日本山歩日記 本文へジャンプ
竹生島宝厳寺
竹生島宝厳寺

基本情報
1 山名 厳金山
寺名 宝厳寺
通称 竹生島宝厳寺(ちくぶじまほうごんじ)
都道府県 滋賀県
位置 N35.25.24/ E136.08.37 
住所 昭文社 山と高原地図「-」
2万5千分の1地図「南浜」
20万分の1地勢図「岐阜」
7 区分 西国三十三箇所
参拝記録
山歩No 8330-14023
登山日 2014年6月1 日(日)
歩程 2時間00分
天候 晴れ
形態 日帰り
アプローチ JR北陸本線長浜駅南口より長浜港
パーティー 1人

大阪の山岳部メンバーで5/31に滋賀県湖北の赤坂山に登る企画が組まれた。 悪乗りして皆で下山後、賤ヶ岳に立ち寄り、関西百名山の梯子をしてしまった。自分一人で皆と別れ、余呉湖のほとりの余呉ふじとぴあに宿泊。 

余呉駅と快速列車

朝、余呉湖に昇る朝日で目が覚める。 5:30に起床。昨夜は夜行バスの疲れでテレビを見ている最中に眠ってしまった。 7:00に朝食を食べておかみさんに駅まで送ってもらう。 余呉湖のほとりには朝から釣りを楽しみ人たちが何人かいた。 今の時期は何が釣れるのであろうか? 駅まで15分。 余呉湖の駅は懐かしさがいっぱいであるが、でもこの駅で乗降車するのは初めてである。 昔、父親の実家の金沢に行くときに北陸本線で通過した。その時見た余呉湖の風景が懐かしくて、先日敦賀の野坂岳に登った時にもこの駅の写真を撮影した。

長浜港

余呉駅から新快速に乗って長浜へ。 駅を出て長浜港を目指す。 ここから9時の始発の琵琶湖汽船の竹生島クルーズに乗船するのだ。 乗船料金は往復で3070円、上陸時間は80分である。 公園の横を通って長浜港まで徒歩で10分ほど、天気がいいので、歩いていても風が気持ち良い。長浜港の乗船場に到着すると既に50人くらいの観光客が乗船を待っていた。 船の定員は数百名であろうから特段問題はないのだが、待合所がとにかく混雑していた。 竹中半兵衛も信仰した竹生島という看板が立っていた。

竹生島到着

船は弁天号。 9時ちょうどに出港、およそ30分で竹生島に到着する。 音声ガイダンスに従って琵琶湖の自然や歴史がアナウンスされる。やがて、湖北を特集したDVDの短編記録が上映される。 前のほうの座席に座ったので、楽しくDVDをたのしむことができる。 9:30に竹生島に到着。 下船する。 土産物では店員がしゃかりきに呼び込みをしている。 ここは島に入るのに入場券を買わなくてはならない。 

宝厳寺への階段

入場券を買って島に入るといきなり長い石段がある。 宝厳寺に続く百八段の石段である。 結構急な階段なので足腰の悪い方にはお勧めできない。 階段を登りきると寺内最大の建物である本堂が左手にそびえる。本尊弁才天像を祀る江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁財天」の一つである。朱塗りの建物にはたくさんのお参りの人がいた。 本堂の西側には社務所があり、そこに納経所もある。自分は本堂にお参りしたあと、先に納経所にいったが、本当は観音堂に行ってから納経所で捺印してもらうのが本来の三十三か所めぐりのルールだろうか。

三重の塔

本堂の上には見事な三重の塔がある。この建物は平成12年5月に江戸時代に焼失したといわれる建物を再建したものである。 神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりだという。   

唐門

三重の塔から下に下っていくといよいよ国宝「唐門」がある。 この『唐門』は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものである。 国宝であるにも関わらず、内部には心なき人による千社札が張られていた。唐門の上部に見事な彫刻がある。 

舟廊下

唐門に続いて千手観世音菩薩を納めた観音堂がある。こちらが本当の西国三十三所の第三十番の札所で、重要文化財である。 こちらにもお参りをする。 ここか舟廊下をわたっていきついたところが、都久夫須麻神社だ。廊下は朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船として作られた日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたところから、その名がついている。 現在、修復工事をしているので全貌を外から見ることはできないが、廊下を渡ることはできた。  

都久夫須麻神社

都久夫須麻神社でお参りをするとそのしたでかわらけ投げをするのが定番のようである。 小皿のかわらけを2枚買って、名前と願掛けを書いて湖の鳥居に向かって投げるのである。 おっさんが一人でやるのも不気味なので私はやらなかったがたくさんの人がトライしていた。 神社の裏手からは湖岸に降りる石段が続いている。 神社の物資を運ぶための船着場だろうか、それともモーターボートに乗って参拝に来る人がいるのだろうか?

湖岸の船着場

北の葛籠尾崎との間には湖底遺跡があり、水深70メートルほどの湖底から多数の土器が引き揚げられている。この土器は非常に古く、且つ時代の幅も大きいもので、縄文時代早期から弥生時代、果ては中世にまで及ぶと考えられている。このような遺跡は世界でも類がなく、沈積原因は今なお大きな謎に包まれているという。 本当にパワースポットにふさわしい場所である。 

長浜港へ戻る

80分間の島での滞在を経て10:20に乗船する。 帰りの船でも同じ位置に座って、上映される湖北のDVDを楽しんだ。 長浜港には30分で到着。 下船して、再び長浜駅へ向かって歩く。 再建された長浜城の建物の中に長浜歴史博物館があり、黒田官兵衛にちなんだ展示をやっていると聞いて寄り道しようかという気になる。 しかしながら、今日はまだ金糞岳に登るという大きな宿題がある。 博物館は次回によることとして、昼食の弁当をコンビニで買って駅前のレンタカー受付を目指した。


竹生島は葛籠尾崎の南約2キロメートルに位置する無人島である。 多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。金糞岳(標高1317m)は滋賀県2位の高峰で、最高峰の伊吹山(標高1377m)は、竹生島の高さを差し引くと本当は2番目だったというわけである。竹生島神社には浅井姫命も祀られている。本当に神秘の島である。 この島は三十三か所の札所として今回立ち寄ったが、次に行く目的地が浅井岳だというのも何かの縁だろうか。
(2014年6月 記)

 日本山歩日記WEBトップ
地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています