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基本情報
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山名 |
生石ヶ峰(おいしがみね) |
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標高 |
870m (一等三角点) |
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山域 |
長峰山地 |
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都道府県 |
和歌山 |
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位置 |
N34.06.18/ E135.20.03 |
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地図 |
2万5千分の1地図「動木」
20万分の1地勢図「和歌山」 |
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山岳区分 |
関西三百名山 |
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登山記録
山歩No |
5920-17007
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登山日 |
2017年3月4 日(土) |
歩程 |
6時間20分
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天候 |
晴 |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
JR紀勢線海南駅からオレンジバス登山口下車 |
パーティー |
4人 |
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転勤の辞令をもらい、2月末をもって静岡の家を引き払うことになった。 また3年ぶりに東京に通う生活である。 2月末に引っ越しも無事に終えてまだ片づけも終わっていないのだが、山岳部の行事で和歌山の生石ヶ峰に行くということになり、思わず片づけをほっぽらかして参加の手を挙げてしまった。 生石ヶ峰は関西百名山のひとつで前々から行きたいと思っていたところである。 交通の便のこともありどうしても和歌山方面の関西百名山は残りがちであったが折角のチャンスなので思い切って夜行バスで出かけることにした。
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和歌山行き夜行バス
3月3日(金)横浜を出て和歌山に行く夜行バスジャムジャムライナーは西船橋が始発になり9:30に西船橋で22:30に東京駅そして23:30に横浜駅を出発して、6:10に大阪のなんば駅前、7:00に和泉中央駅、8:00に和歌山駅に到着となる。関越自動車道のスキーバスの痛ましい事故を受けて法令改正され、2名乗務員の体制が義務化されたので高速バス料金は少し高めとなっているが、 出発時間が遅くて3列独立シート・トイレつきなので快適である。 カーテンで横の人とも隔絶されており、静かだ。 2時ごろ休憩で静岡SAに立ち寄った時、夜食になじみの天神屋おでんを買い、それをほおばってからはゆっくり眠ることができた。
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海南駅のひな人形
3月4日(土)朝8:00にほぼ定刻で和歌山駅西口にバスは到着。コンビニで朝食のおにぎりを買う。 ひげを剃って、集合時刻の8:30に駅の改札口に行くと、すでに今日一緒に登るA.DさんとR.Uさんは来ていた。 リーダーのK.Iさんは私を探しに行っているという。 ホームで合流して8:40発の電車に乗る。 JR海南駅で下車。 昔、この駅には出張で来たことがあるが、駅の面影が残っているのがうれしかった。海南駅の構内には見事な雛人形の展示があった。
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オレンジバス登山口停留所
大十バスは通称オレンジラインというが、昔の野上電鉄の路線を引き継ぐ形で運行をしている。 野上電鉄はたわしやロープなどの特産品を、港のある日方町(現在の海南市)へ運搬することを目的に、1913年8月に設立され1994年4月1日に廃線となった。 バスは貴志川に沿って東へ進み、野上中学校を越えたところで終点の登山口駅到着である。
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杉峠を経て生石高原を見る
9:50 登山口駅は大十交通の基地としてバスが停車しており、チャーターバスのデポ基地となっている。 1日1本は高野山奥の院に行くバスも通っているようである。 バス停を出て、貴志川を渡っていよいよ生石高原へ向けてのハイキング開始である。 最初1時間は、車道を歩いて小川宮まで行く。 生石ヶ峰を登る人たちの多くは、ここにマイカーを停めて歩くようであるが我々は公共交通なので、すべてバス停からのフルコースとなる。10:07に右のがけ下に修験者が寄り道するような滝の行場が現れる。 山岳信仰の名残だろうか。 貯水池を過ぎて標高144mの杉峠を越えると正面に目指す生石高原の全貌が見えるようになる。ここからは下りとなるので帰り道が少し不安になるが、 民家の中を過ぎて県道180号線が左に見えるようになると、10:49に小川宮の前に出る。 公衆トイレを済ませて、下山してきた単独の方と昔この山でトレーニングした話などを聞かせてもらう。
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大観寺
梅本郵便局の前を過ぎると次第に道は標高を挙げていく。桜の小道の分岐点を左に見てさらに車道を進む。橋のたもとから山道に入る。 真言宗のお寺である大観寺で休憩して、お参りを済ます。 大観寺で標高が320mである。 本日登る最高地点の生石ヶ峰の最高峰は標高870mなので、まだまだ先は長いということになる。 大観寺には標語「ふくらむ夢に咲かせる根気」と書かれていた。 年度の締めくくりには良い言葉である。
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弘法大師の押し上げ岩
11:40に大観寺を出てしばらく車道に沿って進むと名跡の「弘法大師の押し上げ岩」がある。弘法大師が若い修行僧の時代に生石山に登った時に、通行の障害になっていたこの岩を押し上げ、そのときの手形がくぼみとして残ったという言い伝えがある。 今回参加しているR.Uさんは弘法大師と誕生日が同じだということなので、手形を押しながら記念写真を撮影していた。
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不動辻
押し上げ岩を過ぎると、やがて道は登山道に入っていく。 不動辻へ進む分岐を上がるとシラガシの大木がある。樹齢350年で胴周りが350mmである。 ただし、その記録が6年前のものなので、冗談で今は樹齢356年で胴周りが356mmだね、といってみる。シラガシの木の裏が分岐になっている。ここが不動辻なのだろうか。 林の中を過ぎて林道の交錯するルートをぬめると竜王水の水場がある。 面白いことに「この水は飲用には使えません」と書いてある。 残念であるが生石高原は山頂近くまで車で入ることができるので水は汚染されているということであろう。
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生石高原到着
次第に枯れ枝の堆積する道が細くなりまた林道を横切って登りきると少し開けたところへ出た。 ここで車道と合流である。 廃屋のような建物があったが、なんと「国民宿舎 生石高原山荘」だった。もはや営業している気配はない。 国民宿舎が隆盛を極めたのは一昔前なのだろうか。 ここから車道を渡り斜めに階段を上がっていくと生石高原の展望台が見えた。笠石と呼ばれる岩がそびえている。 12:46生石高原に到着である。
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山の家「おいし」
少し先に建物が見える。 今日のメインイベントの昼食場所、「山の家おいし」に到着である。天井の高い木造りの山の家は山小屋というよりはドライブインのレストランというほうが正しいような場所であったが、それでもテーブルはすべて木製で趣のあるものだった。 食券を買って食事を注文。 我々メンバー4人とも、ここの名物の「たまごかけごはんとミニうどん定食」650円を注文した。 缶ビール一人1本買って登頂の乾杯である。長い冬が終わってのハイキングのお楽しみである。
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生石ヶ峰山頂
食事をすませて落ち着いたところで、最高峰の生石ヶ峰に向けて出発である。 ここからはすすきの中の気持ちのよい稜線を歩く。 翌週に山焼をするということでススキを部分的に刈ってあるあるので一段と展望がよい。最高峰には、一等三角点がぽつりとあるだけであるが、山頂からは360度の展望で素晴らしい景色を楽しむことができた。 東には雪をかぶった大峰山系の頂を見ることができた。 きっとあれが釈迦ヶ岳であろうと想像をつけて山座同程をする。 南東には山の横に道路の筋がはっきり入っているところが見えたので、あれがきっと奥高野龍神スカイラインだろうとあたりをつけ、伯母子岳と護摩壇山の位置を確かめることができた。南には矢筈岳も見えている。 思い思いの格好で山頂写真を撮影して14:16に出発。
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生石神社
帰りは周遊コースとすべく、少し距離はあるが生石神社を経由するコースとする。 山頂から一気に急な傾斜を下りきって14:23に生石神社に到着。 これもまた大きな岩をご神体として神社を作ったもので見事な景観である。 生石神社からはひたすら車道を下っていく。 途中で何度か車道を横切って登山道に入り、近道を進んで高度を下げていく。 猿岩の分岐まで来たので寄り道をしてみた。 15:00をまわり次第に陽射しが陰るようになってきた。 気温が上がってきたせいか、シュロのような植物も見られた。 これらが群生しているなんて和歌山の雑木林の植生が同じ西日本でも大阪や奈良とはだいぶ違うことを知る。
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桜の小径の梅林
15:30桜の小径に出る。 ここは4月はずいぶんと美しい並木を見ることができるのだろう。 などと思っていたら突然目の前に梅の林が広がった。 少し時期が遅いようではあるがそれでもきれいな花をつけていた。 平安時代は花といえば桜ではなく梅であったようなので日本の伝統に心が洗われる想いで下山した。15:51に梅本郵便局に降りてきた。なぜ、梅本郵便局と呼ぶのかやっとわかった気がする。 山の家おいしで会った団体の登山客も下山してきた様子だった。 彼らはここからマイカーであるがわれわれはまだ約1時間歩いてバスに乗らなければならない。問題は16:30のバスに間に合うかどうかである。
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和歌山の居酒屋で反省会
バスの間に合わせるために執った手段はジョギングである。 かなりばてばてであったが、16:26に登山口のバス停に到着した。 皆がここまではりきった理由は少しでも早いバスで和歌山に移動して、居酒屋にちょっとでも長くいたい、というインセンティブである。 今日のうちに横浜に帰る私は海南駅で19:40の特急くろしおの指定席を予約。 誰も異論を唱えぬまま和歌山へ行き、リーダーのK.I氏のお薦めの居酒屋で反省会という名前の大宴会になった。
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最後飲みすぎで新幹線に乗ることになったが、とても楽しいハイキングの一日となった。和歌山の山はすばらしい名山が多いがこれからも機会を見つけて訪問することにしたい。
(2017年3月 記) |
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