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長命寺
長命寺

 基本情
1 山名 姨綺耶山 (いきやさん)
寺名 長命寺(ちょうめいじ)
通称
都道府県 滋賀県
位置 N35.09.46/ E136.03.50
地図 昭文社 山と高原地図0「」
2万5千分の1地図「比良山」
20万分の1地勢図「京都および大阪」
7 住所 滋賀県近江八幡市長命寺町157
8 区分 西国三十三箇所(弟31番札所)
参拝記録
山歩No 8340-14014
参拝日 2014年4月13日(日)
歩程 1時間15分
天候 曇り
形態 日帰り
アプローチ 東海道線近江八幡駅から近江鉄道バス長命寺下車
パーティー 1人

2014月4月13日日曜日、福井県敦賀市の野坂山に登った。 この山は市民に親しまれた敦賀市の郵便番号と同じ標高914mの山である。思ったほど天気の崩れがなく展望を楽しむことができた。幸い愛知県から来られたご夫婦の車に同乗させてもらい敦賀駅まで送ってもらったので時間に余裕ができた。 せっかくなので帰る前に西国三十三箇所の寺社を一つ回っていこうと思いついた。竹生島にわたる船はもうないので、行くとしたら距離的には長命寺か観音正寺であろう。 後者はバスの便が悪ければ徒歩50分以上かかるので丸一日仕事になってしまう。 今回は長命寺に行くことにした。 

近江塩津駅

敦賀から北陸線と東海道線を乗りついて近江八幡までいかなければならない。そこでまず湖西線直通電車に乗って近江塩津まで出た。近江塩津の駅は滋賀県の駅では最北端の駅に当たり、ICOCA等のICカードが利用できる駅もここまでとなる。駅舎はホームから下になるために駅の乗り換えと改札まで行くためには暗いトンネルを通過する。  駅の外に出てみると塩津海道が目の前を走っている。 しかし交通量は少ない。 山と湖に囲まれたたたずまいはどこか神秘的な雰囲気のある西浅井の里の様子が広がっていた。 現在の駅舎は「海道・あぢかまの宿」との合築となっている。「あぢかま」とは鴨の別名である。駅構内の改札外にはレンタサイクルの営業所も存在する。駅のホームからは野生の猿が木に登って食べ物をとっている様子が見えた。 なんとものどかなところである。

余呉湖

 待つこと約25分、14:05に北陸本線の米原経由東海道線の新快速列車がやってきた。 この電車に乗っても近江八幡駅に到着するのは15:08になるという。いやはや琵琶湖は大きい。 近江塩津を出て最初の駅が余呉駅である。駅の前に余呉湖が広がっている。 1日の乗降客数が200名に満たない小さな無人駅であるが、この駅を昔通ったことは瞼にしっかり記憶している。 かつて、父親の実家が金沢にあった。 北陸本線の急行列車に乗り金沢に行くときにしんしんと降りしきる雪の中の余呉湖を見た。 あれから40年たったが、今もあまり景観は変わっていない。

近江八幡からバス

 列車は混雑していないので一眠りして、米原でもともとの4両編成に8両増結して運転をした東海道線の新快速に変身した列車は近江八幡に15:08に到着した。 近江八幡の日牟禮八幡宮で行われる「八幡まつり」が翌日ということがあり、太鼓を担いだ青少年が街を練り歩いており思ったよりも活気があった。 観光案内所で教えられたとおり、15:20に駅の西口のバス乗り場から長命寺行の近江鉄道バスに乗り込む。バスの中に西武ライオンズの広告がぶら下がっていた。 東京で通勤していたころに見慣れたライオンズのポスターであったので最初違和感なく見ていたが、やがてここが琵琶湖の近くであることに気付いた。 そういえば近江鉄道は西武鉄道の子会社であった。

近江八幡---水郷の町

 バスは市内の歴史民俗資料館を通って進む。 観光客と思われる人たちの多くはここでバスを降りた。 このあたりには歴史的な建造物が多くある。 新町通を北につきあたったところが豊臣秀次が約400年前に築いたといわれる水運の拠点の「八幡堀」がある。琵琶湖と西の湖をつなぐ水路で、近江八幡が水郷として栄えたことを伺い知ることができる。水郷巡りの船も出ている。 菖蒲の季節などに訪れてみたいものである。

バス停長命寺

 バスはやがて市の中心部を離れ長命寺港のエリアへと入っていく。 長命寺山は標高333mなので、今回訪問する長命寺の寺も麓から808段の階段を登って本堂にたどり着くとWEBで読んだ。 標高差200m以上あるわけであるからちょっとした山登りのようなものである。 バスは終点の長命寺に到着した。 下車するのは自分ひとりである。 さすがにここを訪れる多くの観光客はマイカーで来るということだろうか。 バス停すぐ横の長命寺港にはたくさんのヨットが停泊していた。

長命寺の808段の石段

 15:53、日吉神社にお参りしていよいよ長命寺への参詣の開始である。 808段あるという石段を実際に数えてみることにした。40段上ったところで、宿院妙覚院が姿を現した。 「お寺に泊まろうー全国宿坊ガイド」にも出ているところである。 琵琶湖の景色は最高だという話である。石段の途中左手に妙覚院と真静院、さらに上ると右手に禅林院、金乗院があるが、元禄5年(1692年)の記録によると、当時は上述の4か院を含め19の子院が存在したという。 さらに石段を登る。 300段を過ぎたあたりから額に汗がにじんできた。 今日は午前中に野坂山を登ってきたばかりなのでまるで山登りのハシゴのような気分である。 

崩壊箇所

500段目くらいのところで、石垣が崩壊している場所もある。 「危ない落石注意」と書かれた札が立っているがさすがに聖徳太子の開基と伝えられる名古刹ゆえに、老朽化も激しいのであろうか? 16:14、680段まで来たところで左手に大きな駐車場が現れた。 マイカーの人たちはここまで入れるのだ。 ゆえに、登らなければならない段数も100ちょいというところなのだ。バスでくるケースとずいぶんと消費カロリーが違いそうである。もっとも、バスで来てこの808段の石段を登るルートも真夏は結構地獄であろうと思われた。

山門

 780段でいよいよ、姨綺耶山(いきやさん)長命寺と書かれた山門に到着した。 他に参拝客もいないのでゆっくりと手水で手を洗ってついでに顔もタオルで拭う。 かなり汗をかいてしまった。後ろを振り返ると車で来たと思われる参詣者も階段を上ってきていた。 石段を登りきったところが本堂の縁下である。数えてみたら本堂の前で805段であった。 途中カウントすべきかどうかわからない飛び石などもあったので、808段あるという言い伝えはかなり正確だといえそうだ。        

本堂

 まずは本堂にお参りをする。 重要文化財で入母屋造、檜皮葺き。 なかなか立派なつくりである。 本堂の東方、やや小高くなった右のところに三重塔と護摩堂、左方に三仏堂、護法権現社、鐘楼、やや離れて太郎坊権現社がある。主要堂宇は屋根を瓦葺きでなく檜皮葺きまたはこけら葺きとしており、独特の境内風景を形成している。本堂裏の「六所権現影向石」をはじめ、境内各所に巨岩が露出しており、かつての巨石信仰の名残と考えられている。
       

満開の桜をバックに

 本堂の横からは琵琶湖がきれいに眺めることができた。 帰りは、駐車場の近くで参拝者にシャッターを押してもらって桜をバックに写真を撮影。 天気予報では下り坂だというが結局一日天気は持った。ラジオを聴いていたら広島のマツダスタジアムではデーゲームの野球が雨のため中止になったということだったので、西日本はすでに昼頃には雨になっていたようだ。 17:12のバスにまたたった一人で長命寺バス停から乗り込み、近江八幡駅まで戻る。 17:43の快速電車で米原へ出て、18:22のこだま678号で静岡に帰った。        


 関西百名山と西国三十三か所を一日で1つずつ回ってしまった。 どちらもややもすると大阪や京都を中心に光が当てられているところもあるが、今回の滋賀県・福井県の旅は近畿と北陸の接点を回る静かなもので仕事の忙しいさなかのいい旅になった。今年の大河ドラマは軍師官兵衛で、主に舞台が姫路や晩年の福岡である。 ただ、戦国の背景でこの長浜や安土も登場するので今回近江八幡を訪れたのはいい機会であった。長命寺はずっといにしえから琵琶湖とそして戦国の歴史を見てきているのある。
  (2014年4月記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています。