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基本情報
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山名 |
至仏山(しふつさん) |
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標高 |
2228m(二等三角点) |
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山域 |
越後山脈 |
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都道府県 |
群馬 |
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位置 |
N36.54.12/ E139.10.24 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図14「尾瀬・燧ケ岳・至仏山・会津駒ケ岳」
2万5千分の1地図「至仏山」
20万分の1地勢図「日光」 |
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山岳区分 |
日本百名山・花の百名山・関東百名山・ぐんま百名山 |
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登山記録
山歩No |
1290-19029
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登山日 |
2019年9月1日(日) |
歩程 |
5時間5分 |
天候 |
曇り |
形態 |
前日小屋泊日帰り |
アプローチ |
関越自動車道沼田ICから国道120号県道401号尾瀬戸倉 |
パーティー |
5人 |
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2019年8月の夏山はお盆の時期を外し、また日本アルプスも外し、静かな尾瀬の山旅を計画した。 7月に山岳同好会の関東支部メンバーで相談をしたときに、R.M氏がまだ尾瀬の至仏山に行っていないということだったのでここを目的地として計画することにした。 どうせなら、隣の関東百名山の笠ヶ岳も狙いましょう、ということで、山ノ鼻の小屋宿泊で尾瀬の名峰2座を回るコースとなった。
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上州笠ヶ岳を登り山の鼻で宿泊
8月30日の金曜日の午後都内から関越道に乗る。 沼田健康ランドで宿泊して、2019年8月最後の土曜日である31日に笠ヶ岳に登るべく早朝に車で沼田から尾瀬戸倉へ。 戸倉でマイクロバスに乗り換えて鳩待峠を7:30出発。 悪沢岳から長い縦走路は前日の雨でぬかるんでいるところが多かったうえに、台風の影響などもあり、倒木で歩きにくいところもあった。 歩き続けてたどり着いた山頂は360度の素晴らしい眺めの広がる別世界だった。 ほとんど誰ともすれ違わない静かな尾根を歩いて鳩待峠に戻り、17時に宿に入った。9月1日いよいよ、35年ぶりの至仏山登山である。
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昭和の至仏山登山回想
日本百名山の至仏山に登ったのは1981年5月23日のことだった。鳩待峠から至仏山に登り、そこから東面の雪原をシリセードで下って山ノ鼻へ。 尾瀬ヶ原の木道を歩いて下田代キャンプ場にテントを張り、そして尾瀬沼を経由三平峠から大清水へ下山するコースだった。 昭和のころは今ほど地球温暖化も進んでいなかったので5月の至仏は残雪期の山であった。 尾瀬沼の水芭蕉もまだ小さな花を雪解けの湿地の中に咲かせるような状態で、一般のハイカーもさほど訪れる季節ではなかった。 初めて雪の上にテントを張り、寒さに震えながら寝たのもこの時であった。 そのあと、1983年の5月にも同じコースを歩いた。 大学時代のサークル活動で山に登っていたときに、このコースは新入生を連れて登山に来る毎年の恒例コースとなっていた。
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至仏山荘出発
9月1日(日)朝5:00に出発するために、H.H氏がまず先頭に小屋を出て周辺の朝の風景写真を撮ろうと散策を始めたときに事件は起きた。 彼は、小屋から50mほど先の原地に、ツキノワグマの姿を目撃したのである。どうも子熊のようではある。 確かに前日の晩に夜7時前に、小屋で山ノ鼻ビジターセンターからの放送があり、ツキノワグマが出没したので、小屋の回りの散策は自粛して下さい、テントを張っている人は食料の管理をしっかりしてください、と案内されていた。 だが、まさか自分のパーティーのメンバーが実際にクマを目撃するとは。。。 H.Hさんは小屋の係員に、クマの出没を伝えたところ「ここ3日くらいずっといるんですよ」とのこと。 どうやら目撃情報は続いているようである。
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ロープを越えて湿地帯へ
5:30、A.Kさんが体調が思わしくないとのことで出発時刻を30分遅らせて小屋を出る。 至仏山への登り口には「クマ出没中のため通行できません」と記載の禁止標識がありロープが張られていた。 どうやら、クマが出没したことでビジターセンターが対応を協議しているらしい。 逆に言うと、登山禁止になったらもうここから先には進めない。 5:42、意を決して、ロープを越えて登山を続けることにした。 幸い、われわれの前を若い男性5人組くらいが先に行ったのでおそらくクマのほうが恐れをなして近づいてこないだろう。
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岩場を登り標高を稼ぐ
5:48、至仏山の登山口。 ここから登りが始まる。 この道は35年前は下りで利用したが、今は至仏山から山ノ鼻への下りとして通行するのは禁止となっている。 流紋岩が滑りやすく、雨のあとなどに滑落事故が多発しているようである。登りだしは樹林の中を進んでいく。 R.M氏は昨晩飲みすぎたようでどうも気分が悪そうである。 途中で胃薬を飲んだりしている。 先頭を歩く、H.Hさんも、酒臭いという指摘を2番目に歩くR.Uさんから受けている。 どうやら飲んだくれの登山ではたしてあと標高差830mを無事に登り切ることができるかどうか不安である。
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尾瀬ヶ原を振り返ってみる
6:25、木道に使う木の板を並べて小さなようになったところで一度目の休憩をとる。 まだ視界は開けない。 水を飲んで汗もかき始めたので上着を脱いでスタンバイする。 6:32出発。 さらに道をまっすぐ登っていく。 斜度は決してきつくはないが、あまりジグザグを切って登るコースではないのでその分、しんどさはある。 7:08に視界が開ける。登ってきたルートは後ろに尾瀬ヶ原を見ることができるのでどのくらいの高度まで来たのかを判別するのにはわかりやすい。少しガスが出ているが燧ヶ岳の山容もきれいに見えている。
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尾瀬の高山植物
ツリガネニンジンの可憐な花を登山道の横に見つつ、07:28、中間地点と書いてある場所に到着。本日登るコースの高低差828mのほぼ中間であるらしい。 8:06鎖場を過ぎるとベンチがある。 標高1900mを越えている。ベンチがあるので休みを取るにはちょうどよい。 右手には稜線伝いに鳩待峠が見える。 峠は今自分たちがいる場所よりも低く見えるのでもう結構登ってきたことがわかる。
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高天原を通過
8:40傾斜が次第に緩やかになってくる。地図には高天原と記載がある。 なるほど、あと2か月ほど早い時期であれば高山植物が素晴らしい景色を見せてくれているのであろう。 ここからは木道を忠実に山頂までたどっていく。 標高2140mのところに最後のベンチ。 休憩を取ってラスト300m力を振り絞る。 山頂の直下に近づくと、人の声が聞こえてきた。 9:17至仏山山頂到着。
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至仏山頂到着
36年ぶりの至仏山である。 今回はテントも寝袋も持たず、アイゼンもスパッツもないお気楽スタイルであったが、それでも山頂は当時と同じように迎えてくれた。 36年前にあったかどうか記憶が定かではないが。大きな標識があった。二等三角点にタッチ。 山頂にはすでに10人以上の人が休んでいたが。 鳩待峠方面からも、山ノ鼻方面からも次々に人が上がってきていた。 山ノ鼻からこれだけの人が来るということは、クマによる通行禁止は解除されたと考えてよいであろう。
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小至仏山への岩稜
朝食に至仏山荘でもらったおにぎりと鮭をほおばって休憩。 山頂からは谷川岳方面の眺めがよく見えた。 9:45に下山開始。 至仏山から小至仏までのルートは西側が大きくガレているところがあったりして通行に要注意。下りは滑らないように注意して進む。 小至仏の山頂へは、ちょっとしたアルペンチックな縦走路である。 小至仏の山頂は狭くて休憩するにはあまり向かない。 山頂を通らずにまいていく道もあり、先を急ぐ登山客はそちらを通っていく。少し足場の悪い下りを通過して、悪沢岳との分岐の少し前にベンチがあり休憩する。
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オコジョに遭遇
休憩したベンチでは、木道の下にオコジョが顔をのぞかせていて我々をいやしてくれた。正面に上州武尊山を見ながら進む。 11:21に笠ヶ岳との分岐に到着。 ここからは昨日歩いた道である。 オヤマ沢田代の湿原ではワタスゲがかわいい花をつけていた。オヤマ沢田代をすぎるとすぐに水場がある。 ここから鳩待峠までは2.9㎞である。 下りは決して急ではないが木道だけではなく石の道を進んでいくところもある。 |
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鳩待峠に下山
後ろからくる若者がどんどん追い越していくが、なかでも、男性の単独の方が短パンにトレランのシューズに8Lほどのハイドレーションのザックだけをかついでいるといういで立ちで軽快に走っていった。 前の晩、山小屋で宴会をしながらトランスアルプスジャパンレースの話が出たが、まるで、そこを走る選手を思わせるようだった。 鳩待峠まであと1㎞という標識の前で、携帯電話が通じたので、来るときにジャンボタクシーを運転してくれたHさんに電話をする。 我々が到着したころに車を回してくれるという。 12:42、鳩待峠の登山口に到着。 本日の歩行6:49の行動時間は終了した。 鳩待峠ではトイレによって靴を洗い、そして、お楽しみの自販機で購入するビールである。 自販機に宣伝しているとおり、きんきんに冷えていた。 残念ながら自分はこのあとの運転があるのでノンアルコールビールである。 しかし、良心的なことにノンアルコールビールは値段が200円と、一般のビールの半分以下になっていたのである意味お買い得ということなるかもしれない。
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昼食は「山のめぐみ」できのこそば
運転手のHさんが迎えに来てくれて駐車場まで行く。 Hさんの同僚の方の運転で戸倉の第二駐車場までたどり着く。来るときよりも車が増えていた。とはいうものの、この日から9月になったので夏休み期間中の鳩待峠へのマイカー規制が解除されて自家用車で入っている人もいる感じだった。 着替えて車に乗り込み、尾瀬市場を目指す。 Hさんの伯母様がやっているという食堂で絶品のきのこそばを食べて15時に出発。 高崎駅まで行って関西からの参加組と別れて混雑した関越を走って帰った。
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36年ぶりの尾瀬を堪能することができた。 水芭蕉のピークの季節を外したこともあり、1ヶ月前の計画策定であったが山ノ鼻の至仏山荘に予約できて泊まることができたのでラッキーであった。 尾瀬ヶ原の散策をすることはできなかったが、若いころに登った残雪期にキスリングに家型テントを入れてアイゼンとスパッツをつけて登った姿を懐かしみつつ、携帯電話や山小屋が充実して歩き方のスタイルもさまざまとなってきていることを感じた一つの転機の登山だった。
(2019年9月 記) |
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