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基本情報
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山名 |
稲村ヶ崎(いなむらがさき) |
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標高 |
33m |
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山域 |
相模灘 |
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都道府県 |
神奈川県 |
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位置 |
N35.18.07/ E139.31.32 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図「-」
2万5千分の1地図「鎌倉」
20万分の1地勢図「横須賀」 |
7 |
山岳区分 |
関東ふれあいの道神奈川県05
「稲村ヶ崎・磯づたいのみち」 |
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登山記録
山歩No |
7K05-12011 |
登山日 |
2012年3月25 日(日) |
歩程 |
1時間30分 |
天候 |
晴れ |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
JR横須賀線鎌倉駅東口より |
パーティー |
2人 |
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2012年の春はいつまでも暖気が訪れなかった。 山スキーに行こうと毎週末好天を願ったが、8週連続週末の天気が崩れ、山スキーはおあずけとなった。 25日の日曜、午前中横浜にでかけた帰りに稲村ケ崎を散歩してみることにした。、
サザンオールスターズの桑田佳祐が監督を務めた映画『稲村ジェーン』(1990年)の舞台ともなった場所である。彼らのシングル曲である『君こそスターだ』には、歌い出し冒頭で「稲村ヶ崎は今日も雨」という部分がある。この歌を口ずさみながら歩いた。
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スタート 鎌倉駅
03/25(日)晴れ。 午前中は横浜の開港記念館へ行く。 12:15に同行者と合流して横浜で牛丼を食べる。それから横須賀線に乗って鎌倉まで行く。 日曜日の昼間だということで電車も空いている。 余裕で座席に座ることができた。 しかしながら鎌倉駅はずいぶんと混雑している。梅のシーズンだということで見ごろの寺院には、たくさんの人が集まっているようだ。 若宮大路を歩いて、まず大巧寺で梅を見物する。少し早いのか見頃というほど咲いてはいない。 |
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若宮大路
13:48若宮大路に戻りそこから南へ進路を取る。若宮大路は1182年に源頼朝が妻北条政子の安産のためを願い、都の朱雀大路をまねて作ったといわれている。途中3つの鳥居があり、由比ヶ浜側から「一の鳥居」「二の鳥居」「三の鳥居」という。
二の鳥居から三の鳥居までの間は、盛土によって道の中央が一段高くなっており、段葛(だんかずら)と呼ばれる。 段葛は遠近法によって実際の距離より長く見えるよう、鶴岡八幡宮側に道幅が狭くなっている。この通りは日本の道100選、神奈川の風景50選にも入っている。 14:01に一の鳥居で写真を撮った後、海岸にぶちあたるまで南下。 |
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由比ガ浜
14:08信号を渡って由比ヶ浜に出る。普通、滑川河口の西側の海岸とその周辺(由比ガ浜一~四丁目付近)を由比ヶ浜、東側を「材木座海岸」と称している。この浜は歴史の言い伝えによると、源義経の妻妾静御前が、源頼朝配下に捕われて鎌倉に送られた後、義経の男児を出生するが、男子が生まれた場合は殺すという頼朝の命により浜に遺棄されたと伝えられている。 春先だというのにたくさんの人がサーフィンを楽しんでいた。 |
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鎌倉海浜公園
舗道を歩いて14:30海浜公園で写真を撮る。源実朝の和歌を載せた碑がある。 やがて道は南に稲村ヶ崎の岬をまわり、ゆるい坂を上っていく。 切通しを抜けるとドーンと正面に富士山の姿が見えた。
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稲村ケ崎
14:43稲村ヶ崎の公園に到着。トイレを済ませた後、公園の展望台に上がれるようになっていたので、上がってみる。ゴッホの来日記念碑と逗子高校の水難の碑があった。
ゴッホの記念碑は最初は霊仙岳にあったという。下におりると広場になっており何人かの人たちが休憩していた。 ここは神奈川の景観50選にもなっている。 写真は逆光になるが富士山の眺めがきれい。その手前には江ノ島が見えている。 ここはかつてサーフィンのメッカとして有名であると同時に、海水浴場としても使用されてきたが、近年、砂の流出が進み、2003年(平成15年)からは海水浴場としての使用は行われなくなったそうだ。
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新田義貞渡渉伝説地
展望台をおりて公園で写真を撮る。新田義貞の進駐の碑があった。鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)5月18日極楽寺口より攻撃を加え、21日には義貞みずから稲村ヶ崎の海岸を渡ろうとしたが、当時の波打ち際は切り立った崖となっており、石が高く、道が狭小なため軍勢が稲村ヶ崎を越えられなかった。そこで、義貞が潮が引くのを念じて剣を投じると、その後潮が引いて干潟となったので岬の南から鎌倉に攻め入ったという伝説が『太平記』に記されているしばし休憩した後15時に再び舗道に沿って歩き出し。 とびがあとをおいかけように飛んでくる。道路わきには タベルナ・ロンディーノというレストランがある。 の混雑を見て西田幾多郎博士の記念碑をみて七里ガ浜を歩く。
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江ノ島電鉄
1923年9月1日に沖合を震源とするM7.9の大正関東地震による大津波が押しせ寄海底地形のためか被害程度は場所によって差があったものの復旧直後に江ノ電に乗車した人の記憶によれば、現在の七里ガ浜高等学校付近では、丘陵斜面の松林に引っ掛かった海藻が江ノ電の車窓から見上げられるほどだったという。さらに歩くと右手に江ノ島電鉄の線路があらわれる。 鎌倉高校前の電車の駅では電車の写真を撮ることができた。1902年明治35年に開業したこの電車は和田塚、由比ヶ浜、鎌倉高校前、湘南海岸公園、柳小路、石上の6駅が終日無人駅となっており、切符は乗務員が回収するか、備え付けの集札箱に入れるようになっている。 鎌倉高校前の駅は、自分が高校生だったときに、クラスで映画を撮影して、そこに出てきた駅である。
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小動神社(こゆるぎじんじゃ)
江ノ電の線路と分かれると道はやがて登り坂になり、小動神社に到着。 休憩して写真を撮る。 この小動岬は幕末、外国船が日本近海に出没するようになると、西端の小動岬に八王子遠見番所、東端の稲村ヶ崎にも台場が設置され、川越藩・長州藩が防衛にあたったそうだ。展望台は崩壊の危険があるから立ち入り禁止となっていたが折角なのでちょっと寄ってみた。 |
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腰越海岸ー江ノ島
そこから坂をおりて舗道が狭くなる。 腰越海岸には漁協があって、しらすを売っていた。 腰越の海岸ではたくさんの人がサーフィンやウインドサーフィンを楽しんでいた。 ユーミンの歌に真冬のサーファーというのがあったが、確かに、水温も10度そこそこであろうから寒いだろう。 それでも、海が好きという人の気持ちは正直、”やまや”の自分にはよく理解はできない。 が、サーファーの人々には、重い荷物をかついで登る登山者はちょっと不可思議な存在なのかもしれないなどと考えた。 堰堤に沿って歩く。ところどころ津波の警報機がついており、警報がなったら高いところへ避難してくださいと避難地図まである。
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ゴール 片瀬江ノ島駅
最後は江ノ島がゴール。 ここは学生時代、夏になると鵠沼海岸に海水浴に来ていたところなのでなつかしい。 車を持っていなかった時代、電車で海水浴に来て、帰りに江ノ島のお土産物食堂にあがって夕日を見ながらビールを飲んでいた25年前をなつかしく思い出した。 16時、片瀬江ノ島の駅から電車に乗り、藤沢で各駅に乗り換え。 湘南台で地下鉄に乗り換えて帰った。
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関東ふれあいの道の神奈川県のコースは海の景色が美しいコースが多い。 今回のコースもわずか1時間半で歩くことができ、かつ、電車の便もよいところで、
午後の半日で手軽な散歩を楽しむことができた。 おそらくこのコースは再び訪れるだろう。 都会の喧騒を離れてみるのにとても適した場所である。
(2012年3月 記) |
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