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薬師岳
薬師岳

基本情報
1 山名 薬師岳(やくしだけ)
標高 2926m(二等三角点)
山域 飛騨山脈(立山連峰)
都道府県 富山
位置 N36.28.08/ E137.32.41 
地図 昭文社 山と高原地図37「剣・立山・北アルプス」
2万5千分の1地図「薬師岳」
20万分の1地勢図「高山」
7 山岳区分 日本百名山
登山記録
山歩No 1500-20020
登山日 2020年8月27日(木 )
歩程 6時間30分
天候
形態 前日発3泊4日
アプローチ 富山地鉄有峰口駅バス折立
パーティー 1人

2020年は忘れられない年になった。 本当は夏山はないはずだった。 なぜなら、東京オリンピック・パラリンピックのボランティアに応募していたからだ。 1年前の2019年7月に東京の有楽町で説明会と選考会があった。 グループディスカッションをしたときに自分は班の中で一番年上で、前の東京オリンピックのときにこの世にいた唯一の人間だった。自分にはどんな役が割り当てるだろう。4月7日 安倍総理(当時)の衝撃的な演説を聞いた。 「緊急事態宣言」 不要不急の移動を自粛する生活習慣が始まった。 3月末の福井の野伏ヶ岳登山を最後にほぼ出かけてない生活が始まった。 8月の山の日の三連休。 地元の丹沢の大室山に登った。 このまま県外の山にもいかないのだろうか。 8月に会社から特別休暇を与えるというお知らせがあった。 リモートワークで毎日会社に行く生活ではなくなったのにこれはなんなんだろうか。 こっそり立てた山の計画が長年来の夢であった雲ノ平と赤牛岳である。この計画を山岳部のR.Mさんに話したときに「薬師岳へは行かないのですか?」と聞かれた。 確かに太郎平から薬師岳の山頂ピストンをする人は多い。 ただ、残念ながら3泊4日で赤牛岳を越えて黒部ダムまで降りる計画に薬師岳へ行くならもう1日追加しなければならない。さすがに往復5時間で標高差642mを足して当初計画では無理である。 薬師岳山頂は無理でも薬師平くらいまでは初日に時間があればピストンをしようと思った。

北陸新幹線で富山へ

8月26日(水)仕事を18時に切り上げて、用意してあった荷物をかついで最寄り駅へと向かう。 横浜駅から東京駅まで東海道線で一気に行く予定だったのだが計画が崩れた。 横浜駅で人身事故があって運休になってしまった。 本当は19:24の金沢行き新幹線「かがやき」に乗る予定であったが、横須賀線と山手線を乗り継いで東京駅に着いたときには、かがやきの出発の6分前だった。 あやうく乗り遅れるところであったが何とかぎりぎりで乗り込むことができた。 駅の売店で買ったおにぎりと缶チューハイを晩飯に富山までの2時間8分。スマートフォンはしっかり自分の座席で充電することができた。
 

富山ビジネスホテル前泊

富山駅に到着して、徒歩8分ほどで予約してあったビジネスホテルに到着。 この時期で値段は格安だったがひととおりの設備は整っていた。 コンビニで買った日本酒を寝酒に23時に就寝。 翌朝27日(水)は5時半に起床。6:12の富山地方鉄道立山線の電車に乗るべくホテルを出発。 富山駅到着6時。この前にここに来たのはA.Dさんと白木峰に登ったとき以来である。 富山駅にはやはりそこそこの登山客が改札を待っていた。 2両編成の電車に乗り込み有峰口まで乗車。


富山地鉄有峰口駅

7:06有峰口の駅で電車を降りる。駅の構内に折立までの接続バスの受付をしていた。 バスは予約をしていた人が8割以上だったが予約をしていない自分も乗車させてもらうことはできた。 乗車率はほぼ50%というところか。 やはり大きな荷物を持っている人が多い。 終点の折立に到着したのが8:10。 バス停の近くに大きな駐車場があった。以前来たのは1989年だがこんなに車が停まっていたのを覚えていない。 富山県内の方は以外にハイキング気分で1泊とかで折立から薬師岳に登ったりするのかもしれない。折立キャンプ場は4日前にクマが出没したとのことで閉鎖されていた。 駐車してあった車の窓ガラスを割って侵入、食料を狙ったらしい。 実はその情報を知らなかった自分はのんきにバス停横でおにぎりをほおばった。 8:45出発。 
 

折立ヒュッテからの登り

薬師岳登山口から太郎平を目指して登り始める。 この坂道は懐かしい。 なんといっても、1982年に黒部五郎から槍ヶ岳まで縦走したときの登山口である。 あの時は、9人パーティーの先頭を歩いた。 天気は曇りだったような気がする。 このときの荷物はおそらく25㎏はあったと思う。 当時はテントと言えばフライを張る家形テントで、また燃料も白ガソリンを入れるタイプだったのでどうしても縦走ということになると荷物は大きくならざるを得なかった。 太郎小屋までは決して長い道のりではないが苦しい登山だった記憶がある。 天候が悪ければなおさらである。今日は晴天で気持ちがよい。


薬師を目指す標識

10:10、 1870mのピークに差しかかる前に少しドキドキすることが起きた。 20mの先の登山道の右手脇の草むらがガサゴソ音がしているのである。 明らかに動物がいる。 慌ててクマ鈴を振ってこちらの存在がわかるようにする。 1-2分、その場を動かずにいたが、やがて草むらのガサゴソがなくなったので、動物は遠くにいったのだろうと思い、登山道をゆっくり注意しながら進む。 あれはクマだったのだろうか? シカだったのだろうか? (あとでインターネットを見ると、折立での今年のクマの目撃情報は何件もあるので、やはり同じクマだったかもしれないと思った。) この時間になると下山してくる人ともすれ違うようになった。 すれ違うときに、登山道わきに動物がいるようですよ、と注意喚起をしておいた。

 

三角点で休憩

10:55三角点に到着。 ここから有峰湖の眺めがよい。 休憩している人の中には76歳の方もいた。 たいした体力である。 ちょうど、登山する人と下山していく人とが交わるような時間帯なので、ベンチは結構人が多かったが、それでも10人強くらいだろうか。 例年と比べると人が少ないのであろう。 


昼食タイム-有峰湖を眺める

12:00、ベンチに到着。 ここで昼食にする。 湯を沸かしてラーメンを作る。 有峰湖がきれいに見える。 有峰湖は1959年に竣工した有峰ダムがつくった人造湖である。 総貯水容量は2億2,200万立方メートルで、山を隔てて東に隣接する黒部湖(黒部ダム)よりも10パーセントほど大きいとあるので、その規模の大きさは少し意外であった。 確かに地図で見ると黒部湖より少し面積が大きくも見える。 昼食が終わり12:25、再び登山道を上がる。

 

太郎平小屋到着

ここからは木道の整備された登山道を進む。 途中で登山道を整備している工事業者の方が3人休んでいた。 大変である。 太郎平小屋に長期滞在して工事をしているのであろうか? 14:26行く手に懐かしい太郎平小屋が見えてきた。 14:30太郎平小屋到着。 小屋の前で生ビールを飲んで休んでいた人に頼んで、写真を撮ってもらう。 太郎平小屋も定員を圧縮して完全予約制をとっているという。 売店のお兄さんと話しをしたら薬師峠キャンプ場には、14時を過ぎると番人の方が行って、受付をしているという。 薬師峠キャンプ場は結構混雑するようである。 ビールは現地でも販売あり、でもその他はありませんよ、といわれたので缶入りの日本酒を1本買う。



薬師峠キャンプ場

15:00 薬師峠キャンプ場到着。 なんのかんのいって、やはり折立を出てから6時間以上かかってしまった。 料金を払ってビールを一本買ってテントを張る場所を探す。 この日は決してテント場が大混雑ということはなく、 30張くらいの状態であったので占有率は5割くらいというところだろうか? 水場の水量も豊富で気持ちのよいところである。 テント場の一番東の端の静かなところにテントを張る。 他のテントと離れているだけにクマに襲われたときは一番最初に被害があるのだろうかなどと考えながらテントを張ってビールを1本飲んでしばし休憩。
。 

薬師平を目指してガレ場を進む

さあ、今日の仕上げに、薬師平までピストンである。 15時を過ぎているので案の定、薬師岳に行けるような時間に薬師峠に到着できなかったわけであるが、薬師平までは往復1時間10分である。 15:30出発。 登りだすといきなり、岩がごつごつの沢ぞいの道をあるくことなる。 なるほど、この沢の伏流水が、薬師峠にあの豊富な水を共有していてよいテント場ができているわけである。

薬師平から見る黒部五郎岳

16:10、ほぼコースタイム通りの時間で薬師平に到着した。 ケルンの横で正面に見える黒部五郎岳の写真を撮影する。 薬師岳の山頂は少しガスにおおわれている感じであったが薬師岳山荘はあの方角だろうか? 1989年にこの薬師岳には登った。その時は立山から五色ヶ原山荘を越えてテント泊で縦走してきたのだがあいにく天気が悪かったのであまり展望を楽しむことができなかった。 この薬師岳もガスの中を登り、山頂の記憶もあまりない。残念である。 探せば写真は出てくるのかもしれないが、日本山歩日記の薬師岳のページはこの薬師平の記録を記載することでお許しいただこうと思う。
 

テント泊第一日目

16:50、無事に薬師峠キャンプ場に帰りついた。 多くの人はソロテントである。 思い思いのスタイルで日没の夕食時間を楽しんでいた。 東の空には水晶岳が時々ガスの間から姿を見せている。明日はいよいよ念願の雲ノ平を目指す日である。 ミートソースとサバ缶とオニオンスープの夕食を食べながら太郎平小屋で買った日本酒を飲み、20時に就寝した。

薬師岳の想いでは、1989年のつらかった立山ー五色ヶ原ースゴ乗越ー太郎平小屋の縦走のときの最後に越えたピークの登りついたが何ひとつ展望のなかった午後である。 結局6人でテントを担いで歩いてきたが薬師峠でキャンプをすることなく、太郎平小屋で宿泊をした。 乾燥機で濡れた衣類を乾かしたのが数少ない太郎平小屋での記憶なのである。 今回、薬師峠で2度目のテント泊をした、相棒もいない単独行だが、この先の雲ノ平と赤牛岳に思いをはせた。

(2020年9月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています