 |
 |
基本情報
1 |
山名 |
顔振峠・黒山三滝 |
2 |
標高 |
500m (顔振峠) |
3 |
山域 |
奥武蔵 |
4 |
都道府県 |
埼玉県 |
5 |
位置 |
N35.55.35/ E139.14.44 |
6 |
地図 |
昭文社 山と高原地図22「奥武蔵・秩父」
2万5千分の1地図「正丸峠」
20万分の1地勢図「東京」 |
7 |
山岳区分 |
関東ふれあいの道
(埼玉県11「義経伝説と滝のある道」) |
|
|
登山記録
山歩No |
7S110-120434
|
登山日 |
2012年10月27 日(土) |
歩程 |
3時間45分 |
天候 |
曇り時々晴れ |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
関越自動車道鶴ヶ島ICより県道61号経由黒山 |
パーティー |
2人 |
|
 |
|
 |
|
|
今年2012年のNHK大河ドラマは「平清盛」である。 源氏と平氏の戦いを描いた作品はこれまでにもあったが、今回のストーリーは貴族の世から武士の世に時代を変えた平清盛の功績を宿敵である源頼朝が回想する構成になっている。 源頼朝は自分の実家の裏の神社の守り神であり5年に一度境内で流鏑馬が行われる。つい2週間前にたまたま今年がその流鏑馬の年に当たっていたので帰省がてら見物をしてきた。 そうなると、頼朝つながりで悲運の貴公子頼朝の弟の義経にゆかりの土地もいってみたくなった。 京都に出かけて鞍馬寺に訪問するのがオーソドックスなのだが、今月は北海道遠征で体力と資金を使い果たしたので少し遠出を控えざるを得ない。関西行きは12月のお楽しみとして、近場でいける義経伝説のある埼玉の顔振峠・黒山三滝を日帰りで歩いてみることにした。 関東でもハイキングにはちょうどいい気候になっている。本来の関東ふれあいの道は西武線の吾野駅からのルートになるのだが、今回は朝ゆっくりの出発になったので車で黒山から周遊コースをとることにした。 |
越生梅林
10/27(土) 朝6:00すぎに起床。 7:30に出発をする。 山へ行く方面は紅葉がきれいだということもあり、高速道路はもちろん、そこへアクセスするための都内の道も渋滞していた。 9:00にやっと練馬ICから関越道に乗る。9:40に三芳PAでトイレ休憩をする。 びっくりするような数の観光客の数である。 貸切バスのツアーと思われる中高年の集団がトイレにいっせいにつめかけて収拾がつかない状態だった。いざ車を発進させてPAから本線に出るのにも大変な行列。 高坂SAからずっと渋滞していると聞いたので、鶴ヶ島JCTから圏央道に入り圏央鶴ヶ島ICで下りる。 車をナビの誘導するほうに進め、ICを出て県道39号を東武越生線の一本松の駅をとおりすぎて、東毛呂のセブンイレブンで昼食の買出し。 上野から県道30号に入り、のどかな田舎道のようになったところを北に進む。 越生の町役場を過ぎてしばらく行くと、黒滝入り口の表示が現れた。 ここで左折して2-3分いくと、越生梅林の標識が見えたので、いったん車を停めて写真撮影だけする。 もちろん梅の花は咲いているはずもないのだが。 |
 |
黒山熊野神社
梅林を離れ県道61号をさらに山に向かって南西に進んでいくと、11:23黒山に到着。熊野神社の前の無料駐車場に車を停めて出発の準備をする。 11:38歩き出し。 熊野神社でおまいりをするがエアリアマップに出ている熊野神社ははるか離れたところだったので、少し不安になるが、バス停があるので間違いはないだろう。 少し歩いて黒山の交差点。 黒山鉱泉側に少し入ったところに公衆トイレがあるので使わせてもらう。 黒山の交差点から車道をあがっていく。 飛騨観光陽山亭という埼玉県で唯一の合掌造りの田舎料理を出すお店がある。さらにその奥に、車道と分かれて、顔振峠に行く登山道を示す道標が現れた。ここからの道は、どちらかというと植林整備道のような感じで道幅も広く歩きやすいルートであった。 |
 |
顔振峠
最初は傾斜も緩やかであったが、やがて、標高を稼ぐようになっていく。確かに、登りだし口は標高55mくらいしかなかったので、最高地点までは500mくらい登ることになる。 40分くらい歩いたところで途中でいったん腰をおろして休憩する。 3組くらいの下山者とすれ違う。13:00に顔振峠に到着。 なんと、登山道を乗り越えるとそこには車道がつながっており数台の車が駐車してあるのを見ることができた。 土手の上には富士見茶屋というのがあって、展望を楽しみながら宴会らしきものをやっているハイカーもいる。 道の下にある平九郎茶屋に入る。この茶屋のすぐ東側に、吾野から登ってくる道が続いている。 茶屋の母屋の奥には軒先があって、そこでは団体で宴会でもできそうな おかみさんがあったかいお茶を入れてくれたので、味噌田楽と月見そばを頼んでほっと一息つく。 無料サースのかぶらの漬物もおいしかった。 |
 |
雨乞塚
13:20出発。峠にある案内板によると、平安時代、源義経が京落ちで奥州へ逃れる際、あまりの絶景に何度も振り返ったため、また、その際のお供の武蔵坊弁慶があまりの急坂に顔を振りながら登った等が名前の由来になったと説明されている。 そこから再び登山道に上がり、南東に7-8分歩くと展望台に出る。 ここは雨乞塚と書かれた展望ポイントだった。 北方面に東松山・嵐山の町が見えている。 名古屋から来たアマチュア無線の交信をしている人もいた。写真だけ撮って、展望台をあとにする。 ここからは車道に沿って、傘杉峠までハイキング道が続く。関東ふれあいの道の見慣れた看板も現れた。最初間違えてお墓に続くルートを通ってしまった。 ここは平九郎茶屋のご主人の先祖のお墓のようだった。 今でも奥武蔵の山に囲まれながら茶屋を見守っているのだろう。 坂を下りて車道に戻って進む。
|
 |
稜線縦走
2-3分歩くとデッキからの眺望が抜群と評判の高いピザのお店ベラビスタの看板が見えてくる。 ハイカーではなく、ドライブで来たカップルや家族連れが喜ぶかなというようなお店の概観だった。8人くらいの団体のハイカーとすれ違い、さらに進むと車道と分かれて稜線上を進む道になる。道はよく整備されており歩きやすい。 車道に入って15分ほど歩くと、右手に役の行者の像に至る道との分岐が現れた。こちらの道は下りになっているので、役の行者の像は立ち寄りたい魅力を感じるものの、いったんそこまで行くと登り返しが大変そうに思えてやめる。分岐を過ぎると道は登り坂となっている。 622mのピークのマークが地図にあるが、取り立てて三角点や見晴らし台があるわけではなかった。 14:30左に折れてくだるところの手前にベンチがあったので、そこに腰をおろして休憩。 さきほどそばを食べたが小腹がすいたのでEPIでお湯をわかして持ってきたカップめんを作ることにした。
|
 |
傘杉峠
14:50に車道と合流したので見るとそこが傘杉峠だった。ここから先の進路には関東ふれあいの道の次のコースである「グリーンラインに沿った道」の案内図があった。 とりあえず、関東ふれあいの道のコースではここから花立松の峠に向かって展望台のところまで歩くようなルートになっているので進むことにした。 傘杉峠から北西に今日一番かなと思われるような急な登りのコースになっている。なぜか太陽は指しているのにぱらぱらと小粒の雨が降り始めた。 ラジオで和民会長の渡辺美樹が5年後の夢を語る番組を落語家の立川志の輔と対談している。 世界に通用する新作をつくりたいという志の輔の夢は厳しかった師匠の立川談志の思い出話ともあいまって興味深いものだった。
|
 |
黒山展望台
15:30に花立松の峠に到着。 ここからも黒山方面に下りる車道が続いていた。少し黒い雲がでて関八州展望台の方角は天気が悪そうに見えた。 結構ここから関八州展望台までは標高がありそうだった。 本日のルートはここまでと決めて、来るとき通った稜線沿いの山道ではなく車道を戻ることにする。少し紅葉が始まった林を眺めながらやや下りの道を歩く。 200mほどいくと分岐があり、黒山展望台の標識があった。 展望台は車道の曲がり角にある尾根の張り出しに階段と見晴台を設けただけのものだったがあがってみると薄曇りの空の下に東松山・嵐山の町が見えた。ベンチに腰をかけてせんべいをかじる。5分ほど休んで出発。 そこから先ほどの傘杉峠まで戻り、写真を撮って、黒山へと下る道をたどる。
|
 |
黒山三滝
道はジグザグに高度を下げていく。 一般的な登山道で、往路に顔振峠まで登った道に比べると幅が狭い気がした。やがて水場が現れるようになり、それが小川となっていく。 沢の音が聞こえると、黒山三滝を眺める東屋が現れた。 ハイカーが一人休憩しておられた。 東屋の右手に滝つぼに下りる道があった。 暗い谷あいの道だが下りてみる。 なるほど、白い水の流れが見えた。 これが天狗滝であろう。 東屋まで戻り、今度は茶店のあるほうへ下りる。 こちらが黒山三滝のメインである男滝・女滝に至る道だった。 店主がそろそろ片付けを始めている茶店の横を通り滝に至る。 黒山三滝の看板をバックに写真を撮る。 これが、関東ふれあいの道の踏破証明書となるのだ。 上の男滝は落差10m、下の女滝は落差5m、両方の滝を見ることができる朱塗りの橋は夫婦橋というようだが、その名のとおり、橋の上には初老のご夫婦が滝を鑑賞していた。 |
 |
黒山鉱泉館
ここから下ったところに渋沢平九郎自刃の地の碑がある。 彰義隊脱退者で結成した振武隊のメンバー、渋沢栄一の弟だった平九郎は飯能戦争で官軍と戦い敗走、顔振峠を越えていくも黒山村(現埼玉県入間郡越生町)で官軍に捕捉され割腹して自害した。わずか22歳。関東ふれあいの道は義経伝説のタイトルが冠されているが、義経が頼朝に京を追われて欧州に逃げたルートは関東経由ではなく北陸経由だという説が有力であることも考えると、義経伝説よりもこの平九郎の史実のほうが涙をそそるお話だといえよう。 こぎれいな黒山鉱泉館の建物の前を通って出発点である黒山三叉路に到着。
|
 |
黒山三叉路
東上閣では、日帰り入浴もやっている。 今回は少し時間が遅くなったので、入浴はパスして帰ることにした。16:50に車を発車した。 まだ駐車場には数台の車が残っていた。 ナビの示すとおりに関越は鶴ヶ島ICから乗る。 帰りの高速は幸いさほど渋滞していなかった。 関越道の渋滞ポイントは、本庄・嵐山あたりなので、自分の乗った鶴ヶ島より西ではもう少し混雑していたかもしれない。 自宅まで混雑していなければ正味二時間のルートなので途中休憩もせずに一気に走り、19:30帰宅。
|
 |
関東ふれあいの道の埼玉県のコースは奥武蔵の素晴らしい樹林と触れ合うことのできるものが多く大変気に入っている。東西に長い県でありながら、コースは高崎線の本庄駅から青梅線の川井駅へと南北に縦断している。 今年は、6月の「下久保ダムを望むむ道」と、今回の「義経伝説と滝のある道」の2つを歩いたが、どちらも楽しいコースだった。 そういえば、今年初めて登った山「笠山・堂平山」のコースも下山が白石峠経由だったので、関東ふれあいの道の埼玉5「大霧山の登る道」とコースが一部重なっていた。来年も天気のよい日を選んで思いついたら埼玉奥武蔵を歩くということを2-3コースやってみたいものである。
(2012年11月 記) |
|