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基本情報
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山名 |
手稲山(ていねやま) |
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標高 |
1,023m (一等三角点本点) |
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山域 |
札幌近郊 |
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都道府県 |
北海道 |
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位置 |
N43.04.36/ E141.11.33 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図2「羊蹄山・ニセコ・暑寒別岳」
2万5千分の1地図「手稲山」
20万分の1地勢図「札幌」 |
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山岳区分 |
ハイキング百選・北海道百名山 |
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登山記録
山歩No |
95903-13015
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登山日 |
2013年5月3日(金) |
歩程 |
0時間30分 |
天候 |
雪 |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
札樽道手稲ICからテイネハイランド道路 |
パーティー |
1人 |
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2013年春の北海道遠征は、旭川空港からレンタカーでまず暑寒別岳を目指した。日本全国がほぼ好天に恵まれる中で、なんとオホーツク海に低気圧が居座ってしまい、おかげで北海道の日本海側は季節外れの大雪。 日本の標高1500m以上のところにはマイナス20度の寒気団があるという。 暑寒別岳も出だしは順調だったが、途中でルートミスがあった上、標高1000mより上は降雪がありホワイトアウトの状態。 残念ながら途中であきらめて下山せざるをえなかった。 あまりの寒さに、車中泊の予定も軟弱にビジネスホテルへ逃げ込むことにし、翌日は予定を変更して予備日を使用して手稲山をスキー場からアタックするという計画にした。 |
雨の札幌ビジネスホテル
2013年5月3日(金)GW後半の4連休の始まりは札幌のビジネスホテルで目覚めて始まった。 窓から外を見るとかなり強く雨が降っている。 やはり昨日、暑寒別岳を登った(中途敗退した)後、今日余市岳に向かわずに予備日としたのは正解だったようだ。 目的を山とスキー場の両方をゲットできる手稲山(サッポロテイネハイランドスキー場)に決めてホテルの朝食をいただく。9:30にチェックアウトして駐車場から車を出したが、とてもこの雨ではスキー場に直行する気がしない。 特別春スキーの期間ということでフリータイム2500円とスキー場は格安なので、あわてて滑ることもなく、ちょっと寄り道をしていこうと考えた。 札幌の観光案内にあった「渡辺淳一文学館」へ。 |
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中島公園-渡辺淳一文学館
中島公園の裏のひっそりとした2階建てコンクリート作りの建物の中にエリエール スクエア札幌 渡辺淳一文学館 011(551)1282はある。 これは地元企業の大王製紙が北海道出身の作家である渡辺淳一の作品と人柄を知ってもらうために作ったものである。 300円の入館料を支払って入る。1階は図書コーナーになっていてコーヒーなどを飲みながらテーブルでゆっくり蔵書を読むことができる。 2階が展示コーナーである。 朝営業開始直後のせいか他に見学者もなく、ゆっくり展示を見ることができた。 先生の若き日の病院勤務や家族との生活の写真があるが、とても美男子だ。 医者としての頭脳+作家としての文才+そして端麗な容姿、本当に天はこの先生に3物を与えている。 (私はそのひとつも恵まれなかったのに。)
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文学館一階図書コーナー
渡辺淳一は北海道生まれで1958年札幌医科大学卒業後、母校の整形外科講師となり、医療のかたわら小説を執筆。1970年「光と影」で直木賞を受賞。作品には初期の医学を題材としたものから、
歴史、伝記的小説、男と女の本質に迫る恋愛小説と多彩である。1997年2月刊行の「失楽園」(講談社)は、日本経済新聞に 連載中から話題を呼び、260万部を突破。その題名は1997年の流行語大賞に選ばれた。これは自分は映画も見たし、川島なおみ主演のTVドラマも毎回わくわくしながら見ていた当時を思い出す。テレビドラマの主題歌になったZARDのシングル「永遠」も飾られていた。 ボーカルの坂井泉水が亡くなったのは6年前の5月だった。 青山霊園で行われたお別れ会に行った記憶もよみがえった。展示コーナーには、映画やドラマで有名な作品、監督や女優と一緒の写真などもたくさん飾られていて興味が沸いた。また彼の書いた小説を何か読んでみたくなった。
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サッポロテイネ・ハイランドスキー場
11時になり札幌を後にする。 天気予報では午後から雨はやむということであったのでサッポロテイネハイランドスキー場へ向かう。 途中、ガソリンスタンドとスーパーに寄って、手稲山への坂道を上がっていくと、雨は次第に雪に換わっていった。 やはり標高の高いところでは雪なのだ。 レンタカーは冬タイヤを履いてはいるが新雪のある道の運転はさほど慣れていない。 12:00に駐車場に到着。 1台停まっている車があり、横で登山の格好をした方が準備をしているので近づいて挨拶する。 聞くと、地元の山スキー愛好家の方だそうだ。 リフトで上まで行くことはできるが彼は登山道をここから山頂まで登って、東側の急峻なコース、通称「北壁」を滑るつもりだという。 すごい。 この大雪の中を板を担いで単独で登るとは。 さすがは北海道だ。たくましい方がいる。
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クワッドリフト山頂駅
軟弱は私は、そのまま準備をしてスキーセンターへ。 春スキー特別リフト券を2500円で購入し(通常は大人4800円)、リフトへ向かう。 このスキー場はいったん4/7で毎日営業を終了して、そのあと4月中は土日の営業、5月も3日から6日の旗日に特別リフト券をお得な価格で提供して1部のリフトを営業するとのことだ。 札幌市内からたったの40分で来ることができるという便利さは驚きである。 しかもゲレンデは広い。以前、関西勤務の時に北海道出身の先輩がいてとてもスキーが上手だったが、なるほどと納得できた。 天候が悪いせいか、ゲレンデは驚くほど人が少ない。営業している高速クワッドリフト「サミットエクスプレス」は待ち時間無しで乗れる。 というよりも、動いているリフトの5台毎間隔くらいでやっと一人乗客がいるような状況である。クワッドリフトの山頂駅に到着。 視界はほぼゼロに等しい。 気温は丁度、ゼロ度だった。
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女子大回転コース
ちょっくら足慣らしに滑ってみることにする。 「女子大回転」という上級者コースを進む。 ここは1972年札幌冬期オリンピックが開催されたときに造成されたコースだ。 当然ながらオリンピック選手が滑るコースなのでかなり急傾斜だ。 思わず途中からナチュラルという初級者用の林間コースに抜けて逃げてしまう。 こちらは逆に新雪が降り積もっていて緩傾斜なので一生懸命漕がないと進まない。 かなり長い距離を滑った後に、もとのリフト乗り場に到着した。そろそろおなかも空いてきたし、山頂を目指すとする。
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手稲山山頂
先ほどの高速クワッドリフト「サミットエクスプレス」に乗って山頂駅まで行く。 そこから、立ち入り禁止の札のあるロープを超えていくことになる。 ここから先はスキー場の外なので当然ながら「スキー場は責任持ちません」「事故の場合の救出費用は請求します」という文言が記載されている。しかしながらちゃんと足跡はついている。 やはり進入している人はいるようだ。 自己責任であることは山やとして重々承知しているが、入っていった姿を見てスキー場の人に心配をかけるのは申し訳ないなと思いつつ、ここまで来て北海道百名山の登頂をあきらめる気もなく進んでいく。 休止しているロープウエイの駅を右手に見て、数本立っている電波中継塔の間を通って進む。 どんずまりが北海道開発局の手稲山無線中継所になっていた。 ここが最高地点だ。 少し南側に展望台と思しきところがある。雪の吹き溜まりになっているのであまり近づくことができなかった。
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無人休憩所
もとの道を引き返してゲレンデに戻る。 風の影響で電波塔に着雪しているものが落ちてくるのに気を付けなければならなかった。 ロープウエイの山頂駅の前には相当雪が積もっていた。スキー場まで戻るとホットカフェ1024という名の山頂スナックが無人の休憩所になっていたので、そこで、朝食の残りのおにぎりをほおばる。 無人なのにストーブがついていた。 やはり寒いせいか、時々スキーヤーがのぞいて休憩していった。 シーズンのピーク時にはおそらく座席の奪い合いになっているのだろうが。 中級のシティービューコースを一回滑ってみる。 新雪で気持ちがいい。 14時半になり最後の1本は最難関といわれる「北壁(きたかべ)」に挑戦。 1500mで平均20度最大36度という樹林の中の急斜面である。 こぶはあるが、雪が柔らかいのでさほどスピードを殺せなくなるということもなく、こぶに乗ってターンをすれば難なく降りることができた。 |
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駐車場積雪6㎝
視界は良くなかったが名物コースを滑って気分よく終えて15時、車に戻ると屋根に6㎝ほどの雪が積もっていた。 わずか3時間弱でこれだけ積もるのだから結構降ったということだ。午後から雪はやむのが予報だったが、どうしてどうして山間では降り続いている。 片づけていざ帰ろうとするとメガネがないことに気が付く。 サングラスに架け替えたあとどこかに忘れてきたのだろうか?スキーセンターのトイレの可能性が高いと思い、電話をしてみると落し物として届けられていた。 よかった。 これがないと車の運転に支障がある。駐車場から歩いてスキーセンターへ行ってメガネを受け取り、16時に出発。 銭函ICから札樽道に乗って1区間朝里ICまで走り、そこからは393号線を通ってキロロスキー場を目指す。
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毛無峠から小樽の街を見おろす
雪はやむ気配はないが17時になって少し小降りになってきた。 途中、毛無峠が最高標高地点であるが、この手前の展望台からは小樽の街を良く見渡すことができた。小樽はまだ行ったことのない町である。 海産物がおいしいという評判だ。 できれば冬の時期に行くのがいいのだろう。東京から来たと思われる4人の家族連れが写真を撮っていたのでシャッターを押して差し上げる。ここからの道は思ったほどの傾斜はなかった。 キロロスノーワールドには、日没前に到着することができた。 雪が降り続いているのだから日没も何もないのであるが。 ホテルピアノの駐車場に車を停めて、さっそく、車の中の後部座席を寝床として整理をする。 今夜の宿はここである。
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手稲山は札幌市民の憩いの山である。スキーリフトを使ってやってきたのは少し反則かもしれない。 山頂は残念ながらテレビ中継塔が立ち並び(まるで滋賀県の比叡山のよう)、昔ながらの景観はないが、スキー場と合わせて楽しむことができたのはお得だったといえよう。 札幌オリンピックが開かれたには1972年。 今から40年以上も前のことである。 当時小学生だった自分には、記憶にある冬季オリンピックといえばここからである。 目をつぶると当時の日の丸飛行隊のジャンプでの金・銀・銅メダル独占のテレビ中継の絵が浮かんできた。 札幌の人たちはどれだけ熱狂したことだろう。 人々に勇気と希望を与えてくれたこのスキー場がいつまでも市民・道民に大切にされることを願ってやまない。
(2013年5月 記) |
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