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半原越・愛甲経ヶ岳
半原越・愛甲経ヶ岳

基本情報
1 山名 半原越・愛甲経ヶ岳
(はんばらごえ・あいこうきょうがたけ)
標高 633m(経ヶ岳 二等三角点)
山域 丹沢山地
都道府県 神奈川
位置 N35.30.26/ E139.16.31 
地図 昭文社 山と高原地図28「丹沢」
2万5千分の1地図「大山」
20万分の1地勢図「東京」
7 山岳区分 関東ふれありのみち、神奈川県17「北条武田合戦場のみち」
登山記録
山歩No 7K17-21004
登山日 2021年2月10日(日)
歩程 5時間20分
天候 快晴
形態 日帰り
アプローチ 小田急小田原線本厚木駅神奈川中央バス坂尻
パーティー 1人

 1月7日に2度目の緊急事態宣言が発出されてから1ヶ月が経過した。当初の1ヶ月程度という目標では解除に至らず、唯一栃木県だけは解除されたが、神奈川県を含む1都2府10県は結局さらに1ヶ月程度の延長が決定した。 2021年の節分は1897(明治30)年以来124年ぶりに2月2日になった。節分は本来、四季を分ける節目のこと。このうち春の始まりを表す立春の前日の節分は、豆まきをしたり、恵方(えほう)巻きを食べたりと特になじみが深いね。立春はここしばらく2月4日だったが、今年は1日早まるため、節分も2月2日になったのである。特段、我が家では豆まきなどはしないが、一生に一度しかない2月3日の立秋もリモートワークで自宅で仕事をして、昼休みは5㎞のランニングに出かけた。 不要不急の外出は避けなければいけないが、県内の関東ふれあいのみちを一人で歩くことは許容されると考えてでかけることにした。今回のコースは「神奈川県17 北条武田合戦場のみち」である。距離16.2㎞とあるので結構タフなコースである。

坂尻バス停

  7:45に家を出て最寄り駅から電車に乗る。 いつものように町田から小田急線に乗車し、今回は本厚木駅で下車である。 本厚木駅から8:40に宮ケ瀬行きの神奈川中央バスに乗る。 日曜日の朝ということもあり乗客は数名しかいなかった。 終点より7つほど手前の坂尻という停留所で降りる。 ここで下車するのは自分ひとりであった。 この坂尻でバスを降りるのは2度目である。 前回、関東ふれあいのみち12「丹沢山塊東辺のみち」を歩いたときも起点はここであった。標高は155M 10:20出発。 バス停から川沿いを歩いてキャンプ施設リッチランドへ行く車道に入る。 
 

法論堂林道

 法論堂林道への起点で看板を見るとこの林道の早長は5,457mと記載がある。リッチランドを過ぎて、すぐに車止めが現れる。 原付2台が、この先に進むかどうか迷っていた。 確かに車道通行止めという以外に歩行者も2輪車も通行止めとなっている。 自分は歩行者なので少々のところは通過できるのだろうが。 原付の二人組も意を決したようでゲートを超えて進んでいった。車道はなかなか疲労が出るが足を置くスペースを自分の都合で選べるのがありがたい。 ご夫婦づれのハイカーを2組抜いていった。 


半原越

 車止めのある半原越に11:20到着。  前回はここから仏果山の登ったのである。 今回は反対側の経ヶ岳へ登ることとなる。 ちょうど2グループくらいが経ヶ岳から半原越に降りてくるところだった。 こういう状況でも団体行動している人はいるようである。 ごたぶんに漏れず若者であった。 最初の10分はきつい登りであったが稜線に出ると眺めもよくなり傾斜も少し緩やかになった。  経石という大きな岩が道をふさいでいる。 この名は昔、弘法大師がこの岩に経文を納めたことに由来しており、この岩があることから経ヶ岳と呼ばれるようになったと言われている。経ヶ岳は丹沢の前衛峰であまり有名ではないと思っていたのだが、Wikepediaにしっかりとページがあるからりっぱなものである。
 

経ヶ岳山頂から丹沢を眺める

 経岩を過ぎて急な坂を登りきるとそこが経ヶ岳の山頂であった。標高633m。。郷土富士のひとつで、荻野富士(おぎのふじ)ともいう。 決して山頂は広くないが、ベンチが二つ置いてあり、そこから西側に丹沢山の景色が広がっていた。 竜が馬場のなだらかな稜線と最高峰蛭ヶ岳の姿もよく見ることができた。 蛭ヶ岳の稜線にはしっかりと残雪あがったのでやはりこの時期1600m峰に行くにはアイゼンとスパッツが必要になるということだろう。登山者の方が2人ほどいらっしゃったのでカメラのシャッターを押してもらう。 昼食は朝コンビニで湯を入れて作ったα米である。 チゲスープの素を入れるとそこそこ味のあるごはんになっていつものようにしっかり1人前食べてしまった。


田代に向けて下山

 11:57山頂を出発。 ここから関東ふれあいのみち、目指す三増までは6.2kmある。 三増でまだ中間地点くらいであるから結構な距離である。山頂の木には「西山を守る会」が西山の登山マップを入れてくれていた。  西山を守る会は「厚木市の荻野高取山を乱開発から守るために活動しています」とHPに書いてある。 この華厳山ー高取山を越える相州アルプスコースは大と高原地図では破線のコースになっているが相州アルプスとして人知れず登山者が訪れるところのようである。今回自分は田代に降りるので分岐を間違わないように左手に進む。 

 

林道と合流

 経ヶ岳山頂から田代まではコースタイムでちょうど一時間である。 トレイルランニングシューズのメリットは下りでスピードを出せることであるがそのメリットの裏側でハイカットのトレッキングシューズと比較して足首を痛めやすいというリスクもある。石の多いところでは少しスピードを殺し君にしてくだる。 関東ふれあいのみちのこのコースを歩いた人の記録を読んだ中にルートを間違えて細野のほうに降りてしまい、2時間近くロスタイムをしたというものがあったので注意して分岐は進む。一か所、田代は右手の急坂を下りるところで尾根筋にそのまま進んでしまいそうなところがたった。 慎重に田代方面に向かっていることをYAMAPの地図上のGPSデータを確認しつつ進む。 鹿よけの柵を超えるといったん林道に合流した。 


橋本の町を見下ろす

 12:15橋本方面の町がよく見えるところに出た。 やはり2月になって花粉も飛び始めたのか鼻がむずむずする。視界も真冬のころと比べてよくないので都心の高層ビルまで見通すことはできなかった。 12:27道標の沿ってさらに右側の斜面を降りて行き田代を目指す。 下界がちかいのかヤマヒルにご注意くださいという看板があってその下に「ヤマヒル用忌避剤です。 ご自由にお使いください。」と書いて防虫スプレーがぶら下げてある看板があった。 

 

半蔵坊

 12:41「道の入江」と書いた石の道標がある地点に到着。 ここが経ヶ岳・半原超の登山道の入り口である。 ここから国道412号線の脇の歩道を走り下っていく。 12:46半蔵坊に到着。 ここは満珠山勝楽寺という曹洞宗の寺である。山門と杉立ちはあいかわ景勝10選に選ばれている。 山門は立派でそこからでも参拝可能となっている。 毎年4月17日に例大祭が行われるようである。


角田大橋

 国道を横断するガードをくぐって関東ふれあいのみちの看板があった。 北条武田合戦場のみちの見どころが経ヶ岳・田代半蔵坊・三増合戦場跡・清正光とある。 中津川を渡るには平山大橋が目の前に見えるのであるが、関東ふれあいのみちはこの橋ではなくさらに1つ下流の角田大橋を渡るようである。 角田大橋から下の中津川にデイキャンプをする河川敷広場が広がっている。 「青少年広場」というようである。 ミニバンが30台くらい駐車しており家族連れで焼き肉パーティーを楽しんでいる方々が見られた。 緊急事態宣言下でなければ若者や年配の仲間どうしのもっと大人数のグループもいることだろう。川の向こうにはさきほど登っていた経ヶ岳の姿が見えた。

三増合戦場跡

 ここから三増合戦場まで行く道標をどうも見落としてしまったようである。 千葉県や埼玉県の関東ふれあいの道は道標が木製であることが多いのだが、神奈川のこのコースの道標は鉄のプレートである。 耐久性はよいのであるが、文字盤の後ろはただの鉄の板でしかない。 裏には文字が書いていないので、道標の360度周囲から行先を見ることはできないのである。 西から東に行くときに見やすい道標は逆に東から西に行くときには、道標であることも気づかずに通りすぎてしまうことがある。 角田大橋を渡って左折してバス停の前を通ったところまではよかったのだが、そのあとホームセンターコメリの前でふたたび県道52号に合流してしまった。 明らかに間違いであるのでスマートフォンのGoogle MAPで現在地を確認して丘越えの道を北にとる。 10分ほどロスしたようであるが13:27に無事に三増古戦場跡に到着することができた。

志田峠

 古戦場からは進路を北にとる。 志田峠までは基本舗装道路であるが、最後志田峠に至るところは未舗装区間もある。 併行して富士居山・向山を通る登山道コースもあるようだがどの程度人に歩かれているかは不明である。 東名厚木カントリークラブの入り口に志田峠の説明書きがあり、さらにそこから10分ほどで旗立松と史跡がある。 三増合戦時の信玄公本陣とも言われる信玄公旗立松跡だが大正期に失火で焼失したらしい。カントリークラブの入り口から往復30分ほどのようだが、時間がないので立ち寄らなかった。14:01志田峠に到着。最終コーナーでの登りという感じで足がいたくなる場面ではあったが標高310mである。 志田峠は道標とその前で大きな重機が入っていたので道路の拡幅工事をやっているのかもしれない。ゴールの韮尾根まではあと1.9㎞である。
 

清正光

 ここからの下り道は快適に走る。 14:;04に清正光に到着。 正式には志田山朝日寺は1299年開山の寺であるが、本堂に上がるためには300段の石段を歩かなければいけないらしい。その意味で訪問する人も少ないようである。ここを出て東京農工大学のフィールドミュージアムまで来て最後韮尾根まで行くだけというときにハイドレーションの給水キャップがないことに気が付いた。 ねじ式で途中で落としたようである。 あわてて元来た道を15分ほど引きかえす。清正光まで戻ってそこでなかったのであきらめてまた坂を下って行ったときに道路上の落ち葉の上にキャップがあるのを見つけた。 よかった。 ただこれで20分ほどロスしてしまったので1時間に1本しかないバスの時刻が心配になる。

半原バス停

 関東ふれあいのみちの最後のゴールは韮尾根のバス停であるが今回もそこはスキップした。 畑仕事にきていたお年寄りが走ってくる姿を見てがんばれがんばれと励ましてくれたので、少し立ち話で話をする。清正光入口のバス停に来たらローソンがあったので缶ビールを買う。 14:54、バスの出発時刻の15分前に半原のバス停に到着することができた。アルプス三大北壁の冬期単独登攀の成功は世界初で成し遂げたアルピニスト長谷川恒男の生まれ故郷がこの半原である。 自身の開拓したパキスタンの未踏峰ウルタルII峰で雪崩に巻き込まれ1991年に没。 ゆかりの場所があるかとスマートフォンで探したが残念ながらないようであった。 バスに乗って本厚木まで行き明るいうちに自宅まで帰り着いた。


 コロナウイルス感染拡大を受けての2度目の緊急事態宣言である。 また通勤を除いて神奈川県から出ない生活が始まった。 ただ地元の丹沢を知るにはよい機会なのかもしれない。 関東ふれあいのみちを歩いたのは8か月ぶりとなったがトレイルランニングの練習をしながら少しづつ新しい楽しみ方も身についてきた気がする。 厚生労働省のホームぺージにコロナウイルスのワクチンのお知らせが掲載された。 3月にはNYC ハーフマラソンへのバーチャル参加をエントリーした。 なにかコロナの中で新しい日常というのを自分なりに考えなければいけないとつくづく思う。

(2021年2月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています