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基本情報
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山名 |
新那智山(しんなちさん) |
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寺名 |
観音寺 |
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通称 |
今熊野観音寺 |
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都道府県 |
京都府 |
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位置 |
N34.58.47/ E135.46.51 |
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住所 |
昭文社 山と高原地図「-」
2万5千分の1地図「京都島南部」
20万分の1地勢図「京都および大阪」 |
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区分 |
西国三十三箇所(15番札所) |
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参拝記録
山歩No |
8170-19038 |
登山日 |
2019年12月8 日(日) |
歩程 |
1時間30分 |
天候 |
晴れ |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
JR奈良線東福寺下車 |
パーティー |
1人 |
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今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつ、正式名称は観音寺(かんのんじ)。山号は新那智山。本尊は十一面観音(秘仏)。西国三十三所第十五番札所、神仏霊場巡拝の道(神仏霊場会)百二十二番(京都四十二番)霊場、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、泉山七福神巡り3番(えびす神)札所。
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民宿「尾江」
この寺に立ち寄ることにしたのは、山岳部の納山会の帰りであった。 12月8日(日)いつものよう網野の民宿で宴会をした翌日。、朝食を済ませて民宿を出発する。 前回は、海産物の土産物店に立ち寄ったが、今回は人数も少なくその要望もなかったので直接大阪方面に帰ることにした。リーダーのA.Dさんにはずっと運転手をさせっぱなしである。
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道の駅「京丹波 味夢の里」
今回も京都縦貫道を走るので道の駅「京丹波」で休憩である。 縦貫道的には「京丹波PA」だが、正式名称は「道の駅 京丹波 味夢の里」そう道の駅というわけである。しかも「道の駅」というからには縦貫道からだけでなく、一般道からも利用可能。見晴らしのいい高台にあって、スペースもかなり広く取ってありかなりの台数の車が停まっているが決していっぱいということはない。前回はここで長老酒蔵の酒を買って帰った。 今回は土産も荷物になるので買わない。
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JR東海道線「山崎」駅
道路は渋滞に会うこともなく、大山崎までやってきた。 KKさんと自分とはJRの山崎の駅で下してもらうことにする。 この駅はかつて2000年ごろに大阪府三島郡島本町で勤務していたときによく使った。 駅舎は京都府内にあるが、敷地の一部は島本町山崎にあり、ホーム上に府境を示す看板がある。このため、島本町民の利用者も多い(島本町は郵便番号・市外局番ともに京都府扱いの番号となっている)。駅には1927年(昭和2年)に竣工した木造平屋建ての駅舎を有する。2008年3月15日に島本駅が開業するまで、隣接駅であった高槻駅までの駅間距離は7.5kmとJR京都線内では最長であった。この島本駅は当時はもっぱら住民の間では「島本駅」ではなく「桜井駅」と命名されるという評判であった。日本全国に桜井駅が多すぎるために却下されたという。
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JR東福寺駅
京都駅の前で帰り新幹線の回数券を買う。 何しろ今回はスマートフォンを落としてしまっているので、チケットショップの場所を探すにも難渋である。 ヨドバシカメラの横でフリーのWifi電波を拾いながらチケットショップを発見。 目指した「チケットショップトーカイ京都駅前烏丸通店」をは店構えているというより宝くじ売り場のカウンターのボックスのような店舗だった。 新横浜までの回数券を1枚買って、そのまま京都駅へ戻り、奈良線に乗って一駅、東福寺の駅まで乗車する。かつては、京阪駅への出入り口は東側の本町通側のみ、JR駅は橋上駅舎のため両線の乗り換えは跨線橋を渡らなくてはならなかった。2011年11月6日より、JR線下りと京阪線上りを平面(階段無し)でつなぐ連絡改札口(のりかえ口)が設置され供用を開始している。
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泉湧寺総門
東福寺の駅を出て、 ちょっとこじゃれた湯豆腐の店がある。さすがは京都である。 このあたりは泉湧寺五葉の辻町というようだ。 路地道を東に5分ほど進むと京都第一赤十字病院が見えた。 この道をさらに北へ進むと泉湧寺通りという交差点があった。 交差点から今熊野観音の道案内があったのでそれに従っていく。 解脱会の道場・洞雲寺を過ぎていくと、泉湧寺の総門がある。 総門の隣にる弁財天・法音院をすぎて、正面に東山泉小学校があった。
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鳥居橋
小学校の先が今熊野観音寺の入り口である。 マイクロバス以上の車両はここから先には進めないので歩いてくださいと標識がある。 しばらく下っていくと、トレイルランニングのいで立ちをした一群がごみひろいをしながら山を下りて来た様子に遭遇した。 京都一周トレイルというのがあり、東山コースがこのあたりを終着とするルートのようである。 。 今熊野観音寺の入り口にあるのが鳥居橋である。 朱塗りの見事な橋である。 観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる川を今熊野川というが、その川を越えるのが鳥居橋である。古くからこの地には熊野権現社が鎮まっていたので、橋の名前の由来となったとも言われている。
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稲荷社・本堂
さらに進むと「子護大師」の大きな像が見えた。 弘法大師は観音寺を開創された方でもあります。子供達の心身健康・学業成就を祭っているという。 。 さらにその先に稲荷社と本堂があった。現在の観音寺本堂の位置は、かつての奥の院順礼堂にあたると伝えられている。本堂でお参りをして御朱印をいただく。 考えてみれば西国三十三か所めぐりをするのも2016年の3月依頼約3年半ぶりのことであった。 今回、病気の家族と友人の回復のことを特に仏に願う。
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多宝堂
本堂東側の山道を登っていく。 竹藪のようになっているが進入禁止にはなっていないので進む。 途中で林道の上にサルが3匹いるのを発見した。 山上にひときわ高くそびえ立つ平安様式の多宝塔である。 医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立したとある。この「医聖堂」には医界に貢献された多くの方々が祭祀されている。平成28年、丹塗りの塗り替えが施され、33年ぶりに鮮やかな朱色が蘇えることになった。
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庭園
境内のもみじはまだ見ごろの色をつけている。 このあと隣の来迎院・三宝大荒神を参拝してさらに南の泉湧寺を見学する。 泉湧寺は、山門で拝観料を払って(これは伽藍拝観で境内の建造物を見るためのものである。)、さらに、本堂は特別拝観という別体系での拝観料となっていたが、せっかくここまで来たので上がってみていくことする。 御座所庭園はきれいに整備がされており、眺めは見事だった。 壁画も保存状態がよく、近くで見ることができたのでよかった。
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霊明殿
霊明殿は通常非公開なようだが、歴代の天皇の位牌を祭った場所のようである。 現在のものは明治17年に明治天皇の指示によって宮内庁が再建したものだという。 唐門は外観を撮影することができた。 泉涌寺は皇室の陵墓に対して香をたき、花を供える香華院となり、御寺(みてら)と尊称されている。しかし、明治時代に入り、廃仏毀釈の混乱の中で上記の陵墓は全て国家に没収されてしまい、宮内省(現・宮内庁)諸陵寮の管理下に置かれることとなり、以後は天皇・皇后の葬儀を行うことはなくなった。
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大門
舎利殿と仏殿を見て、最後に楊貴妃観音像がある拝殿を拝んでいく。 最後に大門の前で記念写真を撮影していく。毎年1月の第2月曜日(成人の日)には、泉涌寺の塔頭を巡り、福笹に縁起物を付けていく「泉山七福神巡り」の行事が行なわれているというので、年が明けてからがにぎやかなのかもしれない。東福寺の駅まで歩いて、そこから奈良線に乗り京都駅まで、16:21ののぞみ号に乗車して横浜へ帰った。
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今熊野観音は紅葉の名所であるという。 特に多宝塔の前の景色は観光マップなどでも掲載されている。 今回自分が行った12月はちょっと遅いかなと思っていたが決してそんなことはなかった。 京都駅からたったこれだけの距離でこんな奥山のようなところがあるのかと改めて京都の奥深さに感動した。
(2019年12月 記) |
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