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琵琶塚
琵琶塚

基本情報
1 山名 琵琶塚(びわづか)
標高 65m
山域 栃木平野
都道府県 栃木
位置 N36.22.31/ E139.48.25 
地図 2万5千分の1地図「小金井」
20万分の1地勢図「宇都宮」
7 山岳区分 関東ふれあいのみち 栃木県コース14「風土記のみち」
登山記録
山歩No 7H14-20005
登山日 2020年2月1日(土)
歩程 5時間30分
天候
形態 日帰り
アプローチ 東武宇都宮線野州大塚駅
JR東北本線小金井駅
パーティー 1人

 琵琶塚とタイトルをうったがいったいどこなのか?という疑問が湧くであろう。 下野国分尼寺跡のほうがわかりやすいのかもしれないが、タイトルが長いとWEBにしたときに不都合が多いので琵琶塚のほうを採用させてもらった。 これは首都圏自然歩道「関東ふれあいの道」の14「風土記のみち」17.5㎞の歩行記録である。 歩行とはいえ、冬場のトレーニングを兼ねて、おおむねコースはゆっくりと走っていこうと決めた。

南栗橋駅

 朝6:20起床。 最近は土曜日でもいつも通りに起きてしまう。 ほぼいつもの出勤する時刻に家を出て、最寄り駅から都内へ。 地下鉄日比谷線は北千住で終点であるが、草加で東武スカイツリーライン準急・南栗橋行に乗り換える。南栗橋でさらに東武日光線新栃木行きに乗り換える。横浜に住むものにとって東急田園都市線はなじみの深い電車であるが、半蔵門線に乗り入れて終着駅の表示のある「南栗橋」というところがどこか正直なぞであった。南栗橋駅は埼玉県久喜市。地下鉄と直通運転している範囲ではおそらく最北。都心から50㎞だから結構な距離を電車に乗ってきたことになる。   
 

野州大塚駅

 栃木から東武宇都宮線の宇都宮行きに乗り換える。 この電車は栃木県の県庁所在地である宇都宮市中心部と同市南部、壬生町および栃木市を結ぶ路線である。この電車はワンマン運転で乗車の際には外側にある緑色のボタンを押して、ドアを開けなければならない。 関西に住んでいたときに湖西線がこういう車両であったが、やはり首都圏でもこういう線があるのである。 栃木から乗車して3駅で目的の野州大塚駅に到着。 有人駅であったが下車したのは自分を含めて2人だけであった。 駅の前には駐車車両が2-3台あったが、コンビニはおろかいわゆる店舗に相当するものは全くない。 あるのは関東ふれあいの道の看板だけである。 (あとで調べたら南の県道に出るとコンビニやレストラン・ラーメン店があるようだった。)この野州大塚駅は14風土記の道と13麦笛のみちの出発点となっている。 軽く体操をして防寒着を脱いで10:15出発。

大神神社

 駅から南に県道296号を走る。 国府北小を左手にみながら野州大塚駅入り口の交差点を直進。 惣社今井バイパスという東西の幹線道路の手前で細い道に入り、そこを東に進む。 10分ほどで大神神社に到着した。 大神とかいて「おおみわ」と読む。 今から1800年前に建立された大和の国に座した大三輪大神(大神神社)を勧請したのが創建とされている。 大鳥居からではなく隣の駐車場のほうから入ってしまったが、本堂へ行き、まずはお参りをする。 休日の朝であるが地元の方が何人か集まってたき火をしていた。 

室の八嶋

 大杉に手を触れてご利益があるように祈る。 そののち名所の室の八嶋を巡ってみる。 松尾芭蕉『奥の細道』に登場する境内の「室の八嶋」が知られている。現在見られる「室の八嶋」は、杉木立の中の掘割に、小さな祠を戴く8つの小島がある、およそ800坪ほどの庭園状の場所であり、水煙や湧き水などは観られない。8つの祠には、筑波・天満・鹿嶋・雷電・浅間・熊野・二荒山・香取の各名神が祀られている。富士の浅間神社にお参りするときには、もっとたくさんの山が登れますようにと祈った。


下野国庁跡

 大神神社を出てバイパスを渡るとしばらく南にひたすら走る。 星風会ケアハウスの前を通って11:18に下野国庁跡に到着。 下野国庁跡資料館があって軽自動車が1台停まっていた。 職員の方だけがいるということであろう。 国庁跡であるからここが栃木の発祥の地である。 県庁所在地の宇都宮市ではないここだからこそ、栃木市を名乗る価値があるのであろう。律令制下における地方統制の中核として8世紀前半に建てられたと考えられている。 1979年に発掘調査で宮信神社周辺が国庁跡れあったことが判明した。なるほど、隣は神社である。1982年に国の史跡に認定された。 中央に復元した前殿があり東西それぞれの脇殿あとは、柱を復旧したあとの藤棚になっている。国庁跡資料館で詳しい情報を仕入れることができるようだが先を急ぐので資料館には寄らなかった。
 

蓮華寺

 国庁跡から東へ進み、大きな道路にぶつかってそれ沿いに北に進む。 コンビニのある交差点から進路を東にとり思川を渡る橋にかかる。 橋から見ると、川の堤防は護岸工事の最中であった。 川を渡るとすぐに蓮華寺の標識があった。 蓮華寺は、親鸞聖人の大蛇退治伝説が残る浄土真宗の古寺である。 大蛇の生贄にされる娘を聖人が救った際に天から蓮華の花が降ってきたといわれており、救われた娘が草庵を建立したのが今の蓮華寺の始まりだと言われている。 蓮華寺から花見ケ丘を斜め南東に行く道があるようだが、標識を見落としてしまった。このためセブンイレブンのある花見ケ丘の交差点まで車道を走り、そこから横断歩道を渡って県道18号小山壬生線を南に進む。 案内標識に従い、12:00に下野国分寺跡へ立ち寄る。

下野国分寺跡

 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、下野国国分寺の寺院跡にあたる。現在は整備され、史跡公園となっている。一帯は栃木県内最大級の前方後円墳である吾妻古墳・琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳が残るように、古代から下毛野氏の本拠地として先進地帯であった。寺域は南北457メートル・東西413メートル。伽藍は奈良東大寺同様の東大寺式伽藍配置で、南大門・中門・金堂・講堂が南北一直線上に並び、中門と金堂は回廊で接続している。塔は回廊の外側東方に設けられ、その基壇の大きさから七重塔であったと推定されている。そのほか、金堂・講堂の間の東西には鐘楼、経蔵が設けられていた。 自分は北から来たので鐘楼・金堂・南大門の順に見学していった。塔は基壇は南北・東西18メートル。建物は南北・東西3間。高さ60メートルを超える七重塔と推定され、あとで行く風土記の丘資料館内に復元予想模型が展示されていた。東京の国分寺公園と広さは同じくらいであるが、あちらは公園にいたるところにビニールシートを広げてピクニックをしていたり、バトミントンやフリスビーをしている親子連れが多いが、こちらは、まったく人気がなく、唯一いた人が犬の散歩をしていた。 

国見山古墳平成の丘

 国分寺跡をでて南の道路脇には、薄墨桜の看板がかかっていた。薄墨桜はピンクの具も実から淡白色の花が咲き、 満開を過ぎると薄墨をかけたような色に変わることからつけられたという。 この桜は岐阜県の根尾村にある国の天然記念物に指定されている薄墨桜の実生苗を植え付けたといわれている。国分寺と国分尼寺はおよそ1㎞離れていることになっているが実際はこの一帯が史跡公園となっているので、歩きながら隣の敷地にある天平の丘公園に入っていく。 ここにはレストハウスしもつけがありしゃれたジャズを流していて、ピクニックテーブルもある。 隣には国見山古墳があり、そのまわりを一周してみた。古銭が埋められているからか、白線で手をたたくと竜が泣いているように共鳴するという。 この仕掛け、たしか日光東照宮にもあったような気がする。

しもつけ風土記の丘資料館

 天平の丘公園から一度、北に戻り国分尼寺跡に立ち寄る。 こちらも大きな駐車場があって市民の憩いの場所になっているようである。しもつけ風土記の丘資料館という建物があったので中に入ってみることにした。 中には、発掘で見つかった埴輪や昔の人の生活を復元した展示などもあった。当時の庶民と上流階級の食事の比較があったのが興味深かった。 入館料無料というのがうれしい。資料館でもらったパンフレットに「交通のご案内 電車:JR小金井駅下車、西口から約4㎞」と書いてあった。基本みな自家用車で来るのだろう。 電車を利用して今日ここに来たのはたぶん自分だけなのではないだろうか。 建物を出て少し腹ごしらえのためにカロリーメイトを食べる。 さあ、次は紫式部の墓まで約800mの近距離走だ。
 

紫式部の墓

 天平の丘公園の中を防人街道という気持ちのよい樹林の中の遊歩道がありそこを走ってしばらく行くと紫式部の墓はあった。 なんということはないただの石の塚なのであるがこの地方の豪族が立てた五輪の塔だということだ。 この付近は紫という地名なので源氏物語の作者の紫式部の墓といわれるようになったという。 分岐まで戻って、ここから次の目的地の琵琶塚古墳までは車道の横の歩道を走る。 琵琶塚古墳と摩利支天塚古墳は、ほぼ隣接してある。 古墳を見学する人の駐車場もかねて資料館が併設されているが、もっともこの駐車場から摩利支天古墳までは徒歩400mの距離なので結構歩くのは大変かもしれない。

琵琶塚古墳から見る筑波山

 まず琵琶塚古墳に上がってみる。 民家の横を通って、古墳の底部まで来て上まで階段を上る。 琵琶塚古墳は全長121mと県内最大の古墳である。(ただし、Wikepediaには吾妻古墳についで栃木県で2番目に大きいという記載があった。)古墳の形状や出土埴輪から6世紀初頭とされる。古墳自体は自然地形の土膨れを利用して基壇を設けて、さらに2段の土盛をすることによって構築されたという。 後円部墳頂には祠がある。 墳頂まであがって今回の山頂動画はここから撮影することにした。東にくっきりと筑波山の姿が見えた。 筑波山は関東を代表する名山であるが、あまり都内から見ることがない。かつて新宿に勤務していたときに高層ビルの上から見たこの山を、今回は栃木県の古墳の上から見るという面白いシチュエーションで眺めた。


摩利支天塚古墳

 風土記の道の最後の立ち寄りスポットが摩利支天塚古墳である。 今回のコースの踏破記録写真のポイントも摩利支天社になっているのでここを外すわけにはいかない。琵琶塚古墳と違ってこちらは木がうっそうとしげっており、あまり墳頂からの景色が眺められるという感じではなかった。 気持ちとしては前方後円墳だがそれよりも単純にな神社という感じだった。 琵琶塚古墳もそうであるが、この摩利支天塚古墳も自分以外に誰もいなかったので、セルフタイマーをつかって社の前で写真を撮る。13:36、関東ふれあいの道をを走破した証拠写真の撮影ポイントでの恒例行事終了である。 

姿川サイクリングロード

 さてここから4.6㎞をひたすら走って小金井駅まで行くだけである。 14:50の電車に乗りたかったので、時間としては間に合うとは思ったが、姿川サイクリングロードを走るときにはさすがに久しぶりに10㎞以上走ったので、足が痛くけっこうつらさを感じた。小金井駅に到着したのが14:21。 駅前に食堂があったら入ってビールでも飲もうと思ったが駅前にはそれらしき店が一軒もなかった。 朝の野州大塚とまったく同じような状況だった。 幸い14:26の上野東京ライン小田原行きに乗車できたので、これで大宮まで爆睡していった。 大宮から湘南新宿ライナーに乗り換えたがこれは先ほどの電車と打ってかわって大混雑。 新宿まで座席に座れなかった。 中国でコロナウイルスが大流行していることもあり、乗客はほぼ8割がマスクをつけていた。 

 朝、いつもどおりに家を出て、夕食までに帰宅することができる関東ふれあいの道。 栃木は遠いというイメージがあったが、それでもランを加えて歩程を短縮すると思ったよりも楽しい旅ができることがわかった。 今回、2月1日は晴れの冬型気圧配置で、気温は最高気温9度だったが走って汗もかかずにちょうどよかった。栃木は快晴、それでも姿川サイクリングロードを走っているときに見えた男体山・日光白根山の方角は雪雲がかかっていて、その下の山々は真っ白の冬景色だった。あの標高にトライするにはあと数ヶ月待たないといけないのだろう。

(2020年2月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています