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空木岳
空木岳

基本情報
1 山名 空木岳(うつぎだけ)
標高 2864m(二等三角点)
山域 木曽山脈
都道府県 長野県
位置 N35.43.08/ E137.49.02
地図 昭文社 山と高原地図40「木曽駒・空木岳」
2万5千分の1地図「空木岳」
20万分の1地勢図「飯田」
7 山岳区分 日本百名山
登山記録
山歩No 1750-12028
登山日 2012年7月21日(土)
<1986年5月4日(金)回想>
歩程 第一日 7時間10分
第二日 10時間10分
天候
形態 小屋泊まり1泊
アプローチ 中央自動車道伊那ICより国道361号国道19号須原
パーティー 1人

 休暇をとって梅雨明けの中央アルプスに入ったはずだった、が、台風から変わった低気圧に湿った空気が流れ込み、 週間予報ははずれ全国的に雨模様となった。そこまで天気が悪くなっているとも知らない自分は、2012年7月20日(金)朝から駐車場を出発し標高1400mを一気に登り、木曽殿山荘に宿泊した。翌21日も雨、何も見えない中を空木岳のピークを踏んだ。日本百名山の空木岳は実は2度目の登頂である。 今回のピークへの登頂記録は次に登る「南駒ヶ岳」の中で触れるとして、どうしても1度目の登頂、1986年5月4日(金)のことを記さないわけにはいかない。それほど、この空木岳は印象に残った。山に登ることは常に危険と隣り合わせであるが、遭難という2文字が頭の中をよぎるほどの怖い思いをすることはさほどないものだ。 26年前のゴールデンウイークはそれを感じた中央アルプス行だった。    

木曽駒ヶ岳

 1986年5月2日(水)会社は前の日から4連休になっていた。 早朝から寮を出て新大阪から新幹線に乗る。 名古屋駅で下車し、駅前から中央道を走る名鉄バスに乗る。途中、飯田を過ぎたあたりから車窓からはりんご農園の景色が広がる。
 駒ヶ根の停留所で高速バスを降り、路線バスに乗り換える。 GWだというのに、バスに乗っている人はまばらである。 駒ヶ根・駒ヶ岳公園線を別荘地のようなところを通り過ぎて、バスは次第に高度を上げていく。 しらび平からロープウエイに乗り、千畳敷へ。千畳敷の駅を出ると雨が降っていた。 ここから乗越浄土を経て木曽駒ヶ岳を登頂。 木曽頂上小屋に宿を取る。 

檜尾岳への稜線

 翌日5月3日は小屋で一緒になった単独行の男性それぞれ2人とお互いに一緒に行きましょうという了解で、木曽駒ヶ岳の山頂を経て宝剣岳を登る。12本爪のアイゼンをつけていても岩峰の間に降り積もった雪は凍結しており、滑りそうで怖い道を進む。 極楽平から濁沢大峰までは晴れていれば気持ちのいい稜線歩きが楽しめるが、あいにくガスがたれこめて視界は悪い。 檜尾岳・大滝山を経て、熊沢岳の登りは少々きつい登り。 稜線上の雪は風で飛んでいるので、歩く上で支障はない。 むしろ、アイゼンとつけて歩くと、時々、石ころが足の爪の間に挟まり、歩行に支障が出る。東川岳を越えて木曽殿山荘に到着。 ゴールデンウイークに営業している小屋はこのあたりはここだけということもあり、昨夜の頂上木曽小屋の3人のおよそ4倍の11人の宿泊客がいた。 素泊まりで一泊3500円。 小屋は平屋のつくりだった。

木曽殿山荘から

 翌日5月4日(金)朝4時半にまだ周囲が明るくなる前に小屋を出発する。小屋を出発したのは宿泊者の中でトップだった。念のため、まだ頭にヘッドランプをつけていく。 昨夜降っていた雨が次第に冷たい霙になっている。小屋から空木の山頂まで夏時間で約1時間半。 ゆっくりと稜線上の道を登っていく。 道は次第に岩稜の間を抜けて進むようになっていく。岩の上に赤ペンキで印がついているのだが、登っている間に霙は雪に変わり、このペンキを覆い隠すようになってきた。 午前5時半。 もはやヘッドランプは不要の明るさになってきたが、見通しはよくない。雪のついた岩を滑らないように注意をして登っていく。 

空木岳への登り

 ようやくピークだと思ってたどりついたが、そこは、第一ピークだった。 この下に大きな岩の陰があったので、最悪雪が激しくなったらその陰に避難すればいいと思った。 朝になって明るくはなったが、寒冷前線が通過しているからか、そこそこに風も強くなってきた。 冬山ではないが、見える光景はまさしく吹雪といったほうがいいような様子だった。 そこからまださらに20分ほど進んで、ようやく空木岳の山頂に到着した。  山を初めて8年、19番目に登頂した日本百名山はなんと吹雪という悪天の中で迎えた。 残雪期に登った山はこれまでもあったが、山頂で吹雪というのはこれが初めてだ。 他に登山客の姿もなく、急に不安になってきた。

空木岳山頂

朝早く出発した理由は名古屋まで帰る中央高速バスの時刻が駒ヶ根IC発15時と決まっているからである。翌日は仕事もあるのでどうしても下山しなければならない。空木岳の山頂から目指す池山尾根は東北東の方角であるが、山頂は視界が3mほどで下りる方向がわからない。 山頂標識があるので山頂であることには間違いないだろうが、下り口が判然としない。 雪が降り、風が強く前日に歩いた人の足跡はみじんも見られない。まわりは一面の雪。その三角錐の頂点にいる感覚だ。  

駒ヶ根の町を見下ろす

 おおよそこの方向がと検討をつけて歩いてみた。最初の1-2歩はよかったが、ものの5mも進むと、体が腰まで雪の中にもぐってしまった。 伊那側には雪庇が発達するというが相当の雪の吹き溜まりになってしまっている。 足を出そうとしたが体がとらわれていて脱出ができない。 体の中から血の気がうせていく気がした。 山頂からはものの10mくらいしか下りてていないはずだが、何しろ回りに人が誰もいない。 もし、 この悪天を憂いて10名ほど木曽殿山荘に宿泊した登山者が誰も空木岳まで登ってこずに、木曽駒方面にもどってしまったら、または木曽側の須原に下山してしまったら。 自分は誰からも発見されることなく、ここで凍死するのだろうか。

池山尾根下り

 そんなことを思いながら、しつこく埋もれた足を10分ほど動かしていたときだ。なぜか右足の後ろが雪の空洞にあたったように前後に動くことができた。「しめた!」気合をいれて右足 を前後させているとやがて、足の周りにスペースができて、ついには、右足を雪の中から引き抜くことができた。 これで安心だ。 地上に出た右足と両腕をつかって左足も雪のあり地獄の中から出すことに成功。 晴れて自由の身となって、再び山頂にもどった。 山頂を出発してから20分も立っていなかったと思うが、とても長い時間だったような気がした。 それから15分、やがて激しい降りだった雪が小康を見せてきた。 風がひとしきり回ると、眼下に、空木平の避難小屋が見えた。 そうだ、下山するのはこの方向だ。避難小屋までは下りでも30分ほどの距離。 それが見えなかったのだからいかに視界が悪かったかということを改めて知った。 

菅の台に下山

 雪も小ぶりになったので後から山頂へたどり着いた単独行の人に別れを告げて下山を開始した。 雪に覆われた登山道もそこは、人によって踏み固められており膝までもぐるといううこともなかった。 ヨナサワの頭を過ぎ、迷尾根を過ぎると、道は気持ちよい樹林の中のコースとなった。 雪があるものの、ちゃんと踏み跡があり決して間違うことのないルートだった。池山小屋のあたりでは、もう残雪さえあまり見えない有様だった。 さきほど山頂直下で雪に埋もれたとき足を抜こうとして無理をしたのか、右足が靴の内壁と干渉し、靴ずれができたような感覚だった。 痛い足を引きずるようにして菅の台バスセンターまで下りた。駒ヶ根からのバスは30分ほどの時間を残して無事に予約していた便に乗ることができた。 バス停で待つあいだ、天気も回復して、空木岳の勇姿が見えた。  帰阪してから、靴ずれのせいでしばらく革靴がはけず、職場でも数日の間、上司の許可を得てサンダルを履いていた。

 26年の歳月を経て、再び空木岳の山頂に立つことができた。今回は木曽から車を使って周遊ルートであったので、1日で標高1400mを上がるコースに不安を抱いたが、実際にやってみると、荷物が軽かったこともあり思ったよりもたやすく達成することができた。日本百名山に限らないが、同じ山を複数回訪問するというのはよくあることである。 自分の場合、ここ2-3年、20台の若いころに登った山に中年になってから再度チャレンジというのがいくつかある。北岳・聖岳などはかつて登ったときに雨で泣き泣き登った山だったので、歳月を経て、好天の中で登り大展望をほしいままにしたというのはさらに新鮮な印象を持つことになる。 もしかすると、空木は三度目の挑戦をしなければいけない山なのかもしれない。 
(2012年7月記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています