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基本情報
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山名 |
弁天岳(べんてんだけ) |
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標高 |
985m (三等三角点) |
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山域 |
高野 |
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都道府県 |
和歌山 |
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位置 |
N34.13.13/ E135.34.20 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図34「白馬岳」
2万5千分の1地図「高野山」
20万分の1地勢図「和歌山」 |
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山岳区分 |
ハイキング百選 |
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登山記録
山歩No |
9720-16004
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登山日 |
2016年2月27 日(土) |
歩程 |
6時間30分 |
天候 |
快晴 |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
南海電鉄高野線九度山駅 |
パーティー |
4人 |
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今回の山は、山岳部の2月山行への参加である。 和歌山の伝統的な古道である町石道を歩く試みである。2月26日(金) 関西に出張があったので、そのまま、九度山に前泊することにする。 九度山の民宿「中川旅館」さんにお世話になる。素泊まりなので夕食は自分で手配しなければいけない。ネットで調べると九度山の駅から歩いて10分のところにコンビニがあることになっている。 |
夜の九度山駅
夕方18:42に新今宮から南海電鉄の橋本行きに乗り込む。 平日の夕方ということもあり結構混雑している。 橋本駅で乗り換え時間3分で高野線の高野下行きに乗車。 この電車は単線の登山鉄道である。19:52に九度山で下車。 時間が時間なので降りる人も少ないがさすがは大河ドラマ「真田丸」の舞台ということもあり、 六文銭をかたどった幟がでている。 真っ暗な国道370号を歩いてひとつ前の駅のほうへ。 コンビニまでの道で思わずヘッドランプをだそうかと思った。 コンビニでそばとサラダを買い、今夜の宿へ。 風呂に入って、部屋にあった観光DVDを見る。 歴史ヒストリアで真田幸村の生涯を知り、明日の観光へのテンションもあがる。
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真田の郷九度山
2月27日(土)朝7:00起床。 ゆっくり朝食をとって、8:10に宿をあとにする。 九度山の街中を歩いて駅へと戻る。 九度山の駅にはたくさんの観光パンフレットがおいてあった。和歌山から車でやってきて近くの道に駅に停めた今回のリーダーのK.Iさんと、T.Tさんが8:25に駅に現れた。8:28に電車が到着。史跡を徘徊するかのような老人のツアー客も旗を持って降りてきた。最後に、今回一緒に登るA.Dさんも電車から降りてきた。
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真田庵
8:43九度山駅を出発。 まずは真田昌幸・幸村親子ゆかりの真田庵を訪ねる。 六文銭が刻まれた門をくぐると重厚な本堂があり、 真田昌幸の墓がある。 井戸は昔、 幸村が雷を閉じ込めたという伝説もある。 朝まだ早い時間であったが何組かの観光客がこの真田庵を訪問していた。
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慈尊院
真田庵を出て国道を歩いて丹生川を渡る。 道の駅くどやまを右手に見ながら慈尊院までは10分。慈尊院は弘法大師が810年に政所として伽藍を創建したのが縁起である。 高野山詣りは、まず高野山の玄関である慈尊院弥勒菩薩と縁を結び罪業(ざいごう)を流してから山上へ登って頂くのが、高野山への本参りとされていることから、高野山の結縁寺と呼ばれている。 寺の境内はきれいに掃き清められていた。 県指定の多宝塔も見事である。
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町石道のスタート
多宝塔の横の階段が高野山へと続く町石道のスタートである。午前9:24、いよいよ180丁の石のスタートである。 町石道は約21キロの山道の表参道。今も一町毎(109m)に卒塔婆石が残り、歴代天皇や法皇、関白や将軍をはじめ一般の方々が、現在に至るまで続く高野詣りの歴史と信仰が残る。石段を登りきると、丹生宮省符神社がある。 ここでもう一度お参りをする。 いったん、神社の外に出て、駐車場のわきからいよいよ坂道が始まる。 今日は先が長い。 あせらずゆっくりと登る。
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展望台
天気が良くて登り坂を進むと暑いくらいである。 首に巻いていたマフラーをとってダウンジャケットも、ザックにくくりつけて進む。 165丁の石を過ぎて展望台が現れる。 眼下に紀の川がたおやかに流れているのが見える。 このへんはまだ桑畑の中のようである。 野焼きの煙で景色がかすむが遠くには大峰の山山が見えている。
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榧蒔石
160丁を過ぎるとそろそろ車道は終了して、いよいよ参道というような土の道になってくる。 157丁の道を少し脇に入ると榧蒔石という弘法大師の伝説の残る石がある。 高野山へ上がる最中、当時の集落の人たちの暮らしを見て、榧の種をまき、それが、食糧としても燃料としても暮らしを支えたという。 そのすぐわきには、銭壺石というものもあった。 その昔、この町石道の卒塔婆石を運んで来た職人さんたちに、この石のうえにお金の入った小さな壺を置いて、今でいう賃金の支払い場所の役目を行っいた場所だったとのこと。しかし、壺の口が小さいので手を入れてもなかなか沢山掴めなかったとのエピソードがあったようで、「欲張ってはダメだ」ということだったのだろう。
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六本杉
雨引山分岐を過ぎて10:55、144丁の石の横に1里を示す石がある。 1里は今の長さに換算すると3.9kmである。 今日のコースは約16kmだということなのでまだ1/4しか歩いていないことになる。 36町をもって1里となすと豊臣秀吉が定めたそうなので144丁の石の近くに1里石があるというのは理にかなっている。 11:26に六本杉に到着。 道はここから丹生都比売人社(にうつひめじんじゃ)へと通じる道と分かれている。 国の重要文化財であるこの神社も寄ってみたいところではあるが、時間の余裕もないので、先を急ぐことにした。 リーダーのK.Iさんがくれたチョコレートが栄養補給になってありがたい。
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二つ鳥居
11:48にほぼ予定通りに二つ鳥居(120丁石の手前)に到着。 ここは展望がよいので昼食の計画をしていたが、少し風が強いということで先に進むことにする。 二つ鳥居は、弘法大師の建立と伝えられるが木造であったために改修を繰り返し、1649年に今の形になったという。 さらに進むと「白蛇の岩」というのがある。 この岩の上で、白蛇を見ると幸せになるという言い伝えがある。残念ながらわれわれが通過するときに白蛇はいなかった。 道はここからすぐ眼下に、紀伊高原ゴルフ場のコースが見えるようになる。
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神田地蔵尊
ティー・グラウンドの休憩ベンチをすぎて神田応其池を横に見ると(どう考えてもこの池はコースの中のハザードとして配置されている。)、道は天野の集落に隣接し、神田地蔵尊の集会所の横に出る。 ここで12:10昼食にする。 昨日コンビニで買ってあったエビマヨとかに巻き風味の寿司が昼食である。 地蔵尊の建物はきれいに掃除され集会所としても使えるようになっていた。 ここから10mほど下に降りるときれいな公衆便所がある。 昼食を済ませて12:45出発。
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矢立茶屋
12:54に百丁の石を見て、感慨にふける。 そこから笠木峠までは少し登りの苦しい道である。 黙々と歩いて、やがて三里石を過ぎると道はゆるやかな下り坂となり、 国道480号線にぶつかる。 ここが矢立といわれる分岐である。 国道に面していることもあり、矢立茶屋があり、名物のやきもちを食べて休憩をとる。 近くで休んでいた年配の男性は足を痛めたようで、タクシーを呼んで下山していった。 ここは60丁石、 あと1/3残っている。 果たして無事に登れるだろうかという不安にかられつつ14:22出発。
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最後の登り
55丁には袈裟掛石がある。 弘法大師が袈裟を掛けたという伝説がありこの石の角に座って真言を唱えると願いが成就するという。 41丁で再び国道をわたって展望台がある。 15:09休憩。 16時までに大門に到着したかったが、ちょっと難しそうである。 体力的にもかなり疲れを感じるようになってきた。 27丁に鏡石がある。 ここまで来たら、上を走る道路がかなり高く感じると同時にあの道路の終点が大門だというのがわかるようになってくる。
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大門
16:06最後のひと踏ん張りの登りをあがりきって道路に出るとそこが大門だった。 丁石は7を指しているので正確には町石道の終点ではないが、 本日のほぼゴールといえる。 皆で記念写真を撮る。 ここから参道を歩くと根本大塔になるのだが、われわれは最後大門からルートを北にとり、弁天岳を目指すことにした。 山岳部であるので、最後は皆でピークを踏んで、今日の行程をまっとうしたい。 足は完全に棒になっており、そろそろ太陽も傾きかけていたが、最後の力を振り絞る。
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弁天岳
16:40弁天岳(標高985m)のピークに到達。長かった本日の標高差860mの登山が終わった。 みなメンバーは爽快感にあふれて写真を撮った。 ここから女人堂へ下山。 路線バスでK.IさんとT.Tさんは高野山駅へと向かった。 極楽橋から南海電車で九度山に行き、 道の駅に駐車してあった車をピックアップして和歌山に帰るという。 私はA.Dさんと一緒に、宿坊の福智院に泊るので、翌日の食糧をコンビニで買って、ついでにビールを買って店内のカウンターに腰をかけて祝杯をあげた。
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宿坊福智院
18:00に宿坊の福智院に到着。 石庭“蓮菜遊仙庭”を持ち800余年前に覚印阿闍梨により開かれ、ご本尊は愛染明王というご利益のある仏様をお祀りするこのお寺は、高野山で唯一”の天然温泉があるというのが売り物でたくさんのお客さんが宿泊していた。 早速、A.Dさんと風呂で汗を流し、精進料理をいただく。こころを込めた職員の給仕に感激し、標高800mでの般若湯を楽しんで、22時就寝した。
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和歌山県高野山町石道玉川峡県立自然公園の一部をなすこの道は今回初めて歩いたが「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれるだけあって素晴らしい歴史に触れることのできる体験であった。 紀の川から高野山まで1日かけて登るという、弘法大師の時代には当たり前だったことをこうして行うと何か自分が善行をしたように思うから不思議である。 そして最後の宿坊体験は、翌朝のお勤めとも合わせて忘れえぬ体験となった。
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(2016年4月 記) |
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