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幌尻岳
幌尻岳

基本情報
1 山名 幌尻岳(ぽろしりだけ)
標高 2053m (ニ等三角点)
山域 日高山脈
都道府県 北海道
位置 N42.43.09/ E142.40.58 
地図 昭文社 山と高原地図3「大雪山・十勝岳・幌尻岳」
2万5千分の1地図「幌尻岳」
20万分の1地勢図「夕張」
7 山岳区分 日本百名山・北海道百名山
登山記録
山歩No 1080-07022
登山日 2007年7月24 日(水)
歩程 第一日 10時間20分
第二日  8時間40分
天候 快晴
形態 テント泊1泊縦走
アプローチ 日高道から国道237号
パーティー 1人

日高山脈の盟主である幌尻岳(2052m)に登ったのは2007年7月のことである。 このときは仕事のはざかいの時期で時間的にも余裕があった。 山岳部の友人たちとトムラウシ・十勝・大雪山と3つの北海道にある百名山を登った後に仲間と別れて単独行動をとる。 

日高自動車道

7月23日15:49彼らを載せて走ったわが日産プレサージュは、千歳空港で彼らをおろした後、道央自動車道を南に走る。道央自動車道を苫小牧東から日高自動車道へと入る。 道路標識が行く手を示す地名は「新冠・浦河」である。 山を始めて約30年になるが、この聞きなれた「浦河」という地名に近づくのははじめてである。山に登るものは基礎的知識として天気図の読み方を習った。この天気図の観測ポイントの一つが北海道の襟裳岬近く「浦河」である。

山の駅ぽろしり館

幌尻岳に行くためには、ベースキャンプとなる町は平取町である。富川から国道237号線を北上し、今日の宿のキャンプ場を目指す。 北海道で要注意なのはコンビニといえどもガソリンスタンドといえども夜になると閉店することである。 日高自動車道を降りたところでガソリンスタンドを見つけて18時の閉店ぎりぎりに給油をすます。  晩飯も振内のセイコマートで買いもとめることができた。 この向かい側に道の駅ならぬ「山の駅 ぽろしり館」というものがある。 4月から9月までは幌尻登山案内事務所も兼ねているとの事である。登山道は入るルートを確認して電話で予約しておいたキャンプ場「にせう・えこらんどオートキャンプ場」へ向かう。
 

にせう・えこらんどオートキャンプ場

キャンプ場の受付で料金を支払う。 炊事場とトイレとそう遠くないサイトを選んでテントを立てる。 自販機があるのでビールを買いにいくと、管理人さんが近所の友人の方としゃべっていた。 明日、「幌尻岳に登るのですがクマの目撃情報とかありますか」 と正直に聞いてみたら「いや、北カールは見たって情報聞かないけど、南カールはおっかねえらしいよ。」 そこで私は南カールの場所を聞くと「七つ沼だよ!」とあっさり答えられた。 その七つ沼カールは明日、私が幌尻岳を登ったあとにテント幕営をする場所ではないか。 そもそも南と北の位置関係が逆になってるし。なんかそら恐ろしくはなったがかといってここまで来て登山を断念するわけにもいかない。最後にその方の「北海道のクマさんは本州と違って紳士だから、何か仕掛けなければあっちから攻撃してくることはないよ!」という言葉を信じることにした。夜、8時になるとキャンプ場の裏手にたくさんのホタルが集まってきていた。 あとにも先にも日本国内でこれ以上のホタルの大群をみたことがない。
 

林道第一ゲート

7月24日(火)翌朝は4:30に出発。 幌尻岳に登るもっともポピュラーなコースを行くのであるが、 中高年のパーティーであれば、幌尻山荘をベース2泊をベースにピストンというコースで行くこともあるが、私の場合は稜線上にテントを張って戸蔦別岳も登ろうを思っているがために、他の人よりと行動パターンが違うのかもしれない。 このコースでの一番の注意点は増水による徒渉困難という事態であるが、幸い、ここ数日これといった雨も降っていないのでその心配はなさそうである。国道237号から県道636号に入り、 豊糠で左折して案内標識に従い車で林道を進む。 この林道は北海道電力の管理のようでゲートから先は関連車両以外は入れない。 本ゲートの前2.5km地点にある仮ゲートの横に駐車場があり車を停めて歩き出す。 6:30. しばらく進むと本ゲートがある。 この横をすり抜けて進むが単独行なので、クマに鉢合わせしない不安である。 呼子の笛を鳴らしながら進む。


北海道電力取水施設

林道を歩き始めて約2時間半、 午前9時に北海道電力の取水施設前に到着。 この取水施設結構年季が入っている。 有人施設ではないようである。 林道はここで終点。 あとは幅の狭まった登山道を額平川の右岸に沿ってあがっていく。 20分ほど進むと、やがてその登山道もなくなりいよいよ渡渉地点となる。 赤いテープがついているので渡渉する目安の先はわかるので助かる。 登山靴をビニール袋に入れてリュックの上にくくる。 その上で、渡渉用の靴下と運動靴に履き替えて早速水に入る。 ガイドブックなどでは沢登りシューズをお勧めしているが、なかなかそれだけを買うというのも難しいだろう。 裏のしっかりした運動靴で紐がしっかりしたものであれば代用はできそうである。 自分は今回、捨てて帰るつもりの古い運動靴を持ってきたので、もしかすると靴底は結構磨り減っていたかもしれない。 

徒渉 15回

水の深さはくるぶしよりも上、膝よりも下というレベルだった。 流れが急に見えるところは選んで赤テープと違うところで渉る場面もあったが、 幸いバランスを崩してころぶこともなかった。 水の透明度は高くアメマスやヤマメが泳いでいるという。 渓流釣りのファンにはたまらないポイントなのであろうが。登山客の入るところにはやはり魚は集まらないのであろう。 渓流釣りをしている人もいなかった。 まあ、渓流釣りファンにあの2時間50分の林道歩きは酷だというものである。 渡渉回数は先輩のY.Iさんからは13回と聞かされていたが、数えたら15回あった気がした。 NHKの番組では20回といっていた。 時期は水量によっても異なるので渡渉の回数は違ってくるのであろう。 

堀尻山荘

取水施設を出てから2時間半、時刻は11時10分、ようやく幌尻山荘が見えてきた。 手入れの行き届いたこぎれいな山小屋である。 もちろん、こんな渡渉を重ねて登りついたところにある小屋なので寝具提供・食事提供はない。 本州からの登山客は北アルプスの山小屋と同じような感覚で何も持たずにくることもあるようなので気をつけてほしいものである。 ちょうど、時間的に登山客が少ない時間帯だったので、外の水場の脇のベンチで持ってきたパンを昼食に食べる。 小屋番のご主人にクマの出没情報について聞いてみる。 ここ数日で目撃情報はないらしいが、そうはいっても野生のヒグマの生息地なわけなので十分気をつけるようにいわれる。 特に、七つ沼にキャンプをするのは正規に認めたれたキャンプ場ではないので、できるだけ他のテントとあまり離れない位置を選らぶようにといわれた。 昼食を済ませて、小屋番の方に挨拶をして11:50出発。


登山道より戸蔦別岳タイトル

小屋の裏手から急な登山道となる。 北海道で特有のトドマツの林の中を進んでいく。 途中、クマに出会わないように時折呼子を吹く。 歩くこと1時間半、少し高台の尾根に取り付くと正面の景色が開けた。 ここまでまったく景色がなかったが、突如、北方向に戸蔦別岳の勇壮な姿が見えた。 ピラミダルなその姿は名山と呼ぶにふさわしい。 岩肌を橙色の岩が覆っているがこれはカンラン岩というものらしい。 昔、日高山脈が急激な隆起によって生成されたときの名残である。 日高山脈は火山ではなくプレートのぶつかりあいによって生じた山脈なのでそれは地質学的にも面白い情景を出しているそうだ。 カンラン岩のまわりには植物が生えにくいという特徴があるので日高は稜線上の縦走路の山並みがずっと見えるという。

北カールを見ながらお花畑を進む

命の水という細い水場を過ぎてさらに進むと、次第に展望がよく案って、南に開けた尾根を進むようになる。 ここに来て初めて幌尻岳の山頂が見えた。 大きな北カールが眼下に広がる大展望の中をエゾコザクラやミヤマアズマギクの群落の中を進んでいく。 山頂までや稜線を一歩一歩たどる。 近づいているようでなかなかまだ遠い。 途中で単独の下山者にすれ違った以外にはまったく人に会わない。雲は見渡すかぎりひとつも見えない。 太陽はまだ十分な光をさしている。稜線に出てから山頂まで2時間、本当は山頂まで直行したかったが14:45、さすがに疲れて休憩をとる。15時に再び出発。 稜線をひたすら進み、 新冠コースとの分岐を右手に見るとどっしりとした岩の上に幌尻岳山頂(標高2052m)の標識が見えた。 時刻15:48。
 

幌尻岳山頂

山頂に誰もいないと思ったら驚くべきことに、 若い男女が4名、山頂で休んでいた。 休んでいるというよりは仕事をしていたというほうが正しいだろう。 彼らは大きなVTRのカメラを担いで、レポーターが中継をしているところを撮影しているのだった。 おそらくTV放送の収録か市販DVDの撮影だろうか? このカメラを担ぎあげるのは大変な重労働だったろう。幌尻岳と書いてある山頂標識の前で写真を撮影しようとしたが、すでに太陽が西に傾き始めているために完全に逆光になってしまった。風は強いが、360度の展望である。北東には十勝の町も見えている。 まだここからテントを張る七つ沼カールまでは1時間ほどかかる。 15:50、先を急ぐことにする。


七つ沼カール

七つ沼カールまではくだりが急峻だった。 こらぼないように注意して下る。 カールに到着すると先客が3パーティーほどいた。 よかった。 クマの襲撃を受けたときに1人だったらどうしようと思っていたが、これなら、大丈夫である。 隣のテントの方に挨拶をする。 私のスタイルがニッカズボンにレトロな山シャツという昭和な格好だったのが気に入ってくれたようだった。「あの急坂をずっと軽やかに下ってこられるので見てみましたよ。」と夕食も終わっていっぱい飲んでご機嫌な様子だった。旭川の人だという。 ひとしきり山談義をして、「二ペソツはいい山ですから、ぜひ一度登ってください。」と推薦を受ける。 テントを張り終えて、水は一応煮沸して夕食の準備に取り掛かる。ジフィーズの牛丼の元だったが、調理中に突風が来て砂をかぶってしまったので洗いながら食べた。 夕闇迫る中ウイスキーをちびちび飲みながらテントに入って就寝。 クマ対策にテントの張綱に鈴をつけておいた。


戸蔦別岳でバックに幌尻岳の姿

7月25日(水)朝4:00起床。 朝食を食べて、太陽が山肌を照らし始める。 5:30歩き出す。 稜線までの直登が傾斜がきつく大変である。 20分かけて稜線にたどりつく。 そこから30分、ハイマツとカンラン岩のガレ地のあまり登山者の多くなさそうな縦走路を進む。 ここが日高山脈縦走路だと思うとわくわくする。7:00戸蔦別岳の山頂(標高1959m)に到着である。風が強いが雲ひとつない快晴である。 戸蔦別岳の山頂には、男性が一人テントを張っていた。 新得に住んでいる人で日高のバリエーションルートを登っているという。 西に目を転じると羊蹄山が見える。 彼もこの戸蔦別岳の山頂で羊蹄山が見えるとは思わなかったそうだ。 それくらい今日は視界が澄んでいる。 食事を済ませてテントをたたむと、彼はヘルメットをかぶりハンマーを持って「じゃあ、お気をつけて!」と明るい声で挨拶してエサオマントッタベツ岳からカムイエクウチカウシへ続く稜線(地図上はルートがない)を進んで行った。 やっぱり北海道で登山をする人は違う。

下山・戸蔦別岳からの稜線

戸蔦別岳を7:18出発。 ここから北戸蔦別岳への稜線を進み、 20分ほど歩いて、幌尻山荘との分岐に出会う。 西へのくだりへルートをとり、あとはハイマツの中をひたすら下る。 何度もジグザグを切っては高度を下げて行き、 2時間で沢に出る。 ここで山の姿を見上げて、日高の稜線とはお別れである。 渡渉を2-3度繰り返して10:21に幌尻山荘に到着。 また渡渉用の運動靴に履き替えて、 登山靴をビニールに入れてザックの上にくくりつける。来るときと同じようにおよそ15回の渡渉を繰り返し、今度は、登山客とも途中ですれちがったりしながらひたすら林道を歩いて、15時にゲートまでたどり着いた。 林道を歩きながらかの大群に襲われたのには参った。 自分の車をピックアップして振内方面へ向かう途中、2度ほど、鹿が林道を横切ったりした。  


日本百名山の中でももっとも奥深いといわれていた幌尻岳にこうして一人で登ってそしてクマに襲撃されることもなく無事に下山することができた。 天気はこれ以上ないといういぐらいの快晴ですばらしい登山日和であった。 山頂から見えた北海道の山々は目に焼きついている。 どうも聞くところによると、最近はとよぬか山荘までマイカーで行って、そこから料金を払ってシャトルバスで第一ゲートまで行ってくれるというシステムらしい。 ちなみに私がここを訪れた2007年の夏はとよぬか山荘はまだなかった。 とよぬか山荘の前身は、 豊糠小中学校であり、 2008年閉校なので私の登山時にはまだ学校として存続していたわけである。
鹿が林道に現れる村で育った子供たちは成人して今どんな暮らしをしているのだろうか。
(2016年4月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています