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基本情報
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山名 |
東赤石山(ひがしあかいしやま) |
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標高 |
1710m (三等三角点) |
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山域 |
法皇山脈 |
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都道府県 |
愛媛県 |
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位置 |
N33.52.30/ E133.22.30 |
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地図 |
2万5千分の1地図「別子銅山」
20万分の1地勢図「高知」 |
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山岳区分 |
日本二百名山、花の百名山、四国百名山 |
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登山記録
| 山歩No |
2912-25057
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| 登山日 |
2025年11月17日(月) |
| 歩程 |
7時間17分 |
| 天候 |
快晴 |
| 形態 |
日帰り |
| アプローチ |
J四国中央市 伊予三島駅より国道319号線 金砂湖より県道6号 筏津坑駐車場へ 32km 45分 |
| パーティー |
1人 |
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日本三百名山ハンターとして次第にゴールが見えてきた。2024年九州、2025年に北海道の三百名山を登り終えたが、四国は1座残っていた。 愛媛県新居浜市に位置する日本二百名山、東赤石山(1710mである。) 2012年の11月に愛媛に入り、石鎚山・亀ケ森・伊予富士・笹ヶ峰と登ったあとに、この東赤石山を目指したが、天気が悪く登頂を断念した経緯がある。13年の歳月を経て、リベンジのために再び愛媛にやってきた。
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筏津坑駐車場
2025年11月17日、月曜日。 朝5時半にホテルを出発。 暗い中を車を走らせて登山口の筏津坑へ向かう。 標高差約1,200メートルという厳しい行程だが、明るいうちの下山を期して足を進める。午前6時30分、筏津(いかだづ)登山口の駐車場に到着。朝の澄んだ空気の中、かつての銅山採掘拠点である筏津坑を背に、紅葉が鮮やかに彩る山中へと足を踏み入れた。
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東赤石山登山口
登山口付近では、整備された道標が迎えてくれるものの、「スズメバチ注意」の警告に身が引き締まる。ソロでの山行は、こうした細かな変化への集中力が欠かせない。瀬場分岐を過ぎると、道は徐々に険しさを増し、やがて鎖場が現れた。慎重に岩を掴み、一歩ずつ高度を稼いでいく。周囲の木々は秋の装いを深め、視界が開けるたびにその美しさに目を奪われる。
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渡渉点を越えて
標高1,180メートルの地点を通過した際、行く手に立ちはだかる巨大な岩の塊に圧倒された。9時10分、足を止めて小休止を取る。ここにはレスキューポイントの標識があり、万が一の際の救出地点が示されている。こうした設備が整っているのは、この山が持つ峻険さと人気の証左であろう。前方には、目指す東赤石山の岩峰らしき姿が姿を現し始めた。
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東赤石山への稜線分岐
10時02分、尾根の分岐に到着。西側を望めば、笹ヶ峰や四国の王者・石鎚山がその雄大な山容を誇示している。山頂まではあと150メートルほどの登りだ。ここからは岩場の直登ルートとなり、ロープを頼りに体を引き上げる場面も増える。足元に広がるのは赤石の名にふさわしい独特の岩肌であり、この山特有の荒々しい質感が伝わってくる。
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東赤石山山頂
10時32分、ついに標高1,710メートルの東赤石山頂に登頂した。平日だということもあり、山頂には誰もいなかった。 視界を遮るもののない360度のパノラマが広がり、登頂の喜びを噛みしめながら万歳三唱を行う。石槌山、伊予富士、笹ヶ峰といった四国の名だたる山々が一望でき、新居浜の街並みと瀬戸内海が遠く霞んでいる。海と山が共存するこの風景こそが、この山の真骨頂と言えるだろう。
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東赤石山三角点
少し東側にある標高1706mの山頂の三角点にタッチした後、特別な思いで昼食の準備を始めた。実はこの山は、一年前に他界した親友のK.Mさんの故郷の山である。かつて共に多くの頂に立った彼を想い、彼が好きだった歌を静かに口ずさんだ。山頂の風に乗り、その歌声が四国の山脈へと溶けていく。亡き友との再会を果たしたかのような、穏やかで満たされた時間が流れた。
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赤石山荘跡
11時25分、名残惜しさを振り切り、山頂を後にした。赤石越えから下山は赤石山荘を経由するルートを選択。赤石山荘は2019年に営業を休止している。 かつて賑わいを見せたであろう山荘の跡地には、今は静寂だけが漂っている。周囲の紅葉は一段と色濃く、光を浴びて輝いている。ソロ歩きならではの思索に耽りながら、膝に負担をかけないようリズム良く下りていく。缶ビールの空き缶を登山道の横に並べてあるのは登山者への目印だろうか?
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第一木橋
下山路では数回、沢を渡る場面があった。水量はそれほど多くないが、苔むした岩の上は滑りやすく、細心の注意を払う。第一木橋について、朝来た道に合流した。 14時頃、標高が1,200メートルを切ったあたりで、再び沢沿いの道となる。古い住焼き小屋の跡や作業場の残骸が点在しており、この山がかつて人々の生活と密接に関わっていたことを物語っている。
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下山・筏津坑
5時、無事に筏津登山口へと帰り着いた。累積標高差1,200メートル超のハードな行程だったが、それに見合うだけのご褒美を十分に得られた一日であった。山頂での圧倒的な展望と、友への供養を兼ねた静かな時間。日本二百名山にふさわしい、厳しくも美しい山容は、深く記憶に刻まれた。下山後、再び筏津坑の見学をしてみた。、かつての産業の息吹を感じながら帰路についた。
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今回の東赤石山登山は自分にとっての再チャレンジであると同時に、山岳部時代にずっと一緒に登ったK.Mさんの追悼登山である。 故郷が四国だった彼とはずっと日本中の山を一緒に登った。 四国のこの山に一緒に来ることはなかったが、足元を彩った紅葉の色彩、そして山頂で感じた風の感触それらすべてがこれからも彼との思い出になるのではないかと感じた。 四国の深い懐に抱かれたこの山行は、一つの区切りとして、これ以上ない充実感をもたらしてくれた。
(2026年1月記)
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