日本山歩日記 本文へジャンプ
穂高岳
穂高岳

基本情報
1 山名 穂高岳(ほだかだけ)
標高 3190m
山域 飛騨山脈(北アルプス)
都道府県 長野県・岐阜県
位置 N36.17.21/ E137.38.52
地図 昭文社 山と高原地図37「槍ヶ岳・穂高岳」
2万5千分の1地図「槍ヶ岳」
20万分の1地勢図「高山」
7 山岳区分 日本百名山、甲信越百名山
登山記録
山歩No 1550-11026
登山日 2011年8 月13 日(土)-15日(月)
歩程 第一日目 9時間20分
第二日目 7時間00分
第三日目 10時間30分
天候 晴れのち曇り
形態 夜行小屋泊まり2泊3日
アプローチ 夜行高速バス「さわやか信州号」 沢渡乗換え上高地
パーティー 2人

初めて穂高に登ったのは、1984年の夏だった。この時は単独行で、横尾から涸沢に入り、南稜より北穂に行き、穂高岳山荘の泊まった翌日奥穂を登った。さらに1989年の夏には、やはり横尾・涸沢から今度はザイテングラードを登り、奥穂高の山頂より前穂を越えて岳沢から上高地に下った。 今回は、20年来の山仲間のH.H氏と槍ヶ岳・穂高岳縦走である。 お盆の休日を利用しての駆け足登山なので一日の歩行時間も長い。 お互いもういい中高年なので、 できるだけ荷物を軽くすべく小屋泊まりとした。 今日のコースは、特に危険箇所がある要注意ルートである。 

中岳

<槍ヶ岳より続く。>  8月14日(日) 9:34大喰岳の山頂を出発。ゆるやかな稜線を歩いて一箇所はしご場を登り、 10:12に中岳に到着。 ここは、静かな山頂で山名標識も昔ながらのものしかない。10:28出発。地図によればここからくだりの雪渓のところに水場があるはずであるが、実際には涸れていて入手できなかった。11:20天狗原の分岐。数名の方が休んでおられるがそれ以外に5-6個のリュックが置いてある 多くの人はここから槍沢に下山していくようだ。  一緒になった、カップルはトレイルランをやっているのか南岳に走って登っていった。 女性も可愛い顔に華奢なのに、まったくびくともせず、ランニングシューズで浮石の上を走っていたので驚きだった。さすがは北アルプスである。 登っている人の技量・体力の幅も広い。 11:50に南岳に到着。  そこで昼食にする。お湯をわかしてドンベエのうどんを食べる12:25出発。 少し雲が広がり始めており、視界も悪くなるようだった。)。

南岳山荘

南岳山荘には山頂から安全な下り道で5分で到着した。 H.H氏のポリタンクは水の減りが多かったので、この小屋で1.5Lの水を買っておくことにする。 小屋はきれいで 、中に自炊のためのテーブルも用意されていてこぎれいだった。 キレットに以前つけられていたはしごの取替え工事の写真が展示されており、古いはしごも実物が飾られていた。 トイレを使ったが、男子の小用は10円と、女子の1割の値段だというのが、他の山小屋にはない特徴だと思った。 12:41 に小屋を出発。 小高いピークを越えた後は一気に、高度を下げる急な下りである。 ルンゼ上の鎖をすぎて2度ほど長いはしごを降りると、登ってくる人とすれ違う。 テントを持っている人はかなり体力を消耗しているように見えた。 

大キレット通過

13:40に最低コルに到着。 少しだけ休んで3:46。 そこから少し登りになるが、長谷川ピーク(Hピークと書いてある)の手前で前を歩く5人組が落石を起こした。 自分のわきを転がっていって幸い何を逃れたが、前を歩くメンバーは初級者と踏んで、あまり近くをいかないほうが無難だと思った。 Hピークの山頂に着くと突然、前の5人組が狭い岩稜で止まっている。  ここから先が最大の難所で、ナイフリッジの稜線を信州側から岐阜側に乗り越すところは確かにとても狭く恐怖感を覚える場所だった。 これでは歩くスピードが落ちるのも無理はない。15:02A沢のコルで休憩。 ここから見上げる北穂高岳はどうみても、垂直の岸壁のようにしか見えない。 15:10出発。 ほとんど岩登りのように両手両足を使いながら、登っていく。 もっとも怖いとされる飛騨泣きは、確かに大きな岩に乗っかるという芸当をする必要があったが、飛騨側がガスっていて見えないので、逆に高度感を覚えることもなく怖くなかった。そこをすぎたところで水を飲んで、GPSで現在地を確認する。 あと30分くらいと確信し、登っていく。 

北穂高小屋

最後は稜線をくるっと南西に進路をとり北穂高岳の東稜を見ながら登っていく。 16:40に北穂高小屋に到着 。 受付をして、部屋を教えてもらっていく。 3人の布団に5人で寝ろとのこと。 おばさんとおじさん2人がすでに布団にひっくり返っていた。 とりあえず、荷物だけおいて、テラスに出て、そこで生ビールを飲む。冷えていてとてもうまい。3杯も飲んでしまった。 食堂が狭いので夕食は交代制。4番目のグループに入った。 終わってからも食堂から出ないで飲んでいる。 となりの親子でこられた方と自転車やジャンダルムの話しなどを聞く。  20:00すぎに布団に入るが狭いいのとまわりのいびきがうるさくて眠れなかった。

 
北穂高山頂

08/15(月)朝3:30に出かける人たちに起こされる。 自分たちは4:40におきて、階段に並んで朝食を待つ。 幸い1チャージ目で食べることができた。 売店で水をわけてもらって5:34に出発。 トイレの横手をあがっていくとすぐに、北穂高岳の山頂だった。5:40着。 山頂からの眺めは絶品で、北は雲にたなびく槍ヶ岳が幻想的に見えた。 南にはこれから登る奥穂高岳が勇壮な姿を見せていた。写真を撮って5:47に出発。  そこからは急なくだりでテント場のある東稜を通過する。 テント場をすぎると涸沢小屋へ下りる道と涸沢岳との分岐だった。 他の人のWEBで間違えておりてしまったというのを見たが、確かに、道標に気をつけていないと見落としてしまうかもしれない。6:46ごつごつした岩稜を抜けて、涸沢槍と思われる岩のピークに到着する。結構、道幅がせまく、岩がせり出したりしており、重いテントを担いでいたりしたら、少し危険かもしれない。  

涸沢岳

 元気な中年の男女が健脚で追い越していく。 男性のほうは始終、しゃべりっぱなしなので、H.H氏とあの2人は夫婦ではないなと勝手な想像をする。 6:51出発。 そこからもがれた岩場が続き、7:03に最低コルに到着。 そこから涸沢岳までの道は、かなりの急登。くさりや鉄線が打ってはあるが、少し油断すると危険な登り。 ちょうど時間的に、穂高岳山荘を出た登山客とすれ違うタイミングで、行き違いに時間がかかる。 長野県警のヘリコプターが心配そうに、見ているが、 正直に言って、見られていると緊張するしプロペラの音がうるさい。 ようやく登りつめて、登山道をはずれて踏み跡を歩いて8:04に涸沢岳に到着。 ここからの奥穂の眺めは最高だった。 少し、ガスが上がり始めて、穂高岳山荘を覆うようになってきている。 

穂高岳山荘

8:13出発。なだらかなくだりを歩ききると、9:34に穂高岳山荘。 途中で、見るからにハイキングと思われるような20歳代の若者6人とすれちがう。 小屋ではテレビの撮影が来ていた。 受付で乾電池はあるかと聞くがおいていませんとのこと。1985年にこの小屋に泊まっているが、あまり記憶がない。 30台の男女と相部屋になり、高山病で女性のほうが早々に寝込んでいたので、男性と彼が瓶ごともってきたサントリーオールドを飲んでいたのだけを覚えている。  トイレを借りて、8:50出発。小屋を出てすぐに、鉄はしごの登り。 行き違いに気をつかいつつ、その先はゆったりとした普通の登山道。 下山してくる人も多い。 小学生の姿も目立った。

奥穂高山頂

9:34に奥穂高の山頂に到着。 残念ながら、もうガスに覆われていたので360度の展望を楽しむことはできなかった。 交替で祠にあがって写真を撮る。山頂に一人であがってきたというスイスに住んでいるというドイツ人がいたのでグリンデルワルドの話をする。 祠の裏手に広いところがあったので、そこでEPIに火をつけてラーメンを作る。食後はちょっとリッチにコーヒーも入れてみた。 食事が済んでも霧が晴れなかったので、あきらめて10:34出発。 つり尾根は、Updownがあり、クサリ場もあるスリルのあるコース。 途中で雷鳥にも遭遇した。 雷鳥の親子は、敵と思ったのか、母鳥が音を出して威嚇してきた。 少し晴れ間が出て、西穂の上は見えそうになったが、それでも、霧は完全には晴れない。

前穂高岳

  12:19に紀美子平に到着。 12:24荷物をおいて、水とカメラだけ持って、前穂高の山頂を目指す。結構急な岩場を手を使ってのぼりながら、12:54に前穂の山頂に到着。 明神からあがってきたという6人組の若者が岩登りのスタイルで休憩していた。 さすがは北アルプス。 13:11山頂出発。 紀美子平に着くと、もう4人組の若者がいるだけだった。 途中で拾った水筒の持ち主はいないかと探したが該当はなかった。 雨が降ってきたのでレインスーツを着て13:54出発。下山路はいきなりの急傾斜でクサリ場。 雨が降り出したせいもあって岩がぬれて滑りやすい。後から来た、岩登りの6人組は軽快な足裁きでスタンスを見つけ、あっという間にわれわれを追い越していった。 前を、4人組の若者が進んでいるが、山は初心者の若い女性が最後を歩いている。 男性が一人、面倒をみながら足場のアドバイスなどをしている。 なかなかほほえましい光景だった。  最近、また若い人が山に来るようになっているのはうれしいことである。こわいルートを終わると、ひたすらハイマツの中の道を下っていく。 雷鳥広場でも休まずに進む。15:10、岳沢見晴らしをすぎたところで休憩していると、2人組の軽快な男性が追い越しながら尋ねた。 「今日は下でお泊りですか?」 「いいえ、帰るつもりです」「なら、一緒にタクシーにのりませんか? 最終のバスは17時でおわってしまうけどタクシーが客待ちしていることは確認しているから。 4人なら一人あたり1000円くらいですよ」 そうなのか。 そんなに帰りのバスが早くなくなるとは知らなかった。 

岳沢山荘

 15:16、 水を飲んだあと、 彼らに遅れないように下山しているつもりだったが、差がどんどん開いていく。 かもしかの立場の少し手前のはしごのところで、2人のカップルの登山者とすれちがう。 前を歩く女性が、「これから。2時間くらいですかね?」と聞かれたので、「どこまでですか?」「奥穂までです。」 冗談じゃない。 われわれは奥穂の山頂を出てからもう5時間も歩いている。 たとえ前穂に行かなかったとしても下りで4時間。どんなに早い人でも登りなら5時間くらいはゆうにかかるはずだ。「冗談じゃありませんよ。」といって一応忠告しておいたが、そのまま登っていった。 まあ、前穂の手前であきらめて引き返すだろうが、このような無知な登山者が入ってくるのだから、確かに、長野県警や遭難対策協議会もたまったものではないだろう 。岳沢小屋は見えてからがずいぶんと長く、結局到着したのは16:22だった。 紀美子平から2時間半かかってしまった。 コースタイムが2時間だから思ったよりも時間を食ったことになる。 タクシーを乗り合わせる約束をした2人組みは、もう小屋でずいぶんと休憩をしていたようだ。 われわれはトイレを使って、水をもらって、その程度で、16:32には出発。結構あわてていたので小屋の写真すら撮れなかった。この小屋は89年に来たときに宿泊した岳沢ヒュッテの後継なので、少し興味があったのだが。。

上高地へ下山

 16:32には出発。 下りは比較的傾斜がゆるくなってきたのでスピードを上げる。 こんな夕方になっても結構、登ってくる人とすれちがうのには驚いた。 17:22に天然クーラーの前で少し休憩。 確かに、石のうろから冷気がでている。 2人組はゆっくり休むようだったが、歩くのが遅いわれわれは先をいそがねば。 道は次第に樹林の中に木道で整備されたものになり、18:14に、上高地につながる林道と合流した。 ここが岳沢コースの登山口だ。 無事、下山を祝して写真を撮る。 そこからは、木道に沿って、上高地への散策道。 お決まりの河童橋での撮影をして、18:22にバスターミナルへ到着。 ラッキーなことに、新島々に行く、18:45の路線バスがあったので2人組に報告すると、彼らは、沢渡に帰るだけだという。 マイカーで来ていた人たちだったのだ。 それではもともとタクシーの相乗りは目的地が違うから成り立たなかったのだ。 でも彼らにペースを作ってもらって頑張ってあるけたので18:45のバスに間に合ったともいえる。 感謝せねばならない。 

新島々-松本

着替えをしてバスに乗る。 中の湯のところで、安房トンネルから入ってくる車でうそのように渋滞しており、坂巻温泉まで全く動かない。なんとか、20:12の松本電鉄にかろうじて間に合うタイミングで女性運転士の努力あって、20:08に新島々の駅に到着した。 自販機でサイダーだけ買って乗り込む。 松本到着20:43. その足で、緑の窓口に行ってみるが、東京行きも名古屋行きも、どちらももう電車はありませんとのこと。 夜行のチャンスは、ムーンライト信州号だけ、それも八席だけ指定が残っているとのこと。 覚悟を決めて、松本のホテルに泊まろうかということで駅を出る。電話帳で片っ端から、ビジネスホテルに電話するが、どこも満室。 いったい何がおこったんだ。どうも諏訪湖の花火で多くの観光客が来ていることが原因らしい。結局ホテルに泊まるのはあきらめ、H.H氏もムーンライト信州号で東京まわりで帰る決心をする。 緑の窓口に戻って、チケットを買う。 駅前のラーメン屋で、もつ焼きと、つけめんとビールで乾杯。 花火の混雑で各駅停車が予定より20分遅れて23:55に上諏訪に到着した。ムーンライト信州号90号も結局30分近く遅れて24:28に出発。、昨夜の北穂高小屋であまり眠れなかったので、結構電車では熟睡してしまった。 05:30に新宿到着。


穂高岳は誰もが認める日本を代表する山である。 奥穂高岳の日本第三位という標高もしかりであるが、山自体の懐の深さ、岩場の荘厳さ、そして、槍ヶ岳と違って単独で頂がぬきんでているのではなく、西穂や前穂の吊尾根、涸沢岳らとともに大きな山塊を形成してることもその背景にあるだろう。 今回 も残念ながら奥穂高岳からの展望というのを見ることはできなかった。 三度目の正直もかなわなかったわけであるが、(たぶん、涸沢岳から見たものが 絵としては近いとは思うが。)、いいかえると、また、展望を求めて再度アタックする理由ができたということになる。
(2011年 8月 記)

 日本山歩日記WEBトップ
地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています