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神威岳
神威岳

基本情報
1 山名 神威岳(かむいだけ)
標高 1601m (二等三角点) 
山域 日高山脈
都道府県 北海道
位置 N42.25.42/ E142.54.25 
地図 2万5千分の1地図「神威岳」
20万分の1地勢図「浦河」
7 山岳区分 日本三百名山・北海道百名山
登山記録
山歩No 3030-23049
登山日 2023年7月19日(水)~7月20日(木)
歩程 8時間00分(神威山荘ー神威岳ー神威山荘)
天候
形態 小屋泊1泊2日
アプローチ 浦河より国道235号 道道348号で元浦川林道経由で神威山荘
パーティー 1人
動画URL https://youtu.be/Xd1hJI6XFQ0

 神威岳はソエマツ岳(1625m)・ピリカヌプリ岳(1631m)と併せて前日高三山と呼ばれる山である。 標高はこれらの2山より低いものの、山の風格としては秀でているということで、日本300名山に選ばれている。 ガイドブックでは、この山に入るのにも随分と林道を歩く距離が長いようである。 従い、なかなか登山計画が立てられないでいた。 2023年に北海道の遠征予定を計画した時に、やはりこの山は、200名山で北側に位置するペテガリ岳とセットでいくしかないということを決断し、 HNKのグレートトラバース三百名山一筆書きでは田中陽希さんがペテガリ岳に登って日高山脈の締めくくりとして、神威岳をそのあとに登っていたものの、自分はなんとなく先に神威岳を登り、そのあとにペテガリ山荘に移動しペテガリ岳に登るということで計画をした。

浦河で宿泊

 2023年7月19日(水)前日カムイエクウチカウシ山から下山をして、車で国道236号線を中札内村から更別町・大樹町を通って、浦河の街までやって来た。 ツーリストを中心にソロの宿泊客に人気のゲストハウスまさごに宿泊し、ゆっくりと風呂に入って足を伸ばして眠り、元気を回復した。 いよいよここから西の日高側から日高山脈に入る4泊5日の旅が始まる。 北海道に来てからあまり天気が良くなくて、 カムイエクウチカウシ山でもガスで展望がなかった。 日高山脈を車で越えるときは夕立も降っている状況であった。 浦河の町に入ってからは天気は決して悪くなかったが、19日の朝も曇り空であった。

オロマップ展望台

 11時30分、オロマップ展望台へ行ってみる。 ここは浦河の街を見下ろす公園がある。 競走馬の産地として牧草が広がっているのがよくわかる。 そこからさらに天馬街道を北に進んで翠明橋公園まで行ってみた。 翠明橋公園では山の景色が見れると思ったが、実際に行ってみるとそこでは細かい雨が降っていた。 やはり日高山脈を挟んで西と東では全く天気が違うようである。 十勝方面は雨が降っているのだろうか。 翠明橋公園で正午になったので持ってきたアルファ米で昼食を摂る。 今日は車で登山口の神威山荘に入るだけなので、時間に余裕がある。 昼食を食べた後、国道236線を下っていく。 そこから新ひだか町の荻伏駅を経由して道道348号を北に元浦川に沿って上がっていく。 

元浦川林道

 13時35分、元浦川林道の入り口に到着した。 ここから5日間携帯電話が入らない生活となる。 家族には携帯が入らなくても心配しないようにということを伝えておいた。 問題なければ山頂だけは携帯が入るかもしれない。 元浦川林道は最初はスタートの道で牧場の横を通過していく開けた道であるが、カムイ橋を渡って川の左岸に出てからはもはや建物などはまわりになくなり、樹林の中をひたすら進んで行く。 2022年の台風で道が崩れたこともあって、この2023年も6月に日高南部森林管理署に電話して道の状況を確認した時には、 夏の登山シーズンの時にゲートを解放できるかどうかは、修復している状況次第で、開放できる時期はは未定であるとの回答だった。 重機を入れてるので何とか梅雨明けには間に合わせたいとということであった。結局7月の15日ごろに開放して神威山荘までマイカーが入れるようになったようだ。 

神威山荘

 別の方の動画を見ても、この林道は結構狭く、 横が切り立っているところもあるので、運転には細心の注意が必要だ。 一時間ほど走って神威山荘に到着した。 山荘の中にはこの日登山をした方がおいている荷物があったが、19日水曜日の宿泊者は自分だけのようである。16時半にもう一台停車してあった埼玉ナンバーの車の持ち主であるご夫婦が下山してきた。 山頂で雨にはあたらなかったが、ガスで視界はなかったそうである。 下山途中で小屋から1kmほどの場所でヒグマを目撃したらしい。 この日の夜は早めに夕食の準備をして夜の8時に就寝した。トイレは小屋に併設されているので歩く必要がなく安全である。何しろヒグマがいる伝えなので外に出る時には注意が必要である。


出発 第一の渡渉

 7月20日木曜日、朝3時半起床。湯をわかしてカップラーメンを食べ、アルファー米を注いで昼食とする。 基本はサブザックに雨具・ヘッドランプ・常備薬などを入れて軽いスタイルで出かけることにする。 とは言え途中までは沢靴が必要なので沢靴で歩きはじめて、登山靴は袋に入れてリュックにくくりつけて行くというスタイルである。クマ鈴はリュックに一つ、 ポーチ一つ、それからピッケル、ここにもひとつ、 帽子の紐にも一つくくりをつけて4:35出発である。 太陽が出ているので4時を過ぎたらもう充分明るく歩ける出せる。歩き出してすぐに小さな川を渡る。そこから林道のような比較的はっきりとした道を進んでいく。傾斜はほとんどなく平坦なので歩きやすい。
 

ニシュオマナイ川入渓地点

 森の中に入りゆっくりとした傾斜を上がって行く。 ピンクテープを目印に標高440mの二股、ここからニシュオマナイ川入渓地点である。一度渡渉して反対岸のピンクテープに沿って土手を歩いてみたが 、川の中を歩いた方が速そうなのでまた沢筋に下りて上がっていく。 ピンクテープが必ずしも等間隔でなく、どうも流されてしまったようなところもあるので、ルートファインディングに結構苦戦をする。 15分ほど川の中を歩いたところで後ろから一人登山者の方が追い越していった。 大阪から来た40代ぐらいの方で日本300名山を登っているそうである。ペースが早いので先に行ってもらう。

尾根の取り付き

 7:39 尾根の取付点に到着した。先行者の沢靴のデポがある。ルートここから大きく左の矢印に従い樹林の中に入って行くルートとなる。 少し休憩して行動食をとってるとまた男性のソロ登山者の方がやってきたこの方は沢靴と兼用の登山靴を履いておられるので靴を履きかえることなくのまま先に尾根は上がっていった。 自分はさあ靴を脱いで靴下も履き替え登山靴履き替える。 帰りに物がなくなっては困るので忘れないように少し目立つ位置に靴を入れた袋にくくりつけておく。 矢印に従い尾根道へと入って行く。 最初は普通の登りであるか次第に傾斜を増していく。やがてと今度は笹が厳しくなり藪漕ぎいうスタイルになってくる。 ところどころ足が悪く滑りやす、く両手でササを掴まないと登れないところもある。 ササが茂っていて葉の裏にマダニが付いていたりすることもあるので注意が必要である。

日高山脈主稜線

9時58分尾根の頭と思われるところに出た。この辺りが森林限界で標高は1400mほどである。古ぼけた道標の痕跡も見つかった。 ここからは眺めがよくなっており、山頂近辺の稜線の間の様子も見て取ることができる。振り返ると神威岳から中の岳とペテガリ岳に続く日高山脈主脈の稜線も見えた。ペテガリ岳の山頂はまだガスに追われている。


神威岳山頂

10時39分道がやや緩やかになり前の方に神威岳の山頂標識が見えた。先ほど尾根のとりつきで追い越していった男性が山頂標識の横に居るのも見えた。 標高1601mの神威岳山頂に到着である。 山頂に着くと南側のソエマツ岳がドーント目に入ってきた。 やはりこの南日高三山の眺めは素晴らしい。 シャッターを押してもらって記念写真を撮影し、さらに360度動画および恒例の万歳三唱動画を撮影する。 持ってきたアルファ米を食べてさらに天気が回復するのを待つ。

 

再び尾根の取り付き点

 天気は次第に良くなってきてついにカムイエクウチカウシ山が見えた。 カムエクの左側には1839m峰がその特徴的なピラミダルな姿を見せていた。 ペテガリ岳の山頂もまもなく晴れそうであったが、いつになるかわからないので、11時39分下山を開始する。 果たして下山して今朝初めて十分程の稜線の上でペテガリ岳の雲は完全に晴れる。 翌日登るペテガリ岳が素晴らしい姿を見せてくれたのでテンション上がる。 下りも慎重に降りていく。 13時20分尾根の取付点に到着。デポしてあった沢用靴に履き替える。 ここで一人の登山者の方とすれ違った。 この時間登って行くということは山頂に到着するのは夕方になってしまうので、 おそらく稜線上にテントを張るのだろう。 きっと満天の星が見えることだと思う。。

下山 神威山荘へ

 慎重に沢を下り、16時9分にニシュオマナイ川入渓地点に到着する。 ここから先は樹林の中の道になる。 昨日埼玉のご夫婦がヒグマを見たというところを通過するはずなので、細心の注意を払っていく。 16時30分最後の渡渉を行う。 16時35分に神威山荘に到着した。 山荘の前の駐車場には自分の車以外に、先ほどの稜線にテント張ると思われる方の車と二台だけが停まっていた。 結局下山後の20日の晩もこの小屋に宿泊するのは自分一人であった。 西日を浴びながら、動画のエンディングを撮影する。 持ってきたウイスキーで登頂の祝杯をあげて翌日からいよいよペテガリ山荘に向けて行くのでさらに気を引き締めようと考える。 暗くなって20時小屋の中を広々と使いながら就寝した。

 下山してから、YAMAPの記録を見たら、コース定数31という記載があった。 相当きついコースだということである。 さすがに日高山脈。 沢のルートファインディングも急登の藪漕ぎも相当困難であったと考えられる。 今回、マダニ対策をしっかりしていったのでよかったが、他の人の記録では被害に遭った方もいるようである。 困難ではあったが、久しぶりに好天に恵まれた遠征の後半の山に大満足を覚えた。
(2023年10月記)

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地図の引用画像は国土地理院発行の数値地図50000(地図画像)と数値地図50mメッシュ(標高)を利用しています。(この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。承認番号  平13総使、第301号)
登山ルートの俯瞰図は、DAN杉本氏の開発したソフトウエア「カシミール3D」にて作成しています