日本山歩日記 本文へジャンプ
間ノ岳
間ノ岳

基本情報
1 山名 間ノ岳
標高 3,189.1m
山域 赤石山脈
都道府県 山梨県・静岡県
位置 N35.38.46/ E138.13.42
地図 昭文社 山と高原地図41「北岳・甲斐駒
2万5千分の1地図「間ノ岳」
20万分の1地勢図「甲府」
7 山岳区分 日本百名山、百名山
登山記録
山歩No 1810-09024
登山日 2009年9月20日(日)
歩程 第一日 3時間25分(9/19 広河原から御池小屋まで)
第二日 8時間05分(9/20御池小屋から熊ノ平小屋まで)
天候 晴れ
形態 テント3泊4日縦走
アプローチ JR甲府駅山梨交通バス広河原
パーティー 1人

シルバーウイークを利用しての3泊4日の南アルプス北部縦走にでかけた。 9/19(土) 甲府からバスで広河原に入り、白根御池小屋でテント泊。 翌日、大樺沢から八本歯ノコルを経て北岳に登る。 すばらしい天気に恵まれて日本中の主だった山を見ることができた。 9/20(日)の行程は、北岳をピストンしたあと、北岳山荘を過ぎて、中白根山を通り、間ノ岳を登頂。 その後、仙塩尾根の稜線に入り、三峰山岳から井川越え、熊ノ平でテント泊というコースだ。

出発 北岳山荘

北岳山荘の前で昼食を食べた。小屋の裏手の日陰でコンロをたいて湯をわかしラーメンを作る。 27年前にここの小屋の横にテントを張った。 そのときは梅雨明け前の悪天で、強い雨風の中、家型テントが倒れないようにポールをずっと抑えていた。 夜中に何度もおきだして、テントの張綱をなおしていたような記憶がある。 うっかりテント場がどんなところか覗いてみるのを忘れてしまった。地図を見るとそこから200mほど降りたところに北岳小屋跡あという地図の表記がある。 かつてここにも小屋があったのだろうか? 残念ながらインターネットで調べても、記録はでてこない。 
北岳山荘を覗いてみた。 混雑時には想像を絶する混雑振りになるらしく、イワシ寝を通り越して、刺身のように横向きで寝るのが精一杯だったとか・・・。ちなみに今回私が見たとき(2009年9月20日)は「ふとん1枚で二人寝ていただきます。」という札が出ていた。



中白根山
ガレ場をあがりながら 13:14に中白根山到着。おおきなカメラをすえつけて南から北岳の雄姿を撮っているカメラマンがいた。。なるほど、ここから見る北岳の姿はとても勇壮だ。 すこし休憩して13:21出発。

間ノ岳山頂

14:45間ノ岳到着。思ったよりなだらかな山頂だ。 名前はわからないが潅木が紅葉して、きれいな色を見せている。間ノ岳も麓から融雪期に鳥の姿が見えるという。  写真を撮って14:55出発。そこから道は、農鳥岳へ向かう道と分かれるが、熊野平への縦走路は向う人も少なくさびしい 途中、昨日バスの中でとなりに座っていた人に会う。荷物が少ないので、きっと熊野平小屋泊まりだろう。 

三峰岳

急な岩を乗り越えて15:47三峰岳到着。 広島から来た若い三人組と話をする。 眼下には野呂川越からあがってくる道が見える。ここからは、本当に仙塩尾根の姿を一望することができる。 夏場だったら、もうこんな午後の時間はガスが上がってきていて展望がないのだろうが、このシルバーウイークの時期は、この時間でも高気圧に覆われていたら大展望を楽しむことができる。 三峰岳の東には農鳥山がでーんとそびえてその後ろには富士山が姿を見せている。 15:55出発。

三国平

ハイマツの岩稜をくだんっていくと砂礫の広場にでた。 
ここが三国平だ。そこからほぼ水平ルートで農鳥山荘へ行く道筋がついている。 16:41三国平で少し休憩。ずいぶん日が傾いてきている。16:47発。ここからは西農鳥と農鳥岳がよく見える。ルートがジグザグに下るようになるとそこが通称井川越えといわれるあたり。 熊ノ平の小屋は稜線上にあるのかと思ったら、意外と下った森の中にあるのがわかった。

熊ノ平

そろそろ夕闇が迫ってくる17:22に小屋についた。 受付をすませ、ビールを買って、テント場を探す。 最初樹林の中にはろうとしたが、もっと奥にいいところがあったのでとなりの二人組みに断ってそっちに張る。 トイレをして水を汲みに行って、早速夕食を作る。 中華丼を食べてスープを飲んだ。 
片付けて歯磨きにいったら、星がきれいで天の川が良く見えた。小屋は中高年の団体が宿泊しているようでおおにぎわいだった。  20時就寝。


白峰三山は、白根三山とも言われている。
白峰三山(白根三山)は、平家物語の「〜問えば甲斐の白根とぞいう」とあることから、白峰三山は、日本山岳会初代会長・小島烏水氏の命名だそうである。また、間ノ岳の名称は、北岳、農鳥岳の「間」にあるからですが、この名称は、戦前、論議をかさねての命名だそうだ。 古くから白峰三山は甲斐ヶ嶺、農鳥山、別当代の3つと言われていた。甲斐ヶ嶺は、北岳とすぐに分かったそうだが、農鳥山、別当代は分からずじまい、結局、鳥の雪型が出るとされた方を農鳥岳(現在の農鳥岳)とし、農鳥岳、間ノ岳を決定したが、鳥の雪型は、間ノ岳にも有ることが後から分かった。古来のからの農鳥山が、現在の間ノ岳のである可能性を残したまま現在に至っているという不思議な山の由来である。 さあ、明日はいよいよ塩見岳越えの縦走だ。 

 日本山歩日記WEBトップ
地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています。