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聖岳
聖岳

基本情報
1 山名 聖岳(ひじりだけ)
標高 3,013m
山域 赤石山脈南部
都道府県 長野県・静岡県
位置 N35.25.22/ E138.08.23 
地図 昭文社 山と高原地図42「塩見・赤石・聖岳」
2万5千分の1地図「赤石岳」
20万分の1地勢図「甲府」
7 山岳区分 日本百名山・甲信越百名山・信州百名山
登山記録
山歩No 1850-10018
登山日 2010年7月20 日(火)
歩程 9時間10分(聖平より易老渡)
天候 晴れ
形態 テント泊縦走2泊3日
アプローチ 中央自動車道飯田ICより三遠南信自動車道国道152号線遠山川のぼる易老渡より
パーティー 1人

今回、聖岳に登るのは実は2回目である。 初めて登ったのは1988年8月15日であった。 前日畑薙ダムに車で入り、山岳部のM.N氏とS.K氏と3人で聖岳登山口まで林道を歩き、聖沢を上がるコースを取った。 本当は初日に聖平小屋まで到着したかったところだったが、歩き出しの時間が遅かったこともありとてもたどり着けず、滝見台をすぎた水のとれる尾根上にツエルトを張って3人で肩を寄せるようにして寝た。 翌日は雨。 とりあえず、聖平まで上がり、小屋で宿泊の予約をして空身で聖山頂へ。 ただひたすら雨が降りつけ何も見えなかった。 まだ20台半ばで体力があったが本当に根性登山というしかなかった。 あれから22年を経て、再び聖平にやってくることになった。 幸い天気はよさそうである。 22年前に見ることができなかった聖岳からの展望というのはどういうものなのだろうか。

聖平の朝

07/20(火)朝 晴れ。 3:00起床。 朝食は朝から賞味期限の切れたアルファ米をたいてつくった。 味噌汁と牛丼のもとで、牛丼ライスにした。 量が多いかと思ったが十分食べられた。 顔をあらって4:41出発。 分岐のところには数名、ご来光の写真を待ち構えている人たちがいた。 薊畑まで30分ののぼり。 途中、ご来光の写真を撮ろうと待ち構えたが、雲がたなびいていてきれいなご来光にはならなかった。 

小聖岳(2662m)

 5:13薊畑到着。 黒ザックのひとがいたのでとなりに自分のザックもデポさせてもらって、でかける。 三脚をサブザックにつめていないことに気がついたので、いったんデポした場所にもどって5:19再び出発。 後ろから、大きなザックをかついだ人が登ってきていたが、こちらは空身になって楽なので、ペースは速く、だんだん差が開いていった。 6:07小聖に到着。 水を飲む。 朝の風が気持ちいい。 6時になったのでラジオをつける。 ラジオ番組の中では早朝だというにもかかわずラジオショッピングで掃除機ロボットの通販をやっている。 小聖からは気持ちのよい景色がひろがる。 聖の山頂が手に取るように見えるが、どっこい、ここから標高差350mで1時間20分もかかるのである。  

前聖岳山頂(3013m)

6:14出発。 そこからは行く手がよく見える。以前、1988年に聖を登ったときには雨でまったく何も見えなかったのでこのすばらしい景色には感激である。馬の背を超えて、6:59にガレバの途中で休憩。 7:03出発。 7:21前聖山頂。 ここが最南端の3000m峰である。 北アルプスの中央アルプスもきれいに見える。 韓国語講座を聞きながら行動食のSOY JOYを食べる。 黒ザックの人に写真を撮ってもらう。 黒ザックの人は奥聖まで行くといっていた。 確かに、ここまできて、奥聖にいけるチャンスはもうないかもしれない。 往復45分かかるが自分も行くことにした。 

奥聖岳山頂(2978m)

  7:34前聖山頂出発。 踏み跡のしっかりした稜線を約20分進むと奥聖の山頂だった。 7:54到着。 奥聖の山頂だと示す山の札はまったくなかった。 岩にかすかに赤いペンキで奥聖と書いてあったのでその前で写真をとった。 黒ザックの人がもどったあと、ひとりで動画の360度を撮る。 三角点があることになっているが、正確には奥聖を少しもどったピークの上にある。 8:05奥聖出発。 ラジオでスペイン語講座と中国語講座を続けて聞きながら、ルートを前聖に戻る。 

薊畑から苔平へ

8:23前聖山頂。 もう一度、景色を楽しんだ後、名残はつきなかったが、帰りの時間もあるので山をおりることにした。 8:31出発。 ストックを使いながらガレバで石を落とさぬよう気をつけてくだって、9:13小聖到着。 給水休憩。 9:22出発。 薊畑におりる手前ですれちがった登山客が途中で水場がありましたか、ときかれたので細い水場のことを教えてあげた。 9:53薊畑。 きのう仁田岳へ登るときに一緒だった70歳の男性がテントを広げて乾かしていた。 自分もパッキングを整えて10:09出発。 10:53コケ平で切り株に腰掛けて休憩。約300m標高を下げただろうか、結構険しい道である。 10:56苔平を出発。 

大木広場で昼食

 11:50にへろへろになりながら大木広場に到着。 70歳男性もここで休んでいた。新潟から一人できたとのことだ。たいしたものである。  標高1720m。 少しやぶ蚊がいたが、ここで昼食にすることにする。 くつひもをはずして、お湯をわかしてラーメンをつくる。 周りはうっそうとしているので蚊はいるが数名は休めるスペースがある。 12:22出発。 急な斜面をおりて12:56に1400m地点。 ザックをおろして休憩。ここからは登山道が崩れていてトラロープにつかまりながら伸張に下りて行く。  ガレバの上は思ったより早く通過できた。

西沢渡のロープウエイ(加重150Kgまで)

  13:02出発。 樹林をジグザグにおりてくずれた営林小屋の周りには酒の瓶がたくさん捨ててあった。 小屋をまいて平坦な道を下ると沢に出る出会いで再び70歳男性にあった。 沢を渡るにはもう少し下流に行かないといけないということ。 13:35、ロープウエイのところにたどり着く。 まわりを見たが、地図に書いてあるような木の橋というのはひとつも見当たらなかった。 体力がへろへろになっているところで、ロープウエイを岸に寄せる労力は大変だったが、70歳男性と2人がかりで手繰り寄せていっしょにのって沢を渡る。 わたりきったところで休憩していたら、別の登山者が、ロープウエイを手繰り寄せようとしていたので協力してやる。 岡山から来ている69歳の人だった。 荷物は軽そうだった。 

便ヶ島広場

 無事に沢を渡ってからは土手の裂け目からのいい流水があったので水を飲んで、タオルを冷やして頭に載せる。 そのあとは林道を便ヶ島まで歩く。 途中、何箇所か崩れていたので、気をつけながらわたらなければいけないところがあった。 最後に林道を離れて急坂を下るとそこは便ヶ島。 14:30到着。 青木さんに挨拶して無事下山した報告とマカロニサラダのお礼を言って、便ヶ島山荘の前で写真を撮って後にする。 易老渡まであるこうとしたところで、岡山の人の車が追いついて、荷物をのっけって行ってあげるといってくれた。 易老渡の駐車場の一番手前の車の前においといてもらうよう頼んで軽くなって歩く。 前を行く、70歳男性は結局、車に乗せてもらったらしい。 
 

易老渡駐車場(ゴール)

 気分よく歩いて15:05易老渡に到着。 70歳男性が荷物を車に積んで私を迎えにこようとしていてくれたところだった。 駐車場には彼の車とあわせて4台が停まっていた。 荷物を片付けて15:30出発。 また長い林道を戻ることになった。 しかしくるときと比較するとさすがに落石は少なくなっているように感じたし、滝の水も少なかった。 発電所の手前でブルドーザとすれ違う。今日も土砂撤去の作業をしてくれるのだろう。 車道を来るときと違って遠山川沿いに取ったので時間はかかったが下りが中心なので走りやすかった。 

三遠南信自動車道(矢筈トンネル)

 喬木村では西に進むので夕方の日差しがまぶしかったし、少し疲れが出た。 17:14飯田ICの手前のSUZUYOで給油。 ついでにコインで自動で洗車もした。 高速に乗って、松川の手前あたりで夕立にあう。せっかく洗車したのに台無しである。  小淵沢でも夕立にあった。 19時すぎに日没となり、境川PAでまんぷく定食を食べる。 仮眠をしようとしたが、眠れそうもないので20時前、そのまま走り続ける。 渋滞は国立府中の工事を除いてまったくなかった。 21:40帰宅。 風呂に入ってテントをほして、23時就寝。


2度目の聖岳の登頂は、1988年の雨の中の登頂とはまったく違い、360度の展望を楽しむことができた。 1988年に登ったときは聖平からただひたすら大雨の中を何の景色もなく登ったが、今回は南アルプスのすばらしい稜線の姿を堪能した。 山容の大きさは南アルプスの中でも屈指の山だといえそうである。
(2010年8月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています