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基本情報
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山名 |
大普賢岳(だいふげんだけ) |
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標高 |
1547m(三等三角点) |
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山域 |
紀伊山地 |
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都道府県 |
奈良 |
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位置 |
N34.13.40/ E135.57.46 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図52「大峰山脈」
2万5千分の1地図「弥山」
20万分の1地勢図「和歌山」 |
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山岳区分 |
関西百名山 |
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登山記録
山歩No |
5810-21013
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登山日 |
2021年7月23日(金) |
歩程 |
第一日 8時間40分
第二日 5時間 |
天候 |
晴 |
形態 |
前日泊1泊2日 |
アプローチ |
国道309号行者還トンネル |
パーティー |
3人 |
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山岳部も2020年からは活動らしい活動ができないでいた。 コロナウイルスの感染拡大により不要不急の外出は避けるように都道府県知事からのメッセージ発信もあり、人の接触も減らす観点から、20年3月に筑波山に登ったのを最後に関東と関西の山岳部メンバーが一緒に登るということは途絶えていた。 毎年恒例となっていた納山会も12月に赤城山の計画を立てたものの中止せざるをえなかった。 山岳部長のH.H氏が計画した大峰山地縦走は久しぶりの山岳部の夏山合宿である。関東組の私を含めた2人は大阪府堺市でH.H氏と合流、彼の車で大峰山を目指した。 初日は行者還トンネルから、行者還岳から大普賢岳に登り、阿弥陀ヶ森を経てアスカベ平でテントを張る計画である。
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無双洞分岐
12時半に行者還岳を出発した我々は、次に稜線を大普賢岳を目指す。 七曜岳(標高1584m)までの登りは1時間半の道のりである。 稜線上の道であるが、一の峠から行者還避難小屋までの稜線は眺めがよく草原もある歩きやすいところであったが、それと比較するとやせ尾根もあり階段と鎖もあり歩くことにもそこそこ技術も必要である。 七曜岳の手前に和佐又山方面への分岐がある。ここまでの登りも苦しい山道である。 無双洞というのは滝の近くにある洞窟でこの洞窟を探検している人の投稿もネットに出ていた。 標識には「無双洞分岐点]ここで奥駈道ともさようなら。と書いてあり、なるほどわかりやすい。
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七曜岳
この分岐を過ぎて6mほどの鎖場を上がる。 上がりきったところが七曜岳であった。 七曜岳から仰ぎ見る大普賢岳は右側の山頂部がにょっきりと屹立していてひときわ高い。 今回の縦走コースの中で最も標高が高いところが大普賢岳である。 七曜岳からの下りは鎖場がある。 下り切ったところに七つ池(鬼の釜)という窪地があった。 水はたまっていない。 役行者が大峰の道を開いた時、 大蛇をここに封じ込めたという。一定の樹林が茂って少し暗いが、その伝説を信ぴょう性のあるものにしている気がした。
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稚児泊
大峰奥駈道には75の靡がある。その60番目の靡が稚児泊という場所である。 15:33、暗い登山道を抜けたところを少し降りてそこが稚児泊であった。 平坦なテントを張れる場所が3つほどあり、東側が開けて展望がよくなっている。 こんなところでテントを張ったら気持ち良いキャンプができるだろうなと思わず思う。 ただ、ここは水場がないので、テント泊をするためには水を余分に運ばないといけない。
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国見岳
樹林の中を国見岳を巻くようにして登っていく。 山頂へ行く踏み跡もあるようであるが、先を急ぐので山頂には寄らずにそのまま進む。 ヤマケイオンラインでは国見岳について、このように書かれている。 「和佐又山ヒュッテから大普賢岳を経て縦走して和佐又山ヒュッテへ戻る縦走コースは魅力的で、行程は厳しいが、春はシャクナゲ、シロヤシオ、夏のヤマユリ、オオヤマレンゲ、秋は紅葉、冬の霧氷と四季の美しさに彩られ、訪れる者を魅了する」地図にもシャクナゲのマークが記載されている花の山のようである。
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薩摩転げ手前の鎖場
国見岳を過ぎ、下りを経て、また稜線の縦走となる。 うっそうとした森の中を木の階段を登っていく。自分が先頭を歩き、A.K氏、 H.H氏という順番であったが、突然、A.K氏の悲鳴が聞こえた。 と同時に、ドスンという音がした。 最後尾を歩いていたH.H氏が階段を登っているときに後ろに転落した。あわてて大丈夫か?と声をかけると、H.H氏の大丈夫です、 という声が返ってきた。 階段から後ろに転落したものの、テントが入った大きなリュックが緩衝になり、頭を打ったりすることもなく幸い怪我もなかったようだ。 一安心である。 あとで地図で見ると、このあたりに薩摩転げという記載があった。 薩摩転げそれ自体は階段ではなく鎖場であるがいずれにせよ通過危険地帯である。
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水太覗
国見岳と大普賢岳の間に弥勒岳がある。このあたりが弥勒岳ではないかというのはあったが、はっきりとどこが山頂だったかわからないまま通過してしまった。 2002年12月19日、国の史跡「大峯奥駈道」として指定された。 吉野から熊野まで、神社や寺のほかに、大峰山脈の主稜線沿いに75の靡(なびき)と呼ばれる行場(霊場)があり、修験者は5月3日の大峯山寺の戸開けから9月23日の戸閉めまでの間に奥駈修行を行なう。弥勒岳という名前も宗教の由来であろう。標高を次第にあげて大普賢岳の山頂を目指す。16:50いったん、平になったところが水太覗であった。 ここからの眺めは素晴らしいらしいが残念ながらガスがあがってきてしまっていたので展望を楽しむことはできなかった。
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大普賢岳山頂
水太覗を過ぎて17:20、大普賢岳の山頂 標高1780.1mの山頂に到着した。 樹林で遮るものもなく、まわりは360度の展望だと思われたが残念ながらもうガスが上がっていたので景色を楽しむことはできなかった。 山頂には誰かが忘れていった神鍋マラソンのクッションが置いてあった。 この山頂は展望は抜群だろうが、意外に狭く10人くらいしか山頂に腰を下ろすことはできない。 あまり昼食などで長い時間山頂にいると写真を撮る人の邪魔になってしまうかもしれない。我々の場合あまりにも時間が遅く、そういう心配は無用だった。
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小普賢岳を通過
17:52大普賢岳出発。 ここからアスカベ平までまだ1時間半以上かかるので、日没までにテント場につくのが難しそうな展開になってきた。 少し先を急ぎたいのだが、それでも足がもう痛くなっており稜線の道を慎重に進む。 山頂を出てすぐに日本岳・和佐又山へ至るルートの分岐があった。誰かリュックをそこにデポしているひとがいたが、 この時間にどこを行動しているのか少し不思議に思った。 小普賢岳の山頂へはゆるやかな稜線を進む。 小普賢岳の山頂には山頂標識があるだけだった。 そろそろ夕闇が迫ってくる。
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脇の宿跡
明王ヶ岳と思われるピークをすぎ、左手に脇宿谷の沢の音が聞こえてきた。 18:50ここが阿弥陀ヶ森かと思ったが、まだそのひとつ手前の脇ノ宿跡であった。 少し、休憩をしてまた歩き出す。19:00ようやく、阿弥陀ヶ森に到着。 ここで道は上谷経由柏木方面へ下山する道と山上ヶ岳方面への道に分かれている。 女人結界の門がある。
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阿弥陀ヶ森から伯母谷覗への下り
阿弥陀ヶ森から目指すアスカベ平までは、伯母谷覗を経て30分ほどある。 正面に満月が広がりもう日が暮れて真っ暗だがまだルートは見える。伯母谷覗は断崖になっているので、転落の危険があり暗いときに断崖に近づくのは危険である。もう限界なのでヘッドランプをつけて慎重に足元を確認しながら歩く。 柏木への向かう道標がある。 ここからルートは北西に折れて谷沿いに下ってゆく。 シカと思われる動物が森の中を横切っていくのが見える。 さらに、木の上からこちらを見ている2つの光る眼がある。シカかと思ったがするすると木の上に登っていったのでサルであろう。
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アスカベ平でテント泊
19:55水場があった。 ようやくアスカベ平に到着である。 シカが水を飲みに出てくる場所のようで、森の中ではそれぞれがテントを張って食事の準備に入ったら、もう20時を回っていた。ラジオをつけて東京オリンピックの開会式を聞いてみたが、やはり入場行進はラジオで聞いても衣装の様子などはイメージがわかない。 夕食は疲れていたので、缶詰とアルファ米とあとはウイスキーが進む。 筋肉痛の手入れのためにバンテリンをぬって22時に就寝する。
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テントを担いで歩くというのは久しぶりであるが、やはり地図にあるコースタイムのスピードではとても歩けない。 このため、行動時間は12時間を超える長丁場となってしまった。 これだけ動物の多い森の中で眠るというのも九州で傾山へ行ったとき以来であるが、大峰は想像していたよりもずっと自然に抱かれた縦走路であった。 北アルプスのように登山者のための山小屋が整備されているというわけではないだろうが、もう少し山小屋などがあるのかと思っていたが、意外に少ない。 このアスカベ平や途中の稚児淵のように自然の中でテントを張るという醍醐味を味わう山なのだということをあらためて知った。
(2021年8月記) |
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