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縄文杉
縄文杉

基本情報
1 山名 縄文杉(じょうもんすぎ)
標高 1,300m 
山域 大隅諸島(屋久島)
都道府県 鹿児島県
位置 N31.21.39/ E130.31.54 
地図 昭文社 山と高原地図59「屋久島・宮之浦岳」
2万5千分の1地図「宮之浦岳」
20万分の1地勢図「屋久島」
7 山岳区分 ハイキング百選
登山記録
山歩No 9070-09043
登山日 2009年11月28 日(土)
歩程 6時間00分
天候 晴れのち曇り雨
形態 小屋泊2泊3日(宮之浦岳より)
アプローチ 鹿児島港よりジェットオイル宮之浦港
パーティー 1人

 休暇を取って念願の屋久島登山。11/26(木)に羽田から空路で鹿児島まで。 高速船ロケットに乗って屋久島宮之浦港からバスとタクシーを乗り継いで淀川登山口からあがってきた。 前日27日(金)、天気に恵まれた中を宮之浦岳登山。 寝具と食料・炊事道具は持ってあがってきたので、新高塚小屋に宿泊した。 今日は、天気と体調がよければ、屋久島の名所である白谷雲水峡へ下山しようと思う。 (詳細は宮之浦岳のページ参照。)

高塚小屋

11月28日(土)5:30起床。 夜の内に雨がぱらついていた音がした。 6:40出発の予定としていたが、隣の4人組も出発を遅らせるらしく6:00起床と変更を指示している。 あまりごそごそするのもはばかられたので自分も6時まで寝ておくことにする。 起きてトイレに行くと、5m先も見えない霧。 その他小屋にいた人たちも起きだすのがやや遅めだった。 小屋の前の土間で雑炊を作って7:00に出発。新高塚小屋は平地にあるので気がつかなかったが、そこから小高塚山を越えるので、結構のぼりでしんどい。 7:56に休憩。 8:01出発。 8:18高塚小屋に到着。 もうこのあたりで霧も晴れて朝日もさしている。 ブロックつくりの小屋の中だけのぞいてみる。見かけに比べると中はきたなくはなかった。 ただ、定員20名となっているが、実際10人以上泊まるとかなり狭いのではと感じた。 今日は宿泊者はいない。 たぶん、小高塚山のルート上ですれ違った2人だけが昨日の宿泊者だろう。 

縄文杉

 8:30縄文杉に到着。 高塚小屋からはわずか10分ほどだった。 女性3名+男性ガイドの4名のグループがいた。 写真を撮るべくシャッター押してもらう。 この方たちも結構な荷物を持っていたし、時間が早かったから、もしかすると昨日のうちに高塚小屋に来て泊まっていたのかもしれない。 縄文杉は1966年、屋久町役場(当時)の観光課長だった岩川貞次氏により発見され広く紹介される。発見当初は大岩杉と呼ばれていた。「縄文杉」という名前の由来は、当時推定された樹齢が4,000年以上で縄文時代から生きていることから来たという説と、奔放にうねる幹の造形が縄文土器に似ているからという説がある。ただ、その後の調査で樹齢は2700年くらいと判定されている。

夫婦杉

  淀川登山口までタクシーで上がってくるときに、タクシーの運転手が、高塚小屋に泊まって、朝、日の出にあわせて縄文杉を見ると、朝日が杉の幹にあたって幻想的な姿を見ることができる、と言っていた。 なるほど、時期がよければトライする価値があると思われる。 先ほどの3人プラスガイドの方は見ることができたのだろうか? 8:35出発。 そこからは登山道というよりは整備されたハイキングコースのような感じがある。 木製の段が整然と並んでおり、歩きやすい。 ただし、登山者が多い時期だと、すれ違いに時間がかかるだろう。 途中、夫婦杉の写真を撮る。 枝が2本の幹に渡っている様子が、手をつないでいるように見えるという。 なるほど。 9:14に大王杉を過ぎたところで暑くなったのでカッパを脱ぐ。 9:20出発。 。 

ウィルソン株の中から天井を見上げる

 10:08ウイルソン株に到着。 中に入って上をみあげてハート型の天井の写真を撮ったりする。 隣の人は大阪から赤ん坊を連れて来ている人だった。小さな子を背負ってここまであがってくるのはさぞ大変だったに違いない。 まわりで休憩していた人が種子島のロケットの打ち上げ音が聞こえたという話をしていた。 女子高生15人ほどの集団が、先生に引率されてやってきていた。 さすがにその人数では、一度に株の中に入ることはできず、順番待ちをしている。 

ウィルソン株外観

ウイルソン株は1586年(天正14年)、牧村の五郎七が足場を組み、豊臣秀吉の命令により大坂城築城(京都の方広寺建立とも)の為に切られたといわれる。胸高周囲13.8m。ハーバード大学樹木園ための収集に、日本を訪れたアメリカの植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(Ernest Henry Wilson)博士により調査され、ソメイヨシノなど多くの桜などの収集とともに1914年に西洋文化圏に紹介され、後年この株の名前の由来となった。縄文杉発見の1966年の52年前の調査である。株の中には清水が湧き出ている。 また祠がある。またこの杉は枝が多く、使い物にならなかった先端部分は、下の沢に放置され、今でも残っているという。10:14出発。

大株歩道

 10:39に大株歩道に到着。 そこから、線路を伝ってペースを上げてあるこうとするが、やがて本当の屋久島の洗礼を浴びることになる。 太忠岳が見える沢のあたりでぽつぽつと雨が降り出して、やがて30分ほどで強くなってくる。 仁王杉は気がつかずとおりすぎてしまった。トロッコの軌道の上を1時間ほど歩くが、次第に雨は強くなる一方で、枕木がすべりやすく、歩きやすいとはいえない。 小杉谷山荘跡にはきれいなバイオトイレが消臭剤で有名な小林製薬の寄贈で設置されていた。 、11:38に楠川別れに到着。 もともとはここで昼食の予定だったが、雨の中、すわるのも面倒なのでカロリーメイトをほおばり昼食はうしろにずらす。 11:44出発。

辻の岩屋

 12:34にここが辻の岩屋と思い込んだところで休憩。 水を飲む。 でも実はそこは辻の岩屋ではなかった。 12:42にそこを出てさらに進むと本当の辻の岩屋と思われるところで登山者が3人ほど休んでいた。 ここは、太鼓岩と合わせ、映画「もののけ姫」のモロ一族の住む岩屋のモデルにもなったところだ。 13:00標高950mの辻峠到着。なるほど、小杉谷からの標高240mの登りは、最後に雨にうたれたせいもあってかなりきつかった。

太鼓岩

 木のうろのしたにザックをおいて、太鼓岩への急な道を登り始める。 太鼓岩13:20、雨で何も見えなかった。 天気がいいときは、きっと絶景が眼下に広がっているのだろう。 往路のタクシーの運転手もこの場所を絶賛していた。 ここからの景色を見ることができなかったのは残念だったが、将来もう一度屋久島にくる必要があるということだろう。 寝転んだ写真だけとって急な道を350m下って、また辻峠へ。 13:30峠出発。 そこからは古い杉のたちならぶ幻想的な樹林の中のハイキングコース。 白谷小屋の少し手前で沢を渡るところがある。 地図には雨天時渡渉注意と書いてある。 たしかに水かさは増えていたがトムラウシや月山のときの渡渉と比べたらたいしたことはなかった。

白谷雲水峡

  14:08白谷小屋到着。 外は雨が激しいせいか休憩している人がたくさんいた。 EPIを出して、ラーメンを作る。 暗かったのでヘッドランプを出した。遅い昼食を手際よく済ませて 14:40出発。 コースタイムよりビハインドだったので間に合うか心配だったが、15:32に白谷雲水峡に到着。 トイレをして下山届けを提出し、バイオトイレ設置の協力に500円を募金する。 16:00にまつばんだバスに乗車。 バスの乗務員さんも親切に乗車の際に荷物を運ぶのを手伝ってくれた。16:25に小原町で降りて、折り返しの牧野行きを待つ。 野良猫がえさをくれと擦り寄ってきた。 16:38に牧野行きバスに乗る。 外人が二人乗っていた。

屋久島山荘ホテルと安房川

 終点まで行って、食料品店でビールと焼酎とコーラハイを買って屋久島山荘ホテルにチェックイン。 あとで聞いたら宿泊した201号室は、作家の林芙美子が逗留して小説「浮雲」を書いたところらしい。 19:15にとびうおとしまらっきょうの夕食に舌鼓をうつ。 生ビールと三岳も飲んでひとりで乾杯した。ホテル屋久島山荘も老舗で乾燥室などもついていて登山客にはうってつけだった。 風呂の壁には、八重岳の頂と登山道をしめすタイルが張ってあり、ゆっくり眺めながらくつろげた。 久しぶりにふとんに入って、ぐっすりと寝た。 翌日は、鹿児島に戻り、空路東京に帰ることになっていたが、飛行機まで時間がある。ホテルにいたガイドさんは、平内海中温泉に行くことを推奨した。 確かに行ってみたかったが、バスで一時間かかるので、往復して11:30のジェットフォイルに乗るのは無理である。 あきらめて、宮之浦で環境文化村センターで屋久島の自然を映画・展示で鑑賞し、鹿児島で桜島を散策して帰った。


前日と打って変わって雨の中の行軍となったが、縄文杉・ウイルソン株などの見どころのところで晴れてゆっくりと見物することができたのでまあ文句は言えないだろう。太鼓岩の眺めは一見の価値があるというが、今回は残念であった。 屋久島が1月に35日雨が降るというのはよく言ったものである。 確かに辻の岩屋のところでのバケツをひっくり返したような雨は本土で霧雨のような雨にあたって慣れている者にとって少し常識を覆してくれることになった。朝、霧の中で見た縄文杉の姿は豊かな歴史を感じさせてくれるものだった。 世界遺産の屋久島の息づく自然を感じられた瞬間であった。
(2009年12月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています