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井伊谷
井伊谷

基本情報
1 山名 井伊谷(いいのや)
標高 114m (井伊谷城跡)
山域 遠州西部
都道府県 静岡
位置 N34.50.14/ E137.40.14 
地図 2万5千分の1地図「三河富岡」
20万分の1地勢図「豊橋」
7 山岳区分
登山記録
山歩No TJ53-17003
登山日 2017年1月8 日(日)
歩程 30分
天候
形態 日帰り
アプローチ JR浜松駅から遠鉄バス井伊谷宮前下車
パーティー 1人

 2017年のNHK大河ドラマが1月8日からスタートした。 タイトルは「おんな城主直虎」で、戦のたびに当主を殺され、ただ ひとり残された姫が「直虎」と勇ましい名を名乗って乱世に立ち向かった。自ら運命を 切り開き、戦国を生き抜いた女の激動の生涯を描くもので、人物は井伊直虎、主演は柴咲コウである。 浜松が舞台ということで、静岡県では、ひさしぶりの大河ドラマの舞台に盛り上がっている。 早速、日帰りでこの舞台の井伊谷を訪問してみることとした。

JR浜松駅

 2017年1月8日(日)、今日から大河ドラマ「おんな城主直虎」が放送となる。 舞台となる井伊谷は浜松市北区引佐町にある。 JR浜松駅の北口から遠州鉄道バスに乗り、50分ほどということで、マイカーのない自分は電車とバスを乗り継いでいくことにする。  朝、いつも通り起きて朝8:40に家を出る。JR東海道線の各駅停車に乗って、浜松へ移動。10:10に浜松に到着。 10:31遠鉄バス渋川線に乗り込む。 乗客は、まだ大河ドラマが始まっていないことと、天気予報が今日は雨でよくないことからか、数名程度である。 

井伊谷宮大鳥居

11:49井伊谷宮前のバス停に到着。 まずは井伊家ゆかりの井伊谷宮を訪問する。 まだ初詣シーズンの名残ということもあり、参拝客は少し多めだった。 井伊谷宮の御祭神「宗良親王」は、後醍醐天皇第四王子(宮内庁調べ)で今から約650余年、動乱の南北朝時代に征東将軍として、浜松地方を本拠に50余年の間、吉野朝方のためにご活躍になったという。 明治5年に明治天皇が鎮座、翌6年には静岡県内でも数少ない官弊社(井伊谷宮は官弊中社)という格式高い神社となる。 

宗良親王歌碑

 鳥居をくぐって、ゆるいスロープを上がると、左手に日本絵馬資料館が現れる。 その後に手水者である。 右手には宗良親王の歌碑がある。「君が代を 絶えせず照らせ 五十鈴川 我は 水屑と 沈み果つとも」(親王のどんな逆境に陥っても不撓不屈、初志を貫き、希望を捨てずひたすら正義の為に一生を捧げられた御精神、御遺徳は、多くの人達に慕われ学問・心願成就・開運の神と信仰され尊ばれているらしい。) 拝殿に上がりいよいよお参りである。 
 

井伊谷宮本殿

 本殿の裏には井伊社がある。 井伊家の第十二代当主井伊道政公とその息子高顕公は、井伊谷に来訪された後醍醐天皇第四皇子宗良親王様を奉じた。勢いを増し大挙して押し寄せた足利勢に対し井伊家は奮戦空しく敗退し、以降今川氏(足利氏の流れ)や武田氏といった強大な勢力に囲まれ長い苦難の時代を迎える。道政公から数えて10代後、女性ながら第22代当主となった「井伊直虎」は、苦境に立たされた井伊家を存続させるべく周辺諸国の様々な圧力や干渉の中を類まれな判断力と領地運営力で乗り切りつつ、後の徳川四天王となる井伊直政を育て上げ、井伊家再興の礎を築くこととなるのが今年の大河ドラマのお話である。

宗良親王御墓

 お参りがすむと、由緒板を読む。 隣に慈母観音石がある。 これは、1985年の御神忌600年式年大祭斎行の記念碑建立として奉納されたものらしい。井伊家を祭ってある井伊社を過ぎて宗良親王御墓を訪問。宗良親王御墓は、京都(西)に向いてたてられている宮内庁所管地だ。宗良親王は、南北朝がわれた時代に南朝側の親王であった。 明治時代に親王様の御墓整備並びに井伊谷宮御鎮座が井伊家の多大なる貢献によって整ったことで、この井伊社ができ、宗良親王御墓も明治天皇が全国のご陵墓の荒廃が著しいことを憂い整備を指示したことによりできたという。宗良親王御墓を見て、その裏手から龍潭寺へと向かう。

龍潭寺と井伊直虎

 龍潭寺(りょうたんじ)は遠江・井伊氏お家断絶の危機を救った女領主井伊直虎<次郎法師>の菩提寺である。井伊直虎(次郎法師)は、井伊家第22代当主・直盛の一人娘。 直盛には男子がなく早くより娘の許婚として従弟の井伊直親に家督を継がせる予定であった。 ところが直親の父が今川氏に殺され、直親(9歳)自身も命を狙われたため、信州へ身を隠すことに。 直虎は直親が亡くなったと思い、龍潭寺で出家し次郎法師を名乗る。歴代当主に記名はないが 井伊家受難の時代を救った女領主として後世に語り継がれる人物である。 拝観料500円を払って庫裡より玄関を上がり、 靴はビニール袋に入れてもっていく。 最初に見える丈六の仏は廃仏棄釈の際つけられた歴史的痕跡である。 龍の彫刻は(伝左甚五郎作)江戸時代中期 仏殿に使用された蛙股の彫り物も見事である。 鶯張りの廊下(伝左甚五郎作)では、地元ボランティアの方が解説をしてくれた。 本堂の目の前の庭園は浜名湖をかたどっているという。 紅葉の季節にはさぞ見事なことだろう。

龍潭寺本堂

遠江と近江は、どちらも井伊家にゆかりの深い場所だがもともとこの浜松北部の井伊谷が井伊家の出身地、 近江彦根は、家康公に仕えた直政が関ヶ原の戦いの後には近江国佐和山に18万石を与えられてからの場所である。 井伊家は直弼を含め5人が大老職を勤めるなど、江戸時代を通して徳川幕府を支えた。龍潭寺が井伊家の墓所であったが1600年に龍潭寺の五世昊天禅師を招いて遠江国から分寺し、この地に建立したのが彦根の龍潭寺である。

庭園

 龍潭寺はまた庭園でも有名である。小堀遠州作・龍潭寺庭園は、江戸時代初期に本堂北庭として築かれた池泉鑑賞式庭園である。 中央に守護石、左右に仁王石、正面に礼拝石(坐禅石)が配され、更に池の型が心字池となっていて寺院庭園として代表的な庭である。数多くの石組みと築山全体で鶴亀が表現されている。テープで音声を流して庭園の解説をしているのをしばし座って聞いていた。

井伊氏歴代墓所

 井伊家の墓は元祖 井伊共保公より24代 井伊直政公までの墓地が境内に在るという。 左奥から2番目が、直虎の墓だという。 自分の母親の横に墓所があるのは幸せだろう。そして隣はいいなずけだった直親の墓である。  身を隠していた直政を1575年(天正3年)浜松城主 徳川家康公に仕えさせ、出世を見届けた直虎は、1582年(天正10年)8月26日、激動の人生に幕をとじる。 戒名「妙雲院殿月船祐圓大姉(みょううんいんでんげっせんゆうえんだいし)」(南渓過去帳には「月泉祐圓禅定尼(げっせんゆうえんぜんじょうに) 」と記載)直虎は生前結ばれることのなかった直親の隣に祀られている。さすがに大河ドラマのスタートにふさわしく、墓所にはNHK大河ドラマののぼりが立っていた。

共保出生の井戸

 鐘楼堂をくぐり、井伊直政生誕の地を見た後、仁王門から外に出る。 山門を出ると県道の前の駐車場になっていた。 駐車場の売店は、さあこれからが観光客が訪れる時期だということで、NHK大河ドラマのポスターなどを貼って装飾をしていた。 駐車場の前から天竜浜名湖鉄道の気賀駅に行くバスのバス停があったが、本数が少なく残念ながらその路線で帰ることはかないそうにないと考えた。 寺の裏手から歩いて200mほどのところに寺の縁起にゆかり深い「共保出生の井戸」がある。 1010年元日、井伊谷の八幡宮神主が、御手洗の井の傍らに男児の捨て子を発見した。その子の顔立ちは端麗で瞳が明るく、聡明で貴人の相があったという。しばらく神主に育てられたその子は、7歳のとき遠江国司藤原共資の養子となり、藤原共保と名乗った。共保は後に井伊谷に館を構え、名字を「井伊」と改めた。このような伝説の井戸が井伊家の発祥で、それで井伊家「彦根井筒」または「彦根橘」と呼ばれる家紋を採用したのは、この井戸の側に橘が生えていたことに由来する。

浜松名産丸浜のうなぎ

 ここから県道320号を北に歩く。 神宮寺というバス停まで行くと、遠州鉄道奥山線が走っているので、少し早い13:31のバスで、浜松駅まで帰ることができる。龍潭寺の見学を始めたあたりから降り出した雨が次第に強くなっていたので、神宮寺の裏手にある井伊谷城跡には登ってみるのをパスした。この城跡も、今年の春からはずいぶんと観光客が来るのだろう。 バスで浜松駅まで帰り、 少し遅い時間の昼食となったが、創業30年余、浜名湖養魚漁業協同組合直営店「浜名湖うなぎ丸浜」で日本酒を1本とうな重を食べて東海道線で静岡に帰った。



 あいにくの雨の中の散歩となったが、大河ドラマの舞台となる場所をいち早く訪問することができた。 静岡に帰ってその晩(2017年1月8日)「おんな城主直虎」を早速見たことは言うまでもない。 静岡県内に住んでいるのであるが、浜松と静岡では同じ政令指定都市ながら文化圏も違うので、これまで訪問する機会がなかったが、よいチャンスで観光をすることができた。 大河ドラマの放送が進むたびに、直虎ゆかりの地が紹介されて、郷土史をひもとく人々が増えると楽しいことであろう。
(2017年1月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています