 |
 |
基本情報
1 |
山名 |
両子山(ふたごやま) |
2 |
標高 |
721m(一等三角点) |
3 |
山域 |
国東半島 |
4 |
都道府県 |
大分 |
5 |
位置 |
N33.34.59/ E131.36.06 |
6 |
地図 |
2万5千分の1地図「両子山」
20万分の1地勢図「中津」 |
7 |
山岳区分 |
ハイキング百選 |
|
|
登山記録
山歩No |
9790-19031
|
登山日 |
2019年10月12日(土) |
歩程 |
1時間50分 |
天候 |
曇り時々晴れ |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
JR日豊本線杵築駅から大分交通バス両子寺 |
パーティー |
2人 |
|
 |
|
 |
|
|
2019年ラグビーワールドカップが日本にやってきた。 おかげで昨年と同じ10月第3週に九州遠征を企画しようとしたが、羽田ー大分空港の飛行機が満席で予約できなかった。 準決勝の会場に大分のスタジアムが入っているという。 そこで遠征の日程を1週繰り上げて、体育の日の三連休に大分から登る鶴見岳・由布岳縦走にトライすることにした。 昨年、湧蓋山から眺めた由布岳の姿は見事だった。 今年は逆に由布岳から湧蓋山を眺めるのが楽しみである。
|
JALのカウンター
飛行機は8月上旬に予約して日本航空に料金も支払った。マイルの特典を使うためわざわざ有楽町のJALカウンターまで行って手続きをした。 今回、一緒に登るのは学生時代の山仲間のS.Yさんと1日遅れて別府に入ってくる山岳同好会で奈良在住のA.Dさんと3人である。 当初、A.Dさんは12日の土曜日に会社の行事で間に合わないのでフェリーで13日(日)の朝、大分港到着、別府で合流して鶴見岳に登るという手筈とした。 9月の下旬にS.Yさんが東京に来たときに会い、計画も話をして、12日に泊まる別府の宿をS.Yさんが予約、自分が13日の晩に泊まる湯布院温泉の宿を予約してあとは好天を祈るのみというところであった。
|
 |
台風19号の進路
10月6日、出発の一週間を切って恐るべき気象情報が飛び込んできた。 令和元年台風19号(通称ハビギス)が915hPaで猛烈な強い勢力のまま日本に近づいているという。 当初、九州に近づくようなコースが予想されたので半分、今回の登山はあきらめかけた。 ところがこの台風は進路を東に取り、東海地方か関東地方に上陸するようなコースとなった。 過去に例のない危険な台風ということで(実際、219年10月25日現在、 82名の死者を出したことが記録されている。)気象庁も大雨洪水特別警報を出して注意を呼びかけた。 10月10日(木)全日空が12日の羽田を出発するすべての便の欠航を決めた。 10月11日(金)出発の前日、土曜日の朝の東海道新幹線もすべて運休が決まった。 自分の乗るJAL661便、羽田ー大分ははたして飛ぶのだろうか。 JALも前日、九州方面は朝の1-2便だけが運行する計画だけで7:50以降のすべての便の欠航を決めた。そして12日出発当日を迎えた。
|
 |
羽田空港国内線第一ターミナル
10月12日(土)5:30AM。 横浜は少し強い雨だったが、電車も運行しているようである。羽田空港に6:25到着。 三連休の朝であらば通常、空港は混雑しているはずだが閑散としている。第一旅客ターミナルの飲食店・土産物店はことどとく閉店していた。 最上階の展望デッキに行ってみようとしたが、強風のため屋外に出られないことになっていた。 吹き抜けのとなりの自由スペースでスマホの充電をしながら買ってきたサンドイッチの朝食をとる。保安検査は前に一人も並んでいない。 15人の職員がいる検査場をたった一人で通り抜けた。 B-8のゲートに向かう。 7:50に出発する大分行きは同じ時刻の帯広行き・函館行きとともに、まさしく本日12日の最終便であった。通常5便あるJAL大分行きがたったの1便しか飛ばないので満席かと思いきや、旅行をキャンセルした人が多いのだろう。 機内は結構空席も目だち、スムーズに飛び立った。 離陸時は滝のような雨の中であったが風の影響はあまりなく、高度1万メートルに上がってしまえばうそのような快晴の中を飛行。 大分空港着陸の時がむしろ風の影響で機体が揺れて少しビクビクものであった。
|
 |
杵築駅
大分空港に定刻の9:30到着。予約してあったトヨタレンタカーの営業所に行く。 受付も混雑していないので手続きをしていると隣のカウンターの女性職員が英語でかかってきた電話で苦労しているので、電話を代わって通訳してあげた。 相手は英国人男性で今朝ここ大分空港に車を返す予定になっていたのだが、飛行機が欠航になったので、空港には来ないので大分の駅前店で返却したいという要望だった。 レンタカーを借りる前に店舗に貢献をして機嫌よくよくおきまりの1300CCのVitzを借り出す。大分空港からS.Yさんと待ち合わせ場所の杵築駅までは国道213号大分空港道路を西に進む。 ほぼ予定通り10:20に杵築駅に到着した。 ちょうどその時刻に到着する特急からS.Yさんが降りてきて1ヶ月ぶりの再会を喜ぶ。(9月にS.Yさんが東京に来たときに食事をして今回の由布岳登山に彼も参加することが決まった。)今日は別府の鉄輪温泉どまりであるがそれまでは国東半島の観光である。
|
 |
杵築城と守江湾
杵築市は人口約28,000人、江戸時代は杵築藩松平氏3万2000石の城下町として栄え、廃藩置県まで国東半島の政治・経済の中心地であった。このため、市内には武家屋敷が残っており観光の名所となっている。 さっそく、車を市役所の駐車場に停めて、そこを起点に武家屋敷を回ることにした。 最初に、南台武家屋敷の前をとおりさつき城下町資料館に向かう。 資料館には入らなかったがその手前の中根邸は無料で見学ができるので上がってみる。 登山靴を履いているので正直いちいち靴を脱ぐのは手間であるが、見学できるまたとない機会なので悪い話ではない。 中根邸を一周したあとに一松邸を見る。 一松邸は、杵築市の初代名誉市民となった一松定吉氏の邸宅で、昭和32年に杵築市に寄贈された。海を望む絶景の場所にある。一松邸を出てから酢屋の坂を上り北台武家屋敷の方面を見物する。坂の途中には井戸があった。
|
 |
大原邸
北台では一番有名な大原邸に入る。 有料ではあるが、着物をきている人は入館料が無料になるキャンペーンがあるようで、我々の前に入った5人組の女性は和服姿だった。大原邸は200石の杵築藩家老の屋敷だったようである。 入口には八間半(15m)の門があり、中間の小屋もあるりっぱなつくりである。玄関を入ると市の観光協会の女性が家に案内をしてくれた。 格式の高い玄関は籠で帰ってきたご主人がそのまま籠を横付けできるつくりである。台所は屋根がかやぶきで煙を出して虫を予防している。風呂場は、湯殿ではなく、体を水で流す排水の作りを見ることができた。 中島を持つ池は大きく杵築の武家屋敷では最も格式があるつくりらしい。 水をどうやって引き込んでいるか気になったが今は水道が来ているということである。 鯉が数匹悠然と泳いでいた。大原邸を出てから台の茶屋のある隣の能見邸に立ち寄り藩校あとを見物して再び坂をおりて市役所駐車場に引き返す。
|
 |
両子寺
杵築の城下町をあとにして、昼食はGoogle口コミのおすすめの海鮮丼が食べられる「海鮮亭ざこば」へと立ち寄る。旬の魚がたくさんのった海鮮丼をいただいて、午後からの観光に出発。 国東半島の中心である両子寺と両子山ハイキングを目指す。 両子寺までは車で約35分。 駐車場で荷物は置いて折り畳み傘と飲料だけをもって12:47出発。両子山 721m は大分県の国東半島の最高峰で、そのど真ん中に位置し、安岐町と国東町との境付近にある。天気の良い日には大分市内からも山頂が見えることがあるので、山頂からの展望の良さは抜群だという。拝観料を払ってまずは寺に参拝。 寺から裏の舗装道路を歩いて山頂を目指す。 時間はほぼ1時間、森林浴を楽しみながら歩く。
|
 |
両子山山頂
13:36山頂到着。 さすがに標高差は721mあるので国東半島を一望することができた。 台風の影響もあるのか天気は快晴というわけにはいかず少し雲が多く風は強かったがそのせいか磨崖仏などが多い国東半島の幻想的な雰囲気を醸し出していた。 山頂には木を組んだ櫓式の展望台があった。国東半島自身が両子火山群で形成されていて両子山は溶岩ドームの山のようである。 帰りのルートは町境尾根コース両子寺奥の院へ(難路注意)と書いてあった。 13:46。 実はここからが悪夢だった。
|
 |
両子寺奥の院
最初は道は尾根伝いのルートだったがだんだんふみあとが少なくなってきた。何故かロープが張ってあるのに沿って降りていくのだがきわめて険しい足場の場所があり、S.Yさんは手袋を出してロープにつかまりつつ降りている。14:10なんとか右手に両子寺が見えた来た。 ルートは間違っていないようである。 14:21林道に到着。 ここから500mで針の耳と鬼の背割りに分岐するという札がある。 針の耳は溶岩の中の穴を鎖につかまりながら降りていく名所である。これは両子寺の修験道となっている。 針の耳の下部分の百体観音を通り過ぎると奥の院の社に出た。奥の院から降りてくるとすでに15:00を過ぎていた。 16:00にバスで別府にやってくるA.Dさんと合流することになっているので、思ったよりもタイムロスしてしまっている。熊野磨崖仏に寄りたかったが時間がないのでスキップして別府へと向かう。
|
 |
鉄輪温泉に宿泊
再び杵築の町の中を通り、大分空港道路を日の出ICから別府ICまで高速道路を走り途中でA.Dさんには迎えに行くのが遅れそうだと連絡をする。 別府の地獄めぐり白池地獄前でA.Dさんを拾ったときは16:30になっていた。 A.Dさんは一人で地獄見物をしていたようであるがわれわれは閉門時間がちかかったので見学はパス。合流したまま、今夜の宿である鉄輪温泉の陽光荘へと向かった。鉄輪温泉(かんなわおんせん)は、別府八湯の一つ。温泉の湧出量では日本最大である別府の源泉の大半が鉄輪に集中している。今なお木賃宿や旅籠の起源を持つ古い宿泊施設が旅館や貸間として残り、路地を挟んで小規模な湯治宿が建ち並ぶレトロで情緒豊かな町並みを形成している。2012年には重要文化財景観に指定されている。陽光荘は大正12年創業の「地獄めぐり鉄輪地獄」が前身で部屋はすべて和室(27室)で、本館(三階建て・エレベーター無し)と別館がある。。
|
 |
別府の駅まで行ってバスで鉄輪温泉に戻る
地獄蒸しは江戸時代より湯治客に好まれた鉄輪を代表する料理のひとつで高温の温泉蒸気を利用したものである。陽光荘にチェックインをした後、近くのスーパーに食材と酒を買い出しに行く。 サツマイモは欠かせない。たまご、大根とナスとエリンギ・玉ねぎ・サーモン・ししゃもを買って地元の焼酎、鉄輪とともに持って帰りビールを冷蔵庫で冷やしで、野菜は部屋に置いてレンタカーを別府駅前に返却に行く。 翌日、鶴見岳に登るときの朝食のおにぎりと昼食のパンを買ってバスで鉄輪温泉に戻る。さっそく、陽光荘の中庭のような台所で鉄輪料理の自炊である。包丁やまな板、食器も備え付けてくれているので便利だ。 野菜を適当な大きさに切ってざるに入れて、蒸気がいっぱいの窯の中に入れる。
|
 |
鉄輪料理の自炊
さっそく、陽光荘の中庭のような台所で鉄輪料理の自炊である。包丁やまな板、食器も備え付けてくれているので便利だ。 野菜を適当な大きさに切ってざるに入れて、蒸気がいっぱいの窯の中に入れる。 蒸し窯にセットして風呂に行く。ちなみに蒸す調理時間は食材によって違う。 芋は20分、魚類は15分くらいだ。風呂をあがって当たり前のように炊事しながらビールを飲む。 できあがった食材を皿に入れて部屋に持って帰り、20時いよいよ宴会となった。 100円玉を入れて2時間見ることができるTVはどのチャンネルも伊豆半島と関東地方に上陸した台風19号の話題だった。 自分の家はいったい大丈夫なんだろうかと気にしつつ、台風から800㎞離れた別府でひたすら缶チューハイと地元の焼酎の鉄輪を飲んだ。 |
 |
国東半島六郷満山(ろくごうまんざん)は、大分県国東半島一帯にある寺院群の総称である。六郷は両子山を中心とした山稜の間に開かれた6つの郷、満山はそこに築かれた寺院群を指し、古くから六郷満山文化と呼ばれる独特の山岳宗教文化が栄えた。 平安建築や、熊野磨崖仏をはじめ、六郷満山文化が最盛期だった平安時代の古仏や石窟など石造美術も多く遺るこの半島について社会科の授業で初めて知った。 この幻想的な場所にいつかは訪れたいと思っていた。 果たして、ハイキングで登った両子山からロッククライミングのような思いで下山するなどまさに不思議に満ちた場所であった。 もう一度来ることがあるかどうかわからないが、来たらぜひ磨崖仏を見てみたいものである。
(2019年11月 記) |
|