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基本情報
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山名 |
黒部湖(くろべこ) |
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標高 |
1450m (黒部ダム) |
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山域 |
飛騨山脈(立山連峰) |
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都道府県 |
富山 |
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位置 |
N36.33.59/ E137.39.44 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図36「鹿島槍・五竜。北アルプスス」
2万5千分の1地図「黒部湖」
20万分の1地勢図「高山」 |
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山岳区分 |
ハイキング百選 |
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登山記録
山歩No |
9820-20024
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登山日 |
2020年8月30日(日 ) |
歩程 |
8時間0分 |
天候 |
晴 |
形態 |
前日発3泊4日 |
アプローチ |
富山地鉄有峰口駅バス折立 |
パーティー |
1人 |
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黒部渓谷は両親が新婚旅行で行った場所である。 1960年のことである。 黒部ダムが完成したのは1963年なので、両親は黒部ダムには行っていないことになる。 写真は見せてもらったことはないがトロッコ列車に乗ったと言っていた。 自分は過去黒部ダムには観光でしか来た事がない。 いわゆる立山黒部アルペンルートで立ち寄っただけである。 1986年に針ノ木岳に登頂したときにこの黒部湖が眼下に見えた。 この黒部湖に自らの足で歩いていこうと考えたのが、このコロナ禍の2020年の夏である。
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富山駅
自分にとって遠くていったいいつ行けるだろうと考えていた山が赤牛岳であった。 登山口から26時間の最も遠い山に3泊4日のテント縦走登山を思い立ったのは8月のお盆の時。 コロナに感染するリスクにひやひやしながら新幹線に乗って富山へと入ってきた。富山のビジネスホテルで日本酒とホタルイカの沖付けに舌鼓をうつ。
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太郎平小屋
富山地鉄有峰口駅からバスに乗る。 1982年にはじめて槍ヶ岳に登ったときの登山口がここだった。駅を降りて今回と同じバスに乗ったはずだがほとんど記憶がない。 折立から太郎兵衛平への道は、景色のよい稜線の道。 ここは、1982年に登山で1989年に下山で使ったところだ。 でそれも昭和の終わり・平成の初めごろのことなので、この北アルプス北部にいかにご無沙汰しているかわかるというものである。
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雲ノ平へ
今回、目指すは赤牛岳であったが、どうしてもテントで宿泊したかったのが雲ノ平である。 昭和時代から大切にしてきた写真集にあるお花畑の景色をどうしても自分の目で見たかったので思い切って未踏のニ百名山の赤牛岳とセットで行くことにした。最初は海の日の4連休で雲ノ平に行くつもりであったが、新型コロナウイルス対策でテント場も完全予約制になっていた。 雲ノ平山荘に7月の初旬に電話したときにはもはや予約でいっぱいだったのであきらめてしまった経緯がある。 結果的には7月の23-25の海の日の連休は梅雨が明けていなかったので天気は良くなかった。 まあ、高山植物の群生には会えなかったが、テント場もすいていて天気も安定していた8月下旬に行ったことが吉と出たように思った。
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水晶岳から見る裏銀座縦走路
1992年に烏帽子岳から裏銀座縦走笠ヶ岳へ抜けるという登山をした。 その時に水晶岳のピークは踏んでいる。 そのときも天気は悪くはなかったが、何しろ烏帽子岳から縦走してきて昼を過ぎガスも上がっていたので展望がよかったという記憶はない。 山頂があまり広くなかったという記憶だけが鮮明に残っている山だった。 今回は、早朝ヘッドランプをつけて雲ノ平のテント場を出発し、祖父岳を越えて水晶岳へ向かった。 前回とは逆コースであるが今回の縦走の最高峰である。標高2980mからはこれから槍ヶ岳や穂高連峰・笠ヶ岳・黒部五郎岳・薬師岳がよく見えた。これから向かう赤牛岳もなるほど砂の色がややピンク色がかって赤牛という呼び名にふさわしいかのように見えた。
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読売新道
赤牛岳までの稜線は意外とふみあとがわかりにくかった。 夜中12時新穂高温泉を出発したという若者と一緒になり何とか登頂を果たした。 彼が持ってきたRED BULLを持って山頂で写真を撮って、今年初めて登った日本に百名山に思いをはせた。 赤牛岳が大変だったのはここからである。 中上級者向けロングコースと書かれた読売新道をひたすら5時間かけて下った。 そんじょそこらな下り道ではなく、木の根につかまって降りるとか、下りばかりだと思ったらまた登り返すとか、体力というより忍耐力との闘いのようなコースを降りて日没前になんとか奥黒部ヒュッテにたどり着いてテントを張った。
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奥黒部ヒュッテのテント場
8月30日(日)この4日間の一人夏合宿も今日が最終日である。 昨晩、テントの中で雷雨にあったときはどうなるかと思ったが、明け方まで降っていた雨も幸い上がって朝は晴天になっていた。 6:50テント場を出発。テント場には4人のソロ天の人ばかりだったが、隣で張っていた若い女性は自分より20分ほど早く出ていった。 反対側の隣の若い男性は自分より少しあとに出発するようだった。
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丸太の木道
6:58早速渡渉である。 丸木でできた橋を渡る。 このあたりの材木でできた橋は冬の間豪雪で流されてしまうので毎年雪解けを待って補修するのだという。 7:11、下りの長い傾斜を降りる。 丸木が組んであるが足を置く場所を選ばないとつるっと滑ってしまう。 自分もすべって転んで、リュックに括り付けてあったペットボトルを落としてしまった。 ペットボトルは回収できたが、タオルもどこかで落としてしまったようだ。 態勢を整えていると、隣にテントを張っていた若い男性が追い抜いて行った。 三俣蓮華のキャンプ場に泊まって、水晶・赤牛を越えて読売新道を降りてきたらしい。 結構早い時間に行動して、奥黒部ヒュッテには15時前についていたらしい。
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黒部川
8:15、落差20mほどの滝を越えて上がっていたところ、後ろから単独の女性が追いついてきた。 昨日、水晶から温泉沢の頭への下りで追い越していった人だった。 健脚で歩くのが早い。 単独で来ているのだから相当山に慣れている人なのだろう。 高齢でテントを担いだ自分はしっかり道を譲って先に行ってもらった。
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渡船場標識
9:20、渡船場への下りの標識がある。 休憩時間もこみでちょうど2時間半でここまで来た。 もともと2009年に買った昭文社の山と高原地図では奥黒部ヒュッテから平の渡しまでコースタイムは2時間になっていたが、2018年版からコースタイム3時間になった。 山道の整備状況によっても時間に差が出て、渡船に乗れない人が出ることを避けるために少し保守的なコースタイムの見積もりになったのだろう。 渡船場に行くと、朝自分より先に出た若い女性と、追い抜いて行った男性と女性の一人ずつ3人の先客がいた。 10:20の本日の第二便の船は合計4人での乗船となった。
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乗船・平の渡し
10:15、対岸から3人の登山客を乗せた渡船がやってきた。 田中陽希が日本百名山一筆書きの時に、立山から鹿島槍に向かう道を雪で阻まれて、この渡船を使わざるを得なくなってしまったために、完全人力踏破がなしえなかったといういわくつきの渡船である。 自分のようにな登山者にとっては、この渡船がなければ今回のコース取りはできなかったわけであるので、運行してくれる関電には感謝である。新型コロナウイルスの影響で運行を取りやめたりしていたらどうしようかと思っていたが、今シーズンもいつもの時刻で船は運行してくれていた。 乗車したら乗船名簿に名前を書いて、ライフジャケットをつける。 お互いにシャッターを押しあって、写真を撮ったのはいうまでもない。 10:20、定刻に、われわれ4人を乗せて対岸に向かって出発。
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下船
わずか10分で対岸に到着。桟橋も何もなく、ひとまわり大きなボートに横付けしてそこから岸にわたる。 岸からは長い梯子段を上がっていく。 上がり切ったところが、平の小屋と黒部ダムへのルートの分岐だった。 15:40くらいには黒部ダムにたどり着かないと、扇沢発のバスに間に合わないので平の小屋に立ち寄る暇はなく出発する。
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遊覧船ガルベ
ルートはほぼ水平道ではあるが、黒部湖に流れ込む中の谷の大きな沢を渡るために40分ほど大きく回り込む。 広い河原・橋ありと地図に書かれた地点で渡渉するころには、前の3人はもう見えなくなっていた。 みな歩くのが速い。 ここから2時間半ひたすらに小さなアップダウンを繰り返す道を歩く。 10:37 小さな沢のところで休憩。 黒部湖の遊覧船、ガルベがこちらに近づいてきた。 そこそこの人数の観光客が乗船している。
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御山谷の橋
13:16 対岸にロッジくろよんが見えた。 ここから御山谷から流れ込む沢をわたっていかないとロッジくろよんのほうへはいけないのでまた西に大きく迂回していく。もっと手前に橋があったら近いのにと思いながら13:30ようやく橋までたどりつく。 ここで昼食。 朝起きてから湯を入れておいたアルファ米を食べる。 さすがに白飯は食べにくいので練りカレー粉をかけてなんとか腹に流し込む感じ。 少し時間はかかったが全部食べ切ることができた。
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ロッジくろよん
14:32ロッジくろよんに到着。 自動販売機がある。 思わず200円払ってサイダーを買ってしまった。 炭酸の飲み物のおいしかったこと。 本当はビールも売っていたのだが、まだ1時間以上歩くのでぐっと我慢をした。 ロッジくろよんから先は舗装道路になった。 黒部ダムから散策してきたと思われる単独の年配の人がゆっくり歩いていた。 あのスピードで歩く人がいるということはゴールが近いということであろう。 正面に猫の耳から赤沢岳への崖が見えた。 鳴沢岳・赤沢岳・スバリ岳、後立山の峰を眼下に黒部湖を見ながら快晴の空の下縦走したのはもう34年も前のことになる。
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黒部ダム到着
14:50、かんぱ谷橋に到着。 ここから黒部ダムである。 遊覧船発着場を過ぎてトンネルの中に黒部ケーブルカーの乗り場がある。 ここから外に出るともう黒部ダムの堰堤だった。 外国人が来ないからだろう、8月の日曜日だというのに観光客は極めて少ない。 当たり前だがみな日本語を話している。 かつて99年の7月に立山黒部アルペンルートをトロリーバス・ケーブルカー・ロープウエイで室堂まで行ったときはものすごい行列に並んだような記憶があるが、そのときとは打って変わった景色だった。 これでは観光産業も大打撃であろう。ダムの中間地点で記念写真を撮る。
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電気バスで扇沢へ
15:35の電気バス(今はトロリーバスとはいわない)に乗って扇沢へ到着。 バスの中は凍えるほど寒かった。 さすが黒部アルペンルートである。 扇沢では、昔、Y.Tさんと針ノ木岳に登って下山したときに緑色のカレーを食べたレストランがあるにはあったが営業していなかった。 8月の日曜日なのに休業なのだ。 本当にこの伝染病が地域の人の暮らしを変えてしまったことが感じられた。
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扇沢から長野へ
16:30のバスも17:00に時間が変更になったという。 この特急バスに乗り、長野に到着が18:44であった。19:03のかがやき514号で東京へと向かう。 大宮で下車したので1時間しか乗車していなかった。 大宮から湘南新宿ラインで還った。 21時半自宅に帰りついて、4日間のひとり夏合宿が無事に終わった。
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8月に北アルプスを縦走したのは2013年以来である。 テントを担いでの縦走となると本当に2010年の聖・光岳の縦走のとき以来10年ぶりとなるのではなかろうか? 20㎞以上の荷物を担いで歩けるのか不安だったが歩き切ることができた。 赤牛岳もこの黒部湖まで歩いてくることも自分の中では冒険まだできるという確信を与えてくれる旅となった。 ここまでくれば今度は下ノ廊下を欅平まで歩いてみたいとまた夢が膨らんだ。自分にとっての前人未踏の挑戦は続く。
(2020年9月 記) |
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