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基本情報
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山名 |
石光山 |
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寺名 |
石山寺 |
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通称 |
東寺 |
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都道府県 |
滋賀県大津市 |
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位置 |
N34.57.37/ E135.54.20 |
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住所 |
2万5千分の1地図「瀬田」
20万分の1地勢図「京都及び大阪」 |
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区分 |
西国三十三箇所 |
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参拝記録
山歩No |
8140-12053 |
登山日 |
2012年12月9日(日) |
歩程 |
1時間30分 |
天候 |
晴れ |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
京阪電車京津線石山寺駅下車 |
パーティー |
1人 |
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石山寺は山岳部の2012年の納山会の帰りに寄った。京都まで夜行バスで行ったが、残念ながら悪天のため、計画していた青葉山登山は中止。 そこで、自分は単独で京都から比叡山に登って、延暦寺を見学。 下山してから京丹後市間人での納山会に合流した。
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比叡山を下りて、宮津へ
12月8日(土)雪のぱらつく中を比叡山に登った。 往路は夜行バスで京都まで入ったので、京都側からの登山になった。 地下鉄の松ヶ崎で下車し、叡山電鉄の修学院を経て雲母坂を登った。 およそ2時間ほどのハイキングであったが、晴れて景色を眺めることもできて楽しい朝の散歩になった。 延暦寺に下山した10時半にはかなり雪が降り始めており見通しも悪いので坂本ケーブルに乗車して下山。12時半にJRの比叡山坂本駅から京都にもどった。京都駅を13:20に出る高速バスに乗車。 山岳部に仲間が待つ間人の民宿を目差す。 京都は晴れていたが、京都縦貫自動車道を通ったバスが
大江山トンネルを通過したころにはまわりに相当な積雪があった。宮津天橋立ICでバスは高速を下りる。このあたりではしんしんと雪が降り積もり、あたりは真っ白だった。 天橋立も雪の中だった。 |
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民宿「よし鶴」にて山岳部の納会
終点の間人に17時に到着。 「よし鶴」のおかみさんの軽自動車で連れて行ってもらう。風が強い海岸線を宿まで送ってもらった。
「よし鶴」では山岳部の仲間で大阪から直接電車で来た人たちのほとんどが先に到着していた。着替えて源泉掛け流しの風呂に入る。露天風呂は外気が冷たくひんやりと気持ちがよかった。 18時から宴会がスタート。焼きガニと鍋、最後に雑炊。 甲羅に入れて飲む日本酒がうまかった。
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網野駅-除雪車も出動
12/9(日)朝7:00に目覚ましで起床。 朝風呂に行って、8時から朝食。 車で帰る人たちと別れて8:50に宿を出発。 9:15に網野の駅についた。昨晩の間に相当雪が降ったようで、駅前の道路では除雪車が出動していた。9:27はしだて2号京都行きに乗車。 切符は1500円の一回特急を買うのが安いと聞かされた。ちびちびウイスキーを飲んで話をしていたが途中で寝てしまった。 大阪組は皆福知山で乗り換えたのでずっと乗っていく自分とここでお別れ。 最初京都まで行くつもりでいたが、地下鉄の便を考えて二条で下りることにする。 車窓からは保津川のトロッコ列車の軌道や川下りの船が見えたりして新鮮であった。
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北近畿丹後鉄道に乗車、京都へ
12:02二条到着。 駅を降りて北に進むと、二条通りがあり地下鉄の東西線はこの下を走っている。いったん三条京阪で下車して、京阪大津線乗り放題の切符を買うにはどうしたらいいのか地下鉄の駅員に聞いて、いったん改札を出してもらう。 京阪三条のインフォーメーションコーナーで「湖都・古都おおつ1day切符」を500円で購入。 変な話であるがその切符を持って再び地下鉄の有人改札を通してもらった。 京阪京津線といえば、三条から蹴上の坂道を登っていく路面電車の姿が今でも脳裏に焼きついている。 もう15年も前に廃止路線になっていたなんて月日の経つのは早いと改めて感じた。地下鉄のホームで待っていると今度は浜大津行きの電車が来た。 電車の中に古の京阪電車の古い車両を偲ぶ写真が飾ってあったので思わずその写真を撮ってしまった。
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京阪電車石山寺駅
浜大津到着13:00。下りたホームで石山寺行きを待つ。 入線してきた電車は往年の京津線を思い起こさせる2両編成の路面電車であった。 ありがたやありがたや。 早速それに乗って座って終点の石山寺まで行く。石山寺駅下車が13:10。 帰りの時刻を確認する。 そこそこ10分に1本ほどの本数がある。 安心して石山寺へ歩き始める。途中、東海自然歩道の伽藍山への登り道との分岐があったりして思わずハイキングファンの一人として見入ってしまう。 本当は時間があればここから第12番札所の岩間寺へ歩きたいところである。今日はこのあと三井寺へも行くつもりであるからそんなに時間がない。
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石山寺仁王門
石山寺までの歩道は近江大橋を見ながら瀬田川に沿って歩く気分のいいルートである。 懐かしい赤と白のツートンカラーの京阪バスが道路を走っていた。ルートは参拝者が多いシーズンのことを想定してか、広い歩道がある。 その広い歩道の際に業務用の車両が走る大きな車道もある。途中、石山温泉の建物が並んでおり、紅葉が色づいている。石山寺の山門は仁王像のある立派な門である。 但し、門は川に向かって立っているので、駅から参道を歩いてくるとへは山門をくぐり大人500円の拝観料を払って入場(あとでわかったことだが、「湖都・古都おおつ1day切符」を提示すれば100円引きになったのだった。 知らずに残念。) |
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比良明神影向石
天平勝宝元年(749年)東大寺大仏造立のための黄金の不足を愁えた聖武天皇が、ここに伽藍を建てて如意輪法を修すようにとの夢告を受け、良弁僧正を開基として開かれた由緒ある寺院である。
まずは両側に拾翠園や公風園といった庭を見ながら参道を進む。 道の中央に「比良明神影向石」と書いた立て札がある。 石の上に竹の板がおいてあるのでわかりにくいが、これが神石で、石山寺の起源らしい。 長い石段を上がっていく。階段の脇には石山寺と記載された提灯が連なっている。階段の上がり口には「神木」と記された大きな杉の木があって締め縄が巻かれている。
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珪灰岩
階段を あがりきったところが境内になっており右手に観音堂・その隣に毘沙門堂と2つのお堂が整然と並んでいた。ご本尊の「兜抜毘沙門天」の言われは、亀谷禅尼(頼朝の乳母)の夫中原親能がこの兜抜毘沙門天の加護に依り凶族を退治したと言うと立て札に書かれていた。 それぞれお参りして本尊を眺める。 そこから突き当たりには、高台になったところに多宝塔があり、その手前にはこの石山寺の名前の由来となった大きな岩天然記念物の「珪灰岩」がある。立て札に「吹き出した花崗岩の熱作用で、石灰岩が変性したものである。 の人がこの不思議な石に接して、霊石とあがめ、観音様をお祀りし、石山と名付けたのもうなずける。」との記載。 急峻な山岳地帯ならまだしも、川に近いこの丘陵の寺にあるとは面白いと興味深く見つつ本堂への階段を上がる。
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本堂舞台
本堂は立派なつくりである。懸架木造最古のもので内陣は平安中期の外陣は桃山時代に淀君によって修補されたといわれる。大きな舞台になっていて山側に張り出している。 本堂でおまいりして、納経に朱印をもらう。本堂の横手に、ご本尊を見ることのできる厨子がある。 本堂の横には紫式部の間があって、そこにロボット紫式部がいて説明をしてくれるつくりである。かつて紫式部がその窓から十五夜の月を眺めたときに、霊感をうけ源氏物語の構想を得たと伝えられている。そこからあがると三十八所権現社本殿。 その下には腰掛石というのがあって、そこに座ると安産できると伝えられている。 自分が訪れたときには回りに、これからお産をするであろうという年代の女性もいなかったので、誰も座っていなかった。
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多宝塔
その後、坂道をあがり宝殿と、めかくし石を見た。 めかくし石は父母を亡くした子供が目隠しをして歩いて行き、これをつかまえると、死後にあの世で父母の逢えると伝えられているという。 さらにその裏手の坂を登っていくと梅園があり菅原道真がこち吹かばと呼んだといわれる場所がある。 多宝塔はこの梅園の下にある。 源平の乱にあたって源頼朝の命を受けて戦った中原親能は、石山寺の毘沙門天に戦勝を祈願し、事の成就に感謝して勝南院を建立。このとき源頼朝は、乳母であり親能の妻でもあった亀谷禅尼の請によって、多宝塔(国宝)、東大門、鐘楼などを寄進したと伝えられている。 梅園よりさらに先に進んだところに石の宝篋印塔二基がある。源頼朝とその乳母の亀谷禅尼の墓とされている。 この寺は紫式部や淀君といった歴史上の女性だけでなく、源氏とのゆかりも深い寺であるのだと、改めて知る。 多宝堂の横から心経殿を通りそこのもみじがとてもきれいであった。
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近江八景「月見亭」
月見亭の横から見る瀬田の唐橋も見事な眺めであった。月見亭は近江八景「石山の秋月」のシンボルとなっている。 確かに夜ここに来て川を挟んで東の空に満月でも見たらさぞ風流なことであろう。 帰りは、梅園の横から下り専用のルートがある。下りきると大黒堂に出た。出口に近い拾翠園には休憩所も併設されているようだ。 中をのぞくと東屋と自動販売機が並んでいた。 その隣の洛侠院には、大津氏のゆるきゃら「おおつ光ルくん」というのが帰る人たちを見送るように立っていた。 日本全国にいろんなゆるキャラがいるものである。 仁王門から外に出ると、帰る途中に、池があって餓鬼の銅像があった。ちょっとどぎつい姿なので、小さな子供などはこれを見たら夜うなされるのではないかと余計な心配をしてしまう。 歩いて駅まで戻り、今度は坂本行きの電車に乗車。
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石山寺の本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている。 幸い石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの貴重な文化財を多数伝存している。古の歴史をしのぶ価値のある参拝となった。
(2012年12月 記) |
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