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基本情報
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山名 |
鷲ヶ岳(わしがたけ) |
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標高 |
1,672m |
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山域 |
飛騨高地 |
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都道府県 |
岐阜県 |
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位置 |
N35.56.25/ E136.58.17 |
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地図 |
昭文社 山と高原地図「-」
2万5千分の1地図「大鷲」
20万分の1地勢図「岐阜」 |
7 |
山岳区分 |
日本三百名山 |
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登山記録
山歩No |
3710-12012 |
登山日 |
2012年4月7 日(土) |
歩程 |
4時間30分 |
天候 |
晴れ時々曇り小雪 |
形態 |
前夜発車泊1泊 |
アプローチ |
東海北陸自動車道高鷲ICから県道452号 |
パーティー |
1人 |
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2012年の春はなかなか山スキーに行くチャンスに恵まれなかった。 3月の終りまで8週連続で週末が雨になってしまった。 2月の下旬から3月の間までの、移動性高気圧に覆われた日にスキー場から日帰りで山頂をアタックするという中高年・初級者向けプランはなかなか実現することなく、ついに3月も終り、スキー場の閉鎖・スキーバスのシーズン運行終了の知らせが届けられていった。湯の丸山も志賀高原の笠ヶ岳もすべて来年への持ち越しになってしまった。 そんな折、4月3日(火)に台風並みの爆弾低気圧が通過して、日本に被害をもたらしていった。 会社も途中で退社指示となりスキー場の状況も心配されたが、低気圧の通過したあとの4月8日(日)には高気圧が来るそうである。 意を決して、車に山スキーを積み込み、今年の目標である岐阜県の山300名山の鷲ヶ岳と200名山の大日ヶ岳をセットで出かけてみることにした。 |
東名高速- 東海環状鞍ヶ池PA
4/6(金)18時にいつもより相当早く会社を出る。 電車で帰る途中日焼け止めと寝酒を購入。荷物を車に運び込み、20:30に予定どおり車を出発させる。 横浜発20:50。一気に日本平まで走る。 22:38にトイレ休憩した後、再び走って豊田JCTから東海環状道路に入り、24時25分に鞍ヶ池PAに到着する。あまり明るくないところに車を停めて就寝。 焼酎を飲んでいい気分で25:30寝てしまった。
04/07(土)朝晴れ。 いかん。寝坊してしまった。 6:55に目覚ましをかけていたが、実際に起きたのは8:15.鞍ヶ池のPAにはそろそろ観光客が現れ始めていた。 確かに、このPAから眺める公園の景色はいい。前日に日本平PAのコンビニで買っておいたおにぎりと牛乳の朝食を取って、車をそのまま発車させる。 |
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県道452号-雪崩で通行止め
高鷲ICで下りて、細い1.5車線の道を進み、ナビの指示するほうに進むと、ホワイトピアのスキー場のほうへ入ってしまった。(4/1でシーズンの営業は終了しましたと書いてあった。)そこで、元の交差点まで戻り、県道を荘川の方向に進むが、除雪はされているものの、立石キャンプ場まではなだれの影響で通行止めとなって進めないと書いてあった。 キャンプ場まであと2kmのところで全面通行止めになっていたので、道路工事の空き地に車を停めて、準備をしてそこから出発。11:15歩き出し。気温は低く風が冷たい。 キャンプ場までは車道をてくてく歩く。 |
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立石キャンプ場-林道へ
11:38に立石キャンプ場に到着。確かにこの手前にずっしりと道路が雪にうまっており、とても車の通行はできない。 キャンプ場には人影もなくバンガローは雪に覆われている。キャンプ場をさらに奥へ進むと、 鷲ヶ岳までの林道へ入る道を示す道標があったのですぐわかった。道標にはここから林道終点のいっぷく平まで車が入ることができる。 そこから鷲ヶ岳の山頂まで1時間と書いてある。 前日の晩、雪が降ったようで、まったくトレースもない。他に登山者が入っている気配もないということである。 登山靴のまま、雪の林道に踏み入れた。 |
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鷲見の立石
雪は思ったよりさらっとしている。 昨日降り積もった新雪なのだろう。 この場所で約15cmくらいか。ラッセルに苦しむということはなくそのまま雪を踏み分けて進む。12:20に鷲見の立石の広場に到着。「すみの立石」は、「霊鷲岩」とも言い、里人は山神様として畏れ不浄の者は近づけなかった。立石は自然崇拝の遺跡であり山の神崇拝の象徴であった。天明年間(1781年)に郡上藩の学者、江村北海が、その著書に立石付近の景色を紹介している。
雪がしっかりついていることからここでスキーに履き替える。林道をそのまま登る。
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林道の登り
途中、登山靴の足跡が合流している地点があったが、少し古そうだ。2-3日前ということはないようだ。左の沢沿いに山頂から下りてきた足跡だろうか? 高度はまだ1230m。 なかなか高度があがらない。 シールはよく効くし 、スリップすることはないのだが、やはり林道を進むことで距離が長い。中腹の1250mくらいにきたときに天気が再び悪くなり、雪がぱらつき始めた。 視界を大きくさえぎるほどではないが、少し不安になってしまう。 13:30、そろそろ林道終点につきそうだがなかなか、到着しない。 空腹もあるが相当疲れてきた。 5歩進んでは立ち止まりというような状態が続いた。 林道ははるか上まで続いているようだ。高度計はすでに1410mをさしている。いっぷく平は、1460mくらいなので、相当上続いている林道はいったい何なのだろうか? どうみても高いピークは1500m以上のところにありそうだ。
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いっぷく平
林道はこのあたりで鷲ヶ岳と思われる山頂まで標高差で250mくらい下の沢に来るが、そこからずっと西に進んでいく。 途中で、ホワイトピアのスキー場に林道が行ってしまうのではないかと不安になるくらいだあったが、稜線の角からふたたび南に曲がり、上りきったところに雪の上に道標が顔を見せていた。 ここがいっぷく平だ。 やっと到着。 時刻は14:50. 藤原頼保の顕彰堂はないかと探してみたが、見当たらない、きっともっと上なのかもしれない。 ここで昼飯を食べることにした。 ところが誤算。 EPIをつけてもなかなか鍋が暖かくならない。 加熱する横から放熱している。 結局20分くらいかけて40度くらいまであたたまった湯に、インスタントのうどんの具をほおりこんで昼食にした、麺がかたくて味気なかった。先ほどの雪小さな低気圧が降らせたもので、そのあとに気温が下がったようだ。
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藤原頼保公顕彰堂
いっぷく平から白山方面が見えたが、上空は雪雲に覆われている。 大日ヶ岳の上もガスがかかっていた。 高気圧に覆われているもののやはり冬型か。 食事を済ませて15:32歩き出し。 そこから、急なのぼりになって登りつめたところに顕彰堂のお堂があった。 なんだ、いっぷく平からこんなに近いのか。このお堂は、歴史上の逸話がある。 今からおよそ870年前の承久3(1221)年7月、天皇の命を受けた藤原頼保が兵34人とともに美濃国の雲ヶ岳(鷲ヶ岳)で大鷲2羽を退治し、さらに鷲の子2羽を生け捕りにして天皇に献上したところ、鷲見の家名と鷲見郷8ヶ村を賜ったという伝説から、鷲ヶ岳の名前がついているようである。
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1470mドロップポイント
山頂は、稜線伝いになっているようなので、そのまま進もうとするが、意外にてごわい。一人スノーシューであがってきたと思われる人の足跡を発見したが、やはり稜線伝いに進もうとしててこずっていたようだ。ここから先に林道が続いているようにも見えるので本当は、稜線を伝うのではなくいったん林道に出るのが夏道なのだろう。 スキーを脱いで林道に出ようとしたが、それも崖を下りないといけないようだ。 山頂まであと1時間であるが、おそらく、現在の時刻が16時を回っていることを考えると、山頂まで行けたとしても日没までに下山できない。 これ以上先に進むのは危険と判断し撤退を決意。16:20、本日の最高地点の標高1470m。 「世界の果てまでいってQ」でイモトアヤコが、アコンカグアの山頂に立てなかった時に、「ここを
もって山頂とする!」とディレクターに言われていたのを思い出す光景である。 |
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下山の林道・日没前
顕彰堂で写真を撮って下山開始。くだりは林道を一気にすべると思いきや、雪がしめっていてすべらない。 自分のトレースを忠実に踏んで下りていく。途中、鷲ヶ岳からの沢を降りると楽であろうなという仮想ルートを見つけた。 残念だがそこをすべるのはこの時間では危険だろう。 スキーを引きずるようにして林道を下る。 最後に、鷲見の立石の広場の手前では傾斜がそこそこあるのか、すべることができた。 18:00鷲見の立石、 水を飲んで、ところどころ林道の真ん中が融雪しているところ
をはずして、注意深くおりて、再びにバンガローの屋根が見えてきて18:35の車道に到着。 立石キャンプ場で車道に出て、そこから日没近くなった車道を歩く。
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キャンプ場から駐車地点まで-熊(?)に遭遇
沢を渡る橋の上で、パキーンという音がする。 見ると沢で水を飲んでいた動物がこちらの姿に気づいて逃げていくようだ。 最初、鹿かと思ったが、やがて急傾斜を登っていった。 その姿はまぎれもなく四足。体調1mくらいのところを見ると熊か? こちらの様子をじっと伺っている。 しかし、相手は川の対岸のさらに土手の上なので、こちらを襲ってくる危険はなく、そのまま車道を歩いた。ツキノワグマは本来臆病な性格なので人の気配を察すると向こうから逃げてくれるそうだ。 やはり、日没すぎてからの行動は、熊との遭遇確率が高くなるので戒めるべきなのだろう。 至近距離で遭遇しなかったのは幸いであった。よく考えると、30年以上登山をしていて山林で熊に遭遇したのは初めてだ。これ以降車道の下りはヘッドランプをつけて歩いた。 途中、道に融雪した水が再び凍ったところがあり、すってんところでしまった。 こんな状態のところへ車で入らなかったのは正解である。 スリップしてあぶないところだった。誰もいない工事の空き地にもどり 19:15に車に到着。20:10牧歌の里にいって入浴。道の駅「大日岳」で23:20就寝。
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とにかく安全に下山できて何よりである。 結局寝坊した1時半のせいで山頂に行けなかったという見方もできるが、やはり最大の難は自分の体力のなさであろう。実力不足を痛感した。 最初から最後まで、たった一人の登山者にも会わなかった。 (下山後にあった熊が唯一の動物。) 鷲ヶ岳自体が、無雪期に頂上近くまで簡単に車で行ける点もあって冬に入る人が少ない理由かもしれない。 ただ、山容は美しく、山スキーをする人にとってはとてもいい山だと思う。いずれリベンジの機会をうかがうこととしよう。
(2012年4月 記) |
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