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基本情報
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山名 |
藤原岳(ふじわらだけ) |
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標高 |
1130m |
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山域 |
鈴鹿山脈 |
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都道府県 |
滋賀県・三重県 |
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位置 |
N35.09.31/ E136.27.10 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図44「御在所・霊山・伊吹」
2万5千分の1地図「竜ヶ岳」
20万分の1地勢図「名古屋」 |
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山岳区分 |
日本三百名山・関西百名山・花の百名山 |
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登山記録
山歩No |
3740-13025
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登山日 |
2013年6月1 日(土)~6月2日(日) |
歩程 |
第一日5時間30分
第二日12時間 |
天候 |
晴 |
形態 |
テント縦走1泊2日 |
アプローチ |
三岐鉄道西藤原駅 |
パーティー |
1人 |
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2013年6月1日(土)からテント1泊で鈴鹿山脈の縦走にトライした。 鎌ヶ岳・御在所山・国見岳・水晶岳・ハト峰・釈迦ヶ岳・竜ヶ岳・静ヶ岳・藤原岳と9山のピークを踏む旅。 故郷の山の縦走は最初の2つこそ山岳部の仲間と一緒のパーティー登山であったが、そこから先は単独のテントを担いでの静かな山旅となった。 釈迦ヶ岳を経て石榑峠の手前まで誰にも会わない旅。 石榑峠を経て竜ヶ岳に登ると打って変わって鈴鹿のメインスポットという賑わいだった。 |
県境縦走路分岐
竜ヶ岳の山頂を出たのが10:51。 分岐を西に進み静ヶ岳を目指す。今日のうちに藤原岳まで縦走して下山するための竜ヶ岳通過ポイントを午前11時と想定していたので、ほぼ、オン・トラックだ。 いきなりトラロープにつかまりながら下るルートとなる。 県境縦走路なのでメインルートかと思いきや、遠足尾根などの稜線と比べてずいぶん踏み跡が薄いと感じた。 幸い、ご夫婦連れが100mほど先を歩いているので、取り残された感じはない。 セキオノコバの小さな池があるところからいったん縦走路を離れて静ヶ岳へ向かう道になる。 |
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セキノオコバ
前を歩いているご夫婦連れの前にさらに一人単独行の女性がいるのが見えた。 分岐から次第に標高をあげていく。 意外となかなか着かない。 尾根筋のルートはあまり踏み跡も濃いとはいえない。 前を歩いていたご夫婦連れは、山頂を目前にして、もうそこから先に進むのを断念したようだ。 彼らの目的は静ヶ岳登頂ではなくその山頂手前にあるイワカガミの群落だったようだ。 残念ながら花は一輪も咲いてはいなかった。単独行の女性がなぜあとからご夫婦が来ないのだろうといぶかりながら山頂から下りてくるのにすれちがう。 |
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静ヶ岳山頂
12:00に静ヶ岳山頂到着。ひっそりとした山頂はまわりを低木に囲まれているが、竜ヶ岳の方向だけは良く見晴らすことができた。 山頂には三角点があるが、あまり訪れる人も多くないのだろう。 ひっそりとしている。水を飲んで12:10に出発。このころからぽつぽつと雨が降り始めていた。 空は厚い雲があるわけではないので、決して大崩れする天気ではなからうと思い、途中で、単独行の女性を追い抜くが、彼女は誰か銚子岳に行く人がいるならついていこうと思っていたようで、自分がセキオノコバから縦走路に入り北へ向かうとしっかり30mくらい後ろを歩いてきた。 |
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縦走路の現在地標識
稜線上から見ると静ヶ岳から鞍部までずいぶん下るように見えたが実際は標高差で100m強くらいであったようだ。 鞍部からはカラマツの植林地帯を登っていくが、踏み跡が極めて不明瞭で、赤いテープを探しながら急傾斜を上がる。 そのうちに雨も強くなってきて、後ろにいた単独の女性は、私は戻りますといって、あと300mくらいで銚子岳への分岐というところで竜ヶ岳方面へと引き返していった。さて、またたった一人の縦走である。12:50に銚子岳の分岐に到着。 ここからは片道10分ということだったが、やはり日没までに藤原岳を越えて西藤原まで下りなければならないという時間のプレッシャーと、靴擦れが少し痛み出している足を考慮すると、あまり歩程を増やしたくないと思い、山頂には寄らない決断をした。 まっすぐ治田峠を目指す。
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青川峡への林道は通行止め
治田峠への下り道で3人の若者とすれ違う。 ひさしぶりに登山者との遭遇だ。 聞いてみると、藤原岳に上って本当は治田峠から青川峡経由新町におりるつもりだったが、林道が閉鎖されて通行止めで竜ヶ岳まで行くという。 これはとんだ長丁場だ。 気をつけてたどりついてほしいものである。 治田峠までは下り一辺倒かと思いきや、意外に小さなピークを2-3越えていかねばならぬ場面があり、この局面での登りはたいそう体にこたえた。
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治田峠
13:30やっと治田峠到着。リュックを下ろして、峠から滋賀県側に水を汲みに行くかどうか迷う。 もうかなり体はがたがただ。時間的に余裕があれば、ここで水を汲んでラーメンでも作ろうと思っていたが、残念ながら、それをやっていると、日没までに下山できないかもしれない。 それよりそもそも治田峠からいったいどれぐらい水場まで下らないといけないかがはっきりとしなかったのでへとへとになった状態で水場を探す気力もなかった。とりあえず竜ヶ岳の登りで食べたビスケットを再び2きれかじる。 今日は、朝テント場を出てから一日行動食だけの生活だった。 ポリタンクに入っている残量約1Lの水をハイドレーションのタンクに移した。 これをなんとか下山まで持たせないといけない。
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孫太郎尾根分岐
13:45出発。藤原岳まで歩程1時間半の登りを今日の最後の登りと決めて気力を振り絞る。エアリアマップの上ではここは点線のコースつまり上級者ルートになっている。 最初登りだしは、そこそこに踏み跡もあり、忠実に尾根上を進んで高度を上げていくので問題はないように思われた。 ルートはやがてやせた尾根にいたり北から大きく東に方向を変えていく。赤いテープが木に巻かれているので、ルートをはずす心配はない。 14:35孫太尾根の分岐。50分歩いたのでここで休憩を取ることにする。 貴重な水を少し飲んで、14:42に出発。
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不明瞭な登山道
問題はここからだった。 稜線は北に向かって延びているが、地図の解説でもルートは稜線よりも西側の樹林の中をたどるとある。 最初はよかったが、10分も進むと、山の斜面がすべて地崩れで落ちており、おのずと踏み跡もそこで消えてしまっていた。 この地崩れ部分を通過するのにかなり緊張した。 急傾斜のところを横断するので滑落したら結構下まで落ちそうだ。 手とストックを使いながら枝につかまり慎重に進む。 幸い、無事に通過。 そこからも道ははっきりしない。 何度か行きつもどりつをしているうちに、誰かの踏み跡と思われるものが南東に向かって10mほど確認できてそれをたどった結果、赤いテープが巻かれている木を発見することができた。あとは赤いテープを探して薄い踏み跡をたどり次第に標高をあげていく。 |
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東藤原岳展望台
結構体力的には限界に近づいており、山頂の見えない樹林の長さにいらいらしつつ、15分進んでは3分休むというのを何度から繰り返した。 樹林が薄くなり空が見えて、15:54東藤原岳到着。石が組まれた展望台には、アンテナのようなものが立っていた。 水を飲んで休憩。 パノラマ写真を撮影。 すぐ北側に藤原岳の山頂と思しきところがあったのでそこまで進んで、セルフタイマーで登頂写真を撮る。西に太陽が傾きだしていたが、南側には縦走してきた稜線とその先の竜ヶ岳がきれいに見えていた。
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藤原岳山頂
静ヶ岳のところでぽつぽつと来ていた雨は今はうそのようにあがり、空は晴れ渡り、西陽に照らされて市街地が良く見えていた。御在所岳(200名山)から藤原岳(300名山)の縦走という2年前に百名山を登頂して以来暖めてきた計画がついに達成された瞬間を感じた。 武田鉄也の「思えば遠くにきたもんだ」という歌のフレーズがなぜか頭をよぎった。 自分が生まれた町の山なのにである。 それだけ生まれ故郷を離れて35年という月日が長いということであろう。 |
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藤原山荘
山頂展望台から冬はスキー場になるというなだらかな山頂台地を歩いて藤原山荘に向かう。 藤原山荘はプレハブ作りの避難小屋であった。 10年ほど前に建替えられたらしい。 自分の記憶にある藤原岳の避難小屋は木造の小屋であったが。16:30藤原山荘出発。最初、ルートを北に進みかけたが、方角が違うので山荘まで戻り東に道をとる。 面白いことに表登山道の入り口を表示する道標もないのだ。 石の多い登山道を8合目まで下る。 ここが聖宝寺ルートと大貝戸ルートとの分岐になっているのだが、聖宝寺ルートは通行止めになってロープが張られて入れないようになっていた。
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下山---三岐鉄道西藤原駅
17:17七合目で休憩。最後の給水。 17:20出発。18:15に神武神社の横に降りてきた。町内の人だろうか夕方の参拝に来ている人もいた。 18:30下山。駅まで歩くが28分に上りの冨田行きは出てしまったところだという。とりあえず切符を買って駅の待合室に荷物を置いてトイレで着替えをする。 18:54に西藤原駅より三岐鉄道に乗車。日没後の夕闇の中、伊勢治田・大安町・保々など懐かしい名前の駅のアナウンスが流れる。それらが最寄駅で富田にあった母校に通っていた友人たちの顔が思い浮かんだ。 彼らは今頃どこにいるのだろうか。
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近鉄富田駅
19:45に近鉄富田駅に到着した。三岐鉄道の堅い切符は記念ももらおうと改札で係員に無効スタンプを押してもらう。 東口から出て駅前を少し歩いてみる。店こそ新しくなっていたが景観は昔のままであった。近鉄の切符を買い、 20時に急行列車に乗車して名古屋に向かう。 名古屋駅で新幹線の指定を取り、JRの構内を探してみたがきしめんの立ち食いスタンドを発見することはできなかった。 (実は新幹線の上りのホームにあったのをあとで発見したが、乗車まで時間がなかった。)新幹線のホーム下の休憩所でも弁当は全部売り切れており夕食を食べ損ねてしまった。 缶ビールだけ買ってつまみと一緒に流し込む。21:03発ののぞみ402号は16号車喫煙車両のB席しかあいておらず、隣のおっさんのいびきもうるさくうとうとするだけで寝られなかった。22:24に新横浜到着。 まめのできた足を引きずって22:45に家に帰る。 3時半に起きての長い一日が終わった。
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ついに悲願だった鈴鹿山脈のテント縦走を成し遂げることができた。 今まで、鈴鹿セブンマウンテンの個々の山を単独で登る形式が 中心であった。 35年前は地元に住んでいて日帰りで来ることが当たり前だったので、どうしてもそのような登り方になっていたのだが、こうして故郷を遠く離れて35年もの月日が経ったことで縦走の意欲が強く沸いてきた。ここ数年で日高山脈や南アルプスの1-2泊の縦走をしたことにも刺激されているのだと思う。 とにかく自分で計画を立てて、仲間にも応援されて完走の記録とたくさんの写真を残すことができたのは感慨深い。
(2013年6月 記) |
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