日本山歩日記 本文へジャンプ
宝登山
宝登山

基本情報
1 山名 宝登山(ほどさん)
標高 497m (三等三角点)
山域 奥武蔵山地
都道府県 埼玉
位置 N36.05.35/ E139.05.27 
地図 昭文社 山と高原地図22「奥武蔵・秩父」
2万5千分の1地図「万場」
20万分の1地勢図「長野」
7 山岳区分 関東ふれあいの道7「長瀞の自然と歴史を学ぶみち
登山記録
山歩No 7S07-18006
登山日 2018年2月18 日(日)
歩程 2時間25分
天候 快晴
形態 日帰り
アプローチ 皆野駅から皆野町営バス
パーティー 1人

 昔、学生時代に東京の木造一軒家に住んでいた。 その玄関先に春先になると黄色い花をつける木があった。 これが蝋梅(ろうばい)である。 昔、母がその名前を教えてくれた。 残念ながらその家を5年前に人手にわたってしまったが、今でも住んでいる人はあの木を大切にして冬の陽だまりに咲く花を見ているのだろうか? 関東ふれあいの道を12月、1月と続けて歩いたが、今月のハイキングも近場の関東ふれあいの道の埼玉県のコースを歩くことにした。 蝋梅の花がきれいに咲いているというインターネットの情報にもひかれた。 

西武鉄道長瀞行き乗車

 02/18(日)朝5:40起床。 6:58の急行に乗る。 池袋で乗り換え、8:05の秩父鉄道直通の電車に乗れた、前4両が長瀞行きだった。  飯能からスイッチバックして後ろ4両になる。天気がいいせいか、やはりたくさんのハイカーが乗車して満員だった。入間市・飯能あたりをすぎると乗車しているのはほとんど秩父に行くハイカーという姿になった。 遠足に行く地区の子供会の少年たちが引率の大人に連れられて乗車しているのがほほえましかった。 芦ヶ久保では線路沿いに氷の祭典をやっているようで、たくさんの人が下車していった。

横瀬駅から見る武甲山

横瀬の駅前からは2009年に登った武甲山が大きな姿を見せていた。 確かに北側から見ると石灰岩の切り出しあとが痛々しい。横瀬では切り離し作業がある。 前4両がお花畑駅経由秩父鉄道の北方面に行く長瀞行き。後4両が西武秩父駅経由秩父鉄道南行きの三峰口行きだという。以前は西武鉄道は西武秩父駅で終点だった。 そこからお花畑駅まで5分ほど歩いて秩父鉄道に乗り換えていた。 いったいいつから乗り入れが行われるようになったのだろうか? 時代の変化は激しいものである。  秩父鉄道の皆野駅に10:10到着。

皆野駅から皆野町営バスで根古屋橋へ

 皆野駅は1日平均乗降客数が600名ほどの駅である。 Pasmoは使えない。 皆野駅では数名の登山客が降りた。 3名のグループが私と同じ皆野町営バスのほうへ歩いて行った。 バス停は駅を出て2-3分歩いた道路沿いにある。バスの乗り場はターミナルになっているので待合のスペースもあった。 10:20の金沢行きのバスに乗る。根古屋橋で下車。 あずまやのあるバス停の前に皆野町のハイキングマップの看板が掲げられていた。 体操とストレッチをして10:50出発。

 

山形バス停から歩き出し

 歩き出してすぐ三叉路でそこから北に進む。 車道沿いに歩くと、ところどころに地元の人が大事にしている神社の小さな祠があったりする。山形バス停をすぎると関東ふれあいの道の標識がある。 根古屋まで2㎞、長瀞駅まで5.1㎞の標識。  11:20に道路から分かれて山道に入っていく。 里山の道を進むというようにシイタケ栽培をしている比較的よく歩かれた林道を登っていく。 途中、車が数台停められるようなスペースがあり、そこに公衆トイレがあったりした。 あまりきれいではないが、用を足してさらに進む。 登山道を降りてくる4人の男性とすれ違った。 11:49さらに進むと登山者の姿が見えた。 そこが、野上アルプスとの分岐で、みな、山頂を目指す人だった。


宝登山山頂への凍結した坂道

 登山道は凍結していて滑りやすかったが、足元注意して進む。整備された石段を300mほど上がるとそこが頂上だった。 山頂の南西側はもう梅林に隣接しており蝋梅が一面に咲き誇っていた。 やはりロープウエイで山頂までくることができるからだろう。 ざっと数えて山頂には100人ほどの人がいるという盛況ぶりだった。 12:14登頂。 シートを広げてお弁当を食べている人もいる。 標高 497mあるからだろう周りの奥秩父の山がよく見えた。 富士山は雲取山の影に隠れてしまっているのだろうか。 国師や金峰の方面も見えた。 西には両神山が荒々しい岩稜を見せていた。三角点もあり、その横に山頂標識がある。ただ、あまりに人が多くて、山頂標識の前で写真を撮るのに少し待たなければならなかった。 登山のスタイルの人も多いが明らかに散歩のついでにきたような人もいる。 犬を連れて登ってきている人たちもいた。 


山頂での昼食タイム

 ベンチのすみっこを借りて座り、EPIでお湯をわかる。 隣で70代くらいの2人の女性が会話している話が面白くて思わず聞き入ってしまう。 「うちのお父さんはね、病院に入ってお母さんにもう家に帰っていいぞといってその直後に亡くなったのよ。」 「ところがおじさんは胃瘻をしてそのあと8年も生き続けたのよ。」 やはり健康は一番の宝である。 といいながら、今日は車でないので、しっかりと缶チューハイの500mlを一つしっかり持参した。昼食はいつものようにシーフードラーメンである。 缶チューハイと一緒に食べたコンビニの卯の花の惣菜がなかなか美味である。 食後はコーヒーの代わりに甘酒をすする。 結構体があたたまる。

宝登山山頂奥社

 山頂から、今度は少し西に行く。 そこに宝登山山頂奥社がある。 この鳥居の前で写真を撮るのを忘れてはいけない。 踏破撮影ポイントになっている場所である。 奥社にお参りして、証拠写真を撮った後は茶店に寄る。 たき火をしていてあたたかいテーブルの横で、クルミ味噌田楽と熱燗でしばしの休息である。 お店の方と話しをすると、蝋梅と梅が同じ時期に咲くのがきれいなのだが、今年は少し時期がずれてしまって梅がまだ早いようである。



梅園の散策

 13:30熱燗で体があったまったところで梅園の中を散策する。 ここには一面の蝋梅が咲き乱れている。 正面には武甲山がその雄姿を見せている。  蝋梅の中で自撮りをしてみたが、あまりに自分の人相の悪さにこれでは絵にならんとホームページに掲載するのはやめることにする。 梅のほうはやはり神社横の茶店で聞いたように少し早いという状況でつぼみはまだ堅そうであった。 

長瀞の町を進む

 15:06レストランの横の蝋梅の写真を最後に撮影して下山開始。 下山道は「三菱UFJ信託銀行の未来へつなぐ森」という植林の中を抜けていく。 林道があるのだが、登山者はショートカットをした道を通っているようだ。 15:29にロープウエイの山麓駅の下と思われるところまで来た。 宝登山神社でお参りをして長瀞の町へと歩いていく。 長瀞の町へ至る道は比較的大きな整備された道路となっている。 旧新井家住宅あとにも寄ってみたが、本日は営業していないようだった。  


岩畳

 長瀞の駅前から今度は商店街を抜けて、関東ふれあいの道の次のコース「高原牧場をとおるみち」が始まるようだ。 日本最古の貨幣の和同開珎が作られたのも秩父である。 確かに、ここに来る途中に和同という駅があった。 岩畳通りという路地を通って、川に出る。 荒川の長瀞ライン下りの船着き場は時間も遅く静まりかえっているが、なるほど岩畳はなかなか奇岩が面白い光景をなしているところであった。 ハイキングコースはここから隣の上長瀞の駅まで続く。 次第に歩く人も少なくなった散歩道をひとり歩いていく。 16:27ゴールはもうすぐである。

上長瀞駅

 虎岩と呼ばれる岩がある。ここは宮沢賢治が歌を詠んだところらしい。  16:51にゴールである上長瀞駅に到着。あいにくと電車が17:12までないのでぶらりとして待つことにする。 駅の周りには見物をするようなところはほとんどない。 帰りは寄居から東武東上線に乗り換えて帰った。 3時間の鉄道の旅となったが、疲れが出たのか座ってゆっくり寝て帰った。

 今回、秩父の山に鉄道で行くということをした。 アプローチに時間はかかるが、関東ふれあいの道の埼玉県コースはうまくバスを使えば、しっかりとした1日ハイキングができるのが強みである。 普段、触れ合うことのない秩父市や皆野町の文化に触れることができたのはよい機会であった。そして、家に毎年花を咲かせてくれた蝋梅の美しい色はずっと忘れることがないであろう。 
俳人の金子兜太(かねこ・とうた)さんが98歳で2月20日に亡くなった。「アベ政治を許さない」のスローガンの揮毫(きごう)でも知られた。皆野町で育ち皆野町名誉町民であった。 心からご冥福をお祈りします。 
(2018年2月 記)

 日本山歩日記WEBトップ
地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています