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楊柳山
楊柳山

基本情報
1 山名 楊柳山(ようりゅうざん)
標高 1,009m (三等三角点)
山域 高野
都道府県 和歌山
位置 N34.14.07/ E135.36.24 
地図 昭文社 山と高原地図50「大峰山脈」
2万5千分の1地図「高野山」
20万分の1地勢図「和歌山」
7 山岳区分 関西百名山
登山記録
山歩No 5890-16005
登山日 2016年2月28 日(日)
歩程 3時間45分
天候 快晴
形態 前日発宿坊泊
アプローチ 南海高野線ケーブルカー極楽橋
パーティー 2人

 高野山の宿坊体験を楽しむことにした。 前日、山岳部の集まりで2月山行が久しぶりの世界遺産に指定された高野山のコースで、大河ドラマで歴史の脚光を浴びている真田幸村が幽閉されていた九度山から町石道をひたすら登り高野山の大門を経て弁天岳まで登ることになった。 もともと翌日楊柳山に行こうと思っていたのだが、同行の一人のA.D氏も折角なのでその日の晩は宿坊に泊まるということになる。 土曜日宿泊の当日であるが朝電話をしたら、同室でよければ1名追加OKということになり同行二人となった。

高野山宿坊福智院

 朝は5:30起床。 風呂をあびて本堂で6:00から開かれる朝のお勤めに参加する。 宿坊にお泊まりの方の半分以上はこの行に参加されたのではないだろうか。 入り口で手にお香をつけて部屋に入る。古くから福徳円満所願成就の霊仏として信仰を集める愛染明王が本尊で、きらびやかな装飾の中にも総けやき造りの落ちついた印象を与える本堂。畳は少し硬かったがストーブがついていたので寒いということはなかった。 お坊様が3名でご本尊の前でお経をあげて、 真言の教えを話してくれる。 お勤めは40分ほどで終了して部屋を出る。 

庭園

 部屋を出て庭園を見る。 昭和を代表する作庭家、重森三玲(しげもり・みれい)氏の最晩年の3つの庭園があり、 中でも本堂から見る石庭“蓮菜遊仙庭”古代中国の伝説「遥か南海にあって、不老不死の仙人が棲む理想郷、蓬莱島」を十五個の石組みで表現した枯山水蓬莱式の庭園は朝のたたずまいの中にしっかりと息をしているようで心が洗われる。部屋に帰って朝食となる。 豆乳鍋ととろろ汁をベースにした健康的な食事にごはんを3杯お代わりしてしまった。

奥の院バス停

 8:00に宿坊を出発する。 デイリーヤマザキ「ぜにや」で朝食の買い出し。 ばくだんおにぎりを買って、8:50のバスに乗車する。まだ朝早いということもありバスはすいているが、高野山の道路は早朝の散歩をしている人も見かけられる。バスで奥の院に到着。ここから歩きだしである。 弘法大師廟の入り口の門をはいり、玉川橋へと向かって参道を進む。 途中、日産自動車の従業員慰霊碑など大手企業が作った墓を見ることができる。 ピラミッドのようにお地蔵様が積み上げられた無縁塚はさすがに少し気味が悪い。
 

摩尼峠

 玉川橋から弘法大師廟の南の道路を進み、 駐車場のあるところでチェーンを踏み越えて摩尼山の標識を目印に進んでいく。 道は次第にジグザクの林道となり、少しずつ高度を上げていく。 林道が終わり登山道になり、玉川橋から20分ほど進んだところで広場が現れた。 ここが摩尼峠である。9:41 さすがは宗教登山の道なのでしっかりと祠が置いてある。摩尼峠で一息入れようかと思ったが、 摩尼山まであと10分とガイドブックに記載されているので水だけ飲んで進むことにする。

摩尼山への登り

 摩尼峠を出て、少し傾斜が急になる。不思議なことに登山をしているというのにお香をたくにおいがしてくる。 最初は、自分の手に朝お勤めのときにつけた香が残っていてそのにおいかとも思ったが、 後ろを歩くA.D氏も同じにおいを感じたので、これは弘法大師廟でたいているものだということにきがついた。ガイドブックには10分と書いてあったがどうしてどうして、結局15分以上かけて10:03に摩尼山に到着した。

摩尼山

 摩尼山の山頂にはやはり祠がある。 標高1004mなので結構な高さがあるが、ただ、登り出す地点がすでに850m以上あるので、さほど高度をあげたという感じもない。まわりに木がおいしげっておりあまり開けた山頂の感じはない。 ただし、行く手に楊柳山の山頂が屹立して見えるのだけは救いである。 天気もよく、ハイキング日和になりそうである。 記念写真を1枚撮って先を急ぐことにする。
 

黒河峠

 10:10に摩尼山を出て、およそ20分樹林の中を下ったところで登山客2名とすれちがう。 すでに早朝から逆コースで高野三山を縦走された方なのだろうか? 黒河峠で楊柳山へ進むコースと三本杉へ下山するコースとに分岐している。 ここが摩尼山と楊柳山の鞍部である。 ここから少し険しい登りが始まる。 道はよく踏まれており道標もしっかりしているので迷う心配はない。
  

楊柳山

 高野七口女人堂と書かれたルート票がある。 昨日、弁天岳登山後に、リーダーのK.I氏とT.T氏と分かれた不動坂女人堂も七口の女人堂の一つらしい。高野山は女人禁制であったので女性はそこまでしかいけなかったようだ。 今はもちろんそのような男女差別はないのだが。 11:52、楊柳山の山頂に到着。 山頂には祠があり三角点の標識もある。 関西百名山をひとつ増やすことができた。 時間は少し早いがおにぎりを食べて、もってきた缶チューハイで乾杯をする。

転軸山

 楊柳山から下山をする。 最後の三山のひとつの転軸山は標高915mと、楊柳山に比べて100m近く低いのでさほど登るという感じはないようである。 12:25に子継峠に到着。 少し下るとすすきの原に出て平坦な道を進んでいく。 木橋をわたり道路に出るとそこが一本杉であった。12:48. 転軸山へは車道を横切って、細い山道を入っていく。 山道を少しじぐざくを切りながら進んで、 13:13に転軸山に到着した。 

弘法大師廟

 転軸山はうっそうとした林の中で展望はない。 ここから女人堂へ行くコースもあるのだが、なぜか道標の上では奥の院へ降りるコースが×印となっていた。確かに、ガイドブックの上では高野山森林公園を経て、中ノ橋へ進むのがルートとなっている。 われわれは結局どちらが正規ルートよくわからず、×印のある奥の院へと進んだ。 傾斜は急であるが、踏み跡はしっかりある。最後に沢を渡り、弘法大師廟に到着した。 


戦国武将の墓所

  弘法大師廟を見学し、お参りを済ませたあと参道を進む。 赤穂浪士の主君である浅野内匠頭の墓所だとか、石田三成の墓所だとかがあり面白かった。 武田信玄の墓の前では、戦国武将マニア女子のような3人が、「おやかたさまあ」と叫びながら記念写真を撮っていたのが印象的だった。 中ノ橋のバス停まででてくると朝とうってかわってたくさんの観光客が歩くところで、登山靴のわれわれが場違いな感じだった。

金剛峯寺

 15:07金剛峯寺を見学する。 本堂にあがったが、素晴らしいつくりである。 襖絵が素晴らしい。 お茶をふるまってもらえるところもありしばしの休息を楽しむ。 壇上伽藍も見たが、無人で拝観料を箱に入れるシステムとなっていた。 16:15ついに町石道の第一丁の標識を見つけた。 これで正真正銘町石道を踏破しあことになる。 16:50にバスに乗り、高野口の駅へ。そこからケーブルカーで極楽橋へ行く。 南海高野線は観光客で混雑していた。 橋本からは特急りんかんに乗車し、A.D氏とビールを飲みながら新今宮へ。 19:40新大阪を出る新幹線ひかり482号で静岡に帰った。 


 宿坊体験と高野三山めぐりの旅はなかなかよい体験となった。 長年山に親しんできたし、一時期は先鋭的(といっても本当にやっている方たちから見ると道楽の域だが)とも思える登り方もしたが、このように山に込められた宗教や文化を感じながら歩くことの大切さを改めて体感した。 高野山はまた雪の降る時期に来てみたら面白いのかもしれない。  
(2016年3月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています