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基本情報
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山名 |
補陀洛山(ほらくださん) |
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寺名 |
六波羅蜜寺(ろくはらみつじ) |
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通称 |
六はらさん (真言宗智山派) |
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都道府県 |
京都府 |
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位置 |
N34.59.50/ E135.46.24 |
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住所 |
京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町 |
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区分 |
西国三十三箇所(弟17番札所) |
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参拝記録
山歩No |
8190-11013 |
登山日 |
2011年6月5 日(日) |
歩程 |
0時間45分 |
天候 |
曇り |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
JR東海道線京都駅北口より京都市バス206系統「清水道」下車 |
パーティー |
1人 |
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2011年6月5日(日) 西国三十三箇所めぐりは、珍しく順路どおりの16番札所「清水寺」から次の17番札所「六波羅蜜寺」というコースをたどることになった。 6月3日(金)の夜に仕事が終わって新宿西口から夜行バスに乗って、6月4日に、総勢20名で大台ケ原山に登山。 ここで33年かかって念願の「日本百名山」を登頂達成。下山後、車で移動した入之波温泉「山鳩湯」で宴会をして泊まり、翌日仲間と別れて帰京する前に、京都駅で下りて、今度は西国三十三箇所めぐりである。 清水寺を詣でたあと、この旅の最後の訪問地ここ六波羅蜜寺へ徒歩でやってきた。。 |
松原通
清水寺から歩いてくる道は、清水道をひたすら下り東大路通りにぶつかってからそのまま横断歩道を渡って松原通りを西に進む。 六原小学校の手前を曲がって南に行くとすぐ右手に大きな塀で仕切られた寺の境内がある。 ちょうど、松原通りを歩くと、角に、三十三箇所の道しるべがあった。 清水寺の前の清水坂や茶碗坂と違い、こちらはまるで観光客がいない。 お土産物を扱うお店などもなく、松原通りには、普通の八百屋や小間物屋があるだけで古きよき京都市内の景観をそのまま残している。
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六波羅蜜寺門柱
寺の歴史を見ると「六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。」と記載されているので、平安時代の建立である。 「上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。寿永2年(1183)平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。」ともあるので、ちょうど源平の戦いもこの寺社は見てきたということになるだろう。
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本堂側面
六波羅蜜寺は、名称は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。 確かに、地図では、この寺の北側にある小学校は、六原小学校となっている。古い校舎をもつ風情のある小学校にみえた。 ちなみに明治2年以来の歴史を持つ学校であったが、2011年の4月に2011年4月、白川小・新道小・清水小・東山小及び洛東中・弥栄中とともに、5小学校2中学校が合併し、統合により京都市立開睛小中学校となった。都心部校の常として近年は児童数減少が著しく、最多の1956年に児童数1,070名だったのが、2007年5月1日現在で72名まで落ち込んでいた、という。 少子化の流れはたいそうな勢いである。 |
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本堂正面
平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近である。奇しくも2011年のNHK大河ドラマは「江」で戦国江戸時代のストーリーであったが、これから始まる2012年は「平清盛」である。 この場所も、おそらく2012年にはたくさんの人たちが、来るのであろう。 清水寺ほどではないにしても。 平家の屋敷としてはもう少しおおきなったのであろうが、江戸時代までは大伽藍を連ねたが、明治維新の廃仏毀釈を受けて大幅に寺域を縮小したようだ。現在、寺の周囲は民家に囲まれて境内は狭く、主な建物は本堂(南北朝時代、重文)と弁財天堂、宝物収蔵庫のみである。。
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六波羅蜜寺の由来
今回、見学しなかったが、この寺には国宝の本尊(十一面観音立像)以外にも、空也上人像、伝・平清盛像、運慶の真作と見なされる地蔵菩薩坐像など日本彫刻史上著名な仏像、肖像があるらしい。これらは宝物収蔵庫(公開)に安置されていて公開されているそうなので、おそらく大河ドラマの中でも紹介されるであろう。
このお寺にまつわる話としては文化財損傷問題 がある。 2009年4月に、小中学校の新校舎建築工事に絡んで実施された、隣接する中学校舎の解体工事で、同寺の収蔵庫内に保管されている空也像が振動で揺れるなどの苦情が、同寺から京都市教育委員会に寄せられた。同市教委は、振動防止用の台を設けるなどして工事を継続し解体を完了した。 町の真ん中にある寺ゆえの問題なのだろう。
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大谷本廟
参拝を終えて、徒歩で南側の五条通=東海道まで出る。 京都駅行きのバスは南北に東大路通を走る路線であったので、結局五条坂の停留所まで歩くことにする。 途中、大谷本廟に寄って参拝してみる。 ここは西本願寺の親鸞廟所である。 大きな庭園を有して落ち着いたたたずまいであった。
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久しぶりの京都見物であった。 帰りのバスも立っているスペースがまともにないほどの混雑ぶりであったが、まあ、時間が時間だけに仕方がない。 山仲間がくれた、日本百名山登頂達成の横断幕をリュックにくくりつけていたので、バスの中の乗客に少々迷惑だったかもしれない。1985年に音羽の滝で水を飲んだおかげで元気で日本百名山の登頂をはたすことができたのかもしれない。。
(2012年1月 記) |
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