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御宿海岸
御宿海岸

基本情報
1 山名 御宿海岸(おんじゅくかいがん)
標高 86m(水産情報通信センター)
山域 房総半島
都道府県 千葉
位置 N35.18.01/ E140.37.06 
地図 2万5千分の1地図「御宿」
20万分の1地勢図「大多喜東京」
7 山岳区分 関東ふれあいの道 千葉県17「御宿海岸を歩くみち」
登山記録
山歩No 7C17-19017
登山日 2019年5月5日(日)
歩程  2時間30分
天候 晴れ
形態 日帰り
アプローチ JR東 外房線御宿駅
パーティー 2人

日本山歩日記は当たり前であるが、海はほとんど出てこない。 基本は百名山やハイキングの記録だからである。 だから、毎回記録には「標高」の欄があって年間記録を見返して、今年は累積標高何メートル登ったんだな、などと感慨にふけることがある。 ただ、関東ふれあいの道は書く都道府県の自然歩道なので、千葉や神奈川などのコースでは、海沿いを歩くものがあり、例外的に標高が100mに満たないハイキングが出てくる。 今回もそのひとつである。 季節外れの海水浴場を起点に房総の外海を眺めた記録である。

令和の始まり(5月1日の東京メトロ)

令和の元号に代わり、10連休というかつてない長い休みを経験した。 とはいうものの、5月1日は出勤だったので実質前半と後半があったのだが、後半で一度「日本山歩日記」に記録を乗せたいと思っていたので、車で房総半島に出かけることにした。 朝ゆっくり出発。 コースは御宿海岸の駐車場に車を停めて、そこから11:32の外房線に乗り隣の浪花駅で下車し、関東ふれあいの道のコースを北から南に歩くつもりであった。 ところが、普通に2時間半で目的地に到着できると考えた計画が甘かった。アクアラインに乗る前で首都高の大渋滞に引っかかってしまい、大幅に時間をロスする。 

御宿海岸駐車場

木更津を過ぎて県央道に入り高滝湖PAで休憩したときにはもうとても11:32の電車にはとても乗れないとあきらめた。何しろこの路線は1時間に1本しか電車がないので逃すと行動に大きく影響する。とりあえずスタートの御宿海岸の駐車場に車を停めたときは11:50だった。 うまくすれば逆コースで浪花駅からここまで電車で帰ってこれるかもしれないという願いのもと
とにかくスタートする。 駐車場は夏の間は有料になるようだが、この時期は無人で自由に駐車してよいようだった。 お世辞にもきれいとは言えないトイレを使って、12時に出発する。 駐車場の前はウオータースライダーのある御宿ウオーターパークがある。 夏休み期間しか営業していないようだ。 


月の砂漠記念像

御宿ウオーターパークの東側はもう海岸が広がっている。 月の砂漠記念公園は自然の砂浜の公園である。 中央に月の砂漠記念像がある。 「「月の沙漠」は大正から昭和初期に叙情的な挿絵画家として人気を博した加藤まさをが1923年に講談社発行の雑誌『少女娯楽部』大正12年3月号に発表した詩と挿画からなる作品である。当時まだ若手の作曲家であった佐々木すぐるが曲を付けたことで童謡と『月の砂漠』が生まれた。当初は児童の音楽教育の中で使われていた。」とある。 自分のイメージでは、月の砂漠がどこか遠い異国の歌だと思っていたので驚きであった。らくだが出てくるので無理もないことであろう。

元禄地震の津波

清水川にかかる木の橋を渡り、北側の月の砂漠記念館へ向かう。 橋の上から眺めるとたくさんのコイが泳いでいた。 コイにあげる餌まで売っているのだから相手も安心して寄ってくるのであろう。 記念館そのものは時間がなかったので入館しなかった。 記念館の前に案内書があり道路の境目の植え込みに「元禄地震の再来想定津波高」の標識がある。元禄地震(1703.12.31)は、赤穂浪士討ち入りの1年後に発生、M7.9~8.2と言われ、川崎~小田原、神奈川県中西部、房総南部の南関東全域が大きく揺れた。その3年後の1706年には宝永地震、富士山大爆発に至る。房総半島外房南部は2~4m隆起し、5~10mの大津波が外房~九十九里浜を襲ったという。ここ御宿も5m位の津波が襲ったのだと記録されていた。 

遊歩道

通称「月の砂漠通り」という御宿海岸に沿った道路を歩く。 海岸ではサーフィンを楽しんでいる人多数。駐車場はそこそこ混雑している。 道路の脇にはたくさんの海の家や浜焼きの店などが営業している。 ゴールデンウイークということで海水浴客とは別の需要を見込んでいるようである。 漁港の前から道標に従って道は北へと進む。民宿「長次郎」の手前の 路地の間のようなところからメキシコ記念公園へと上がっていく遊歩道が続いている。道標がわかりにくいので見落とさないように注意が必要である。
 

メキシコ塔からの展望

遊歩道は石段になっているが草の状態からするとあまりたくさんの人が歩いているとは思えない。 階段を上げり切ると踊場があり海がきれいに見える。さらにそこをすすんだ山頂に「ドンロドリゴ上陸の地 日・西・墨三国交通発祥記念の碑」があった。  日西墨三国交通発祥記念之碑は、俗に『メキシコ塔』と呼称されている。(日(日本)西(西班牙・スペイン)墨(墨西哥・メキシコ)) 慶長14年(1609年)に、ドン・ロドリゴ乗船のガレオン船【サン・フランシスコ号】が岩和田海岸に漂着してから後、悠久の時の流れが、日本人からこの出来事を忘却の彼方へ追い遣ってしまったのだが、明治維新後間もない明治4年(1871年)~明治6年(1873年)、岩倉使節団が欧米訪問した折、この一件について伝え聞いたことで、近代に再び認識されることになったという。 塔の前で記念写真を撮る。 ここは御宿町で一番見晴らしのよいところかもしれない。

ドン・ロドリゴ上陸地

 メキシコ塔を出てから道路沿いに散歩が始める。 途中、小波月海岸の入り口では車を停めて大きな猟犬を散歩させている人がいた。 ペンション月の砂漠の隣に波月の桜があり大きなお屋敷があった。 いったい誰が住んでいるのだろうかと思う。 小納戸隧道を通って12:52「ドン・ロドリゴ上陸地」に到着。 記念碑が立っている。慶長14(1609)年、ドン・ロドリゴ(ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・アベルサ)が乗船するガレオン船【サン・フランシスコ号】は、マニラからアカプルコへの航海中に暴風に遭遇し、岩和田村田尻の浜(現千葉県夷隅郡御宿町岩和田)に漂着座礁した。地元の海女達は、海中から引き上げた乗組員を自らの体温で温め蘇生させ、その多くを救出したというが、しかしこの逸話は、後世の説話であるという。  慶長15(1610)年、ロドリゴは、家康がイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦按針)に命じて建造した船【サン・ヴェナベントゥーラ号】に乗船し、アカプルコへ向け帰途についた。以前はここから海岸に降りる道があったようだが、今は危険なためかロープで封鎖されている。

岩船地蔵尊への分岐に咲くピンクの藤の花

公益財団法人海洋生物環境研究所 中央研究所の前を通り、車道をぐねぐね曲がりながら登っていく。 途中、藤がたくさん花をつけていてきれいである。千葉県水産情報通信センターのあたりが今日一番標高の高い地点だろうか。 そこを過ぎると 小浦海岸へと進むハイキングコースもあるようであるが、時間が読めないのでそちらに進むのはやめておいた。 後でネットを見ると「足下の悪い道やトンネル、草地を抜けて行くと、断崖に囲まれた小浦海岸にたどり着きます。洞穴から断崖と海を臨む景色は中々。」と書いてある。 また改めて来ることとしよう。 13:24、岩船地蔵尊へと進む道との分岐がある。 紫だけでなくピンク色の珍しい藤の花も見ることができた。

釣師海岸

分岐からまた車道伝いに歩いて、ひょうたん堤と呼ばれる池をまくと、道は下り坂となり隧道を抜けて13:44釣師海岸へ到着。車を停めるところもないし、海岸へは降りることができない。 徒歩で来たものだけが景色を楽しむことができる場所のようである。 展望草原のところにシートを敷いて、EPIで湯を沸かし、カップ焼きそばの昼ご飯。 あとからきた単独のバイクツーリストがいうことには「昔は、トンネル出口のところから、足場のよくないくだりみちがあったが、崩れてしまったのか、今は降りられない。時々撮影にも使われていたほど、景色のいいところで、サーフィンのメッカでもあった。」とのこと。 確かに断崖絶壁はなかなか迫力がある。 海岸の横には、庭に芝生と玄関前にバスケットボールのゴールがある豪邸があって3人の子供が遊んでいた。 14:11出発。 
 

岩船地蔵尊

釣師海岸を過ぎるともう、先に岩船地蔵尊の赤いお堂が見えてきた。岩船地蔵尊は、中納言藤原兼定が東国の衆生済度のため本尊と75座の神々をいただいての航海中に台風に遭い岩船の釣師海岸に漂着、本尊が多くの奇瑞をあらわし一同を無事に上陸させたことから建治元年(1275年)に藤原兼貞が村民と相談して建立したと言われている。地蔵堂の裏手には大海原が広がる。 今回の走破チェックポイントはこの地蔵堂前での撮影なのでしっかりとセルフタイマーで写真を撮る。 14:28出発。 浪花駅からの電車まであと1時間である。

浪花駅から電車で御宿に戻る

地蔵堂から海辺を離れ、田園地帯を抜けて約3㎞の道のりを進む。 15:05に浪花駅に到着。 浪花駅は1日の平均乗降客数が100人を切っている無人駅である。駅の周囲にこれといった店も1件もなかった。 シュロの木は貨物ホームに植えてあったものである。 15:25浪花駅から外房線の安房鴨川行きに乗車。 御宿の駅に帰ってきた。 浪花駅と違い、御宿駅の前には観光案内所も店もあり、そこそこの規模の駅だと思ったが、それでも駅そのものはこの時期は無人駅のようである。 駅前の自動販売機でアイスクリームを買って、歴史民俗資料館の前のベンチに腰掛けて食べる。 15:45に駐車場に帰り着く。 帰りも大渋滞のアクアラインを帰った。 
 

1 月の砂漠を はるばると  旅のらくだが 行きました  金と銀との くら置いて  二つならんで 行きました
2 金のくらには 銀のかめ  銀のくらには 金のかめ  二つのかめは それぞれに  ひもで結んで ありました
3 先のくらには 王子さま  あとのくらには お姫さま  乗った二人は おそろいの   白い上着を 着てました
4 ひろい砂漠を ひとすじに  二人はどこへ いくのでしょう  おぼろにけぶる 月の夜を 対のらくだは とぼとぼと 砂丘を越えて 行きました  だまって越えて 行きました
(2019年5月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています