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基本情報
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山名 |
編笠山(あみがさやま) |
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標高 |
2,524m (二等三角点) |
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山域 |
八ヶ岳 |
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都道府県 |
山梨・長野 |
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位置 |
N35.56.30/ E138.20.42 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図32「八ヶ岳・蓼科・美ヶ原・霧ヶ峰」
2万5千分の1地図「八ヶ岳西部」
20万分の1地勢図「甲府」 |
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山岳区分 |
山梨百名山・ハイキング百選 |
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登山記録
山歩No |
9640-13034
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登山日 |
2013年7月15 日(月) |
歩程 |
(第一日)5時間30分
(第二日)6時間10分
(第三日)4時間55分 |
天候 |
曇り後晴 |
形態 |
小屋泊2泊3日 |
アプローチ |
JR中央東線茅野駅バス美濃戸から下山口は小淵沢駅 |
パーティー |
4人(第三日は3人) |
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八ヶ岳は東京から近く人気の山である。 月刊PEAKSの増刊号「八ヶ岳トレッキングガイド」を買ったが、わくわくするコースが満載だ。 山小屋もずいぶんリニューアルされてきれいになっている。 今回、八ヶ岳を登山した目的は、在阪の山仲間で百名山登頂を目指しているA.D氏とH.H氏がまだ八ヶ岳に来たことがないということから、企画を買って出たものである。 27年前に縦走したのと同じコースである。 前日は硫黄岳山荘に宿泊して、横岳・赤岳を越えてきた。 |
キレット小屋で昼食
7月13日(日) 赤岳登頂を終えて、神経を使う下りを降り切って12:10にキレット小屋到着。 ここは鞍部の静かな小屋である。 ベンチに腰をおろしてEPIに火をつけてラーメンを作る。 下のテント場まで降りてトイレを使って12:54に出発。 ここから権現岳まで90分の登りが正念場である。 樹林の中にはシャクナゲが咲いている。 |
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ツルネ
さらに登ると13:22にツルネに到着。 ここからは権現の山頂方面がよく見える。 見晴がいい砂地はコマクサの宝庫だ。 ツルネの山頂の道標には、出合小屋へのルートが示されていたが、地図の上では道はない。 鞍部からさらに登ると、誰かの遭難碑があった。 登り切って旭岳の岩峰で休憩。 ここから見るツルネの縦走路は尖っていて美しい。 |
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権現岳山頂
14:29に権現手前の名物の長い梯子を登る。 登りに使うと高度感はないが、何しろ長いのでつかんでいる手が疲れてくる。 14:52に2715mの三叉路に到着。 権現岳の山頂まで行ってみる。 山頂は狭い石の頂なので3人で並んで写真を撮るのは難しかったので、一人ずつの写真となる。 ピークには鉄剣があった。 まるで剣岳のようである。 |
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権現小屋
山頂から権現小屋を通過。 こちらの小屋も青年小屋と同じ経営者の山小屋だ。 ギボシからほぼ空身で上がってきた10人くらいのパーティーが賑やかに前を歩いていた。 鎖場を越えて傾斜のある道を降り、15:43にのろし場へ。 水を飲んで最後の休憩。 あとはゆっくり下り16:07に遠い飲み屋の看板のかかった懐かしの青年小屋に到着。 26年前と同じ光景であった。
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遠い飲み屋---懐かしの青年小屋
受付を済ませて上がる。 幸い3人で北側の個室を使わせてもらうことができた。 冷蔵庫に入っていたビールを買って部屋で乾杯。 早速宴会となる。 夜に備えて、H.H氏はポリタンクをかかえて水を汲みに行ってくれた。 17時半から夕食。 信濃牛の甘辛煮に自宅で取れたタケノコの煮物。 思わずワインのハーフボトルを頼んでしまった。味噌汁はおかわりした。 食後、外に出て日没まで富士山の眺めを楽しんだりする。 部屋に帰ってまた飲み直し。
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青年小屋の夕食
19時から、小屋のご主人の竹内さんが、狩野英孝を連れて山に登った時のテレビ番組を見せてくれた。 終わってからアマダプラムとエベレストに登った時のVTRを見せてくれた。 高い飲み屋でビールを飲んだ話や登頂後下山の時に天候が悪化し、凍傷で指を失ったことなど、興味深いものばかり。 話は尽きないが21時消灯。 部屋に戻り、残りの酒を飲みほして21:38に就寝。
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朝---青年小屋の談話室
7月15日(月)朝5:20起床。 朝、昨夜降っていた雨は収まったが風がすさまじかった。 5:30に朝食に呼ばれる。 今朝もおいしい卵などのごはん。ごはんををおかわりした。竹内さんは、赤岳方面に進む人に良く考えてねと言っていた。出発の時に談話室を除いたら昔27年前に竹内さんの弾き語りで一緒にフォークソングを歌ったギターが隅に置かれていた。 6:45に小屋を出て乙女の水という水場に行ってポリタンクをいっぱいにする。
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編笠山山頂
7:00に出発。 編笠山を目指して石の上を歩いて青年小屋を後ろに見る。登りの道は樹林の中なので風がない。 暑がりのH.H氏は早速半袖になっている。 ヒカリゴケを通過して、2人ほど単独の登山者とすれ違って7:39に編笠山山頂に到着。 風が強くて寒いくらいだ。 おそらく空は晴れているのだが、ここ一面にガスが立ち込めていて景色はない。 |
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尾根から見る富士山と鳳凰三山
長居する気力もなく7:50に小淵沢への下山ルートへ入る。少し下りたところで、鉄板に「頂上まであと少し、山頂から15分で、ビール、カキ氷あります。 青年小屋」という札があった。 確かに、夏の晴れた日に山頂を登った後、青年小屋でビールを飲んだらさぞうまいことだろう。 樹林の急傾斜を降りているとやがて目の前が開けるところに来た。 ここまで来ると、雲の下にいるようだ。 日差しが強い。 富士山の姿も見えた。
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雲海展望台で休憩
8:50大岩で休憩。 本当であればこのあたりが押出川のはずだが分岐の標識はない。 どうやら自分たちのペースはエアリアマップより遅いようだ。 9:19押出川通過。 昔の地図ではここにトイレがあったらしいが、今ではかけらもない。 石のルートと並行するように木の間を抜けるルートがあり少しわかりにくいが9:55に雲海展望台に到着。 ここは眺めがよいのだが、何しろ虫が多い。 あぶに刺される人もでたので10分ほど休憩したが何も食べずに出発。
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小淵沢へのまっすぐな自然歩道
雲海からは富士見平に下りる道と観音平に下りる道に分かれるようだ。 27年前に通ったのは富士見平への道であるが、どうも、今では、観音平に駐車場ができたこともあり、主役は観音平の道に変わってしまったようだ。 われわれも観音平への道を進む。 道は次第に平坦になり、ヤマユリの姿が見えるようになると、観音平の喧騒が聞こえてきた。 駐車場について写真を撮り、ベンチに腰掛けて水を飲む。 昼食はとりあえず登山歴史館までお預けということにしてヒカリゴケと岩庭園を抜けてそこからはまっすぐに下る長い道。 後ろを振り返ると権現の山頂が見えた。 牧場に突き当たる標高1300mくらいまで降りて、最後は回り込むようにして車道に出る。 車道を10分ほど下りきったところに森の駅小淵沢登山歴史館があった。 そこで昼食。 生ビールで乾杯し、山菜の天ぷら定食1000円を食べる。 もはや14時の電車は間に合わないので、携帯を使って各自帰りの電車を決める。 12:50出発。 |
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小海線踏切を渡りゴールの小淵沢駅へ
そこからさらに車道に沿って歩いて途中、甲斐駒の写真なんぞを撮って、13:50にスパシオ小淵沢に到着。 先を急ぐA.D氏はカラスの行水。 われわれ2人は上がってから牛乳を飲んだりして、14:45に出発。 小淵沢の駅に着いたら15:20になっていた。 H.H氏に差し入れに500mlのビールを渡して、自分は駅前のベンチで涼みながら電車を見る。 16時になった途端、アウトレットから帰ってきたバスから山のように人が降りて、駅のお土産物売り場も収集がつかなくなる。 えきねっとで予約してあった切符を買って16:10に特急はまかいじに乗車。 この列車は横浜線に入るので楽である。 焼酎を飲んで眠ってしまった。 18:30に新横浜到着。 山梨からは都心は雷雲に覆われていたが、もう雲も取れたようで、夕闇迫る夏空が広がっていた。
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野郎4人で久々の宴会中心登山を楽しむことができた。 最近、一人で黙々と歩くという登り方が多かったので若いころからの山仲間との交流は27年ぶりのコースとも相まって万感の思いだった。 青年小屋のご主人の竹内さんは27年前に宿泊させていただいたときは確かに青年だったが、自分同様に中年なっていると思っていたが、どうしてどうして気持ちは青年の時のままであったのが何よりも嬉しかった。
(2013年7月 記) |
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