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月 山
月山

基本情報
1 山名 月山(がっさん)
標高 1984 m (一等三角点は1980m)
山域 出羽山地
都道府県 山形県
位置 N38.32.56/ E140.01.37 
地図 昭文社 山と高原地図8鳥海山・月山」
2万5千分の1地図「月山」
20万分の1地勢図「仙台」
7 山岳区分 日本百名山、花の百名山
登山記録
山歩No 1160-09014
登山日 2009年5月23 日(土)-24日(日)
歩程 第一日 8時間30分
第二日 3時間40分
天候 雨のち曇り
形態 日帰り予定山中1泊
アプローチ 山形自動車道月山IC
パーティー 1人

 ホームページを立ち上げたときから、いつかは「月山」について記述せねばとは思っていたが、なかなか踏ん切りがつかなかった。 WEBを見た人たちがどのような印象で山を捉えるかということが不安であったからだ。 しかしながら失敗談を記録することも、見た人が安全で楽しい山登りを続ける一助になるだろうと思い、登山後4年の歳月が経過したこともあり思い切って書いてみる事にした。長年山に登っていると、本当に生きて帰れないかもしれないという不安に陥った事が何度かある。 風雨で道を見失い、本当に怖い思いをしたのが、この残雪期の月山に入った2009年5月のことだった。

寒河江PA

 5月22日(金)夜は17:50に会社を出て、自宅の最寄駅で食料と酒を買って帰り、風呂に入り夕食を食べたあと荷物の最終チェックをして20時半に家を出発。首都高は東北道までまったく混雑していなかった。 22:50に大谷PAで休んで、それから24時すぎに安達太良PAで仮眠。長距離を走る自家用車の仮眠場所なのだろうか、結構な数の車が停まっていた。鏡石PAのコンビにで買ったナゲットと白菜のつけものをつまみにストロングのチューハイを飲んで25時前に就寝。 途中で一回トイレに行く。 明け方にPAに入ってきた車が結構騒音を出していたので何度か起きてしまった。

姥沢駐車場

 5月23日(土)朝6:25起床。 曇り。 とりあえず、そのまま出発をする。 村田JCTから山形道に入り8:30に寒河江PAで休憩。 ガソリンをいれ、買ってきていたおにぎりを朝食として食べる。PAの売店には焼きたてパンが売っていたので昼食用に2つ買っておく。8:50出発。 再び山形道を進む。 笹谷トンネルのあたりは以前山形の旅行に来た時に見覚えのある景色だった。 10:00に月山スキー場に到着。駐車場は春スキーを楽しもうという人たちで賑わっており、もう少し遅くくると駐車スペースがないところだった。リュックにショートスキーを括り付けていると、係員の方が巡回してきて駐車場台1000円を徴収していった。準備を整えて10:20出発。
 

月山スキー場

  この月山スキー場は、冬場は降雪が多すぎて営業できないという。 他のスキー場が雪が融けてシーズンを終了し始める4月になってやっとシーズンの幕開けで、5月・6月が最も来訪者が多いというのだから驚きである。7月末まで滑走可能と案内には書かれている。 リフトの1回券を買って 行列に並ぶ。 山登りの格好をしている人間は周りには一人もいない。 10:51に月山ペアリフト(1km)を降りて歩き始める。 スノーボードを持っている人たちが同じ方向に上がっていたが、リフトより上部にあるTバーは運行していないようだった。リフトを下りたときには雨は降っていなかったが、高度が上がったせいだろうか、霧雨のようなものが顔をたたきつけるようになってきた。 

姥ヶ岳

  スキー場上部の雪原をジグザグを切って登っていく。 次第にこんもりと高くなった所が見える。 たぶんあそこが稜線であろう。稜線に出てすぐに西に姥ヶ岳の山頂があった。 11:28に姥ヶ岳山頂到着。山頂は風で雪が完全に飛ばされていた。 山頂を示す標識が一つ立っているだけである。 木道のベンチの上に腰かけて休憩をする。水を飲んで 11:34出発。ここからは稜線伝いの道であるが、途中で夏道の木道が出ていたと思うとまた雪の下に隠れてしまっていたりする。尾根の上で雪の上でトレースが続いている個所は良いが、潅木と交差するところではトレースが途切れてしまったりしてわかりにくい。 雨が降って視界が無いのもルートファインディングの難しさに追い討ちをかける。  12:02金姥に到着。こんもりと高くなっているが、ここからの下りが判り難かった。一旦鞍部のようなところに下りたが、北西方向にもシュプールのようなトレースがあるし、北東側にも腐り雪の上を誰かが歩いた形跡がある。 さてどちらに進んだらいいものやら。最初、北西側のシュプールをたどってみたが、途中で判然としなくなっていた。 カニ歩きで登りなおしている跡もあったので、このスキーヤーも道がわかりかねたのだろうと思い、再び金姥の上まで戻ってみる。北東についているトレースをたどり、 そこから夏道を通って稜線を進んだが、途中からわからなくなる。稜線から外れて歩くと危険だと判断し稜線に戻って 12:16休憩。 

金姥

五万分の一地図のコピーを持ってきていたが、自宅のインクジェットプリンターで印刷したものはやはり雨には弱く、印字がにじんで肝心の部分が見難い状況になっていた。 12:21出発。 途中で女性の登山者と会ってこっちが道ですよと教えられたほうに進む。 途中からルート上に紅がらを載せてあった。月山へののぼりは左側にロープが張ってあってわかりやすくなっていた。 13:14休憩。次第に標高を上げて行く。 ここからが本日一番の登りである。

月山山頂

  13:38、傾斜が緩やかになって、山名盤が現れた。 ついに山頂だ。右手に山頂小屋があった。 さらに進むと神社があった。神社の横にも小屋があったが、小屋はどれも営業しておらず扉も閉められたままだった。 山頂の神社の横で朝買ったパンを食べる。 風雨がかなり強くなっている。 早めに下山するのが無難だと考える。 14:15出発。視界は全く無い。 横殴りのような強い雨が降っている。 途中までは左手に道が見えていたが、いつのもまにか稜線の上の雪上についている踏み跡が強い風で飛んでおり途中で消えてわからなくなっている。確か来る途中で尾根のコブのようなところで大きく屈曲して進んだという記憶があったのでそのまま曲がってさらに進むとやがて道が登りになって高度を上げて行く。 えらく登りり返すので変だと思って腕時計についている方位計で進んでいる方向を調べてみると、なんと方角が本来進むべき南西ではなく北を示している。 高度計も1840mをさしている。 

下山ールートミス

   確か1700mくらいまで下りてそのあと1800mくらいまでしか登らないはずだ。 おかしいと思って、もとのところまで引き返す。自分はワンデリングしてしまったのだろうか。 夏道を一瞬とらえたが、そこから雪渓をトラバースするときにスリップしてブッシュまですべり落ちた。稜線の方まで登り返すべきだと頭では判っていたが、その30mをあがる体力と気力がもはやなかった。 自分でこれではいかんと感じて、ブッシュの横に掴まったまま 少し休憩。 16:20出発。 はやくしなければスキー場がしまってしまうと気ばかりあせる。 少し登り返すと山スキーヤーのものと思われるシュプールがあった。 シュプールについて沢へと下るが方角は南東を指している気がする。本来方角は南でなければいけないので、ちょっと外れているようにも思う。下っている途中、シュプールなのか風紋なのかもはやわからなくなっていて立ち止まって確認する個所が幾つかあった。  途中で立ち入り禁止を示唆するかのような赤い旗があったがそのまま進む。シュプールは沢沿いにさらに下っているようだ。最初は沢の雪の残っているところをたどるように進んだが、 次第に沢は切り立ってきて、かなり高巻きをして通過しなければならないところがでてきた。 足元に気を使いながら、下っていく。 最後に谷の喉のようになったところでは人工の堰堤が大きな滝をつくっていた。 堰堤にあがることはできたがこれを超えるのが苦労である。いったんリュックを下に放り投げて自分が空身にならなければればおりられなかった。高度計を見るともはや1200mを下回っている。 どうもスキー場よりも標高の低いところにいるようだ。 どう考えても道を間違えてしまったとしか考えられない。幸い、雨は小ぶりになり視界もよくなってきた。  

四ツ谷川

 さらに進むと、やっかいなことに川の左岸から右岸に渡らないといけないようなところが現れた。雪解け水で随分と水量が増している。谷の喉のようなところで渡渉しなければならなければとてもできなかったかもしれないが、ここは傾斜が緩やかになっているから少々足が濡れても、急流で沢に流されることはないだろう。 覚悟を決めて川の淵に足をつける。 兼用靴の中に水が染みこんでくる。 こんなことを2度ほど繰り返し、左岸と右岸を行き来したが、最後の渡渉のとき、川の中心で足を滑らせて上着まで濡れてしまった。落ち着くために高巻きをしたときに休憩して水を飲む。 堰堤を2個越えて、土砂を降りきったところで雪に隠れがちではあるが川の横に添って登山道ほどの幅のはっきりとした道を見つける。 これは釣り人の踏み跡だろうか。 しめたと思って下るがやがてその踏み跡は消えてしまう。 またも道を見失った。もう、時計は19時をすぎている。 雨上がりの曇り空なので日没というのをはっきり認識しなかったが、もうとっくに日は沈んでいる時間だ。 あたりをきょろきょろと見回しても、それらしき踏みあとは見られない。念のため もう一度沢をわたって戻ってみたが踏み跡はそこから先には見当たらない。 見当をつけて歩くも暗くなってここでギブアップ。 20時にこの場所でビバークを決意。

沢沿いでのビバーク

  なまじ沢沿いの道で暗い中を歩き回るほうが危険だと判断した。 岩陰に腰をおろして座り込む。 リュックに入れてあったポンチョを尻に敷いて座るが、もともと日帰りが前提だったのでシュラフやツエルトはもちろん、炊事道具も持ってきていない。 最初はからだもあたたかかったが、真っ暗になって21時を過ぎるとに徐々回りも冷えてくる。川に入ってカッターシャツまで濡らしてしまったのがやはり失敗だった。 体の熱の放出で、だいぶ乾きはしたが、それでも冷え込んでくると応える。 兼用靴は渡渉の時に水が入ったので、思い切って脱いで、足を濡れた靴下のままポンチョの上に置いてみた。ヘッドランプををつけて調べると、標高は890mと出ていた。 おかげで濡れた衣類の寒さはあるものの、気温はさほど低くはないようだ。 もう、5月も下旬である。 一定の標高まで下山してくると気温も春の普通の気温だ。 試しに温度計で測ってみると14度だった。 まあ、凍死したり凍傷になったりする心配はないだろう。 晩飯はカロリメイトを半分だけ。 もってきたビールを飲んでおしまい。少しうとうとする。 やはり濡れている下半身が寒い。  

闇の中でも携帯は通じた

 21:30に突然思いついたことだが、携帯電話がつながるかもしれないと思ってザックから出して開いてみる。はたしてAUの電波は圏外ではなく、なんとか1本アンテナが立っている。 無事を知らせるために家族に電話してみる。幸いにつながった。 相手を動揺させないように、自分が下山できなくなった事実をうまく伝えるほうに気を使った。AUのアプリで自分いる位置を知ることができると聞いて調べてみた。電波が入るので自分の位置はわかった。 四谷川を下流に下り、ちょうど、月山自動車道と山頂の中間くらいの位置を示していた。 驚いたことに、出発した月山スキー場からは東にずいぶんと離れている。 そもそも尾根を一つはさんで東の沢に下りてしまったようだ。 位置ナビで調べた場所を家族に伝える。。四ツ谷川という沢をさしていたことと、さらに下流までまだ距離があるのをみて家族もどうしていいかわからないという様子。 とにかく大阪にいる山の友人のK.Mさんに連絡を取ってくれることになった。。 夜24時にまたメールをする約束をした。

一夜を明かした岩陰---軽装のリュック

  K.Mさんは月山に登った経験もある。 地図で私のいると思われる位置を見てくれたようだ。彼がルートを調べて、 夜にも関わらず姥沢小屋に電話をしてくれたようだ。 自分のいる位置はずいぶんと姥沢小屋よりも東の四谷川沿い。 実際に山スキーヤーでここに入る人もいることはいるらしいが、安全なのは姥沢小屋まで登り返すということ。 K.Mさんからの指示は沢を下るべきではないというものだったので困った。あの谷の喉などとてもではないが再び両手両足を使って簡単に明日登り返せるとは思えない。 24時に家族にもう心配はしなくていいから寝るようにいって自分も膝を抱いて休む。 うとうとはするが、闇の中は気になって、15分ごとに時計を見る。ヘッドランプは持っていたが電池が消耗するのは困るのでできるだけつけないようにした。ヘッドランプを消すと漆黒の闇をが目の前に広がった。 遠くにスキー場の宿舎の方だろうか、かすかに明かりが見える。 闇に眼をこらすと、動物の2つの青い目がこちらを見ているように思えた。 もちろん、まったくの気のせいなのであるが。 こんな誰もいないところでたった一人で一夜を明かすのは初めてのことである。せめて着替えと食糧はリュックに入れてくるべきであった。少しまどろんで目が覚めたら時計は午前2時半だった。3時になってからはもう眠ることもできず、夜が明けるのを今か今かとひたすら待った。 夜が明けたら行動を開始してとにかく沢から脱出するしかない。 空腹と睡眠不足で脱出ができるのかどうか自信はなかったが、何も怪我をしていないので、どうしても脱出ルートが見つからなければ、その時に県警に電話をして救出を要請するしかない。 なるようにしかならないと割り切ると3:20にはもう座っているのもおっくうになり、起きだしてパッキングの用意をし始めた。曇天ということもあり気温が下がらなかったがせめてもの幸いだった。 

翌朝--谷からの脱出

 5月24日(日)朝4時に行動を開始する。4時過ぎると足元の明るさは谷間でも十分である。  天気はくもりだが視界は良好。 沢の渡渉をして、昨夜踏み跡を見失った地点まで戻ってみる。 踏み跡が消えた地点から先には確かに沢に沿って釣り人の杣道のようなものがあるのがに確認できた。 少し上流までこの道をたどってみる。 4:23に沢道の出会いに到達。そこから尾根に向かって登っていく道があるのが確認できた。 その道を登り沢から離れていく。 堰堤の工事のためにブルドーザが入ってきた道らしい。少し登るともう軽自動車が入れるくらいの道幅のルートになった。 まちがいない。 これは少なくともどこかに続く林道である。 途中、放置してあるブルドーザもあった。 土砂崩れと倒木で人間しか通れないところも2箇所ほどあったがそのまま進んだ。尾根に取り付くと、この林道はゆったりと水平に姥沢小屋のある西方面に湾曲していくようだった。 6時すぎに、前からエンジン音が聞こえた。 山菜をとりにきたようなバイクのおじさんにあう。 相手もこんな早朝にまさかの人との遭遇でびっくりしていた。 この林道を下れば国道に出られるということと、スキー場に行くバス停の場所も聞いたので、安心して歩く。

下山---月山ICへ

  6:35林道は下りに入り、ゆっくりと四谷川に沿って下流に進んでいるのが確認できたので休憩。 月山口のバス停には7:30に到着。 姥沢スキー場に上がるバスは9時過ぎまでなくて結局2時間待つことがわかった。バス停の道路を挟んで反対側に小さなドライブインがあった。 スキー客目当てに朝から営業しているようだったので、門をたたいて入れてもらう。 そこで食べた月見そばのなんとおいしかったことか。 カロリーメイト1つを昨夜と今朝と半分ずつだけ摂って、空腹で日の出から8㎞以上の林道を歩いてきた自分には暖かな醤油だしの月見そばの味に、本当に無事生還したんだという実感が湧いてきた。 親切な女店主が、バスの時間まで休んで行っていいよといってくれる。お土産を一つ買ってトイレをしてバスの停留所でパッキングを直して昼寝というか朝寝をする。 9時32分の西川町営バスに乗り、 10時に駐車場に到着。着替えをする。 また、係員がやってきて、昨日からずっと車を停めていますよねといって今日の分の駐車料金1000円を徴収していった。10:20出発。 きのうあれだけ雨を降らせた雲はもうあがって、空にはところどころに青空が見えていた。 11:45に山形蔵王PAで昼寝。 12:25出発。 13:50阿武隈PAに到着。 昼食に豚肉定食を食べて、おみやげにゼリーなどを買って長丁場の運転に備えてまたまた昼寝。 15:50出発。 暑い車の中で寝たせいか頭が痛い。 東北道はまったく渋滞していなかった。 首都高にはいって少し混雑してでいる。 19:00に無事に家に帰りついた。 うそのように長い2日間だった。


 単独行き、悪天の中の行軍、食糧とEPIを持たない軽装。 ルートファインディングの失敗。 あとから思い返すとたくさんの失敗が重なって、山中にビバークせざるを得ない状況になってしまった。 墜落のような事故がなかったことと、翌日天候が回復したことで運よく無事故で帰還できたが、家族にも友人にも心配をかけてしまった。 登山の基本は登頂ではなく、無事に下山することである。 たくさんの教訓をもたらした日本百名山のアタックであった。 この7ケ月後にハンディGPSを買ってその後の山スキーでは重宝している。 
(2013年4月 記)

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登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています