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基本情報
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山名 |
比叡山(比叡山) |
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標高 |
848m (大比叡・一等三角点) |
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山域 |
京都東山 |
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都道府県 |
滋賀県・京都府 |
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位置 |
N35.03.57/ E135.50.04 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図46「京都北山」
2万5千分の1地図「京都北東部」
20万分の1地勢図「京都及び大阪」 |
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山岳区分 |
日本三百名山・関西百名山 |
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登山記録
山歩No |
3820-12052
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登山日 |
2012年12月8 日(土) |
歩程 |
3時間25分 |
天候 |
晴れ後曇り時々雪 |
形態 |
前夜発日帰り |
アプローチ |
JR東海道線京都駅より地下鉄烏丸線松ヶ崎駅 |
パーティー |
1人 |
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もともと2012年12月の恒例関西ツアーは福井・京都県境の青葉山の予定であった。 しかしながら、今年は例年より寒気の流入による降雪が早く、天気予報では登山予定日の12月8日から12月9日にかけて、山陰から北陸にかけて風雪の天気予報。山岳部の納会を京丹後のカニの宿「よし鶴」さんで実施することは決まっていたので、夕方までにそこに到着できて未だ登っていない山を検討したところ、京都の名山「比叡山」がリストアップされた。 修学院から登る雲母坂コースは親鸞が夜毎この坂を往復して京都の六角堂に救いの道を求めて走ったルートだといわれている。 まさしく、京都側からの表コースだといえよう。 |
夜行バスで京都へ
12/7(金)1ヶ月前から横浜から乗車する夜行バスを予約しておいた。 Jam-Jamライナーは設備も整った三列独立シートのバスがある。 新東名が開通したことも影響してか、深夜24時出発で朝7:30に大阪に到着するという優位なダイヤも魅力だ。 仕事が終わってからゆっくり一旦自宅に帰ってから荷物を準備して横浜駅の集合場所へ23:30に行けばよいと構えてオフィスにいたところ、17:22に大きな地震が来た。 震源は三陸沖で東京の震度は4だった。 結構長い時間ゆれていた。 あわててインターネットを見たところ新幹線も一時的には運転見合わせになったが、高速バスが運休になるという情報はなかった。 18:50退社。 22:45に家を出る。 2週間前に、松山まで夜行バスに乗ったときも同じ集合場所の天理ビルだったが、今回は時間が遅いこともかり、横浜駅からそこまで行く地下道は閉鎖されていたので、迂回し地上からのルートでたどり着く。 裏のコンビニで朝食のおにぎりを2個買う。京都経由大阪までの夜行バスは満席。 出発してからどこかのSAで休憩したと思うが、もう夢の中で覚えていない。 |
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松ヶ崎-高瀬川から見る東山の紅葉
12/8(土)高速を下りて6時すぎにバスの中のもうすぐ京都到着というアナウンスで目が覚める。 朝6:32に京都駅の八条口の前に到着する。 下車して、荷物を受け取り、地下鉄の乗り場へ。 烏丸線に切符を280円で購入して松ヶ崎へ。 車内でおにぎりを食べる。7:02に駅に到着しトイレで登山用のい服装に着替える。 駅を出てからは夜が明け始めた町を東へと歩く。 ナビウオークで事前に調べておいた情報では松ヶ崎から修学院までは歩いて20分程度だ。 松ヶ崎の駅は5山の送り火の妙と法の間である。 交通量の少ない北山通りを東に進むと、家電量販店(マツヤ電気とEDION系列ミドリ電化が向かい合って立っている。)や外車の販売店がある。 昼間はにぎわっているのだろうか。 天気予報は朝のうち晴れで夕方から雨または雪という。 確かに今はいい天気で歩いていても気持ちがよい。気温は5度くらいだろうか。東山の紅葉が見事である。
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登山口(きらら橋)
高野川を渡ると上流の山が見えた。川沿いにはアピカルイン京都がある。 清潔そうな宿である。 橋を渡った後は北山通りを離れ修学院離宮道に入る。 修学院の南側を音羽川に沿って進むと、だんだん山へ入っていく気配になる。 リュックを背負っていないが登山靴をはいた若者が一人自分を抜かしていった。 きっと朝の散歩に比叡山へあがるのだろう。 音羽橋を渡るとそこからがきらら坂。 ここがきらら坂だという大きな石の標識があった。きらら坂はもともと比叡山に登るための表参道とも言うべきルート。都からの勅使が通ったことから勅使坂とも呼ばれた。
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急な登山道
踏み跡はしっかりしているが、尾根の中のV字のくびれのようになっており雨が降ると水が登山道を伝って流れ落ちそうである。 ところどころは急で手を使って登るところもある。北に向かって進んでいた急なルートは15分ほどで尾根に取り付くと平坦になり、方向を再び東へと変えていく。 右手には音羽谷の沢が見えている。左手は、鉄条網のついた杭で登山者や動物の進入を阻んでおり、引き続き修学院の庭があるのであろう。9時、水飲対陣碑に到着。 右手に京都一周トレイルの分岐が現れる。 ここを南に下るとおそらく沢にでるのであろう。この辺りからは比較的緩勾配である。植林された杉林の中を進んでいくことになる。 ゆるやかに北に方向を変えて進むと、再び京都一周トレイルとの分岐が現れて、右は延暦寺、直進すると千種忠顕卿戦死の地という札がある。 折角なので卿の戦死の地を回ってみようと思って進む。
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千種忠顕卿戦死の地
直進すると、小高い稜線の上に大きな碑があった。 千種忠顕は、鎌倉時代末期から南北朝時代の公家で後醍醐天皇に仕えた。建武の親政では力をつくしたが、 足利尊氏が新政から離反すると、新田義貞や北畠顕家らと共にこれを追い、足利勢を九州へ駆逐した。翌年、再び京都へ迫った足利直義の軍と対戦し、山城国愛宕郡西坂本の雲母坂(現在のこの京都府京都市左京区修学院音羽谷)にて戦死した、という記録が残る。千種忠顕卿戦死の地を過ぎると、尾根沿いにルートは続く。 さきほどの分岐道と合流して樹林の中を進むと、次第にに左側が開けてくる。途中、新ルートと旧ルートに分かれて進むところがあるが、旧ルートを進むと叡山ケーブルに到着し、新ルートを進むとスキー場跡に到着するという。自分は新ルートを通る。
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比叡ビュースポット
やがてパラボラアンテナの前に5基ほどのベンチが現れると、ここが比叡ビュースポットである。
京都の町はもちろん、晴れた日には大阪の高層ビルも見えると書かれている。天王山のほうに雪雲がかかっているようで、大阪のビルまでを臨むことはできなかった。ここからは登山道が終わって舗装された車道になった。北斜面になるからであろうか、道路の上は1cmほどの積雪に埋もれていた。 すぐにケーブル比叡駅が見える。 八瀬から来るケーブルは12月3日から冬季休業に入っていたのでひっそりとして誰一人いない。 その先にロープウエイの駅もあるがこちらも休止したロープウエイが架線にぶらさがったまま今年の営業を終了している。
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四明岳(ガーデンミュージアム比叡)
ここからまっすぐスキー場の横を抜けていく。 スキー場跡に到着すると、スキー場の上の方へと向かう舗装された道路と、スキー場跡を横切って進むルートに分かれる。舗装された道路を登っていくと、叡山ロープウェイの比叡山頂駅周辺、四明岳頂上付近に到る。 車道を右に曲がるとパラボラアンテナのある山頂部。これが双耳峰の京都側のピークである四明山だと思って行ってみるが、山頂部はガーデンミュージアム比叡の内部のようだ。こちらも冬期休業期間となっておりひっっそりしている。 クリスマスツリーの前で写真だけ撮ってスキー場に出る。ちなみに後で、ガーデンミュージアム比叡のホームページを開いてみたら、よくある質問のところに「園内に三角点はありますか」という質問があった。 答えはないそうだ。 やはり園内が四明岳(838m)の山頂ではあるようだが。
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比叡山頂駐車場
道路をさきほどのルートに戻りスキー場の横を進む。 比叡山人口スキー場は、暖冬やスキー客の減少に伴い、2000年(平成12年)シーズンにて夏期営業を中止、さらに2001年(平成13年)シーズンの冬期営業を最後に閉鎖となった。今は、レストハウスも朽ちかけていてさびしいものである。さらに進むと比叡山ドライブウェイの「比叡山頂」に到着。 ちょうどここは、東西に長いガーデンミュージアム比叡の東の入り口「プロバンス・ゲート」に近接している。季節のいい時期には満車で行列ができるであろう駐車場はいまやたった一台の軽自動車が停まっているだけであった。トイレを使ったが冬期は水がでないということで、手を洗うための簡易の水が入ったタンクがひとつ設置されてあった。
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山頂への道(放置されたアイスクリームBOX)
駐車場の前は展望台になっている。 今度は大津方面の景色を見はらすことができた。 駐車場の東側から車止めがついた歩道がある。 ここからあがっていくとどうも最高峰にいけそうである。 300mほど車道を歩いた後は自然歩道に入る。 この手前に古びたアイスクリームケースがおいてあった。 もちろん通電していない古いものである。 誰かが投棄したものであろうかそれともありし日にスキー場で使われていたものが撤去されてここに置き捨てられているのだろうか? NTTコミュニケーション無線中継所のパラボラアンテナの前にこんもりと小高くなったところがあるので見ると踏み後がある。 ここが山頂とめぼしをつけてあがると果たして、そこに三角点と大比叡(858.2m)の道標があった。
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大比叡山頂(三角点)
10:24大比叡の山頂到着。 このメジャーな山の山頂で登山客が一人もいないというのは意外だったが、仕方がない。 小型三脚を出してセルフタイマーで証拠写真を撮る。周りにテレビ塔が林立しているので恒例の360度展望写真を撮らずにいた。10:33山頂出発。 ここあら踏み後に沿って、テレビ塔の横を抜けていく。 関西テレビと朝日放送は共同のアンテナ、その横は読売のパラボラが独立してあった。これらは皆、京都市中心部及びその周辺部の地上デジタルテレビ放送の難視聴解消等を目的とするもののようだ。テレビ局のアンテナを過ぎると道は次第に下り坂となる。 いわゆる登山道らしいジグザグの山道を下りると、延暦寺の阿弥陀堂に到着した。 朝天気がよかったのにこのころには山は雪雲に覆われてかなり強い降雪になってきた。
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雪の阿弥陀堂
靴を抜いて阿弥陀堂に上がり参拝をする。壇信徒の先祖回向の道場とあるので、中からお経がしていたがお勤めの最中でも入っていいと書いてあったので中に入れてもらう。二名の信者の方が奥の椅子に座っていた。 お参りをして大講堂に行く。外陣には釈迦を始めとして仏教・天台宗ゆかりの高僧の肖像画がかかっている。伝教大師はもちろん、後に一宗を興した法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、日蓮(日蓮宗)なども皆、この延暦寺で修行をしたという。建物は国重要文化財に指定されていおり、りっぱなつくり、それから鐘楼へ。 20円を払うと鐘をつくことができる。 折角なので1度ついてみた。
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延暦寺根本中堂
そのあと、いよいよ根本中堂。 入り口で靴を脱いでリュックをおろし、中廊下を渡って建物の中に入る。 延暦寺を開いた伝教大師最澄が延暦7年(788)に創建した後何回も災害に遭ったが、復興の度に規模も大きくなったという。現在の姿は徳川家光公の命で寛永19年(1642)に竣工したものだそうだ。関西に永い事住んでいたが一度も来ることがなかった。小学校の歴史で習った建造物を今になってみることができて感激した。 そのあと急な階段を登って文殊楼へ。 この建物もりっぱである。 延暦寺の山門にあたるというが、靴を脱いで中に入ると急なはしご段をあがって2階に上がると本尊が祭られていた。 この急なはしご段はとても年配の人には登れないぞという気がした。
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坂本ケーブル
大黒堂と一隅会館の前を通り山門を出て12時ちょうど発の坂本ケーブルに乗るべく坂道を下っていく。6人くらいの登山者が上がっていくのが見えた。 坂本ケーブルの駅は由緒ある建物。 片道850円の料金を支払うと縁福と書いてある硬い切符をくれた。 これは入札したあと記念に持って帰ることができる。2階が展望テラスと展示室になっているので少し時間があるのであがってみた。 比叡山や草木を撮った写真が飾られていた。11:55に改札が始まる。 ケーブルに乗車したのは7人。 眺めのいい場所に陣取って発車を待つ。 有人のケーブルは下りながらアナウンスであたりの景色の説明をしてくれる。 もたて山とほうらい丘という中間駅が2つあり途中で下車することもできるが、皆降りなかった。日本最長の2025mを11分で結ぶ。 京都側の比叡山ケーブルが冬期は休業なのに対して、この坂本ケーブルは年中無休なので、冬でも延暦寺におまいりをすることができる。
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下山-比叡山坂本駅
ケーブルを下車すると、江若バスの比叡山坂本駅行きが既に来ていた。 乗車してJRの比叡山坂本駅へ。 JRの駅について12:32の各駅停車に乗って終点の京都へ。 人がごった返している烏丸中央口から下車して、進賑堂のパン屋でサンドイッチと野菜生活を買う。隣にあるチケットセンターで丹後海陸交通の切符も発券してくれた。 乗車券は間人まで乗車料金は3400円。 13:20発車。 五条通りを西に進む。 途中西大路5条と千代原口の停留所で予約していた乗車の人も乗せて亀岡の手前からは京都縦貫道に入る。 サンドイッチを車内で食べてほっとひと心地つくと前夜の夜行バスの疲れもあって睡魔に襲われた。南丹のPAで休んだようだが、眼が覚めなかった。 宮津天橋立ICでバスは高速を下りる。このあたりではしんしんと雪が降り積もり、あたりは真っ白だった。 天橋立も雪の中だった。
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名にしおう「比叡山」はいつか登ってみたい山の一つであり、登らないことが許されないというという意識があった。 と、同時に関西に住んでいるときには「いつでも行ける山」であり「ケーブルで登れるお手軽な山」ということから敬遠していた。 パラボラアンテナに囲まれてしまった三角点は確かにもはや山としての魅力は半減してしまったかも知れないが、京都や大津の歴史をずっと見てきた山であり、そしてこの10年だけ見ても、スキー場の閉鎖・アナログ放送の終了による新たな中継局の開設などを見てきた山である。 誰もいない展望広場から見下ろした山頂から見た琵琶湖の雄大な姿は、この山がなお、この地に君臨している意味を静かに語っているような気がした。
(2012年12月 記) |
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