 |
 |
基本情報
1 |
山名 |
二岐山(ふたまたやま) |
2 |
標高 |
1544m(二等三角点) |
3 |
山域 |
奥羽山脈 |
4 |
都道府県 |
福島 |
5 |
位置 |
N37.14.47/ E139.58.02 |
6 |
地図 |
昭文社 山と高原地図18「那須・塩原・高原山」
2万5千分の1地図「甲子山」
20万分の1地勢図「日光」 |
7 |
山岳区分 |
日本三百名山 |
|
|
登山記録
山歩No |
3170-19018
|
登山日 |
2019年5月19日(日) |
歩程 |
5時間00分 |
天候 |
晴れ |
形態 |
日帰り |
アプローチ |
東北道白河ICから県道37号 |
パーティー |
1人 |
|
 |
|
 |
|
|
5月は新緑の美しい季節である。 ゴールデンウイークはかつてない10連休であったが、この時期には車を使ってでかけると大変である。 しばらくなりを潜めていたが、毎週天気もよいので、第三週の日曜日はでかけることにした。 しばらく山らしい山は記録にも載せていない。 福島の男鹿岳も考えたがまだ残雪があるかもしれないという危惧とかなり歩程が長いことからから、日本三百名山の二岐山に方針変更した。 安山岩からなる成層火山、溶岩ドームである。火山活動の時期は14万~9万年前という。 火山に行くのは半年前の九州湧蓋山以来のことである。
|
道の駅羽鳥湖高原
5月18日(土) 土曜日は少し家の用事があったので、出発は夕方となる。 17:30に横浜を出発。 首都高から東北自動車道に入る。 登山口よりも手前に道の駅羽鳥湖高原があるので今日の車中泊の場所はそこになりそうである。 東北道は渋滞もなく比較的順調に進む。 途中、大谷PAで一度休憩して、夜8:30に白河ICを降りる。 4号線を北に進む。 途中でビールを買うためにコンビニに寄って、県道37号線を西に進む。 時間が時間だけに走っている車はほとんどない。 次第に道は標高をあげてゆき、21:40道の駅羽鳥湖高原に到着した。トイレには電灯があるので、心配はない。 車中泊と思われる車は自分以外に1台だけであった。 (札幌ナンバーなのでたくましい人である。)
|
 |
二岐温泉
5月19日(日)5:00起床。 この時期は日が長いので助かる。湯を沸かして、カップうどんをつくり、昨晩コンビニで買っておいた海苔巻きと一緒に食べる。 5:30に車を出発させる。 登山口のある二岐温泉まではまだ40分くらいは走らないといけない。羽鳥湖を回るように進んで道を進む。 羽鳥湖を超えると国道118号線と合流。この道は須賀川と南会津を結ぶ街道である。 道は2車線で快適に進む。 岩瀬湯元温泉を過ぎて左折、南にスキーリゾート天栄と二岐温泉を目指して進む。 6:30、 二岐温泉到着。温泉の中を過ぎて吊り橋を渡り二岐川を渡ると道路の舗装は終わる。 その終点が大白森山登山口の駐車場だった。 5台くらい駐車可能だろうか。 自分は一番手だったのでできるだけ端につめて停めた。
|
 |
風力登山口
6:45大白森山登山口から歩きだし。 下山は御鍋登山口にするつもりなので、まずは二岐温泉に戻り風力発電登山口まで歩かなければならない。 コースタイム50分のまずは足慣らしである。6:49柏屋旅館前を通過。 この庭先にはきれいなヤマザクラが咲いていた。 さらに進むと6:53バス停があった。 一日2本、福島交通のバスが往復するようである。 バス停を過ぎてしばらく進むと、7:05風力発電所分岐があらわれた。 ここから林道を進む。 歩いている人はもちろん誰もいない。 この地域にはクマがでるという話もあるようなので、鈴をならしながら歩く。 7:33風力登山口、やはり「クマ出没注意」の看板が出ている。 風力登山口というが、風力発電所の建物はなかった。 途中で1台の4輪駆動の車が自分を抜かしていったが、風力発電所にいったのだろうか? 気を引き締めて登山開始。
|
 |
女岳坂
登山口に鳥居がある。 おじぎをしてくぐっていく。 道は最初はさほど急ではない。 天気も朝は曇っていたが、次第に晴れてきた。 道はやがて急になっていく。 ところどころロープも現れた。 8:15女岳坂の標識、ここが、登山口から820m、また女岳の山頂まで820mのちょうど中間地点である。 登山記録を書いている人が女岳坂は下山に利用するには急すぎてお薦めしないということなので自分は下山口に車を停めて、こちらから登ることにしたわけである。 8:43次第に傾斜が急になる。 ロープをつかみながら登っていく。 8:54ついに山頂が見えた。山頂も雲はかかっていないので展望が期待できそうである。
|
 |
女岳山頂
急な坂を上り切ったところが地獄坂だった。 9:02地獄坂の上部到着。 女岳山頂まであと130mと出ている。 ここからは眺めがよかった。 登ってきた道を振り返ると、風力発電の塔がいくつか見えた。 もくれんの白い花が咲いている。 この先に、残雪が表れた。 残雪はたいした長さではなかったが、そこを登り切ったところが女岳の山頂だった。 9:05女岳の山頂到着。 女岳の山頂は樹林に囲まれていて展望はなかった。 山頂から少し南に進んだところに大きなあすなろの木があり、そこに山頂結婚式の記念樹と書いた札があった。 平成元年の結婚ということであるので、今年は30周年であろうか? そして、平成という元号も変わってしまった。
|
 |
男岳山頂を見る
9:18女岳の山頂を出る。 急な下りがあり下り切ったところが笹平という平坦な場所だった。 雪がある。ちょうど男岳と女岳の中間地点なのであろう。 男岳山頂まであと350mという表示がある。
|
 |
男岳山頂
9:53男岳山頂に到着。 標高1544mの山頂には先客は郡山から来たという単独の男性が休憩していた。 山頂からは那須の山々がきれいに見えた。 北西に山頂が真っ白な山々が見えたので最初は北アルプスかと思ったが、男性が「あれば飯豊連峰ですよ」と教えてくれた。 なるほど、標高2000mの飯豊連峰は豪雪地帯だからまだあんなに雪があるのかと感動した。 磐梯山も距離的には近いはずであるが、北にあるほぼ同じ高さの黒沢山の陰に隠れてしまうのか、その特徴的な姿を見ることはできなかった。 ただ、猪苗代湖は雄大に広がっているのを確認することができた。
|
 |
男岳山頂から見る那須連峰
山頂でセブンイレブンで買ったカレーパンを食べて昼食休憩。 御鍋神社の登山口から別の単独の男性があがってきた。 セルフタイマーで写真を撮って10:15.男岳山頂を出発。下山を始めると幾人かの登山者とすれ違った。正式な山開きは6月2日らしいが、天気もよいのでやはり地元の人は登ってくるようである。男岳坂も女岳坂ほどではないがじぐざぐにそこそこ急登りの道である。 やはり火山はコニーデ型の山が多いからか傾斜は急になるのだろう。
|
 |
ブナ平
10:42男岳坂 御鍋登山口まで1780mという標識がある。 結構、下りは距離があるコースのようである。 やがて道が平坦になる。 10:58ブナ平に到着。 このあたりはほぼ水平に進む。 御鍋登山口まで990mという標識がある。 ここからまた石と木の根の間を抜ける急なコースとなる。11:14あすなろ坂 御鍋登山口まであと430mの標識、さらに、樹林を抜けると11:22八丁坂 御鍋登山口まで220mとあり、結構道標は充実しているので初心者にも登りやすいコースだといえるであろう。
|
 |
御鍋登山口
11:29登山道に合流。 ここから林道歩きとなる。 「御鍋神社の由来」という札がある。 平将門の妻、桔梗と息子である平の九郎が、平家再興のために、この地に住んでおり、女性の守護神として、この神社が出来たようである。 神社の建物自体は林道から離れているようで、けっきょくどれかわからないまま下山してしまった。11:40大きな駐車場がある。 軽く30台くらいは駐車できそうなので、登山シーズンはこちら側に駐車する人が多いのであろう。 林道の先に温泉が見える。もうまもなくゴールである。
|
 |
大丸あすなろ荘で日帰り入浴
12:23駐車場に戻ってくる。 時間があったので大丸あすなろ荘に立ち寄り入浴をする。 大丸あすなろ荘の館主は一橋大学の元教員という変わった経歴の持ち主で、日本秘湯を守る会の会長を務めていることでも知られている。風情のある暖簾をくぐって、きれいな建物の中に入り、受付で入浴料金を払う。 入口のあるところは3Fなのでエレベータで1Fの降りてくれといわれる。 なるほど、川沿いに温泉はあるということのようだ。 露天風呂につかると気分も晴れ晴れとした。
|
 |
天栄村名物ヤーコンそば
13:52道の駅羽鳥湖高原で昼食。 山頂でパンを食べたのだが、時間が早かったのでおなかがすいてしまい、天栄村の特産品ヤーコンの入ったそばをいただく。 14時には出発し、東北道をえっちらおっちら帰った。 途中16:22羽生PAで休憩。 小江戸をもじったPAの建物に感動しつつ、旅の一日の無事を喜んだ。
|
 |
日本には本当に地元の人たちに愛されている山というのがある。 飯豊連峰のえぶり差岳に登ったときもそれを感じたが、二岐山はそのような山のひとつかもしれない。 日本百名山がどうしても観光地化してしまっているのに対して、日本三百名山の中には本当にそのような目立たないが地域に根差している山がある。今回、「うつくしま百名山」という言葉を初めて知った。 登山家の田部井淳子氏を委員長とする選定委員会により選定された福島県内の百名山(福島百名山)。
福島テレビ(FTV)が1998年に開局35周年記念事業の一環として行ったもの。 「うつくしま百名山」と題する本にまとめられた。テレビでも長期間にわたり放映され、多くの県民の関心を集めた。ちなみに自分が登ったのは13山であった。
(2019年6月 記) |
|