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三久安山
三久安山

基本情報
1 山名 三久安山(さんきゅうあんざん)
標高 1123m 
山域 中国山地
都道府県 兵庫
位置 N35.14.50/ E134.34.20 
地図 昭文社 山と高原地図54「氷ノ山・鉢伏・神鍋」
2万5千分の1地図「音水湖」
20万分の1地勢図「姫路」
7 山岳区分 兵庫の山100山、ハイキング100選
登山記録
山歩No 9770-18038
登山日 2018年11月24日(土)
歩程 3時間35分
天候 快晴
形態 日帰り
アプローチ 国道29号線引原から野外活動センター
パーティー 7人

宍粟50名山という名山リストがある。宍粟市のホームページに掲載されている。完全踏破すると宍粟観光協会から認定書をもらえるそうである。 三久安山もその中のひとつである。 1日前に登った雪彦山の登山口の鹿ヶ壺山荘のご主人と話しをしたときも「明日、三久安山に登る予定です。」といったときにどこの山だろうという顔をしていた。今回リーダーのK.Mさんが3年前から温めていた計画である。兵庫県分県ガイドブックにも出ている兵庫100山のひとつということで興味を示していた。 標高は1123mなので少々手ごわい山である。50名山のホームページを見ると「蓮華岩山とも呼ばれた山」という記載がある。登山者の少ない山はやぶの多い時期には登りにくい傾向があるのでこの時期はよいのかもしれない。 7人という前日の雪彦山の単独行から打って変わったにぎやかな登山である。  

日新会館の朝食会場

11月24日(日)の朝6時起床。山崎町のビジネスホテル「日新会館」で目を覚ます。 さすがに西日本なので、関東地方と比べて朝、明るくなるのが30分ほど遅いようだ。 7時30分から朝食なので7:40に会場の喫茶フリーシアンに行く。 ここはすごい、入口にシアトルマリナーズのイチロー選手のオリックス時代のユニフォーム、2001年ニューヨークメッツ新庄剛志選手・2002年読売ジャイアンツ松井秀喜選手が使用していたスパイクシューズ、阪神タイガースの八木選手のバット等、有名選手のグッズが展示してある。 プロ野球ファンにはたまらないスペースである。静かな喫茶の1テーブルで和食の朝食をいただく。


自転車でコンビニへ

本日の山仲間が車で迎えに来るのは9:30と聞いていたので、9時にチェックアウトをして、近くのコンビニの場所をきいたところ、遠いから自転車を貸してあげるといわれた。 荷物をフロントであずかってもらい、自転車で南に1㎞ほどのところにあるローソンへ行く。 自転車に乗るのは10年ぶりくらいだろうか? 一応、ローソンまでたどり着くことができた。昼食のおにぎりを買っていると、奈良から車で来るA.Dさんから電話がある。 もう一台の車のK.Mさんがどうも山崎ICで下りずに先まで行ってしまったようだ。 とにかく、A.Dさんと合流するためまたホテル日新会館まで自転車をこいで、自転車を返却、受付でお礼を言って荷物を受け取りホテルの外へ出たところ、A.Dさんの車が到着した。

道の駅「はが」

待ち合わせ場所の市役所近くのもう一つのコンビニセブンイレブンまで行って、やっと9:45今日の登山をする7人のメンバーが全員集合。 国道29号線を北に進む。道の駅「はが」で休憩したあとに引原の音水湖から東の野外活動センターを目指す。アーチ型の新三久安橋の手前にある引原野外活動センターはもともと小学校だった建物の円形校舎を使っていたらしい。 我々が見たときにはそのような建物はなかった。 姫路市のホームページを見ると宍粟市にあるこの野外活動センターは姫路市のものであったが、2016年3月末で閉鎖になったらしい。 建物も2017年に撤去されたようだ。このあたりの過疎化はとても深刻なようだ。 国道29号線は因幡街道と呼ばれて、山陽と山陰を結ぶ重要なルートだったが、鳥取自動車道ができてから交通量が極めて少なくなっているという。 
 

登山口

野外活動センターをすぎて5分ほど進んだところに本日目ざす三久安山の登山口があるが、登山口の前は地盤も悪く、とても2台駐車することはできそうに思えなかった。 少し先まで偵察に行ってみると先では道は広くなっていたが、その手前の坂が自家用車で上がれるところかどうかわからない。 おまけに、大型の工事車両が通過すると記載がある。  そこで、K.Mさんの車はバックで150mほど戻り、車道の脇に止めてもう一度林道を少し登り返す。11:19登山口出発。 最初は林道をジグザクに登っていく。 

残雪を超えて尾根上へ

11:52、林道をはずれて植林をして林の中を尾根に向かって登っていく。 12:05尾根筋の手前のなだらかなところでは日陰になっていることもあり、雪が残っていた。 12:15、だいぶ高度を上げてきた。 振り返ると後ろに阿舎利山が見えた。 さらに稜線の上を進むと人工のアンテナが現れた。 ラジオの中継アンテナだろうか?


溝谷コースとの分岐

981mの三角点を超えてさらに稜線を北東に進む。 12:30に下山の単独の方とすれ違う。 12:54、傾斜が次第に急になってくる。 13:00に溝谷コースからのルートとの合流のピークに到着。 休憩をして、最後のふんばりで山頂を目指す。 一度こんもりと高くなったところを抜けて進むと13:34、三久安山の山頂に到着した。 標高1123m。 昨日登山していれば、日付と同じだったね、などと少し残念がる。 
 

三久安山山頂

山頂から北には氷ノ山が今日はしっかりと見えている。 昼食は午後の紅茶とローソンのやみつき注意の悪魔のおにぎりである。 止まっていると寒いので、R.Mさんとアブラハムの踊りをやったがさほど暖かくはならない。 今日は下山したあと、まだ網野までロングドライブがあるので記念写真を撮って13:50に下山開始。 落ち葉に覆われて少しルートがわかりにくいところもあり、 登山靴の調子あまりよくないリーダーのK.Mさんに代わって、自分がトップを務める。 赤いテープを探しながら下りていけばさほど難しいルートでもないようだった。


下山 すすきの原

14:32に981mの三角点を通過。 14:38にアンテナ通過。来るときに見た雪原はまだ融けることもなく同じくらいの雪を残していた。 日陰はやはり気温が低いのだろう。  今日は移動性高気圧に覆われているので素晴らしい天気である。 14:57ススキの原をくぐり最後の林道に出る。 15:10下山。 靴の泥を落として早速車に乗り、網野を目指す。音水湖カヌークラブの前に公衆トイレがあるのでそこに寄り道をする。 

音水湖の紅葉

 看板がでており、引原ダムの由来が掲載されていた。1960年の引原ダムの竣工に伴い一部が湖底に沈んでいる。水没移転家屋74戸で、主に竜野市周辺に移住した。ダムの総事業費は18億円。引原ダムは洪水調節、発電、工業用水、および灌漑用水 確保の4つの目的を持った多目的ダムである。 「すすむ世のためとて あはれさざ波の 底に消えぬる引原の里」という当時の知事阪本勝の歌碑が湖岸に建てられているという。湖岸にはきれいな紅葉が水面を赤く照らしていた。

民宿「尾江」カニずくしの夕食

  若杉峠を越えて、ようか氷ノ山。 そこから高速で豊岡まで行き、 久美浜経由、スーパーで買い出しを行い、網野を目指す。 琴引浜の近くにある民宿「尾江」さんは昨日も同じ時期に来たカニの宿である。 男性全員一度には風呂に入れないということで、われわれは夕食が終わってから風呂に入ることにして3名のみ風呂をあび、夕食会場へ。 おおきなカニを焼きガニで最初はいただき、途中、ビールから日本酒に切り替え。 最後は雑炊にしていただく。 22時から部屋に帰ってまた宴会をやる。福岡に住んでいるM.Aさんは今回もフェリーに乗ってこの納山会に駆けつけてくれた。  焼酎を飲みながら昔話に花が咲く。 結局1時近くまで飲んでいたようだ。 

昨年同様に魚政でお土産を買う

11月25日(日)7時半に起きて8時から朝食。 残った酒を持って帰る係を決めて、荷物をまとめ、1Fの入口前で写真を撮影。 A.Dさん、K.Dさんは帰りにもう一つ山を登っていくということで、われわれ5人が大阪へ直帰することになる。 途中、魚政で土産の佃煮を買って大阪駅で解散。 自分はそのまま、新大阪へ行き、新大阪始発の13:50発ののぞみ230号に乗車。 東京まで行って、銀座で昔の仲間と合流して20時までワインを飲んで帰った。 


三久安山、結構マイナーな山であるがすすきを楽しむよい山行になった。 リーダーのK.Mさんと帰りの車の中でも話したが、こうやっていつまでも元気で納山会で集まって「山」(「宴会」?)が楽しめるとよいな、と語った。 お互い、口には出さなかったが、去年亡くなったS.Nさんのことを思っている。 昔からS.Nさんも納山会を楽しみにしていた。 山岳部も30年以上の歴史を経て自分を含めて部員の高齢化は避けられない。 私のように関東からくるものも、M.Aさんのように九州からくるものもいて日本全国から集まる行事になったが是非とも続けていきたいものである。
(2018年12月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています