので、そこで昼食に持ってきたアルファ前を食べた。食事が終わり少し休憩しているときに、 ガラガラっという音がして避難小屋の扉が開いた。 今日みたいな日は誰も登らないと思っていたが宮崎県の霧島東神社側から登ってきたソロの登山者がいたのが驚きである。 高千穂河原から登るよりも時間は一時間以上長いし、何しろ風上になるので相当しんどかったはずである。

下山 再び強風と霧の中を進む

 しばらくこの登山者の方とお話をしていたが、ずっと休憩しているわけにもいかない。 風が収まる気配もなく意を決して出て行く。 12時10分再び山頂に至る。 何も見えないが360度動画を撮影した。ここから気をつけながら下山である。 霧島神社の奥宮に来て、先ほど往路では参拝もしなかったが、安全下山を祈りる。 そこから祭壇の難所である御鉢を回りながら下山を続ける。 御鉢の横はやはり風が強かった。 ただ来るときと違ってどこまで歩けばいいかのゴールが把握できているので気が楽だった。 大きな岩が二つ並ぶ御鉢の端にきて、そこからは岩場のステップの下りである。 黄色のペンキの目印に降りて行き、ほどなく樹林帯が見えてきた。 

ビジターセンター

 12:55森林限界に入る。 樹林帯に入ってからは風もおさまり、快適に歩くことができた。13時13分霧島神宮の古宮址へ到着。  ここから石段の歩道をおりて、荷物を車にしまった後ビジターセンターに立ち寄ってみる。ビジターセンターでは山の様子などを表示した模型などが置いてあった。 13時50分まだ時間も早いのでこの後霧島山の麓を歩いてみようと思い、車でえびの高原に向けて出発した。 

美しい高千穂峰初めて見たときの様子とは全く違う厳しい登山となった九州の人にとってはとても親しみのあるハイキングコースの山のであるがひとたび天候が悪化するとこんな風になるのかというのが受理のない火山特有の地形でわ新たな発見であった残念ながら展望を楽しむことはできなかったがとにかく登頂を果たしたので満足であった。 九州における日本二百名山の最後の登山ができたのでひときわ感慨深かった。
(2024年1月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています