日本山歩日記 本文へジャンプ
京浜島
京浜島

基本情報
1 山名 京浜島(けいひんじま)
標高 21m (京浜大橋)
山域 東京湾人工島
都道府県 東京都
位置 N35.34.11/ E139.45.54 
地図 2万5千分の1地図「東京国際空港」
20万分の1地勢図「東京」
7 山岳区分
登山記録
山歩No TK55-21006
登山日 2021年3月27 日(土)
歩程 2時間50分
天候 晴れ
形態 日帰り
アプローチ J京浜急行平和島
パーティー 1人

日本山歩日記では記録を書くたびにいつも標高を記載してきた。 もちろん高い山に登るのが多いからである。 ただ、今回一番低い記録を書くことになる。今回は番外編で山でも道でもない。海に近い人工島である。コロナウイルス感染症の拡大で1月から出ていた緊急事態宣言は東京・千葉・埼玉・神奈川を除いて2月末に解除された。 この1都3県は3月21日にやっと解除されたので、バーチャルでニューヨークシティ・ハーフマラソンに出走するために県境を越えて東京にやってきた。 ニューヨークシティ・ハーフマラソンゆえせっかくなのでニューヨークと姉妹都市になっている東京で走ることにした。

平和の森公園スタート

電車で平和島下車。 スタート地点の平和の森公園まで移動する。 桜が満開である。 天気もよいのでこどもたちがフィールドアスレチックで遊んでいる。 ペットボトルに水道の水を汲んでGPSをセットし11時出発。 平和の森公園から大森海苔のふるさと館からまた桜の写真をとり海岸通りに出る。 橋を渡り昭和島に入る。 今回、ハーフマラソンをするのにこのコースを選んだ理由は、ニューヨークの姉妹都市が東京であるという以外に、ニューヨークマラソンのコースを似たコースどりをしようと考えた経緯もある。 ニューヨークマラソンは、ニューヨークの5つの区を走る。 スタッテンアイランドを出発、その後ブルックリンへ。 北上してクイーンズへ入りそこからウィリアムズバーグ橋からマンハッタンに入り北上しブロンクスを通り、最後に南下し再びマンハッタンのセントラルパークがゴールとなる。 

昭和島

ニューヨークマラソンのコースは5つの区は必ずしも島ではないが、東京の大井埠頭をマンハッタン島に見立ててスタートをスタッテンアイランドに見立てた昭和島から走る。 昭和島にはモノレールの駅がある。 今では羽田空港に行くときにはバスや京浜急行も使うが昔は羽田空港に行くときにはいつも東京モノレールに乗車していた。 この昭和島の駅で下車したことなど一度もない。 しかし駅の西口にはたくさん自転車が停まっているので通勤や通学にモノレールを使っている住人の方もいるのだろう。昭和島の一番南の緑道公園までいってみたがここから島を周回するというルートはなさそうだったので、また海岸通りを北に昭和島の駅前まで往復し、昭和島二丁目公園へと進路を東にとる。  

京和橋

本日の最高気温の予想は18度。 出発前に水を少し飲みすぎたせいか横腹が痛くなってきた。 ペースは速くないが少しスピードを落とす。道路はやがて隣の京浜島へわたる京和橋につながっていった。 京和橋を渡りきって国道357号線に出ると、横に「京浜島緑道公園」の標識があった。 京浜島を一周しているようである。 せっかくなのでこの緑道公園の中を走ってみることにする。 今日は22㎞を走るのでできればアスファルトでないところも入れたい。 この緑道公園は幸い散歩をしている人も少ないようで走りやすかった。 ちょうど日陰になることもあり涼しくて走りやすい道だった。

京浜島つばさ公園

京浜島の一番南の展望台に到着。 ここから東岸は京浜島つばさ公園となっている。 すぐ対岸に羽田空港の駐機場がある。 航空機マニアの方が写真を撮っていたりする。 京浜島の北は清掃工場となっているので、京浜島つばさ公園のつきあたりまではいかずにルートのあるところから退出する。清掃工場の前はずっと桜の並木が連なっている。 誰一人歩いていない桜を独り占めするかのように西への800mの道を走る。

城南島海浜公園

正面に首都高湾岸線の高架が見えてきた、 ここから右折して京浜島を出る。京浜大橋を渡って対岸がいよいよ大井ふ頭のある場所である。 交差点を曲がり東へまっすぐ進む。 食品会社や海運会社の倉庫や工場の前を通って、城南大橋を渡る。 そこから先が城南島である。 ここも人工島である。 城南島海浜公園に入るとたくさんの花見客がいた。 駐車場に車を停めずに路上駐車している人が多いようであるが海浜公園のキャンプ場は今の時期は営業していないようである。 つばさ浜は砂地の海岸になっていてラグビーのトスの練習をしている人たちがいた。展望広場からL字型に曲がっていてここを曲がるとはじめてスカイツリーが見えた。ランニングで回しているStravaのアプリが10㎞走ったことを記録しているので、補給のための休憩である。

お台場とスカイツリーを眺める

12:24、リュックをおろしてエナジージェルを出す。 ペットボトルにつめた水をごくごく飲む。さらに城南島海浜公園を奥まで行くと波止場広場までぶち当たるのだがここから公園を出る方法はない。 東京都下水道サービスのスラッジプラントになっておりその隣は警視庁白バイ訓練所なので一般人は進入禁止である。元来た道を走って城南島海浜公園の駐車場まで戻った。トイレをすませてランニング再開である。東京港臨海道路が地下を走っているのが見えるがそこを西へスラッジプラントの前を走る。 城南島埠頭公園の交差点から右折する。 遠くに東京港野鳥公園が見えるがここも12月から休業していて再開のめどが立っていないようである。 


桜並木の道を進む

野鳥公園東の交差点でストップである。 ハーフマラソンを自分で走っているとどうしてもこの信号でのロスタイムというのが発生してしまう。歩行者用信号が緑になって再スタート。 伊藤忠ロジスティクスと住友倉庫の大きな配送センターがある。スマートフォンを見ると15㎞を指している。 概ね2/3を過ぎたわけである。 突き当りまで行くとファミリーマート大井ポートストアがあった。 ポートストアは、「東京港湾福利厚生協会が港湾労働者の福利厚生のために運営している売店」ということである。 ここから東に50mほど進み都道316号線「日本橋芝浦大森線」に合流してひたすら車道沿いの歩道を走る。 左手にはJR貨物の引き込み線がある。 風はあまりないが午後になって気温があがってだいぶ汗が出てきた。 かぶっている帽子が暑く感じるようになってきたので手にもって走る。

大井埠頭の都道をひたすら走る

都道316号線は北へ向かって走るとJR東日本の技術訓練センターをすぎたあたりから緩やかに左に曲がっていく。 大井ジャンクションの手前に北部陸橋があり、そこをすぎるとさらに首都高都心環状線を超える歩道橋がある。 陸橋にあがるために階段があったがこの階段を上がるのが一苦労であった。 大井ジャンクションはさらに自動車専用道路なのでそれを超えるためにもう一度歩道橋をあがった。 歩道橋は自転車も通行できるスロープになっておりその坂を下り切ったところが京浜運河緑道公園の入り口となっていた。 京浜運河と東京モノレールを右手に見ながら木々の間の道を走っていく。かもめ橋が見えた。 京浜運河を跨ぎ八潮団地に至る3本の橋の内、唯一の人道専門橋である。天気がよいので緑道では散歩を楽しむ人がたくさんいる。

中央海浜公園

勝島橋の手前で緑道公園の道はつきあたり中央海浜公園前の交差点で競馬場通りを渡る。時刻は13:40である。 距離は19㎞。 ハーフマラソン終了まであと3㎞弱である。 ニューヨークハーフマラソンは計測器の誤差を避けるためか参加者には規定の13.1マイル21.1kmよりも少し長めに走れという指示が出ている。 22㎞走るつもりになっていたので、もう少しである。 最後の大井埠頭中央海浜公園なぎさの森は2週間ほど前に試走したところである。 管理棟の前を通り遊歩道に入る。 夕焼け橋を上がる。 この最後のところでの上り坂は正直つらい。 夕焼けなぎさは浜辺になっていて正面が産業施設であるのは少し興ざめであるがそれでもまあ海浜公園の風情はある。 臨海斎条前の交差点を渡り緑が浜まできたところでStravaが22㎞を指したのでゴール。 ハーフマラソンは完了となった。

平和の森公園ゴール

橋をわたって首都高速羽田線の平和島PAに来たところでYAMAPでGPS計測をしていたアンドロイド携帯はバッテリー切れとなった。 ニューヨークマラソンもゴールのセントラルパークからミーティングスポットは1マイルさらに歩いた西77丁目通りまで行って初めて携帯を使ったり友人に会ったりできるので、自分もペースを整えながらのジョギングでスタート地点の平和の森公園まで戻ることにした。平和の森公園は土曜日の午後ということで家族連れでにぎわっており都民の憩いの場所であるのを感じた。 翌日から天気が崩れるという予報にあるとおり空には巻雲が出ており、今週の満開の花見は土曜日だけで日曜日は人出も期待できないというところかもしれない。 もっとも観光業や飲食業の仕事に従事されている方にとってはコロナ禍で天気以前の問題なのかもしれない。

土佐藩山内容堂公墓碑

平和島から電車に乗り、大井町から帰るということにした。 帰りに京急を鮫洲で下車。 鮫洲という地名は学生時代から運転免許試験場がある場所だとは知っていたが実際には東京都民として免許の更新をすることもなかったので一度も来たことのない場所だった。 駅を出てすぐ西に大井公園がある。 ここに土佐藩第15代藩主の山内容堂公の墓がある。 明治維新の先駆者として土佐藩の藩政刷新に努め、幕政にも大きな影響を与えたが、46歳で急逝、遺言により晩年愛したこの地に葬られたという。 大井町で立ち食いスタンドのカレーを食べて電車に乗って帰った。

ニューヨークシティハーフマラソンを走り切った。コロナウイルス感染症の拡大でテレワークという習慣ができる前は自分がハーフマラソンの距離を走ることができるようになるとは思っていなかった。今回、行動中の標高は一番低いところがゼロメートル、高いところでも21mであった。 これは日本山歩き日記の記録の中でも低標高の記録であろう。 1994年の秋から数ヶ月の間、仕事でニューヨークに暮らしていた。 ブルックリンブリッジで見た日没の景色が今でも忘れられない。 もう再びニューヨークを訪れることはないかもしれないが今回バーチャルで参加したマラソンのコースを調べる中でまぎれもなくマンハッタン島で生活して働いていた自分の昔を思い出した。

(2021年3月 記)

 日本山歩日記WEBトップ
地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています