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基本情報
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山名 |
富山(とみさん) |
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標高 |
350m(三等三角点) |
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山域 |
房総丘陵 |
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都道府県 |
千葉 |
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位置 |
N35.05.56/ E139.52.53 |
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地図 |
2万5千分の1地図「那古」
20万分の1地勢図「横須賀」 |
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山岳区分 |
関東百名山 |
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登山記録
山歩No |
4530-19002
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登山日 |
2019年1月5日(土) |
歩程 |
2時間45分 |
天候 |
快晴 |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
館山自動車道鋸南富山ICから国道127号線 |
パーティー |
2人 |
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2019年が始まった。 最初の土曜日である1月5日は幸い日中気温が上がり3月中旬並になるという。 季節がら水仙の花が咲き乱れるという南房総に行ってみることにした。2015年2月に伊予ヶ岳に登った時に隣に見えた富山を今回の目的地にする。標高350mと伊予ヶ岳より13m高いだけの日帰りハイキングにはもってこいの山である。
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東京湾アクアライン
1月5日(土)朝7:00起床。 前日から荷物は準備しておいたので、昼食のカップラーメンを作るための湯を沸かしてテルモスに入れ、9:00に家を出発、今回はマイカーでのアプローチである。 今年のカレンダーの配置は3日が木曜日、4日が金曜日なので、人によっては4日が出勤日でない人は長い休みとなっており、帰省客が戻ってくる夕方は道路の渋滞も予想される。 しかし、朝はまだ首都高はまだ正月の休みの影響か比較的すいておりアクアラインもさほど渋滞していなかった。 9:50木更津金田ICの出口はかなり車の行列ができていた。 三井アウトレットパーク木更津の初売りに出かける人が多いということであろう。
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駐車場
季節として1月は水仙が美しいと聞いて、目指す富山の手前にある江月水仙ロードで道草見物をしてから富山ハイキングをしようかと考える。 そこで館山道を南に走り、鋸南保田ICで降りる。 国道127号線を南に進むも、ナビが左折せよと指示しているところに道はない。 そうこうしているうちに行き過ぎてしまったようで、結局水仙ロードに立ち寄るのは断念する。 JRの岩井駅を過ぎて、左折して東に進む。 館山道の下をくぐって800mほど進むと、右手に町営駐車場が見えた。 登山者にも開放されているようであり、40台くらいは駐車することができる大きな駐車場だ。 身支度を整えて、11:00出発。
道路を渡り、案内看板に従い、伏姫籠穴へと向かう。 富山中学校の前を通過して、道は山の中へと入っていく。 富山中学校は鉄筋造りの比較的新しい校舎の学校であった。 大きなサッシ窓があり教室に太陽光がさんさんと注いでおり暖かそうな教室である。駐車場には学校関係者以外駐車お断りと記載されていた。 こころない登山者で車を停める人がいるのだろうか?中学校を出てさらに進むと山合いには水仙の畑がありたくさんの花をつけていた。
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伏姫籠穴
正面の樹林にはカラスウリが赤い実をつけていた。 カラスウリは11月に赤い実をつけて冬になってつるが枯れても実がぶら下がっているのが有名だと植物の本に記載されていたが、まさにその光景だった。 細い車道を歩いて20分、11:21正面に寺のような門構えが見えてきた。 ここが伏姫籠穴である。 ガイドブックには「伏姫籠穴まで車で入れるが3台も停まればいっぱいになってしまうスペースしかない。 そのうえ、そこまでの道幅も狭くい対向車があるとかなりのベテランでも往生するので駐車場から歩くほうがいいだろう。」と記載がある。 なるほど足の不自由な方などが名所旧跡に来るためにに登山者はできるだけ無理にここまで車を入れないほうがよいであろう。 3台ほどの駐車スペースの横には公衆トイレがあり、門を入ると急な階段が籠穴のほうまで続いている。
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里見八犬伝伝説
階段から先山道を2分も歩くと、籠穴の手前の踊場に出た。 踊場は八角形になっており、よく見るとそれぞれの柱に里見八犬士の名前が記載されていた。 踊場からさらに階段を数段あがったところに伏姫籠穴があった。 ガイドブックには、籠穴を直接見ることはできないと書いてあったが、自分の訪れたこの日は、籠穴の前の門扉が開放されており、直接5段ほどの石段を登って穴の中まで見ることができた。穴の奥には仁義礼智信孝悌の文字がそれぞれ書かれた8つの玉が置いてあった。この穴は想像していたものよりずいぶんと高さが低く、大人の人間が立って行動するには不十分と考えられる。踊場に掲げられた「南総里見八犬伝」の歴史解説にもあったが、確かに曲亭馬琴の長編小説の中に出てきたこの伏姫の籠穴が、事実として小説の舞台になっている富山の山中に存在していることが面白い。籠穴の外には、まるで本当にここに伏姫が住んでいたことを物語るかのように、細々と雨水の流れる岩とその横にはみかんの木が無数の青い実をつけて立っていた。
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整備された登山道
伏姫籠穴から先に「富山遊歩道」の入口へ案内する標識がある。1.1㎞で20分となっている。。道幅は狭くはなるがまだ舗装道路である。 先に水仙を栽培している畑地などもあり、農家の方が作業道として通行できるようになっているのだと考える。11:49林道を登り詰めたところに灌漑用水地があり、その分岐を右に進んでいくと富山への登山道となる。12:04道標に従って、車道から別れ登山道に入っていく。 登山道は整備されているが、ところどころ驚くほど急な坂もある。 ただし、 そこも階段を敷いてあるので両手・両足を使って登らなければならないようなところはない。隣の伊予ヶ岳に登った時には上部に鎖場があったが、その意味ではこちらは完全は初級コースだといえよう。 次第に傾斜が急になってきて息が上がるが、稜線まではもうまもなくだというのがわかる。上から子供の声も聞こえてくるのでもうまもなく南峰と北峰の間の鞍部に到着だろう。
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愛の鐘
12:30、登り切ったところが北峰と南峰の分岐の鞍部だった。 距離的には南峰のほうが近いようであるが、帰りのルートが福満寺を経由するコースなので、南峰は帰りに寄ることにして、先に最高峰がある北峰に寄ることにする。 歩くとすぐに「愛の鐘」という看板と小さなひもを引いて鳴らす鐘があるのがわかった。 富山は平成11(1999)年2月5日に皇太子ご夫妻が登山され、一躍有名になったとか。皇太子ご夫妻が登られた後、富山は「愛の山」として広く知られ、カップルで登る人が増えたという。 愛の鐘の隣に「ボタンスギ」の巨木があり、これは樹齢300年以上だという。
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里見八犬士終焉の展望台から見る東京湾
さらに3分ほど稜線上を北に進んだところに休憩所があった。 あずまやがある。 ここにあるベンチから東京湾の雄大な景色を見ることができる。 横には「里見八犬士終焉の地」と書いた杭が立っている。 気になったので八犬士がどうなかったかと気になった。下山後調べたWikipediaには八犬伝のあらすじが次のように書かれていた。 「八犬士は里見義成の八人の姫と結婚し、城を与えられ重臣となる。時は流れ、犬士たちの痣や珠の文字は消え、奇瑞も失われた。里見家第三代当主の義通が没すると、高齢になった犬士たちは子供に家督を譲り富山に籠った。彼らは仙人となったことが示唆される。」と、そうすると武蔵・越後・甲斐・下野など関東・甲信越を駆け回った猛者たちは最後、この山にいたことになる。
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北峰頂上園地
ここから、ゆるい上り坂を登り切ったところに金毘羅宮の小さな祠がある。 年始の初詣は済ませたが、2番目のお参りとして1年の吉運を祈った。その先が、北峰の山頂であった。12:49山頂到着。広場の中央に展望台がある。 さっそく、展望台の上で360°パノラマ動画を撮影。 北は2015年の冬に登った鋸山が見えた。 さらにその先に「房総丘陵(ぼうそうきゅうりょう)」と呼ばれる房総半島に広がる丘陵地帯と、東京湾が一望できた。 川崎・横浜方面も横須賀と伊豆半島の長い海岸線も確認することができた。 伊豆半島ではひときわ天城山が高く、さらに伊豆大島の三原山も標高がそこそこにあることが確認できる。 残念ながら富士山は雲の中であった。
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富山山頂
皇太子ご夫妻の訪問碑の前で記念写真を撮って、お待ちかねの昼食とする。 EPIで湯を沸かして、カップラーメンをすする。 途中コンビニで買ったチキンや漬物をつまみに、ノンアルコールビールで乾杯である。 昼食が終わって、平地の上の小高いところに行ってみる。 はたしてそこが北峰(金毘羅峰)の本当の山頂標識だった。13:29まさしく下山前に登頂写真を撮影。 年始に買った、スマートフォン用の三脚を活用してセルフタイマーで撮影を試みるも逆光で思ったようないい写真は撮影できなかった。
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五合目付近水仙群落を進む
帰りは南峰を経由するコースを行く。 南峰(観音峰)にはパラボラアンテナがあるのと朽ちかけた社がある以外にはこれといった見どころはなく、北峰と違って展望もないので、単なる通過ポイントとなっただけであった。標高342mと記載があるので、8mほど低いということになろう。急な階段を下りて再び登山道をたどる。 ここから、一気に南稜線沿いに高度を下げていく。 傾斜としては、往路の直登に比べると緩やかな分距離が長く感じられる。 14:03、七合目の標識を通過。 りっぱな標識があるのだが、これがあるのを発見したのは二合目と七合目だけであった。 14:20途中五合目のあたりで南に少し稜線をはずれる踏みあとがある。 そこを超えていくと自生水仙の群落があった。かげり始めた太陽を受けてきれいに輝いていた。南房総市では、「とみやま水仙遊歩道」というところもあり、道の駅富楽里に車を停めて歩くこともできるようである。 今回は、少し水仙の花には早いのではないかと危惧していたが、むしろ枯れ始めている株もあり、本当のピークは昨年中に過ぎてしまったのではないかとも思った。
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福満寺
道は切通のような落ち葉を踏みしめる道になり次第に傾斜もゆるやかになっていく。 二合目をすぎて、きれいな冬もみじを見つけた。 紅葉はさほど色が濃いものではないが下りの終点が近いこともあり、目を和ませてくれる。 1合目では福満寺へ降りる道が分岐しており、少し急傾斜ながら落ち葉を踏み分けて降りると、福満寺の裏手の墓地に出た。 墓地の横には、これまた南面に水仙の群落が広がっている。14:50下山。 駐車場には来るときにあった車はほとんど姿がなくなっていた。靴を履きかえて15時に出発。
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道の駅「富楽里とみやま」
途中、道の駅「富楽里とみやま」に立ち寄り、コーラを買う。 ここの道の駅は1F部分が一般道から寄る道の駅となり、2F部分はサービスエリアから立ち寄れるハイウエイオアシスである。同じ建物なので中でつながっており、自由に往来でいる。 じゃらんのページでは「ミチノエキトミラクサトトミヤマ」とフリガナがついてたが、これは絶対「ミチノエキフラリトミヤマ」が正しいだろうと勝手に解釈している。 まだ、館山道がここまで延伸されていなかったいなかったころ立ち寄って家族でトン汁とコロッケを食べた。 また2015年に伊予ヶ岳に登ったときにはここで弁当を購入した。いつ来てもほっとするお気に入りの道の駅である。15:25、道の駅を出発。
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アクアラインから見る日没
15:25、道の駅を出発。 帰りの館山道はところどころ渋滞していたが、特にアクアラインに入ってからは、ひどい渋滞でなかなか車が動かなかった。 木更津金田ICから入ってくる車で渋滞したのでやはりアウトレットの帰りの人が多いのだろう。結局、トンネルに入る前に西の海に沈む夕日を見た。シルエットに浮かぶ富士山も見事だった。 16:44の写真なので、道の駅富楽里とみやまをでて1時間以上かかっている計算になる。 トンネルを出て首都高を横浜に向かって走っているときにはもう真っ暗になっていた。 帰宅は17:50。歩程は2時間45分のコースだったが、十分1日分のハイキングとなった。
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最近見たドラマや映画はなかなかストーリーを思い出せないのだが、子供のころに見たものは忘れならない。 1973年から1975年まで、NHKで「新里見八犬伝」という人形劇を放送していた。世界的に有名な歌手坂本九さんが司会を務めたこの番組の名語り口は今でもはっきりと耳におぼえている。 (1985年に日航ジャンボ123便機墜落事故で坂本九さんは事故死。 ご冥福をお祈りします。)この新八犬伝の中に出てきた富山も伏姫の籠穴も、いつか現地を訪れてみたいと思っていた。山頂から見えた東京湾や伊豆半島・そして富士山の姿は関東に誇る景観なのかもしれない。 500年も前に伏姫が見た景色と同じかもしれない。八犬士の仙人たちの歴史がひっそりと宿る関東百名山の旅で2019年が始まった。
(2019年1月 記) |
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