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槍ヶ岳
槍ヶ岳

基本情報
1 山名 槍ヶ岳(やりがたけ)
標高 3180m
山域 飛騨山脈(北アルプス)
都道府県 長野県・岐阜県
位置 N36.20.31/ E137.38.52
地図 昭文社 山と高原地図37「槍ヶ岳・穂高岳」
2万5千分の1地図「槍ヶ岳」
20万分の1地勢図「高山」
7 山岳区分 日本百名山、甲信越百名山
登山記録
山歩No 1540-11021
登山日 2011年8 月13 日(土)-15日(月)
歩程 第一日目 9時間20分
第二日目 7時間00分

第三日目 10時間30分
天候 晴れ後曇り時々にわか雨
形態 夜行小屋泊まり2泊3日
アプローチ 夜行高速バス「さわやか信州号」 沢渡乗換え上高地
パーティー 2人

2011年は震災で大きく人々の暮らしが変わった年だった。 被災した地域の皆様には心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。いったいいつまで山に登れるんだろうか。 今年は、28年ぶりに槍ヶ岳を目指すことになった。 山仲間の中心人物であるH.Hさんがいよいよ日本百名山完全登頂に向けて始動を開始した。 私としても、何とかサポートをしたいところである。 92年に彼とともに来たアルプスに行ったときも、槍ヶ岳は通らなかった。 今年はなんとしても、彼の積年の夢をかなえたいものである。 

さわやか信州号上高地行き乗車

08/12(金)あいかわらずお盆前の駆け込みでの仕事がたくさんあってえ、19時を過ぎても打ち合わせの来客があった。 を概ね20:45には終了。夕食は隣のビルの立ち食いスタンドでうどんを食べて、景気づけにレオンサワーを頼んで21時に行動食やお茶をコンビニで買う。 22:30集合だったので、21:30まで机にまわりを片付けて21:45に書庫に行って、酒のボトルを350mlのお茶の小さいものに移し変えてに22:20に集合場所に行く。 ちょうど、オリオンツアーの集合場所が隣だったので、ものすごい人ごみ。 熱気がすごくてたまらないので、N隣の閑散としてオフィスビルで時間をつぶして、ワンカップの焼酎を飲んで22:45にバスに入線を待って乗り込む。さわやか信州号上高地行きはこの日自分が乗ったのは5号車だった。 いったい何号車まであったのだろうか? おそらく新宿出発は5台くらいではないかと思われる。 横浜出発とあわせて8台くらいだろうか? バスは途中、談合坂で01:40に休憩した。 ここまで2時間20分かかったことになる。 勝沼で降りて地道を走ったようだが、そこでずいぶんと渋滞していた気がする。 諏訪のSAで休憩したあとは、当初予定ではまた地道を走って松本まで入るはずだったが、どうも時間がかかったせいだろう。結局、高速を走ったまま松本ICで降りた。

上高地

8/13(土)朝5:20に沢渡に到着。 そこで、上高地行きのシャトルに乗り換えをさせられた。 降車口の電光料金表示板に上高地まで1200円と出ていたが、もしかしてその料金を払わされるのだろうかと心配になったが、その必要はなかった。 途中の沢渡駐車場から3-4名が乗車して補助席までいっぱいにしてバスは走った。 目の前に座っている屈強な男性、みるからにやまやさんという面持ちだったので、きっと穂高まで行くのと勝手に思い込んでいた。
ら、、大正池散策コースでバスを下車したのが面白かった。、定刻の6:00に上河内バスターミナルに到着した。 水汲み場のすぐ近くのベンチに陣取って、H.Hさんにメールをする。 大阪から来る彼のバスもこちらも定刻に到着したようだ。 おにぎりを食べて、トイレをならぶ。 天気もよく、焼岳がきれいに見えている。6:30出発。 

明神池を経て徳沢へ

 6:56河童橋はさすがに名所なので岳沢をバックに写真を撮る。 そこから、小梨平のテント場の脇を通って明神までは1時間の道のり。 7:41明神でせっかくなので300円の拝観料を払って、穂高神社奥宮のお参りをする。池は結構きれいだった。 ちょうど30年前に来たときを思い出した。 8:04出発。 遊歩道を歩いて8:53徳沢に到着。氷壁の宿、徳沢園の写真を撮る。レトロな素敵な山荘だ。隣には道草食堂というレストランが開業していた。 28年前に徳沢でテントを張ったときにはこんなレストランはなかったはずである。 中でこんな朝っぱらからカレーライスを食べている人がいた。 上高地から営業車両は入れるので、そんな営業ができるのだろう。 9:04徳沢発。徳沢をすぎるともはや山に登る人だけというかんじで歩いている人の数がずいぶんと減った。 

横尾・一の俣

 9:53に横尾に到着。有料のトイレを使い、10:05出発。一ノ俣につく手前に槍見河原があるので、そこで休もうと思ったが、結局、槍の姿は見えなかった。 あとで聞くと相当河原側に出ないと槍の姿は見ることができけないそうだ。10:58一ノ俣で休憩。  カロリーメイトをかじる。 11:09出発。 10分ほどで二ノ俣通過。 ここからは標高にアップダウンがずいぶんと現れるようになる。。 

槍沢ロッジ

しだいに標高をあげていって11:40に槍沢ロッジに到着。 ロッジの裏でコンロをつけて湯を沸かしラーメンを作る。小屋の中をのぞいてみる。 結構中高年はここで宿泊してしまう人も多いようだ。われわれも最初は、ここで1泊するつもりであったが、そうなると、2日目の行程が長くなるので殺生ヒュッテまでがんばることにした。 12:20槍沢ロッジ出発。 やがて、ばば平でテント場が現れたが、確かに、ほとんどスペースを探せないほどテントがたくさん張ってある。小さい簡易のトイレもおいてある。 13:02、水場で一息入れる。 そこからはしだいに高度をあげていく。 13:26大曲到着。そこから、東鎌尾根の水俣乗越にいたるルートが分かれている。単独行の登山者が、地図を持っていないらしく道を聞かれた。 槍ヶ岳のような3000m峰に行くときはかならず地図はもっていきましょう。 

天狗原分岐

 14:06中沢到着。 そこで休む。ここからは赤沢山の張り出した稜線の向こう側に常念岳が見えた。 14:15出発。ここから1時間ののぼりがもっとも苦しかった。 のぼりのつらさよりも前夜の夜行バスで眠れなかったために睡魔に襲われて半分寝ているような状態で歩いていた。 14:26に天狗原の分岐をすぎて、15時に水場の少し手前で休憩。 もってきたゼリーを食べて5分ほど仮眠する。 通過する登山客があんまり体を冷やすなよと心配して声をかけていった。 15:53に坊主岩小屋を通過。このあたりから少し雲行きが怪しくなって、ぽつぽつと雨が落ち始める。 もうすぐ、殺生ヒュッテに着くはずだからと雨具も着ないで、最後の岩のガレバを登っていく。 

殺生ヒュッテ

  16:30に殺生ヒュッテに到着。 受付で宿泊料9000円を払って、あと500円で缶ビールを買って部屋に荷物をおいて、早速ビールで のどを潤す。 よく冷えていて本当にうまい。 ほどなく夕食の準備ができましたよと呼ばれて食堂へ行く。 テーブルについていた人は30名くらいだろうか。 キャベツがついていたのには感激した。 たまねぎの味噌汁もおいしく、おかわり自由だったので、ごはんも味噌汁も2杯ずつもらってしまった。 夕食が交代制でなかったのでそのまま残って、土間の自炊コーナーでかきのたねをつまみに焼酎を飲んで、TVで天気予報が翌日はAMは晴れだというのを確認して20時の消灯と同時に寝る。 。 

朝の槍穂

08/14(日)殺生ヒュッテで目覚ましが4:00になっていたが、無視して寝ていた。 4:40にH.H君から、「起きてください、朝日がきれいですよ」と声を掛けられたのでおもむろに着替えてて外に出て見る。 常念岳の向こうから朝日が昇っていた。 槍ヶ岳の大槍はきれいに見えていて、登山者が登っていく様子が手に取るように見えた。 ひとしきり朝の景観を楽しんで写真撮影をしたあと5:15朝食。 これがまた豪勢なメニューで、キャベツも再びあったし、スクランブルエッグと鮭がついていた。 歴史のある小屋で、食事も素晴らしい。 お盆の時期なのにさほど窮屈に寝なくてもいいと、本当に快適な宿泊だった。 6:23出発。  

槍の肩

槍の肩まで慎重に登っていく。 早い人はもう下山している。 すれちがうとき聞いてみたら、早朝は、槍の穂に登るのに行列ができて山頂は順番待ちだったとのこと。我々の登る時間は、ご来光を見る人や槍ケ岳山荘に泊まった人が朝登り直す混雑は終わっているし、かといって大天井小屋や双六小屋に前の晩宿泊した人たちが、登ってくるには時間が早い。 ちょうど混雑をさけて槍の穂に登れるということだ。 7:06に槍ヶ岳山荘に到着。 リュックを置いて、水と地図とカメラとGPSだけウエストポーチに入れて槍穂を目指す。 ずいぶんと登る人が少なくなって、ちょうどよい込み具合ですいすいと穂の岩場を登っていくことができた。 28年前に比べて梯子を伝って高いところに上がるのが恐怖だという気がしたのは自分が年をとったせいだろうか?7:42に山頂到着。

槍ヶ岳山頂

韓国人の5人組にカメラを押してもらう。山頂は狭いので15人くらいが限界だろうか? 写真をとるのは交代だった。 北鎌から上がってきたと見られる人が登山道とは違うところからあがってきたので驚いた。8:03に下山開始。 はしごを慎重に降りる。 8:30に肩の小屋に到着。 100円払ってトイレを使ったあと、小屋の裏に避雷針が立っていてそこから小槍がきれいに見えるので行ってみた。 小屋がいかに大きいかあらためてわかった。 定員は650名らしい。 それでも布団1枚で2人だというからすごい。 カロリーメイトを食べて荷物を片付けて8:50出発。テント場の脇を通って、9:00に飛騨乗越を通過。 槍平からあがってくる登山者がたくさん見える。 しか槍平からは5時間かかるのに、いったい何時から歩いているのだろう。 。 

大喰岳

9:23に大喰岳到着。 そこからの槍をバックにした写真は見事だった。ヘリコプターが上空を飛んでいた。本当に夏山の最盛期にパトロールしていただき、ご苦労様である。 大喰岳の山頂には若い女性二人のパーティーが休んでいた。 10年前は、山といえば、中高年の聖地だったが、最近、若い人も多くなってきてる。 結構な話であろう。 さあ、ここからが、槍穂縦走のメインコースだ。 今日の日程もまだまだ長い。 山を楽しみつつ気をひきしめて歩こう。 
<穂高岳に続く>


槍ヶ岳に来たのは28年ぶりだった。 大学生のとき所属していた登山の同好会は毎年、この槍ヶ岳を目指して部員が5-7程度のパーティーを組んで、各コースから登ってきて槍の肩で落ち合うというものだった。 1981年初めて燕岳からの表銀座コースにチャレンジしたときは、残念ながらメンバーの体調不良により登頂を断念せざるをえなかった。 翌年1982年に太郎平から黒部五郎岳・鷲羽岳を経て初めてこの頂に達した。 1983年には、鏡平・弓折岳から前年と同じ西鎌尾根を経て登頂した。 それ以来、何度も他の山の頂から姿を見るだけでご無沙汰だった。 自分の山のぼりの原点ともいえる槍ヶ岳の山頂に28年の歳月を経て再び立つことができたのは大変感激であった。 写真の青いカッターシャツは槍ヶ岳初登頂の1982年に着ていた物である。
(2011年8月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています。