日本山歩日記 本文へジャンプ
足利行道山
足利行道山

基本情報
1 山名 足利行道山(あしかがぎょうどうさん)
標高 442m
山域 足尾山地
都道府県 栃木県
位置 N36.22.47/ E139.26.12 
地図 昭文社 山と高原地図「-」
2万5千分の1地図「足利北部」
20万分の1地勢図「宇都宮」
7 山岳区分 関東百名山
関東ふれあいの道-栃木県「歴史のまちを望むみち」
登山記録
山歩No 4400-12006
登山日 2012年2月11 日(土)
歩程 4時間00分
天候 晴れ
形態 日帰り
アプローチ 北関東自動車道 「足利」IC 国道293号 織姫神社へ
パーティー 2人

足利行道山は、標高が400mそこそこなので、冬場に行く関東百名山と位置づけていた。 関東ふれあいの道を調べると、栃木県の第7「歴史のまちを望むみち」がこのコースとなっている。 2011年2月にこのコースを歩くことを決めた。 前日、足利駅から起点である行道山浄因寺へのバス便を調べるがどうもちょうどいい時間がない。 浄因寺からのピストンがピークハントでは最も手軽だが、折角なので関東ふれあいの道を歩いてみたい。 足利市駅発9:00のバスに乗る自信はないが、11:24のバスでは、日没までに下山できるか不安だ。 タクシーで行くことも考えて前日は寝る。

織姫神社時駐車場

02/11(土)朝5:53起床。 6時に起床。6:50に荷物を持って家を出て7:04に車を出発させる。 首都高速はそろそろ車がではじめて混雑し始めている。渋滞をいうほどでもなく、江北ジャンクションから東北道に入る。 岩槻のところで6kmほど渋滞していたがさほどでもなく、8:30には、ナビの指示どおりに佐野藤岡ICをおりた。そこから国道50号を渡良瀬川に沿いながら進む。 途中、コンビニで昼食のおにぎりとお茶を買い、織姫神社の駐車場に9:32に到着した。 靴を履いて荷物をまとめて、9:45出発。今回の関東ふれあいの道ー栃木県7「歴史のまちを望むみち」は、起点が行道山浄因寺で、終点が足利駅となっている。 しかし、駐車の便を考え、9割方のポイントである「織姫神社」に車を停めて、ま ず、足利学校経由だえJR足利駅まで行き、バスに乗って、行道山へ行き、残りの縦走コースを歩くことにした。

織姫神社

最初に神社におまいりをする。 1200年の歴史を誇る足利氏の守護神ということで立派なつくりの朱塗りの神殿だった。 お参りのために参拝段に立つとセンサーで感知したのか自動的に神主の言葉のようなものと雅楽が流れてきて迎えてくれた。 229段の石段を下り、道路をわたって足利市内へと向かう。

鑁阿寺

 歩いて10分ほどで、鑁阿寺(ばんなじ)に到着。 寺の周りは堀がめぐらされており、あたかも城跡のようなつくりであった。ここは足利氏宅跡(鑁阿寺)(あしかがしたくあと(ばんなじ))として国の史跡に指定されている。水掘や土塁など良好に保存されていることから大正11年に国指定史跡(日本名城100選)に指定されているという。 橋をわたって山門を入ると40,000平方メートルの敷地が見渡せるようになっており、早速写真を撮り、ゆっくりと寺の見物。 多宝塔の前の大銀杏は見事な枝ぶりで樹齢550年前後といわれ、栃木県指定の天然記念物に指定されているだけのことはある。 足利市のWEBには12月の上旬の写真があったが青空に映える黄色い姿は見事なものである。 本堂で健康・安全の祈願をして、経堂を見て、再び山門へと戻り、10:25そこから次の目的地である足利学校を目指す。 途中で、征夷大将軍足利尊氏の銅像があったので写真を撮ってしまった。 
 

足利学校

10:34、足利学校に到着。 入館料はおとな一人400円。 最初に、センターで、足利学校のVTRを15分見る。 これを見て、歴史・沿革と建物の概要を把握した上で、順路表にしたがって園内を観覧。足利学校は「日本最古の総合大学」ともいわれフランシスコ・ザビエルにも世界に紹介されたものである。 天文年間には易学や儒学を中心に実践的な学問の講義もされていた。 3つの門をくぐって孔子坐像を見た後、南庭園を見た後、宿舎であった衆寮へ行く。  それから庫裏から入って靴を脱いで方丈の中を見学する。 季節の陳列か、お雛様の飾りが多かった。 書院へわたる廊下から北庭園が見えた。 南に比べると小さいがなかなか風流なつくりだった。 展示物を見た後、土蔵から庠主の墓を見て、遺跡図書館の脇を通り学校門より退場。 時刻は11:05になっていた。  

浄因寺清心亭

11:24に駅前を出る行道山へ行くバスに乗るのにちょうどいい時間となった。11:14JR足利駅に到着。 風が冷たくなってきていたのでポータブルのダウンジャケットを羽織る。 バスに乗車する。 幹線道路を北へ進みやがて田園から山間部へ入っていく。11:47に終点の行道山停留所に到着。 降車時に運転手に浄因寺への行き方を聞いてそのとおりに道なりにあがっていく。 11:50出発。 登りは細い車道。 やがて、関東ふれあいの道で今日歩く「歴史の街を望む道」コースと前のコースの名草からのコースの合流点の表示があった。道なりに進むと、やがて大きな駐車場に出た。 ここには7台の車が停まっていた。 熊谷ナンバーととちぎナンバーが3台づつ、あとは群馬ナンバーだった。 都内からの車がないあたりが、日本百名山の山と違うところなのだろう。 駐車場は30台くらいは停められそうなスペースだった。 横手の石段を上がって、早速寺へのアプローチだ。 結構、急な階段は、以前山形で立石寺、いわゆる山寺を彷彿させた。 「関東の高野山」といわれるゆえんはこの寺が真言宗のものだからだが、どちらかというと「 東の山寺」と呼んでほしい気が個人的にはした。 12:22浄因寺到着。 ガラス戸がついていて民家のようにしか見えない本堂に参拝をして清心亭の前で写真を撮る。 断崖の上に清心亭が立つ風景は、南画さながらの景勝の地にして、昭和50年に栃木県の名勝第一号に指定されたという。 残念ながら清心亭へ行く橋の前にはロープが渡されて、立ち入り禁止になっていたので、この前で写真を撮るだけにする。 橋の下をくぐっていくとトイレがあった。 新しくできたきれいな水洗トイレで、センサーで人が入るのを感知して電灯がつくのに驚いた。

寝釈迦

 12:29登山開始。ちょうど標高300mからのスタートだ。 ここから鞍部の平らなところで、後ろから来る5人組に先に行ってもらおうかとも思ったが、彼らも一息入れる気配だったのでそのまま登る。 急な階段が、山頂が近いのを思わせて、登りきると稜線に出た。 ここから東に岩をのぼtたところが寝釈迦と道標があったので前の2人のご夫婦のあとについて岩場を登っていく。 12:41ちょうど、広くなったところにベンチがあったのでそこで昼食を摂ることにした。 東側にしか展望が開けていないが、筑波山がすっきりと姿見せていた。テルモスを持ってこなかったので湯を700CC沸かすのに結構時間がかかってしまった。おにぎりとおいなりさんを食べ終わってもまだ湯がわかない。 ラーメンをゆでている間に寝釈迦を見に行く。 思ったより小さいものだった。 この寝釈迦の周りには数限りないほどの石仏が置かれていた。 関東ふれあいの道の案内図には仏三千体とあったので、それだけあるのだろうか? 13:30出発。 

石尊山展望所

 13:46石尊山の山頂三角点に到着。 ここにもあベンチと東屋があって休憩に適した場所になっていた。 まわりは360度の展望で山銘盤がおいてあった。
 それによると北の真っ白な山は男体山だということだった。赤城山・榛名山も上部は雪をかぶっている。 西の真っ白な山は浅間山だろうか? パノラマを撮影して13:55、関東ふれあいの道の縦走路を南に向けて出発。ここからは一気に下る。 こんなにくだっていのだろうかと心配になったが、確かに方向はあっている。 14:25いったん車道に出る。 ここのも一台車が停めてあった。 

大岩毘沙門天

 車道に沿って進むと左手に関東ふれあいの道「大岩毘沙門天」と書いてある道標があるのでそちらに沿って山道を下りる。 14:35確かに神社が現れた。 いきなり本堂の脇に到着。 寺号は最勝寺といい、京都の鞍馬山・奈良の信貴山と並べて、日本三毘沙門天のひとつとして知られているそうだ。 もっとも私は、前2つの社に行ったことがあるが、日本三毘沙門天というのは聞いたことがなかった。お参りをして、石段をおりて仁王門から出て行く。 どう考えてもルートが逆だが、関東ふれあいの道のコースではこのようになってしまう。

両崖山

 大岩毘沙門天をでてからは、稜線づたいの道であるが、少し登りになる。  14:48 標高274mのピークの到着。小さな三角点がある。休憩して水を飲む。 ちょうど真下に、2年前に開通した北関東自動車道の高崎と岩舟をつなぐ道がある。さらに進んで15:20雷電神社に下りる分岐のある鞍部。 両崖山まではあと2kmほどである。 ここからは北側にちょうど歩いてきた石尊山の姿が見えている。15:48両崖山の山頂で休んで水を飲む。 ここは昔の山城の跡だった。足利城と呼ばれ1054年に築城。 山頂を中心に本丸、二の丸などが築かれていいたが1590年に廃城になったらしい、 現在、堀切や腰郭などが残っている。 標高251m 山頂はうっそうとして木があるが、御嶽神社の祠があり、足利市長の「美しいふるさと見つめる両崖山」の句碑もある。。

足利市内展望―織姫公園へ

 階段を下りていくと東屋があり、寝釈迦のところで通過していった5人組みが休んでいた。 そこを下るとまわりの樹林がきれて一面の展望台。 15:57展望台から足利の町を一望して夕日にうつった顔で写真を撮る。ここからあと0.8Km で織姫公園だ。岩場を慎重に下ってひとつピークを上り返すと、頂上はいこいの広場になっており街路灯もあった。 ここから先は織姫公園の敷地内。 下りると駐車場とトイレもあった。この公園はツツジや紅葉の名所で夜景を見るスポットでもあるらしい。 17時までの営業だったが、 レストラン棟があって手打ちそばの有名な場所もあるようだ。駐車場から道標にしたがって少し降りると織姫神社の駐車場。16:43織姫神社に無事下山の報告のため再度参拝をして、駐車場に到着。くつを履き替えて、家路につく。 帰りは国道293号線を足利ICまで走ってそこから高速に乗る。 一度の休憩せずに進んで、18:00に川口JCT。首都高速の大橋JCTのところが少し渋滞したが、比較的順調に帰りつくことができた。。


小学生のときから日本史が好きな自分でありながら足利市を今回初めて訪れていろいろな発見があった。 室町時代の将軍であった足利氏が京都に住み続けながら、その脈々がこの町で祭られていること、日本で最古の足利学校が、当時の英知を集めて組織された教育を行っていたことなど、この町を訪問しなければわからなかったことに少し世界が広がった気がした。 足利行道山という山が関東百名山になっているのは、展望のよい石尊山の展望もさることながら、素晴らしい構造物をもつ浄因寺、そして三千体の石仏。 毘沙門天。 それから足利市に向かって町を見ながら進む展望抜群の縦走路など、まわりの要素にささえていることを知った。 足利は、また別の季節に訪問したいお気に入りの町のひとつになった。 岐路に森高千里の歌にあった「渡良瀬橋で見る夕日」を見ないで帰ってきてしまったことを帰ってから少し後悔した。
(2012年2月 記)

 日本山歩日記WEBトップ
地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています