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五竜岳
五竜岳

基本情報
1 山名 五竜岳(ごりゅうだけ)
標高 2,814m (三等三角点?)
山域 飛騨山脈後立山連峰
都道府県 富山・長野
位置 N36.39.30/ E137.45.10 
地図 昭文社 山と高原地図35「鹿島槍・五竜岳」
2万5千分の1地図「神城」
20万分の1地勢図「高山」
7 山岳区分 日本百名山・甲信越百名山・信州百名山
登山記録
山歩No 1460-13038
登山日 2013年8月16 日(金)
歩程 7時間30分
天候 快晴
形態 前夜発小屋3泊縦走
アプローチ JR大糸線白馬駅ー川中島バス猿倉ー白馬山荘ー唐松岳頂上山荘
パーティー 2人

 五竜岳を目指すのは1986年以来27年ぶりである。 27年前大阪で勤務していたときに、8月に5日間の連続休日があった。 このときに、単独で縦走を試みた懐かしのコースである。 この時は、夜行列車で神城まで来て、遠見尾根をあがった。 台風の末端の雲がこの北アルプスに大雨を降らす中を登った。 翌日、台風一過の快晴の中360度の展望を思うままにした五竜岳の山頂であったが、今回はどうなることか。 何しろ、白馬岳からの長い縦走である。

唐松岳頂上山荘を後に牛首山へ

 唐松頂上山荘でトイレをすませて再び出発。 なくしたと思っていたハイドレーションの吸い口は小屋の前に落としていたのだった。 無事に回収して南を目指す。7:19発。 夏季に常駐している遭対協の若い係りの方が、これから先の牛首は岩場の難所なのでストックはザックに括り付けていった方がいいですよとアドバイスしてくれたのでその通りにする。 はたしてのっけから、鎖場の連続する緊張のコースで朝の渋滞ができていた。 中日ツアーズのみなさんが前にいたが途中で先に行かせてくれた。 山岳ガイドの高木さんはきびきびした声で参加者に指示を飛ばしていた。。

大黒岳

 8:30に大黒岳の鞍部で休憩。 ここの標高が2400mくらいなのでここから五竜岳までは400m以上上がらなければならない。まわりはお花畑が咲き乱れてきれいである。 8:42に鞍部を出発。 そこからゆっくり標高を上げていく。 天気は快晴で雲ひとつない天気である。 次第に日差しが厳しくなってきた。9:12見晴のよいところに来た。 そこから振り返ると、唐松岳と牛首岳の姿がよく見えた。 結構厳しいところを下ってきた。 谷筋に至るルートの上には動物の動きを観察する遠隔操作カメラが備え付けてあった。

五竜山荘

 東谷山に至る踏みあとを乗り越えるてひと登りすると、五竜岳を正面に眺めるところまできた。 ここが遠見尾根の終点白岳である。 この真下に、五竜山荘があった。 1986年の夏に一人で登ってきたところである。 五竜山荘はさすがに、後立山連峰の縦走路中の最大の基地だけあってたいそうにぎわっていた。 キレット小屋までの縦走に備えて、水を1L買い足しておく。 五竜山荘の看板は、五竜の雪形にちなんだ武田菱のマークがあった。 

五竜岳への厳しい登り

 さてここからは厳しい登り。 ガレ場を通過し、石をつかんで登るようなところもあった。27年前にここを登ったときは早朝だった。 前の日に、台風が通過したあとまだ大雨が残っている中をたった一人で遠見尾根を歩いて登った。 ほとんど途中で登山者にも会うこともなく、倒れこむように五竜山荘に着いた。 翌日、皆登山客が起きて出て行ってしまった後に、台風一過の朝日を浴びて輝くこの五竜の峰を目指した。 昨日の大雨が上がってテンションも上がっていたのだろう。 こんな厳しいルートだったことをまったく覚えていない。  

後立山連峰縦走路分岐

 五竜の山頂直下は岩場の厳しいのぼりだった。 登り切ったところが山頂だと思ったが、誰もいない。 おかしい、先ほど、若者三人組がわれわれを追い越して行った。 荷物からして縦走登山客ではないと思うので、山頂にいるはずなのだが。 疑問はすぐに解けた。 われわれが山頂だと思った場所は山頂ではなく、山頂へ行く道と、後立山連峰の縦走路との分岐だったのである。 

五竜岳山頂

 はたして3人組は山頂で昼食を食べていた。先ほどまで山頂が見えていたのだが、この時間になるとガスが上がってくるようで唐松岳方面の景色はもう今一つ雲に隠れていた。 26年前の地図では、五竜岳の山頂に、三等三角点があることになっているが、2013年版のエアリアマップには三角点がない。 どれなのか気が付かなかった。しかしあとで写真を見ると、過去に三角点だとされていた標石がなんと、山頂標識の後に倒されている。 これは、三角点が廃止されたということなのだろうか?国土地理院に照会してみたいものである。 12:00分岐まで戻って昼食。われわれが食事をとっているのも誤解を招いたのか、そこが山頂だと思って記念写真を撮影し始める後続パーティーもいた。ラーメンでお腹を膨らませて12:35に分岐を出発。 

G5下りの難所

 ここからがまた岩場の難所続きである。 前回、G4,G5ピークを通過するときなど、結構狭い岩の間をリュックが擦れたりした記憶があるので、不帰の通過の時のように気をつかうコースだ。 東側からはもう雲が沸いていて視界はあまりよくない。 鎖を頼りに慎重に足場を決めて降りる。 どうしてもこういうコースでは渋滞してしまう。 朝、早く冷池山荘を出て五竜小屋を目指す健脚の人などはちょうど、この危険な傾斜のところですれ違うことになるので、お互い落石には細心の注意を払いつつ通過することとなる。  

霧に浮かぶ鹿島槍ヶ岳

 岩稜だらけのルートではあるが、それでも、ところどころにイワツメクサが咲いていたりして目を慰めてくれる。 13:29にG5のピークに到着。 痩せ尾根を通過し、G7のピークを越えると地図の上の北尾根の頭というところになる。 14:32本当はそこで休んでいるつもりだったのであるが、実は自分たちが休んでいたのはその手前のG7ピークだった。 霧で先が見えないのでどうも距離感もくるってしまう。さらに進むと、霧が一瞬晴れた。 そこに姿を現したのが双耳峰を持つ鹿島槍ヶ岳の雄姿だった。 なかなか大変そうな登りである。

口ノ沢のコル

 右手方向の西側を見下ろすととてつもなく長い谷が見えた。 これが東谷であろう。 延々流れて黒部川下の廊下に水を流し込むのだ。 15:20に口の沢のコルで休憩をする。 ここが最後の休憩場所であろう。 あと1時間以内にキレット小屋に着くと踏んだ。 ちょうどそのころ南東方向に、もくもくとした雲が沸いて、ゴロゴロという音が聞こえた。 夏山で一番怖いのが雷である。 まだ、相当遠い場所だと思われるが早めに小屋につかないといけない。 前日、不帰の剣を過ぎたところで夕立にあったので、今日はレインスーツはザックの上のほうにいれてある。  

今夜の宿キレット小屋到着

 コルを過ぎて岩場を鎖に捕まって登りきるとヘルメット姿の若い男性がいた。 腕章をしており遭対協のパトロールの方だとわかった。 あと何人くらいが、小屋に向かっているのか偵察に来ていたみたいで、4人組のパーティーはどれくらい後にいるかと聞かれた。 われわれが五竜岳を出てすぐに追い越した若者だちのことだろう。20分くらい後かなと答えた。パトロールの方はあと15分くらいで小屋につきますから頑張ってくださいと励ましてくれた。 実際にはそれから30分歩いてやっと今夜の宿、八峰キレットの小屋が見えた。

キレット小屋の豪華夕食

 16:35キレット小屋に到着。 受付を済ませて二階の寝室スペースの案内されたところに行く。 荷物だけおいて何はともあれビールで乾杯。 小屋の前のベンチテーブルで飲むエビスビールのロング缶は最高の味だった。17時40分に小屋の夕食の時間、夕食は一度にさほど大きくない食堂で第二陣のクルーだった。 10名くらいが同時済ませることができた。 夕食のおいしさには定評のあるキレット小屋だけあって、てごねハンバーグバーグや、さばの味噌煮+ぜんまいなど心を和ませてくれる味だった。 たっぷりと刻んだキャベツが食べられたのも野菜不足の山の生活ではありがたかった。夕食後は食堂で日本酒「大雪渓」を楽しんで20時半就寝。

 五竜岳は日本百名山である。もちろん登って良しの山に間違いないが、今回新しい発見だったのは、麓の白馬駅から白馬。唐松・五竜・鹿島槍の姿をこの目で見たことである。 武田菱の雪の文様を見て、人びとは田植えの時期を図ったという。 それだけ、山が麓の人々の生活に密着していたということなのだろう。 それにしても、縦走するとなるとなかなか歩行に気をつかう山である。 小屋どまりで荷物を軽くしてつくづくよかったと思った。
(2013年8月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています