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山上ヶ岳
山上ヶ岳

基本情報
1 山名 山上ヶ岳(さんじょうがたけ)
標高 1719m(一等三角点) 
山域 紀伊山地
都道府県 奈良
位置 N34.15.09/ E135.58.28 
地図 昭文社 山と高原地図52「大峰山脈」
2万5千分の1地図「弥山」
20万分の1地勢図「和歌山」
7 山岳区分 日本三百名山・関西百名山
登山記録
山歩No 3850-21014
登山日 2021年7月23日(金)
歩程 第一日 8時間40分
第二日 5時間
天候
形態 前日泊1泊2日
アプローチ 国道309号行者還トンネル
パーティー 2人

奈良県大峰山の夏山合宿の3日はいよいよ核心部の山上ヶ岳登頂である。 大峰山一帯は古くから修験道の山として山伏の修行の場であった。道場としての大峯山は、単独の山を指す名前ではなく吉野山から熊野へ続く長い山脈全体を意味している。その中でも山上ヶ岳(旧名:金峯山)の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂があり、山全体を聖域として現在でも女人禁制が維持されている。山上ヶ岳へ通じる登山道には、宗教上の理由により女人禁制である旨を伝える大きな門がある。この日はいよいよこの結界門を超えて修験者の歩いた道を進むコースである。

大橋茶屋から見上げる山上ヶ岳

7月22日に大峰山登山口まで入山し、清浄大橋に車を置いて翌23日タクシーで行者還トンネルまで来た。この日は行者還トンネルから奥駆道にあがり行者還岳・大普賢岳を経てアスカベ平にテントを張った。 2020年の昭文社エアリアマップのコースタイムどおりで歩くことはできず、どんどん計画より遅れてしまい、テント場に到着するのが夜という状況になってしまった。結果、翌日も早朝から起きることはできず、ゆっくりと行動開始となる。昼食のために湯を沸かしα米をつくっておく。  

伯母谷覗から見る大普賢岳

9:00にアスカベ平を出発。 昨日、シカの両眼が光っていた森の中にはもはやなんの影もなく静かな朝の出発となった。まずは坂をあがり伯母谷覗で景色を見る。 ここからの大普賢岳は壮大である。 せっかく三脚を持ってきたのでここで3人の写真を撮る。太陽が南から照らしているので背景を入れると顔が暗くなってしまう。 撮影してくれたH.H氏がもっと顔を上げて、というのでそのとおりにしたらまるで「明るい農村」のポスターのような構図になってしまった。 伯母谷覗から東に大台ケ原の眺めが見事なのでこちらをバックにした写真も撮影。 


石の標識

伯母谷覗からはH.H氏と2人で山上ヶ岳を目指す。 A.K氏は別行動で上谷に下山し午後柏木で合流を予定する。伯母谷覗からは前日に通った道であるが、もう真っ暗だったのでよく見えなかったが、景色のよいルートである。シダに覆われた道のわきには三十二丁というように参道の中での現在の位置を示す石碑が建っており、柏木からのこのコースが東から山上ヶ岳へ至る宗教の道であったことがよくわかる。 


阿弥陀ヶ森の女人結界

登山道の途中には倒木があって、歩きにくくなっているところも部分的にある。 普通の登山道のように山小屋の方が整備しているという感じではなく、台風や雷で倒れた木はそのまま放置されているようにも思う。 10:30、阿弥陀ヶ森の女人結界の門の前に到着。 昨夜は暗くて気が付かなかったが「女性がこの門より向こうへ登ことを禁止します。 大峰寺」と書いてある。 山上ヶ岳に女性は登ることができないので、 稲村ヶ岳が、女性信者のための修行の場として1960年から開放されており、「女人大峯」とも呼ばれることもあ。 日本三百名山を目標にして登っている女性の方はそちらを登って山上ヶ岳登頂の扱いになるのではないかと考えた。


小笹の宿

11:30、せせらぎの音が聞こえてきた。 小笹の宿避難小屋である。 避難小屋そのものは、入り口の扉が壊れてはずれていたので、雨風をしのぐことはできるが厳冬期に避難小屋として使うことはできないように思う。 小屋の周りには3-5張くらいテントを張るスペースはあるのでテント場としては十分活用可能ではないだろうか? 避難小屋は荒れているがお寺の建造物の祠は朱塗りの立派なものが建っていた。 

 

山上ヶ岳山頂

小笹の宿を出て投げ地蔵辻を経て右側ががれている地蔵岳から先の稜線を進むと、山上ヶ岳の山頂一角である大峰山寺の敷地に入る。 寺は信徒の方が半分登山者が半分という構成で人がいるような感じであろうか。 当然、全員男性である。 昼食をとりたかったが寺の敷地内ではその場所がないようで、山頂へ続くお花畑で食事をとってくださいと立て札に書いてあったので、お花畑へと行く。 ここに山上ヶ岳山頂、1719.4mの標識があった。三脚を使って登頂写真を撮影する。 朝仕込んでおいたアルファ米のわかめご飯を味噌汁と一緒に食べる。今回テルモスを持参したが、EPIで湯を沸かさずに味噌汁が食べられるので便利である。  


湧出岩

地図では最高峰に「湧出岳」との記載があるが本当の最高地点には一等三角点があり、「聖跡脇出岩」と書かれた柵の中に岩があるのが見えた。ここから樹林越しながら歩いてきた行者還岳や大普賢岳の大峰奥駆道全容を眺めることができる。 お花畑まで戻ると今度は南や西の方面の視界が広がり、弥山や稲村ヶ岳方面の眺めがよい。 西に目を転じると金剛・葛城連山が見える。 大和葛城山の隣の二上山の形が特徴があるのでわかりやすい。よく考えると今回の旅の終点は近鉄の御所駅で車をおろしてもらう予定なので大和葛城山の山麓ということになる。 あそこまで遠いなあ、とH.H氏と話す。ドライバーをしてくれるH.H氏には感謝である。 

大峰寺

14:0下山前に大峰寺に立ち寄ってお参りをする。 お守りを買って、展望のよいお花畑の道を日本岩経由で宿坊方面へ。 山上ヶ岳には5件の宿坊がある。龍泉寺宿坊の前に立ち寄ったとき、アイスクリームを販売していることがわかったがなんとそのとなりに「ビールあります」という札が貼ってあったのには驚いた。 ここから参道を歩いて下山となる。 「鐘掛岩」や「西の覗」などの行場は、期間中土日を中心に体験できるらしい。 途中、4人組の若者がこの荒行を受けた体験を話していた。 「来年も来るか?」と聞かれて「はい」と答えてしまったので、毎年来ないと修行の道に反すると悩んでいた。 面白いものである。


陀羅尼助茶屋

陀羅尼助茶屋は休憩スポットとなっており、カップラーメンの販売などを行っていた。 とはいうののの、 店主がいるのかいないのかわからない様子。金を箱に入れて自分で商品をとるという仕組みだ。 茶屋を出てすぐ、自分たちを追い越していった背の高い若者は、編み笠をかぶり獣の皮でできた腰巻をぶらさげて大きな鈴の音をさせていた。 見た感じ修験者ではないが、いでたちからしてもきっと宿坊の従業員だろうという想像をした。 自分たちのことをさっと抜かしていってあっという間に見えなくなってしまった。さすが山上ヶ岳の往復を通勤のように行っている健脚である。

 

洞辻茶屋からの分岐 奥駆道から離れる

15:30 洞辻茶屋から道は2手に分かれ、 清浄大橋へ降りるコースと、奥駆道を通って五番関まで行きそこからさらに吉野を目指すルートとがある。われわれは清浄大橋の有料駐車場に車を停めているので前者にコースをたどる。 お助け水では飾ってあった仏像を持ってかえってしまった人がいるので返してほしい、と書かれていた。 こころないことをする人がいるものである。一本松茶屋は営業していなかったが勝手に土間に腰をおろして休憩してよいようであった。 

下山・清浄大橋

結構長い下りであったがやがて林道の終点が見えた。 そこが清浄大橋の女人結界で2日前に駐車場に車を置いてテントを張ったあと散歩にきたところであった。17:24下山。 清浄大橋の大橋茶屋で今夜の寝酒のビールと焼酎を買って車で一足先に下山しているA.K氏を拾いに柏木へと向かう。 明日、釈迦ヶ岳に登るので今夜の泊まりは登山口の太尾登山口である。 柏木経由太尾まで約70㎞のドライブである。

山上ヶ岳は大峰山脈の中でも最もメジャーな山のひとつだといえよう。 この21世紀になってなお女人禁制を貫いていることには賛否両論あるようであるが、いずれにせよ宗教と登山が融合した形のひとつだといえるだろう。 NHKで私の奥駆道をゆくという2017年に放送した特集番組があり、その中で、普通のサラリーマンや農家の方が自らの新たな生き方を模索する中で山伏修行にチャレンジして奥駆道を縦走する話を放送していた。 大峰は富士山や立山のように宗教の色があり、ある意味で面白い山である。
(2021年8月 記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています