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基本情報
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山名 |
迷岳(まよいだけ) |
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標高 |
1,309m (二等三角点) |
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山域 |
台高山脈北部 |
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都道府県 |
三重 |
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位置 |
N34.21.00/ E136.12.27 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図57「大台ケ原・大杉谷・高見山」
2万5千分の1地図「七日市」
20万分の1地勢図「伊勢」 |
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山岳区分 |
関西百名山 |
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登山記録
山歩No |
5730-15026
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登山日 |
2015年11月21 日(土) |
歩程 |
3時間35分 |
天候 |
快晴 |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
紀勢自動車道大台大宮ICから県道31号国道422号滝谷 |
パーティー |
3人 |
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毎年恒例の山岳部の納山会の時期がやってきた。今回は40周年で400回目という節目の山である。ここ数年いつもはこの納山会は京都府北部にカニを食べにゆくツアーとセットだったが、今年は趣向を変えて三重県の山に久しぶりに行くことにした。目指すは迷岳である。 名前の通り道に迷わなければよいのだが。 参加人数は残念ながらこじんまりした3人道中となった。 黒幕のK.M氏とリーダーの.A.D氏とおじさん3人旅となった。
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早朝の静岡
朝始発のひかりに乗車するも、3連休の初日だということもあって静岡駅ホームひかり号の自由席車両のあたりではとんでもない行列ができていた。放送で「自由席は大変混雑しております。」とあったので座れないことは覚悟したのだが、そのうちに、 「業務放送。 指定席誘導」などとアナウンスが流れたものだから、もしかしてあまりに乗客が多すぎで自由席車両には乗車できないのでは、といやな予感がした。 案の定、6:40に到着したひかり493号広島行きは、ドアが開いて自由席に入っても、途中で列の流れが止まり、乗車できない人も現れた。 自分はぎりぎりで2号車のドアの内側に入ることができたが身動きもできない状況だった。 扉がしまり名古屋までの1駅42分間は正直地獄のたちんぼだった。隣に立っていた男性は途中で貧血気味で座り込んでしまった。
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JR関西本線で故郷へ凱旋
名古屋について、15分ほどの待ち合わせで快速みえに乗車。 こちらはさほど混雑もしておらず、始発だということもあり自由席でゆうゆうと座っていくことができた。 桑名を出ると四日市まで停車駅はないのだが、時間調整のためか、途中の富田駅で停車した。 思わずカメラを出してシャッターを切った。 自分の山登りの原点はもしかしたらここにあるかもしれない。 この駅の前にある学校に通い、そこで山岳部に入った。週末になると鈴鹿山脈に出かけたが、平日はキスリングに重りを詰めて体力トレーニングをした。 もう数十年前のことなのに、通っていた電車の駅名を四日市から今でもそらで順に言える自分に驚いたりもした。
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ヤチ山谷林道
大きな陸橋をくぐると自分の生家があるはずだったが、もちろん家はもうなかった。 西には今日も、鈴鹿山脈の鎌ヶ岳が勇壮な姿を見せている。 9:00ちょうどに松坂駅に到着。水道で水を汲み駅舎を出ると、リーダーのA.D氏はすでに車で迎えに来てくれていた。松阪ICから伊勢自動車道を勢和多気JCTまで。 そこから紀勢自動車道に入り、大宮大台ICまで行く。 県道31号から国道422号へ。422号線で山間を抜けて滝谷へ。 途中、100円でお茶が買える自動販売機があったので調達して、最後に工事現場のことろで、K.Mさんの車と合流。 そして皆でA.D氏の車に乗ってヤチ山谷林道へ。ヤチ山谷林道に近づくと、トンネル工事で通行止めとの表示が出ていたが、ヤチ山谷林道は通行可とも表示されていたので、工事領域に入り、トンネル前のヤチ山谷林道入口を右に曲がった。
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駐車場到着
ヤチ山谷林道入口から駐車場までは、8kmくらいで30分はかかる。 舗装があるのは最初だけであとはダート道である。沢が崩れて大きな石が落ちているところがあり、大台町のホームページではそこで通行止めになっているようにも見えたが、結局車からおりて二人ががりで石をどけるとそこからはこころもち路面の良い道になったようで結局、 登山口と駐車場の分岐を示す道標が現れた。 15年前に一度来ているK.M氏の言うとおりに右に曲がり駐車場を目指す。
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開けた登山道を進む
右に100mほど進むと、駐車場がある。5-6台駐車可能だろうか? 先に一台三重ナンバーの軽自動車が停まっていた。 いらない荷物は車の中に置いていき出発の準備。 11:04出発。 さきほどの分岐まで戻り左手の林道を進む。右手に小さな滝を見て500mほど進んだところで左手の土手を上がる登山道の標識があった。最初、先頭を歩いているK.Mさんは見落として林道をさらに進んでいこうとしていた。 今回、K.Mさんはルートがはっきりしなかったことから、道を見失わないように赤いテープを張りつつ進んでいる。
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稜線に出る
自然林を抜けると、 伐採地がある。 少し踏み跡があやしくなっておりルートファインディングの技術を要する。ほぼ直登のように、伐採林の鹿よけネットを巻くようにして進んでいくと。稜線へ出た、東からの合流ルートがあるようにも思えたが、そこへは入れないように、木を切り倒してしるしにしてあった。 12:05 休憩をして飴を食べる。 稜線の上からはほぼ360度の展望で特に、大台ケ原山方面がよく見えた。
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口迷岳(1224m)
さあ、ここからは稜線歩きである。 木の葉がもう落ちてしまっているので、稜線上も見通しはよい。 口迷岳から南への稜線が伸びている。南西には古ヶ丸山、八景山、白倉山が見える。口迷岳の山頂1224mは、これといった特徴のないピークであった。 ルートの上に山頂があるだけで小さな標識があるだけである。写真を撮影して先を急ぐ。 12:32である。 朝食の時間も早かったのでさすがに空腹を覚えてきた。
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見晴岩
シロヤシオの老木の大群落がある。しばらく歩いて、桃の木平に到着。尾根の背が一段広くなったところである。Uの字型の地形になっている。 尾根らしくなってきて、突出した場所の先に 迷岳が見えてきた。案外、遠くに感じる。 見晴岩に登ってみる。 樹木が生えてるが西の稜線が見える。
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迷岳山頂到着
さらに進むと登りの踏み跡が今一つわかりにくい場所に出た。 窪地と二重稜線になっており凹凸があって、地形が複雑で南側の稜線から一回おりて北側の稜線に移るような動きをとる。平らになったり、 尾根になったりを繰り返して赤テープを探しながら先を進む。 やせた稜線の上を進むと踏み跡不鮮明なところが出てきた。 振り返ると、口迷岳が見える。のぼりつめていくと、山頂標識のようなものが見えた。 あそこが迷岳の頂上なのだろう。 山頂直下は少し平らな部分もあって、最後にあがったところが山頂だった。 13:50到着。
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山岳部創設40周年・400回目山行パーティー写真
標高1309mの山頂には一人の登山者もいなかったのでわれわれの独占だった。 湯をわかしてちょっと遅めの昼食を食べる。 山頂には15年前に登ったK.Mさんの標識があった。彼は、ここで関西百名山のすべてを踏破したという。 登頂したのが12月の上旬だったということだからちょうどわれわれが今見ているのと同じような景色だったのだろう。 彼は今回初めて登るA.D氏と私の名前を入れた標識も作ってきてくれていた。 針金で使ってしっかり木の枝に結わえる。三角点の標識にタッチして記念写真を撮影する。 14時すぎだというのにもうまるで夕方のような陽射しである。
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大台ケ原遠望・手前は古ヶ丸山
下山は往路し慎重にたどる。やはり、途中のくぼ地のところでは稜線の上を歩いているつもりで来る途中で通った記憶がないようなところがあったりと、赤テープを張りながら登ってきたことで効果を奏したところが何箇所かあった。 口迷岳に到着するころには、安心したが、それまでは本当に道迷いの心配もしながら歩くようなコースだった。稜線から伐採林に降りる地点では展望が得られる最後の場所だと思い、山の方向へとをシャッターを切った。 16:50下山。
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奥伊勢フォレストピア宿泊
車を出発させて再び荒れた林道を降りる。 真っ暗になる前になんとか途中の工事現場のところへ戻ることができた。 K.Mさんの車をピックアップして今夜の宿である「奥伊勢フォレストピア」へと向かう。 車で20分ほどで到着した。 チェックインをして、あすの昼食を買うような場所はないかと聞いてみたら、コンビニは10kmほど東に街のほうへ行かないとないという。 翌日のことが心配にはなりつつも、まあこよいはゆっくりと宴会をすることにしよう。 温泉につかり、夕食はレストラン「アンジュ」でフランス料理のフルコースである。メインディッシュの肉料理は「シカ肉」である。 赤ワインを2本も開けてしまった。部屋に帰ってからも宴会は続き、23時まで昔話に花を咲かせた。
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山岳部創立40周年通算400回目の山として記念を飾る登山となった。 参加者が3名と少なかったことが残念であったが、自分としては故郷の三重県の山でこのような節目の登山を祝うことができたのは満足である。 奥伊勢フォレストピアは本当に素晴らしい宿泊施設であった。 本館は「宮川山荘」という名前で、登山のツアーガイドもあるそうである。ある意味で本格的な登山基地である。 この素晴らしい宿をベースにまだまだ登ってみたい山が増えたといえる。
(2015年11月 記) |
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