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槍ヶ岳
槍ヶ岳

基本情報
1 山名 槍ヶ岳(やりがたけ)
標高 3180m (二等三角点 亡失) 
山域 飛騨山地
都道府県 岐阜・長野
位置 N36.20.31/ E137.38.51 
地図 昭文社 山と高原地図37「槍ヶ岳・穂高岳」
2万5千分の1地図「槍ヶ岳」
20万分の1地勢図「高山」
7 山岳区分 日本百名山・新日本百名山・花の百名山
登山記録
山歩No 1542-22027
登山日 2022年8月6日(土)
歩程 10時間15分(三俣山荘―槍ヶ岳山荘)
天候
形態 テント泊縦走5泊6日
アプローチ JR富山駅から富山地鉄バスで折立まで
パーティー 1人
動画URL https://youtu.be/Neflg4bgU-E

2022年8月6日(土) 北アルプスセブンサミット縦走の3日目、いよいよ最高峰の槍ヶ岳に登る日がやってきた。 この日は朝3:30に起床、鷲羽岳に登ってからテントを撤収して双六小屋までやってきた。朝4:30に歩き出してすでに時刻は10時を回っている。また日没との闘いかななどと思いつつ、天気予報が悪くないのでそれを頼りに槍ヶ岳アタックを決めた。

双六小屋キャンプ場

10:23双六小屋出発。 登りだしは双六小屋裏手のテント場がよく見える。 自分も昔、このテント場にテントを張ったなというのを思い出す。 今見えているテントはあまり大きなものはないが、当時は家形の5-6人が寝ることができるテントだった気がする。そんなことを考えて登っていて樅沢岳を見渡す平坦なところまでつく。 学生時代に登った時は鏡平から双六小屋でテント泊、その翌日に槍ヶ岳へといった。 双六小屋ではトランシーバーで常念岳や西岳にいる人たちと交信をするために夕方にわざわざこの樅沢岳中腹まで歩いて登ってきたのを思い出した。

樅沢岳

11:00樅沢岳山頂到着、標高2755m。子の山頂は広くなっているので休憩するにはちょうどいい。 槍ヶ岳への縦走路はここから千丈乗越までは比較的稜線の歩きやすいルートである。とはいうこのの樅沢岳から先の下りは、登山道の真ん中の意外と大きな石があったりして気を付けて歩かないとけつまずいてしまう。この翌日から、Trans Japan Alps Race いわゆるTJARの大会が行われて富山湾から駿河湾まで制限時間8日間で駆け抜ける大会があるのだが、このルートを走るというのが信じられない気持ちであった。


硫黄乗越

11:38硫黄乗越到着。 ここから硫黄尾根がよく見える。 一番高いところが赤岳2416mである。硫黄乗越からいったん下り平坦な池塘のあるきれいな平原を通ってそこから左俣岳への登りが始まる。 左俣岳の山頂には三角点があることに地図の上ではなっているのだが、ルートは山頂を巻いて進んでいるのか気が付かないうちに一番高いところを過ぎていた。 左俣岳をすぎたところでいったん休憩。 行動食にジェルをとる。 10分ほど休んで進むと12:36左俣乗越へ着いた。 

千丈乗越

すれ違う登山者も追い抜いていく登山者もいない。道は次第に険しい稜線の様相を示すようになり鎖を使って登る場面も現れる。 千丈乗越の標高が2734mなのだが自分の高度計が2550mくらいをさしているのでまだまだ結構な標高を登らないといけないという点でプレッシャーになる。13:59千丈乗越に到着。ここからコースタイム1時間半である。 昔夏合宿でここを登った時に鬼のチーフリーダーが一度も休憩をせずに槍ヶ岳山荘まで歩かせたといって悪評がたった。 ある意味昭和時代のしごきの一種だが、単独行の今の自分には全くそんな心配はなくマイペースで進むことができる。


槍ヶ岳山荘への登り

さすがにここから標高差が300m以上あるので行動食をとって進むことにした。 カロリーメイトをかじって、さらに最後まで崩れないからだと記載があるBCAAのい入ったアミノバイタルスーパースポーツを飲む。 気のせいかもしれないが、今回の縦走でこの味の素の製品が毎日長い距離を歩くのに奏功しているというのを感じた。 千丈乗越から先は岩の白ペンキに沿って進む。 右手に飛騨乗越から下っていく下山者の姿が見える。 あともう少しだと自分に言い聞かせて登るが、さすがに休憩なしで一気に登るのは難しく、左手が大岩のところで少し2-3分座ってしまった。自分より後に1人登山者がいることをそこで知った。
 

槍ヶ岳山荘

15:31ようやく槍ヶ岳山荘到着。 小槍で登攀をしていた3人組が登攀を終えてザイルをかついで小屋へ向かっていくのが見える。 山荘の横でいい具合に酒を飲んで真っ赤な顔をしている男性から「ご苦労さん」と大きな声をかけられた。 小屋の受付で記入して寝床の部屋と夕食の時間の案内を受ける。 うすゆきそうという20人くらい寝られる部屋の2階の段であった。 布団が8枚敷いてあったが、コロナ感染症の対策のためであろう。1つ間隔を置いて宿泊客を入れているようで、結局8人寝られるこの2階の上段には3人しか宿泊客はいなかった。 うすゆきそうという部屋自体も30人くらいは泊れるスペースであろうがその半分くらいしかいない状態で、夏山の小屋でこんなに余裕のスペースで寝ることができるというのが驚きだった。

槍ヶ岳への登り

16:42槍ヶ岳へのアタックをすべく、小屋で貸ヘルメットを借りてでかける。 夕方になっているということもあり、槍ヶ岳へ行く人はもう少なくなっていたが、幸いまだ槍の穂はガスにおおわれることなくよく見えており展望も期待できそうであった。槍ヶ岳の穂先は岩場の難コースでロッククライミングの基礎の三点支持ができないと登るのはきついといわれる。 慎重に前の登山者と間隔を開けながら登っていく。 親子づれの3人組が前にいたが、混んでいる時間でなくてよかったようだ。 小学生の女の子が父親からどこに足を置きなさいと指示を受けながら一生懸命登っていた。


槍ヶ岳山頂

16:50、槍ヶ岳登頂。 人生で4回目の標高3190mの頂である。 1982年、1983年、2011年に続いての登頂である。 山頂にはスパイダーマンの衣装を着た人がいた。動画の撮影のためだろうか?かくいう自分もGopRoで動画を撮影したからお仲間である。 槍の穂先はしゃがんで上から写真を撮るといい構図になる、とシャッターを押してくれた女性が言っていた。 確かに迫力のある構図が撮影できたのでありがたい。


再び槍ヶ岳山荘

20分ほど山頂で景色を楽しんで下山開始。 先ほどの親子連れの3人がいるのでゆっくりと下りる。 後から単独の男性が追いつてきたので、話をしながら歩く。 剣岳も行ってみたいといっていた。 ご自身のヘルメットも持参されてい様子なので、岩場の山も好んで行かれているようである。 17:38無事に下山。 槍ヶ岳山荘に入る。 18:15からの夕食は交代制で4つの時間に分かれて3番目の組であった。 テーブルは4人掛けであったが、人数を制限していて、2人ずつ斜めに座らせていた。 先ほど、槍ヶ岳の下りで一緒だった男性と同じテーブルだったので少しビールを一緒に飲んだ。夕食は春巻きとエビのフリッターであった。

 

槍ヶ岳山荘

夕食が終わって、山荘の談話スペースに行ってみる。 無料の地図が置いてあった。 乾燥室で濡れた衣類をハンガーにつるして乾かすという作業と、スマートフォンを充電するという大事なタスクを無事に実行することができた。 酒を買い足すということもやりたかったのだが、販売しているウイスキーは720mlの瓶入りのものだけということだったので、さすがにそれは飲み切ることができないと判断して断念した。キッチン槍で缶チューハイを飲みながら東京の30代くらいの若い3名の男女グループと山の話をして20時に就寝した。

テントを担いで三俣山荘から槍ヶ岳までの縦走、しかも早朝から鷲羽岳のピストンを入れたルートは結構ハードな行程になるだろうというのは覚悟していた。 幸い15時半という時間に小屋に入ることができて安心した。 これまで槍ヶ岳に来た時には槍ヶ岳山荘に宿泊することはなかったので実はこれも今回の山の楽しみの一つであった。 テント泊での縦走もよいのだが、間に小屋泊を入れることで、スマホの充電ができたりというメリットも感じられた。 何よりも小屋で食事をとることで食糧の荷物を軽くできることもありがたい。 4度目の槍ヶ岳は前2泊と少し違う楽しさのある生活となった。

(2022年9月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています