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東お多福山
東お多福山

基本情報
1 山名 東お多福山(ひがしおたふくやま)
標高 697m (三等三角点)
山域 六甲山地
都道府県 兵庫
位置 N34.46.09/ E135.16.23 
地図 昭文社 山と高原地図49「六甲・摩耶・須磨アルプス」
2万5千分の1地図「宝塚」
20万分の1地勢図「京都および大阪」
7 山岳区分 ハイキング百選
登山記録
山歩No 9190-18020
登山日 2018年6月9日(土)
歩程 1時間30分
天候 快晴
形態 日帰り
アプローチ 阪急バス東お多福山登山口
パーティー 7人

 15年ぶりぐらいだろうか、兵庫県芦屋市と神戸市東灘区の境界にある東お多福山に登ったのは。 この山は阪神間に住む人にとっては遠足で来たことのあるような親しみのある山である。 六甲最高峰の前衛としての展望の良さと標高697mの手軽さとふもと住宅地からのアクセスの良さが人気の秘密である。 自分は山岳部のメンバーとして若いころより何度もこの山を訪れた。 登山というより仲間との宴会の目的で登っていたような気もする。今回、この場所は、山仲間で1年前に亡くなったS.Nさんの1周期追悼登山の舞台となった。

新横浜駅早朝

 6月9日(土) 朝6:00ひかり493号広島行きの新幹線に乗る。そういえば、この始発のひかりは新横浜始発で、朝いちばんののぞみよりも早く大阪に到着することができる電車なので何度か利用したことがある。 11月の連休に静岡から乗ったときは自由席が満席でラッシュ時の満席状態で名古屋まで立っていったこともある。 幸い、この日は余裕で自由席に座ることができた。  新大阪到着は8:12。ここから東海道線で大阪まで行って、阪神電車に乗って甲子園駅まで行く。 阪神の梅田駅も甲子園駅も26年前に通勤で使っていた駅で懐かしい。

阪神甲子園駅

 甲子園の手前の尼崎駅からA.Dさん夫妻が乗り込んできた。 A.Dさんとは3月に八ヶ岳に一緒に行った。 甲子園駅で9:00に今回のリーダーのK.Mさんと落ち合う。 一緒に行く山岳部長のH.HさんもN.Kさんもここで集合である。 昔、甲子園に住んでいたときにプランタンという名前だった店舗はダイエー・イオンを経て、今はCOROWA甲子園として専門店のショッピングモールとなっている。 開業した1993年6月17日のことを今でも昨日のことのように覚えているのだが。。

芦屋川経由で車は進む

 K.Mさんの車に乗せてもらい芦屋川沿いで、M.Aさんを拾う。 懐かしい芦屋川沿いの道を北に向かう。 M.Aさんは九州に住んでいるので新門司港から阪九フェリーに乗って六甲アイランドまで来たという。 確かに九州から阪神地区に来るにはそれも合理的だといえよう。 車に乗り込んできたM.Aさんに夜は寝られますか?と聞いてみるとやはり、混雑している時期はまわりの人の騒音が気になってなかなか寝付けないということだった。それでも夜行の旅の疲れを感じさせないいつものさわやかなM.Aさんである。
 

芦屋ゲート

 車は芦有ドライブウエイに入る。 芦屋ゲートで一度トイレ休憩をとる。 そういえば昔芦有ドライブウエイを自転車で駆け上がって六甲最高峰に登ったことがあった。その時に職場の隣の部署に方が車を運転していて私の姿を発見し、翌日冷やかされたことがあった。 今となっては良い思い出であるが。 たまの休日にそうやって朝起きて天気が良いから自転車をこいで近くの山に登りに行くことなど今はとてもできていない。 


登山口の駐車スペース

 東お多福山に登るコースはいくつかあるが、ハイキングで一番メジャーなのは芦屋川の駅から、高座の滝経由で荒地山経由で芦屋カントリークラブの横から雨ヶ峠を経て山頂に至るコースである。 これは芦屋・神戸の景色を堪能できる展望コースである。ただし、山頂までは2時間半を要する。 もう一つは阪急バスで東お多福山登山口まで来て、そこから歩くコースでこちらは最短1時間未満で山頂に到着することができる。 今回我々はマイカー利用なので奥池の住宅地に車を停めさせていただき、そこから登ることにした。  

林道から歩行開始

 10:00車の前で写真を撮影して出発。 H.Hさんのカメラで撮影だが、三脚は自分が持ってきた小さなものしかなかったので、H.Hさんは道路に寝そべりながらショットの構図を合わせる。 登りだしは林道の中のゆったりとした登り坂を歩く。蛇谷という小さな沢に沿って進む。 ずいぶんと昔のことになるが1989年7月に、この沢ぞいでバーベキューをやったことがあった。 当時はたくさんのビールや食材を抱えてこの坂を上ったはずである。リーダーはS.Nさんだった。 


コアジサイ

 途中、道端にコアジサイが咲いている。  梅雨に入っているが幸い今日は天気が良い。 自分が日本百名山を完登した2011年の6月もこのような良い天気だった。 山岳部の部長をしているH.Hさんが登山の記録を持ってきてくれたが記録を見る限り、我々山岳部は結構6月に六甲山に入っている。


土樋割峠

 道は20分も登ると土樋割峠に到着する。 ここは裏六甲縦走路への分岐となる。 自分が自転車をこいで六甲最高峰を目指したときは、確かここから北に進路をとったはずである。 今回我々は東お多福山を目指すので南に進む。 標高差80mくらい、15分の道のりである。 

山頂を目指す

 10:45小高く開けたところへ出た。 ここが東お多福山の山頂(標高697m)であった。 トレランのご夫婦にお願いして全体写真のシャッターを押していただく。 記録をつけていたなら申し訳ないことをしたと思うのだが。山頂からなだらかな樹林を渡っていくと展望の開けた場所に出た。
 

お多福山山頂

 もっと広くて開けた丘陵地だったイメージがあったが山頂自身はそんなに広くはない場所だった。 思ったよりも草木があって、果たして2000年3月18日に山頂で延々5時間宴会をやっていた広々とした山でったこととの落差があった。 このホームページのカバー写真に使っている草原の写真はそのときに撮影したものである。 おそらくこの時は雨ヶ峠から稜線を上がってきたのであろう。確かに広い草原はあるが、おそらく宴会の場所は山頂手前なのだと思う。

奥池を展望

 来るときに通ったルートを引き返して11:20に土樋割峠に到着。 そこから林道を下って、駐車場に戻る。 麓のアジサイが少し時期が過ぎてしまっていることを見て、やはり東日本に比べてこちらのほうが季節の進行が速いのかと感じる。11:40に駐車場に降りて、車で皆で移動する。 S.Nさんを偲ぶ会の会場は、山岳部黒幕で今回のリーダーのK.Mさんのご自宅である。 車に7人で乗って一路進む。 途中西宮市内では自分が昔住んでいた家のあたりを走ってもらう。景観が変わってずいぶんとショッピングモールも多くなっていて驚きである。 


1992年5月に東お多福山頂で奥池を見たときは

 ばかばかしい試みであるが、若者だったときに撮影した東お多福山の様子と比べてみる。 1992年2月12日の山頂から見た芦屋カントークラブの方面である。あたりまえであるが山頂からの様子はそんなに変わっていない。 唯一自分が年をとったのが変化であろうか?

下山・K.Mさんの家で偲ぶ会

 K.Mさんの家では、彼と夫人が前夜から作ってくれたカツオのたたきをごちそうになる。 南国高知の郷土料理は焼酎とよく合う。 偲ぶ会の昼食会には、S.Nさんの奥様も参加である。 S.Nさんと同じ職場だったN.KさんがS.Nさんの写真を大きく焼いて持ってきてくれたので、まるでS.Nさんも一緒に参加しているかのような錯覚をしてしまう。 K.Mさんの奥様も加わり、山岳部OB/OGが集まり、80年代・90年代の昭和の山の話に花が咲く。S.Nさんの思い出の話は尽きることなく次から次へと出て、夕方のフェリーで九州へ帰るM.Aさんの一声がなければ翌朝まで続いていたのかもしれない。阪神の甲子園駅までバスに乗り、そこで解散となった。
  

いつかどこかの山で遭えるかも

 大切な山仲間のS.Nさんは2017年6月3日に突然の病で帰らぬ人となった。65歳だった。 最後に話をしたのはいつだったのか覚えていないが。一緒に行ったいくつもの山の記憶は今もはっきりとよみがえってくる。 1990年の奈良の山の頂で撮影した写真には、今回偲ぶ会にいたメンバー4人が映っている。 S.Nさんは今でも、どこかの山でばったり出会って、「よう! XX君元気か?」とあの笑顔で手をあげて答えてくれそうな気がする。 

 帰路の新幹線では中島みゆきの「旅人の歌」を聞いた。 「あの日々は消えても、まだ夢は消えない。君よ、歌ってくれ。 僕に、歌ってくれ。 忘れない、忘れないものもここにあるよと。」このフレーズが耳を離れなかった。 S.Nさん、ありがとう。 私たちはあなたのことをきっと忘れません。

(2017年7月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています