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塩見岳
塩見岳

基本情報
1 山名 塩見岳 (しおみだけ)
標高 3,047 m
山域 赤石山脈中部
都道府県 長野県・静岡県
位置 N35.34.25/ E138.10.59
地図 昭文社 山と高原地図42「塩見・赤石・聖岳」
2万5千分の1地図「塩見岳」
20万分の1地勢図「甲府」
7 山岳区分 日本百名山、甲信越百名山
登山記録
山歩No 1820-09025
登山日 2009年9月21日(月)
歩程 10時間20分(9/21熊ノ平から三伏峠まで)
5時間45分(9/22三伏峠から大河原まで)
天候 晴れ
形態 テント泊3泊4日(北岳・間ノ岳・塩見岳縦走)
アプローチ 甲府よりバス広河原
パーティー 1人

シルバーウイークを利用しての3泊4日の南アルプス北部縦走にでかけた。このコースの縦走はかつて20年前から考えていた計画だった。 9/19(土) 甲府からバスで広河原に入り、白根御池小屋でテント泊。 翌日、大樺沢から八本歯ノコルを経て北岳ー間ノ岳ですばらしい展望に出会うことができ、上機嫌で熊ノ平小屋でテント泊。南アルプスの中心部で星を見ながらのテント一人泊というのもいままでなかった経験なので、とても新鮮だった。。夏場と違い日は短いものの、湿度が低いので前日の北岳ー間ノ岳ー三峰岳の縦走コースは見事な山の姿に触れることができた。 今日はいよいよ塩見岳からを登り三伏峠までの縦走、一番の長丁場である。   

出発 熊ノ平

09/21(月)朝4:16起床。 快晴。きのうとなりのテントから聞こえてきたラジオで天気が下り坂といっているのであせる。3:30に目覚ましをかけていたが寝坊して起きることができなかった。昨日の北岳からの縦走でかなり体も疲れているのだろうか。 昨夜のうちに炊いてあったアルファ米で雑炊をつくり朝食をとる。 もうだいぶ明るくなったテンバを5:51出発。何人かの登山者と一緒になるが、だいたい皆大きな荷物を持ったテント泊者だ。 その意味では、小屋に泊まった人たちはまだ食事が終わって出発はできていないわけで、そんなに寝坊したともいえないわけだろうか。 

竜尾見晴

すぐに安倍荒倉岳へののぼりにかかる。傾斜はさほどきついということはない。 ハイマツを抜けて稜線の眺めがいいところで6:13給水。 おおきなテントをもった富士宮からの単独行の方もあがってきていた。30kgの荷物を背負って、光岳まで行くらしい。 平坦なところをすぎるとに安倍荒倉岳のゆったりとしたのぼり。 今日は先が長いので何しろ時間がない。 山頂にはよらずにすっ飛ばす。7:03竜尾見晴で休憩。正面の農鳥山の稜線から朝日があがっている。 気持ちのいい朝だ。 
7:10出発。

北荒川岳
 8:06樹林の広いところで休憩。 8:13発。 ラジオを出してNHKの中国語講座を聞く。
 8:40に北荒川岳に到着。 ここからは塩見岳がきれいに見える。 行動食を食べてラジオ体操をする。 8:46出発。 今は使われていないキャンプ場のあとを横に見ながらジグザグを切ってあがる。 9:33稜線2719mあたりで休憩。 天気はまだ穏やかで崩れるという気配はない。 9:46出発。ここからは塩見岳まで標高差330mの登りだ塩見のエアリアマップは1989年に買った古いものもあるが、そこでは、キャンプ指定地になっている。 幕営が禁止されたのはやはりし尿の問題と水がかれてしまったからだろうか。 北東稜に先に行く登山者たちの姿が見える。 


北俣岳分岐

きついのぼりが続いて10:42北俣岳の分岐到着。 水を飲んで行動食も食べる。ザックが3つほどデポしてある。蝙蝠岳に行っている人だろう。蝙蝠岳もおおらかで草木のない素晴らしい展望の山だと聞く。 ピークを踏みたいという欲望はあるが、なにしろここから往復4時間15分かかる。 ここに行ったは、宿泊はおのずと塩見小屋になるだろう。 残念ながらあきらめざるをえない。10:48発。 途中で17人の団体とすれちがう。南アルプスの深部でもこのような団体が現れるのだ。 おそらくバスをしたてて旅行会社がアレンジしたツアーだ ろう。 この人たちは今日は熊ノ平までだろうか、それとも北岳山荘までだろうか? 荷物の少ない中高年ばかりの集団に他人事ながら心配になる。

塩見岳東峰

分岐からは稜線に伝って塩見岳の姿を見ながらゆっくりと30分登る。 山頂の道標と景色を見ている人たちの姿が見えるのでゴールまでの距離が測れて助かる。 11:30塩見岳東峰到着。 写真を撮ったあと山頂近くの岩に腰をかけてラーメンをつくる。 となりの神戸から来た夫婦と山座の話をする。神戸の奥さんは30年ぶりに塩見にきたらしい。 前回は、北ノ俣の分岐の下にテントをはったらしい。 確かに1988年の地図を見ると、キャンプ適地と書いてある。 しかし2009年の地図では幕営禁止となっているし、事実テントを張っていると思われる形跡はなかった。朝北岳山荘を出発した場合、北ノ俣の分岐までの歩程がおよそ9時間、健脚の人はここまでこれるということだろうか。 北岳の姿がすばらしいので、神戸の人に「昨日、北岳から見た景色は素晴らしかったですよ。」というと、「昨日北岳に登ってたんですか? すごい健脚ですね。」といわれてしまった。 すみません、実は相当歩くスピードは遅いのですが。。 

塩見岳西峰

 富士宮の人も追いついて今日は三伏まで縦走するつもりだと教えてくれた。 12:30出発。西峰までは5分もかからない。 東峰は3052mで、西峰よりも約5m標高が高いが、三角点があるのは西峰の3046.9mの頂で、こちらがオフィシャルは塩見岳の標高となっている。 山名は山名は
(1) 山頂から長野県側の鹿塩集落で塩を焼く煙が見えたから
(2) 塩泉のある鹿塩の谷(塩川)の源頭の山(実際には本谷山)だから
(3) 塩がなかったはるか昔に、弘法大師が山頂から海を望み、塩をこの谷によんだから
(4) 山頂から遠州灘の潮が見えたから
など諸説入り混じっているという。 西峰で写真を1枚撮って、天狗岩をまいて危険箇所を慎重に下っていく。 このくだりはガレ場が続きかなり危険である。 落石せぬよう要注意だ。 天狗岩の姿はきれいだが、実際に登山道は岩の下を巻いていく。  

塩見小屋

13:25塩見小屋に到着。WEBの普及で口コミで有名になっている29歳の女性アルバイトがかいがいしく働いていた。小屋の前で、単独行であとになり先になりして歩いていた5人が日陰で休憩して、山の話に花をさかせているので、中に入れてもらった。  アセロラチューハイを500円で買ってのどをうるおす。 58歳の男性は、もう靴のビブラムがはがれたからここで泊まるといってまだ時間は早いが、早々に縦走からはぬけていった。 富士宮の人がつまみにチーズかまぼこをくれた。アセロラチューハイとなかなか合う。小屋からはなるほど塩見岳の姿が勇壮に見える。 水場が遠いので(往復35分)小屋を運営する人も大変だ。  13:45小屋発。  

本谷山

 小屋の裏手までゆっくりとした登り45分間。 権右衛門山2682mから北に伸びる尾根が塩見新道で、こちらは、塩見小屋のぼっか道であるらしい。 ただし、2008年に沢の増水で道が一部わからなくなっており通る人も少ないようだ。 塩見新道との分岐を経て、そこからは比較的平坦な樹林の中の道。 ところどこと樹林の切れ間に、塩見が見えるが、だいぶガスが上がってきていてシャッターチャンスとはいかない。 14:37樹林の中で休憩。 14:45発。 ゆっくりとしたのぼりで2-3の小さなピークを経て15:40本谷山。もうガスがでてきていて塩見岳は見えない。 荷物をおろしラジオ中国語を聞いて15:46出発。


三伏峠

またアップダウンを繰り返して16:45三伏山。 4人組の中高年が会話していた。 三伏小屋に泊まっていて、食事が17時から始まるから、15時には戻って来いと小屋から言われていたようだ。 2時間の遅刻でもう食事はないかもしれない。 三伏から日帰りで塩見岳ピストンもたいへんなようだ。先におりてもらって写真を1枚撮る。16:48出発。
急な坂をおりて、やがて平らになると、赤石岳への主脈への道を分ける。 水場はそこを下ったところにあるようで、荷物をおいて水を汲んできている人もいた。 17:01三伏小屋に到着。 テントの受付をしてトイレ代込みで700円を払う。 テントを張ってとなりの人に挨拶をしたあと、追いついてきてテントを張った富士宮の人と千葉の人と3人で水場に行く。 もう日没で暗くなっていた。 切り株に足をひっかけて転倒した。 帰りは千葉の人とヘッドランプで足元を照らしながら帰る。 18:30テント帰着。それから五目御飯のアルファ米をたいてウイスキーを飲んでいたら富士宮の人が星がきれいだから自分のテントに飲みに来いとさそってくれた。 30分ほど話をして、あまった食糧を差し入れして20時に失礼して就寝。
。 

鳥倉林道から大河原

09/22(火)朝3:00起床。 晴れ。 暗いうちからきのうたいた五目飯を食べてあさげとお茶を飲んでBAをすませ4:46くつひもを締めなおして出発。 がんばって10時20分のバスに乗りたいのでヘッドランプをつけて下り始める。 5:10塩川と鳥倉の分岐に到着。 後ろから一人登山者が追い越していく。 5:30水場。 やっと明るくなってきた。 5:45豊国山間のコルで休憩。 小屋に食糧をかつぎあげたボッカの人が追い越して行った。 5:51出発。 この道は以前の地図にはなかった新道だ。 あたらしく切り開かれたという感じで、橋を渡したり手が加わった様子がよくわかる。 下山の途中で今日登る人とたくさんすれ違う。 6:43鳥倉登山口。 届のボックスに下山のカードを提出する。私を追い越していった人はボッカの人に荷物を届ける車に便乗していった。6:48発。車道を歩いて 7:29駐車場到着。 トイレをすませ写真を撮って再度出発。 8:22夕立神のパノラマ公園で休憩。 行動食を食べて中国語講座を聞く。 8:30出発。 結局そのあと歩いても歩いても標高は下がらず、結局大河原についたのは11時だった。

伊那大島

大河原で当然10:20のバスはとっくに行ってしまって次は15時までない。ガイドブックに大河原から鳥倉登山口まで徒歩で約2時間となっているが、絶対にこのガイドブックの執筆者は歩いてはいまい。 財布は痛いがあと4時間待つのもつらいので、タクシーを呼ぶ。 ビールを飲んでパラグラ イダーで河原に下りる人を見ながら丸茂タクシーの迎えが来るのを待つ。 12:01の伊那大島の列車に乗れなかったので切符を買っていたら、昨夜テントで隣だった人も送ってもらって下山してきた。 広場でEPIを出して昼食のカレーうどんをつくり、そのあと、スーパーまで歩いて行き、発泡酒と日本酒を買う。 もどってきて駅のホームで写真を撮ったあと13:55に茅野行きの各駅に乗り込む。 幸い座れたので、日本酒を飲んですぐに寝てしまう。 16時に岡谷到着。 16:03のあずさ26号に飛び乗る。 指定席は満席だったが幸い、空いている席に座って八王子まで帰ることができた。 

(番外) IBS石井スポーツ

最後の鳥倉の車道歩きでずいぶんと膝を酷使した気がしたが、自分でテントをもっていったのはよかった。 その前の週、鶴見にあるIBS石井スポーツがこの連休で廃業することになり、閉店セールがあって、寝袋・チタン製のコッヘル・EPIなど軽量化に貢献するツールを買い足したことも縦走成功に寄与しただろう。 山から帰ってきた翌日の23日も10時半にIBS石井スポーツの閉店セールに再び出かけた。前週に山スキーの道具を一式買ったが、兼用靴をやチタン製レードル、スプーンセットなどを買いたした。 思い起こせば、1978年に初めて山に登るようになったときに山の道具を購入したのが、IBSの名古屋店だった。 ザックやニッカズボンはもう捨ててしまったが、山シャツは今でも使っている。 たくさんの山の頂をいっしょに見てきた。 レインスーツやスパッツはみな、大阪時代にIBSの大阪店で買ったものだ。 横浜に住んでから、今の靴は鶴見店で買った。 IBSがなくなってしまうのは、自分の登山生活の節目のようで少しさびしい。


3泊4日と久しぶりに長く山に入った。 テントを持って、このコースを縦走するのは計画したから15年くらい温めていただろうか。 
日本百名山を3つも連ねて、しかも南アルプスの静かな山旅を楽しむことができたのには感激した。友人からは、行く前に、この年になってもテントを担いで縦走をやるなんてすごい、とほめられたが、山に行ってみて同じような男性・もっと年配の人もいたことが励みになった。 天気にも恵まれた今回の写真はすばらしい財産である。 (2009年12月記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています。