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基本情報
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山名 |
行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ) |
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標高 |
1547m(三等三角点) |
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山域 |
紀伊山地 |
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都道府県 |
奈良 |
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位置 |
N34.12.17/ E135.56.41 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図52「大峰山脈」
2万5千分の1地図「弥山」
20万分の1地勢図「和歌山」 |
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山岳区分 |
関西百名山 |
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登山記録
山歩No |
5840-21012
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登山日 |
2021年7月23日(金) |
歩程 |
3時間40分 |
天候 |
晴 |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
国道309号行者還トンネル |
パーティー |
3人 |
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関西百名山の登頂履歴の中でぽっかりと空白になっている山域があった。 大峰山脈である。1986年10月に山岳部のメンバーが車2台使って釈迦ヶ岳から八経ヶ岳まで縦走しているのであるが、たまたま参加する予定だったその日に風邪をひいて発熱してしまい参加をとりやめた経緯がある。2002年11月に八経ヶ岳を目指したがこれも雪のため敗退。 結局、日本百名山を登るために2006年に日帰りで弥山・八経ヶ岳には行ったが、その周辺の山には登らずに年月が過ぎた。 従い、関西百名山を登頂するためにも、大峰山脈の縦走は再起を狙っていた。
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連休の初日 新横浜駅
2021年7月、山岳部のH.H氏が2年間温めてきた計画である大峰山脈の縦走がようやく実現することになった。東京オリンピックのため、海の日が7月19日から7月22日に変更になり、そして体育の日が10月から7月23日に変更になり、梅雨明け直後に4連休となった。 前年の9月にも5月のGWにもH.H氏は大峰縦走の計画を持っていたのだが、関西地域にコロナウイルス感染症の緊急事態宣言がでたこともあり予定を見合わせた経緯がある。今回は三度目の正直である。久しぶりの関西遠征なので22日(木)の昼、新幹線で新横浜から乗車して集合場所である大阪府堺市に向かう。
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新幹線乗車
東京から新幹線に乗車してきたA.K氏と列車内で落ち合う。 今回は、このA.K氏とH.H氏と3人の行動となる。 新幹線のぞみ新大阪行きの乗車率は40%くらいであろうか? 普通なら連休初日ということで満席になるところであるが、これだけガラガラの車両の運行では確かにJR東海も決算が思わしくないというのは仕方ないかもしれない。それだけ人々が不要不急の外出を控えているということである。われわれ2人の車内の荷棚に置いた大きなリュックが見るからにレジャーに行きますと言っているようでまわりから白い目で見られているのではないかと気になる。
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新大阪から御堂筋線に乗り換え
14:08、新幹線は新大阪に到着。 新大阪の駅構内もキャリーバックを持った旅行者はそれなりにはいるが、それでも夏休みの連休でこれくらいかというような人口密度である。普段の土日よりも少ないかもしれない。関東ではエスカレータは左側に立ち右側を歩く人のために空けるが関西では逆である。 営業マンで関西出張もコロナ感染拡大前には多かったというA.K氏はすっかり切り分けてエスカレータの右側に立って御堂筋線の乗り場へと先導してくれる。14:16、なかもず行きの電車に乗り終点ひとつ手前の新金岡駅で下車する。
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国道309号を南に進む
新金岡駅にはH.H氏が迎えに来てくれていた。 車を停めている場所まで移動するときに、彼の妹さんとすれ違う。 近くには仁徳天皇陵もあり一周2.8㎞のちょっとしたジョギングコースになっているという。大泉緑地の南を通り、国道309号をひたすら南東に走る。 千早赤坂村を過ぎて大和葛城山を超えると奈良県である。 御所のスーパーセンターおおくわで夕食の買いだしである。 総菜は串カツがうまそうだったので思わず買ってしまう。 さらに進むと下市口の手前でもう一軒、オークワ大淀西店があった。 こちらは自分が八経ヶ岳登山をしたときに立ち寄った場所であることを思い出してなつかしく思った。
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清浄大橋駐車場テント泊
途中みちの駅吉野黒滝路に立ち寄りデイリーヤマザキがあったのでそこでビールを仕込む。道の駅には大阪ナンバーや神戸ナンバー・和泉ナンバーといった関西圏の車がたくさん駐車してあった。 天川村に入った時には17時を回っており酒屋も閉店していたので先に道の駅で冷えたビールを買っておいたのは正解だった。 県道21号を北にあがり洞川温泉を通る。 連休だということもあり温泉街はたくさんの家族連れやカップルが散歩をしていた。 ここを見るとコロナウイルスの感染が拡大しているとは思えないのどかさである。 五行堂を過ぎて今日の宿泊地点である清浄大橋の大橋茶屋の駐車場に到着。 駐車料金を支払ってテントを張る。風もないのでペグを打つ必要もなく蚊取り線香を焚いてテントを張って夕食とする。 α米と串カツに焼き鳥という豪勢な食事である。
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行者還トンネル
翌朝7月23日(金)朝、4:20起床。 朝食をとってテントを撤収。 6時に予約していたタクシーが来る。 この洞川で1件だけのタクシーだということで運転手はこの辺の情報に詳しい。 我々が下山後に回ろうとしていた車をピックしたあとの行程についてもアドバイスをくれた。 行者還トンネルまでは概ね45分、タクシーの料金は8000円弱であった。 トンネルには駐車場があり、今は地主の方が営業しているそうである。 駐車場は自分が百名山を登ったときよりも整備されており、停める区画がしっかり決められていた。 トイレもプレハブ小屋の中にりっぱなものが据え付けれられていてさすがだという感じであった。
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奥駆道出合
行者還トンネルは昔から不気味な感じがしていたが、結構トンネルを通過する車はあった。 トンネルの横には登山靴を洗う場所も備え付けられていた。 7:00歩きだし、登山届のポストのある橋を渡って奥駆道の稜線を目指す。 登山口の標高は1094m 奥駆道との出合いは標高1500m弱。コースタイム1時間のルートである。 途中、水がとれる沢沿いコースと尾根伝いのコースとに分かれるとガイドブックには書いてあったがそれには気が付かずに進む。 結構急な登りのところもあるが足元をしっかり見ながら登る。 途中一度休憩したものの8:54に奥駆道の分岐に到着。コースタイムの倍近くかかっている。
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一の峠へ進む縦走路
奥駆道出合はではたくさんの人が休憩していた。 ここから弥山まで地図の上のコースタイムは2時間となっている。実際にはそんなに早くは登れないのではないだろうか?トレランのスタイルの単独の男性が弥山のほうから下りてきてすごい勢いで行者還岳の方へと走っていった。奥駆道出合から先行者還岳方面に進む人の数はぐっとすくなくなる。 出合から先、1516mのピークを横に見て、その先は上北山温泉・大栂山方面へ下山する道との分岐を過ぎる。
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行者還避難小屋
9:48、一の峠到着。 行者の錫杖がささっている。道は眺めのよい縦走路が続く。行者還トンネル西口から直登するルートとの分岐を過ぎてさらに稜線を進むと下りになる、鞍部からこのあと進む行者還岳の雄姿が見える。 11:17行者還岳の避難小屋到着。 ここで少し休憩する。眠いので切り株に腰かけて少し休憩する。 H.H氏は昼食のα米に入れる湯を沸かすということでEPIを取り出して火をつけたのでその間に少し昼寝の時間をもらう。小屋の中をのぞいてみると、丸太を組んだ避難小屋は中に仕切りがあり一番大きな部屋は2階部分もあり、全体で20人くらいは泊まることができるようである。
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梯子段の登り
11:49避難小屋を出発。 行者雫水という水場があるように地図には書いてあるが実際には水場はなかった。 行者還避難小屋に宿泊する男性2人組が追いかけてきて水場はありませんでしたか?と聞かれたが、ルートの近くにはなかったように思うと答えた。そこからとんでもない急傾斜の登りとなる。 断崖のような斜面を見たときに、A.K氏がこの斜面見覚えがあるという。 先ほど、避難小屋でも来た記憶があるといっていた。なんだ、このコース初めてではなかったのかと3人で笑ったが、当時は先輩に連れてきてもらっておりはっきりどのコースだったかどの山に登ったのか記憶と記録がないということだった。 確かに、この壁のような斜面は印象に残るであろう。 上部は木の階段があり慎重に登る必要がある。 テントを背負っているので木の階段がみしみしなってスリルがある。
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行者還岳山頂
12:10、行者還岳の最後のアプローチは肩の分岐から往復15分と地図にある。 荷物をそこにおいて、昼食をもって行者還岳を目指す。12:25行者還岳山頂到着。 1546.6mの山頂はシャクナゲの木がたくさんある。 花の咲く5月ごろに来たらとてもきれいだったことだろう。 山頂は残念ながら展望がないので、登頂記念写真を撮影して昼食は景色のよい先ほどの肩の分岐まで降りて食べようということになる。 であれば昼食をもって山頂まで来なくてもよかったのだが。。まあ、それでも関西百名山のひとつの登頂を果たすことができた。山の名前の由来となったように行者ですらも引き返さざるを得ないという特徴ある形を遠くからでも眺めることができる。 さあ、今度は正面にそびえる次の山、大普賢岳に向けて出発である。
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行者還、この名前のトンネルの横に車を停めて八経ヶ岳に登ったのが2006年5月、ここから15年の時を経てまた大峰の地を訪れることができた。 行者も引き返す急な山というのは、一の峠からのきれいな稜線歩きからは想像できない最後の山頂までの急登であるが、それがこの山が遠くから見ると屹立した山容を示している証拠であろう。 関西に長く住んでいたが大峰山脈は鬼門だった。 1986年に登るときに体調不良で断念、 2002年に八経ヶ岳を目指したときも雪で敗退した。今回遠征してきたが奈良県のこの山に時を経て登ることができて感激である。
(2021年8月記) |
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